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セイクリッド・クロニクル4  作者: スタジオぽこたん
第三章 クリサリスの末裔
14/16

  4

 

 仮面の女は、垂直にそびえ立つ城の壁に対して、まるで地面のように直角で立っていた。

 腰に手を当て、妖艶な仕草。

 軍靴を踵を鳴らしながら、重力に逆らい歩く仮面の女は、無くした右腕で顔を撫でる。指先で唇を撫でようとしたのだろう。

「んふ、そういえばあなたに斬られたままだったわね」 

 女が微笑むと、ゾロリと傷口から触手が生え出て、うねりながら腕の形をなしていく。数秒後には斬られた腕も、手に握られていたクノペシュまでもが元通りになっていた。

「我が名はマリア。マリア=ザ・ヴァルキュリアス・オブ・クイーン。神託により、槍騎士の第三称号を得た《戦乙女》です。闇の住人よ、名があるなら名乗りなさい」

 マリアは宙に描かれた聖法陣の上に立つと、ビュンと槍を振り払い、煌めく切っ先を仮面の女に向けた。純白のドレスを風になびかせるその姿は、凛々しくも可憐で、鋭いからこそ息を呑むほど美しかった。

「まぁ、素敵。ますます欲しくなったわ。では私も、礼節にのっとり名乗りましょう」

 仮面の女は踵を揃えると、カツリと一度踏み鳴らし、右手を胸に掲げた。

「私の名は《失意のサルディス》。イヴァン様の力によって再びこの地上に蘇った〝終末の獣〟の眷属にして、黙示録のラッパを吹く七天使の一柱よ。これから長いお付き合いになると思うわ。良い悲鳴を聞かせてね……ヴァルキュリアスッ!」

 サルディスと名乗った仮面の女は、会心の笑みを浮かべる。

 それは罠にかかった獲物を視る蜘蛛のようで――

 次の瞬間。ザアッと音を立て、聖法陣の上に立つマリアの頭上へ、投網のように広がる蜘蛛の網が迫りくる。

「ふふ、その糸は神意を纏った刃も通さない特別製。捕まったら最後、絶対に逃げる事は出来ないわ。ああ、哀れ。美しき純白の蝶はその煌びやかな羽を捥がれて、醜い蟲の餌食とな――」

