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マリアを抱きかかえたまま、密かに戦場を去るレキの前に現れたのは、龍砲を肩に担ぐヴェロニカであった。
「邪魔をするなら、ヴェロニカ。君もここで滅びる事になるぞ」
闇の気配は鳴りを潜め、マフラー越しに見える瞳は元の輝きを取り戻している。
「レーヴァティンの封印は解け、最後の鍵であるレーギャルンの聖骸布の所在もわかった。これで任務は完了。もう、あなたの邪魔はしない」
「それもイヴァンの命令か?」
「いいえ、これは百年前にクリサリス王から、ラト家に与えられた最後の命令」
「仲間を裏切ったのも、マリアさんを襲ったのも、この襲撃も、その闇の力も、全て百年前の命令だというのか?」
レキは静かな怒りを湛えて言った。
マリアはそんなレキを気遣い、大地に降り立つと、いつでも戦えるよう槍を構える。
「ええ、そうよ。あなたに地獄の苦しみを与え、徹底的に追い詰め、心を壊してでも、殺してでも、レーヴァティンの封印を解け。それが私に命じられた任務だった。嘆きの谷であなたを襲撃させたのも、リリスに王都を襲わせたのも、ゼノビアの母を人質にあなたに挑ませたのも、戦乙女を殺すべく暗殺者を仕向けたのも、オディールを手助けしたのも、今日起きた事も、全てあなたの『覚醒』を促すために私が仕組んだ事よ」
「全て、君の思惑通りだったと?」
「計画通りに行く計画なんてない。だからこそ、あらゆる手を尽くすのよ。ただ、流石に私でも……『これ』は想定外だった。色々して来たのが馬鹿らしくなるわ」
ヴェロニカは呆れたような表情で、天空に描かれた巨大なハートマークを見上げる。
如何なる作用なのかハートマークはずっとあのままで、あの時のテンションから少し冷静さを取り戻したレキとマリアは、恥ずかしい気持ちで一杯である。
その場のノリで行動したはいいが、後で後悔するという事案であった。
「……褒めてないだろ、それ」
レキは憮然とした表情で言った。
「褒めているわ。あなたは数多の試練を乗り越え、私が想定を遥かに凌駕して自己の領域を神域へと至らしめた。聖別はこれで完了した。ラト家の悲願は果たされたわ」
「結局、君は何が目的で動いていたんだ?」
「私の使命はただ一つ。邪神を封滅するために、『レーヴァティン』の封印を解く事よ」
「わかるように説明してくれ」
「百年前。クリサリス王国とカルネギア帝国の間で起きたの戦争は、古の邪神復活が原因だった。クリサリス王は、己の命と引き換えにレーヴァティンを解放して邪神に挑んだ。でも、不完全なレーヴァティンでは、邪神を仕留めるには一歩及ばなかった」
王は最後の力を振り絞り、邪神を封印して未来に希望を託した。
そして、
「ラト家は王命に従い、この百年。クリサリス王家の血を監視し、王家の再興を望む者。謀反や反逆を企む者。他国に亡命しようとする者。闘争を捨てて静かに暮らそうとする者――と、何人の王の子供達を、その子孫を、暗殺してきたわ」
「何故、そんな真似を?」
「クリサリスの血には、この世で唯一、邪神を殺せる神滅具が、〝災厄を撒き散らす焔の剣〟が宿っている。だからこそ、封印を解くための障害は排除しなければならなかった。クリサリスは狼の化身。〝闘争の渦〟から逃げた者に未来はない。そして、強大なる帝国に逆らい一族の血が途絶えるのもまた、避けなければならなかった」
「生かさず殺さず……か。羊飼いにでもなったつもりか?」
「この世界を守るため、子々孫々に恨まれようとも、邪神に対抗しうる炎の剣を鍛え上げろ。それが王の最後の命令だった」
「まるで、女神スカサハの試練だな」
愛する弟子を鍛えるために、数多の試練を与えた女神スカサハは、最後の試練で愛する弟子を殺してしまう。女神は弟子を愛するがあまり、彼が試練を乗り越えた果てに自分のもとから去るのを恐れたのだ。
「邪神は封じられる間際に己の眷属を、〝七の御使い〟を生み出した。奴らは各地で暗躍し、邪神の復活を企んでいる。五十年前の〝英雄戦争〟も、十年続いた〝称士戦争〟も、裏には奴らの姿があった」
「サルディスとかいう瘴魔もその一体なのか?」
「本当のサルディスは五十年前、《剣帝》に滅ぼされている。あのサルディスは『No.1027』と名付けられた、ラグナロク計画で蘇った人と瘴魔の融合体」