 マリアは迫りくる頭上の網を見ようともせず、その場で槍をくるりと一回転させた。

 槍の矛先が音速を越え、パァアンと乾いた音が鳴り響く。

 ただそれだけで、神意を纏った刃を通さないはずの網は、神意を纏ってすらいない刃の前に、跡形もなく消し飛んだ。

「名乗りは終えましたか?」

 マリアは何事もなかったように、槍を矛先をサルディスへ向ける。

「…………可愛い顔をして、随分とやるようね」

「レキ君の心に僅かでも曇りを与える存在は、私にとって看破出来ない敵です。ましてや、彼の戦いの邪魔になるなど言語道断。故に、あなたはここで滅びなさい」

「人間ぶぜいが、このサルディス様を滅ぼすですって? ふふ、面白い冗談ね。その可愛い顔をズタズタに引き裂いても、同じ口が叩けるか見て上げるわ」

 サルディスは左手からもゾロリと触手を出して、禍々しく湾曲したクノペシュへ変えると、嗜虐的な笑みを浮かべながら、二刀の刃でもってマリアへ斬りかかる。

 だが、マリアの姿はその場から掻き消えていた。

 空間転移かと、目を疑うほどの速さ。

「!?」

 壁に立つサルディスの上空にこそ、マリアの姿はあった。

 サルディスが驚愕に振り返るが、もう遅い。

「ヤッッ!」

 マリアは槍を真下へ向け、天から壁に立つサルディスの心臓を貫き、重力の落下に従い地面へ叩きつける。

 ズドンッと大地が揺れ、土煙が舞う。

 一体どれほどの力が籠められていたのか、石畳が蜘蛛の巣状にひび割れ大きく陥没した。

『星よ、その峻烈なる輝きのもと、我に光よ――エストレア!』

 少し放たれたところに着地したマリアは、強化系の聖術を唱えて全身から光を放つと、槍の矛先をピタリと落下地点へ向け、絶大な神意を収束させていく。

 それは神技発動する前触れに他ならない。

 バチリと、矛先から雷光が炸裂し、

「――――流星の如く大地を穿つッ!」

 千人を殺す神技を、流星の如き星屑の光波を、倒れ伏すサルディスに向けて撃つ。

 眩い閃光が槍の先端に渦巻き、直後、一気に解放された破壊の奔流が、石畳を塵に変えながら射線上の全てを薙ぎ払う。

 閃光と爆発。

 爆風にドレスのスカートを揺らしながら、マリアはさらに神意を高めていく。

 何故なら、

「容赦がないのね。この姿は美しくないから嫌なのに」

 心臓を穿たれ、神技の直撃を受けたはずのサルディスが、平気な顔で立っていた。

 彼女の背中からは、巨大な四本の脚が生え出ており、それがマリアの神技を防いだのだ。

 昆虫のような複数の節で構成され、それぞれにびっしりと棘が並び、脚の先端にはクノペシュが爪として生えていた。

 明らかに人を逸脱した、異形を晒すサルディスは、

「今度はこちらから行くわよ!」

 と、叫んで、背中から生えた脚の一本を、鞭のようにしならせ振るう。

「ッ!」

 マリアは咄嗟に、横へ避けた。

 先ほどまで立っていた場所に巨大な脚が振り降ろされ、石畳が直線上に打ち砕かれた。

 ゾッとする威力だ。

 丸太のように太い節だった脚には、棘が並んでいるせいもあり、かすめるだけで肉がごっそりともっていかれるだろう。

 サルディスは四本の足を縦横無尽に振るい、襲い来る。

 マリアは城の壁にそって走るが、サルディスは堅牢な城の壁を、砂壁のように破壊しながら追いかけて来る。

 右横からの薙ぎ払いを避けると、今度は避けた場所に打ち降ろしが襲う。

 マリアは横に転がって避けるが、立ち上がりを狙われた。

 サルディスの脚の一本が、一瞬の溜めのあと矢のように鋭い突きとなって放たれた。

 先端には鋭く湾曲したクノシュペがあり、マリアは槍の柄で一撃を受け止める。

 火花が散り、踏みしめた石畳が砕けた。

「ふふ、よく受けたと褒めてあげる。でも、やはり人間は貧弱だわ。このまま押しつぶして上げようかしら?」

 サルディスの背中から生える脚の太さは、もはやサルディスの身体より太くなっていた。

 せり合うマリアは、想像を絶する相手の力に押し負け、徐々に後退していくが――

「確かこうして、エイッ!」

 純白のハイヒールを履くマリアは、その可憐な靴で大地を踏みしめ震脚すると、槍の矛先からサルディスに神意を叩きこむ。

 それはレキに教わった、浸透頚の技であった。

「ぐっ!?」

 サルディスの呻き声。乾いた木をへし折るように耳障りな音を響かせ、サルディスの脚が中ほどから吹き飛んだ。

 レキとマリアは『恋人』とであり、『婚約者』であり、『師弟』という関係にある。

 少し前から初めた二人だけの修行は、二人の強さに強い影響力を与え、互いの愛が、互いの想いが、強き技となって二人の中で成長していく。

 マリアにはそれが、掛け替えのない『愛の証』に思えた。