「君も……その一体なんだね? ヴェロニカ」
矛を交えたレキにはわかる。目の前の少女の内に秘められた強大極まる闇の気配は、サルディスなどとは比べ物にならないと。
「ええ、そうよ。私の真の名は《願望のエフェソ》。血と硝煙を司る七の御使いの一柱にして、黙示録のラッパを最初に吹く天使。素体となったラト家の少女の名はヴェロニカと呼ばれていたわ」
「今の君は、ヴェロニカなのか? それともエフェソなのか?」
「七の御使いにも色んな考えの個体がいる。中には私のように『主』の復活を望まない者も。そんな私の魂と、素体となったラト家の少女の魂が融合し、今の『私』が存在する。もう、どちらかを判別するのは不可能」
「何故、今になって真実を語る? 何故、最初から僕を頼らなかった?」
と、その時。
「それについては、私が話そう」
レキとマリアの後ろから声がして、建物の影から現れたのは、この国の宰相であるレオナールであった。彼は、血に濡れた剣を携えていた。
「我々セイントアーク王国は、百年前よりクリサリス王国と盟約を結んでいる。来たるべき〝終末戦争〟に備えてな」
「…………」
レキと黙したまま、警戒を高めてマリアを庇うように立つ。
その視線に気付いたのだろう。
「ああ、これは失敬。道中で邪魔な道化師と出くわしてな」
レオナールは剣を振り払い血糊を散らすと、涼やかな音を響かせ鞘へと納めた。
「説明を」と、レキ。
「当初の計画では《白騎士》アーサーと、《黒騎士》ユリウスの協力のもと、戦争を早期に集結させ、ユリウス卿がレーヴァティンの封印を解く役目を担うはずだった。その後、ジョセフ閣下率いる聖十字騎士団と、フィーネ殿の率いるニーベルンゲン騎士団が帝都に侵攻。邪神を完全に封じるのが計画の全容だ」
聖十字騎士団が帝都へ逆侵攻をかけるという作戦は、レキも聞いたことがあった。
結局、作戦は実行されなかったが、裏には驚くべき真実が隠されていた。
「だが、計画は当然ながら〝七の御使い〟による執拗な妨害があった。五十年前の悲劇を繰り返すまいと、国王である兄も、私も、ジョセフ閣下も、フィーネ殿も、ヴェロニカ君も、多くの者が必死に戦った。だが、我が兄は瘴魔の毒に侵され、私は愛する女性を永遠に失った。ユリウスもアーサーも大切な存在を奪われ、最終的に殺し合う事になってしまった」
「まさか、お母様が九年前にベルグリシ霊峰で戦った瘴魔は……?」
マリアの言葉に、宰相レオナールはコクリと頷く。
「ああ、そうだ。シルヴィア殿は御使いの一体を屠る事に成功したが、その戦いで行方不明になってしまった。我々はあの日、最強の戦乙女を失ったのだ。シルヴィアを始め、アーサー、ユリウスと、次代の希望を立て続けに失った我々は、ユリウスとの約束を破らざるを得なかった」
「父さんとの約束?」
「愛する息子にだけは、平穏な暮らしをという約束だ」
そう語るレオナールの瞳には、悲しみと後悔、それを上回る覚悟が秘められていた。
「僕は……親不孝な息子だな。父さんは僕を案じて闘争を禁じけれど、僕は闘争にこそ自分の価値を見いだしたのだから」
「それでいいのよ。〝闘争の渦〟から逃げた者に未来はないと言ったでしょう? 元々あなたはユリウスに万が一があった時の予備だった。我々ラト家は最初から、ユリウスとの約束など守るつもりはなかったわ。ユリウスが戦場にあるならノーザンクリサリスの領地に介入するなんて容易い。幼いレキを軍学校へ入学させ、ラグナロク計画の実験体にさせたのは私よ」
「覚えているよ。君は『最初』に会った時から容赦がなかったからね。オディールがいなかったら、あの時の爆傷で死んでいただろう」
ユグドラシルの塔で、幼いレキがオディールに食事を運ぶ役目を担っていた頃。
戦闘訓練でヴェロニカと対峙した事があった。
当時のヴェロニカは幼いレキに対しても、容赦なく〝燎原の火〟で攻撃して来た。
重傷を負ったレキは、ヴェロニカに応急処置をされ、オディールの居る鳥籠の間へと連れていかれたのだ。
「あれで死ぬようなら、いずれ道半ばで力尽きていたわ。でも、あなたは生きのびた」
ただ――と、言葉を切ったヴェロニカは、マフラーで口元を隠すと、
「人の身体があんなに脆いなんて、知らなかったわ」
そっぽを向いて呟いた。
レキは苦笑して肩をすくめると、
「獅子は我が子を千尋の谷に落とす……か。数々の嘘も、裏切りも、君なりの愛情だと受け取っていいのかな?」
「愛なんて欠片もないわ。私は、私の務めを果たして来ただけ。六大凶殺に所属したのもあなたを鍛えるためよ」
「それについては感謝しているさ」
「たった三年であなたは見違えるほど強くなった。でも、問題が起きた」
「父さんの死か……」
ヴェロニカは頷き、マリアが表情を曇らせるが、レキは安心してというようにマリアを強く抱きしめた。
「ユリウスの死を聞かされた私は決断を迫られた。このままあなたの成長を待って再起を図るか、無理やりにでもあなたの力を覚醒させるかを。後は――先に言った通りよ」
「目的のためには手段は選ぶな、か。君に教えて貰った事だったね」
「我々ラト家は正義の味方ではない。毒を以て毒を制し、敵を騙すためには親でも殺す、血塗られた裏切りの一族よ」
「ヴェロニカ君の言う通り、我々は邪神を倒すというただ一つの目的のために、あらゆる非道も厭わぬ狂信者だ。他者から見れば、悪の権化といっても相違ないだろう。恨んでくれて構わんよ」
「いえ、少し安心しました。正義のためだから納得しろと言われていたら、この場で全員殺すしかなかった」
レキはそう言って微笑むが、その笑みにはゾッとするほど冷たい殺気が籠められていた。
二人は神妙な面持ちで、レキの怒りを受け止める。
「この事を、セシリアは知っているのですか?」
と、マリアが問う。
レオナールは首を左右に振って答えた。
「いや、知らせておらん。あれは光だ。この国を正しき航路へと導く灯だ。故に、光を遮る穢れは全て私が引き受けると、眠る兄に誓ったのだ。幸いこの国を内側から蝕む姦賊達は、此度の騒動で『偶然』にも全員まとめて瓦礫に巻き込まれ死んでしまった。今後はもっとやり易くなるだろう」
「今の戦況は?」と、レキ。
「多くの妨害を受け一度は頓挫しかけたこの計画も、最大の協力者であるイヴァンのおかげで首の皮一枚で繋がっているわ」
「イヴァンが……そうか、イヴァンも戦っているんだな」
レキの脳裡には、ユグドラシルの塔で再会した親友の姿が浮かぶ。
「ユリウスが亡くなる少し前に、イヴァンは〝雷帝の猟犬〟の中でも選りすぐりの精鋭を率いて、皇帝ヨシュアを暗殺に成功した。敵の動きは大きく鈍り、戦争終結は確実となった。でも、その時にはもうヨシュアは人ではなかった。ヨシュアは死してなお悪霊となってイヴァンに憑りつき、その全てを乗っ取ろうとしているわ」
ゼノビアが東方戦線で見たイヴァンは、ユグドラシルの塔でレキが見たイヴァンは、既にヨシュアに乗っ取られつつあったのだろう。
「さて、これ以上立ち話するのも不味かろう。騒動の後始末もある。今夜、我が屋敷に来ないかね? レキ君、君に会いたがっている者もいる」
レオナールの誘いに、レキは首を左右に振って答えた。
「すみませんが、断らせて貰います」
「理由を聞かせて貰っても?」
「帝国に巣食う闇を焼き尽くし、邪神も、皇帝も、全て喰ってみせよう。でも、あなた方には協力しない。これは僕の戦いだ」
「……了解した。最初から虫の良い要求だとわかっていた。君が戦うのを止めるつもりも、邪魔するつもりもない。だが、援助はさせてくれ。それに君に会いたがっている者がいるのは事実だ」
「日を改めて伺います。ですが、今夜は絶対に外せない要件がある。例え世界が滅びても今夜ばかりは『僕達』の邪魔をするな」
僕達という言葉を強調して、レキは再びマリアを抱きかかえる。
「れ、レキ君……」
その力強い腕の感触に、マリアは頬を染めるしかなかった。
レキはマリアを抱きかかえ、颯爽と去っていく。
甘い空気を撒き散らしながら。
その背中が見えなくなるまで見送ったヴェロニカとレオナールは、二人揃って空を見上げた。
くっきりと空に刻まれた、巨大なハートマークを。
「しかし、素晴らしい。これが愛のなせる技か。我々の介入などなくとも存外、世界は平和だったかもしれないな。そうは思わないかね、ヴェロニカ君」
「…………私に聞かないで」
「くくっ、君もそのような表情をするのだな」
マフラーで隠していても憮然とわかるヴェロニカの表情に、レオナールは笑みを堪えらずくつくつと声を漏らす。
「泣く子と、馬鹿には勝てないわ……」
ヴェロニカはもう一度空を見上げると、雪の結晶が溶けて消え去るように、音もなくその場から姿を消した。