 レキを愛するだけでマリアの槍捌きはどこまでも早くなり、レキに恋するだけでマリアはどこまでも強くなれた。

「こしゃくな! まだ三本残っているわよ、ヴァルキュリアスッ!」

 サルディスは残りの脚を、三方向から同時に振り降ろす。

 さらに、自身も両手のクノシュペを握りしめて跳ぶ。

「望むところです」 

 上からも、左からも、右からも、巨大な足がマリアを押しつぶそうと迫りくる。

 そして前からは、二刀の刃を構えるサルディスが、鋏のように刃を交差してマリアへ斬りかかった。

 対するマリアは、槍を構えて『前』へこそ突撃する。

 鋭く一歩踏み込み、下段からの上薙ぎ、下薙ぎへと続け、さらに横薙ぎへと連携させる。

 三つの槍捌きが、同時に見えるほどの神速三連撃。

 巨大な虫の脚は三本ともすべて、節ごとにバラバラに斬り裂かれて黒い血しぶきが舞う。

 純白のドレスをひるがえし、一滴の返り血も浴びていないマリアは、さらに攻撃を加速させた。

 流麗なる槍捌きはもはや視覚に捕える事を許さず、銀の矛先が三日月のような弧を幾重にも描き、残光が流星となって尾を引く。

 サルディスもまた、尋常ではない使い手であった。

 マリアの槍の舞いを二刀のクリシュペで防ぎながら、必死に攻撃を繰り出して来る。

 そう。サルディスは必死であった。

 表情に余裕の笑みは消え、仮面から見える口元は、苦しげに歯を食いしばっていた。

 だが、マリアはさらに、さらに、さらに――どこまでも速く加速する。

「ば、化け物め……ッ」

 闇の住人であるサルディスの口から恐怖がこぼれ、限界はあっという間に訪れた。

 槍の矛先と撃ち合ったクリシュペが、刃ごとサルディスの左腕を断ち割り、次の刹那には、その身体に幾重もの銀線が刻まれた。

「褒め言葉として、受け取っておきましょう」

 マリアはサルディスに背を向けたまま、槍の石突きの部分でコツリと石畳を叩く。

 すると、

「イヴァ……ン、様……どう、か……お許し……だ、さ……い」

 サルディスの頭部が、身体が、斜めにずれていき、次の瞬間には全身からどす黒い血を撒き散らしてバラバラに四散した。

 瘴気がサルディスの遺体から染み出し、大地が黒いタールのようにボコボコと沸き立つ。

 どうみてもサルディスは死んだだろう。

 この状態で生きている生物がいるはずがない。

 だが、マリアは知っている。

 生物の枠を逸脱してなお、闘争を止めなかった龍の成れの果てを。

 バチリ、と雷光が炸裂。

 マリアの神槍に、絶大な神意が収束していく。

 そして、

「――――流星の如く大地を穿つッ!」

 槍から放たれた光の流星が、黒く広がるサルディスの身体ごと大地を薙ぎ払う。

 凄まじい熱量に石畳は一瞬で蒸発し、眩い爆発が起きた。

 徐々に光が収まると、眼前には二十メルセほどの大穴が、まるで流星が直撃したかのようなクレーターが出来上がっていた。

 大地は溶けた鉄のように真っ赤に灼熱。 

 マリアは、もうもうと陽炎が立ち昇る大地へ冷厳な眼差しを向けると、ビュンと槍を振り払い、再びその矛先に神意を収束させていく。

 直後、光の流星が槍の先端から放たれた。

 マリアはそのから、計七発もの神技を叩きこみ、徹底的に闇の気配を浄化した。

「………………ふぅ」

 小さく息を吐いて、マリアは緊張状態を解いた。

 正直、恐ろしい敵だった。

 己の力に絶対の自信があったのだろう。サルディスは本気を出していなかった。

 弱い人間をいたぶり遊んでやろうという、傲慢さと油断があった。

 マリアはその甘さ突いて、初手から全力で殺しに行ったから押し勝てたのだ。

 もしサルディスが最初から本気であったなら、この戦いどう転んでいたかわからない。

「……お爺様は、このような敵からこの国を、この世界を守って来たのですね」

 と、その時。

 レキが戦っている方角から、おぞましい瘴気と闇の気配が解き放たれ、マリアは全身の毛が総毛立つ。サルディスとは比べ物にならない強大な闇に、

「――――レキ君!」

 マリアはレキのもとへ駆けつけようと、陽炎が立ち昇る大穴に背を向けた。

 次の瞬間。

 マリアの背後に闇が蠢き、そこから飛び出したのは現実感を喪失するように巨大で、黒く鋭いサソリの毒針だった。

 毒液を滴らせるその針は、背を向けたマリアの身体を――背後から刺し貫いた。

「ッ」

 引き裂かれた純白のドレスが散る様は、翼を捥がれた天使のようで、マリアは声もなく儚く地に倒れ伏す。

「ふふ、ふふふ……あーっはははははっ!」

 耳障りな高笑いと共に、蠢く闇から這い出して来たのは、高さ七メルセはあろうかという巨大で醜悪な蟲の化け物であった。

 巨大なクモの胴体には、丸太のような八つの脚。腕はカマキリのような大きな鎌が生え出て、鋭く尖ったサソリの尾が不気味に揺れ動く。

 蜘蛛と、蟷螂、と蠍を混ぜ合わせたような化け物の頭部には、サルディスと呼ばれた『仮面の女』の上半身裸があった。

 いや、サルディスは仮面をつけてはいなかった。

 素顔を晒すサルディスの瞳は、醜悪な蟲の姿よりさらにおぞましい、真紅の『単眼』がぎょろりと目を剥いていた。

「ああ、お許し下さいイヴァン様! か弱いサルディスの力では、戦乙女を生きて捕える事はなりませんでした!」

 巨大な蟲の化け物とかしたサルディスは、ギザギザ状の蟷螂の大鎌となった前腕を大きく振り上げ十字に振り抜いた。 

 セイントアークでも歴史のあるパママ様式の建造物が十字に斬りおとされ、建物の断面図を鋭利に晒す。 

「ですが、ご安心を。首から上だけは綺麗なまま持ち帰ります!!」

 サルディスは身体の感触を確かめるように、大鎌を縦横に振り回しながら、最後に、ピクリとも動かないマリアへ向け大鎌を振り上げた。

 ゾンッと大鎌が風を斬る。

 石畳をバターのように斬り裂きながら、死の刃が迫り――


   ◇


 この時、マリアの意識はあった。

 蠍の針に貫かれたかに見えたが、実は巨大な針はドレスを裂いただけだった。

 マリアは、サルディスの攻撃をワザと受け、やられたと見せかけ、相手が『本体』を現すのを待っていたのだ。

 人間形態のサルディスと刃を交えたマリアは、目の前の存在が『触腕』の一種である事を察した。次元の向こうに本体を隠し、安全な場所から触手を人に擬態させて攻撃を行う。

 つまり、幾ら人型のサルディスを破壊しても、本体は何らダメージを受けていないのだ。

 だから『罠』を張った。

 闇という名の深海に潜む、サルディスの本体を釣り上げるために。

 そして、本体を現したサルディスを一撃で葬るために、マリアは『地下』に神技による巨大結界を作り上げた。

 そのために七発もの『流星の如く大地を穿つ』を撃ちこんだのだ。

(チャンスは一度。相手が……隙を見せたその一瞬!)

 直後、石畳をバターのように斬り裂きながら、死の刃が迫り来る。

 攻撃とは、一番無防備になる瞬間でもある。

 それは上級瘴魔とて変わらない。

 マリアは大鎌が触れる瞬間に、バッとその身を翻し、槍の矛先を本体を現したサルディス突き立て、神技を発動しようとして――

 真横から、真紅の狼に襲われた。

「れ、レキ君!?」

 マリアは最初、目を疑った。

 何故なら、レキは見た事もない真紅の衣を纏い、全身から紅蓮の炎を撒き散らしているのだ。

 と、

「――――ヴァナルガンド! 奴を、喰い千切れッ!!」 

 レキはマリアは抱き上げたまま、怒声が轟かせる。

 怒り狂う主の命を受け、ヴァナルガンドが群れをなして次々にサルディスに喰らいつく。

 チュドドドドドッ――と、爆炎が吹き上がった。

 七メルセはある巨体が倒れ込み、サルディスが苦悶の悲鳴を上げた。

 レキは大地を踏みしめ加速すると、サルディスから距離を取り、城の外壁を乗り越え屋根の上に降り立つと、おもむろにマリアの身体をまさぐり始めたではないか。

「ひゃああ!? れ、レキ君、こんなところで何をして……ひゃ!」

 胸や腰を撫でられ、マリアの口から甘い声が漏れる。

 だが、レキはそれだけでは満足せず、突然、マリアのドレスのスカートをめくり上げた。

「ぴ、ぴゃああああ!? だ、駄目ですっ! み、見ちゃ駄目ですっ!」

 ドレスはところどころ裂けて破れて、隠す意味を失いつつあったのに、レキはトドメを刺すようにマリアの大切な場所を覗き込む。

 純白のガーターストッキングに包まれた引き締まった太腿が付け根まで露わになり、下着をまともに見られたマリアは、こんな状況であろうとも顔が赤面するのを抑えられなかった。

 戦場は男を猛らせるというが、レキもそうなのだろうか?

 恥ずかしさのあまり両手で顔を隠すマリアは、チラリと指の間からレキを見やる。

「裂傷も刺傷もなし、骨折も見つからない。だが、毒はどうだ? くそっ、瘴魔の毒をもっと学んでおくべきだった」

 レキの表情には怯えと、焦りが色濃く刻まれていた。

 どんな修羅場でも常に冷静で、決して揺るがない強き心を示して来たレキが、己を失うほど狼狽している事実に、マリアは驚きに目を見開いた。

 レキは勘違いしているのだ。

 マリアが、本当に敵にやられてしまったのだと。

 だから、己の戦場も、戦う目的も、何もかも全て投げ捨て、こちらを助けに駆けつけたのだ。

 あんなにも強かったレキを、マリアが弱くしてしまったのだ。

 レキの戦いを、マリアこそが邪魔してしまったのだ。

 ああ――と、マリアは心の中で、声を漏らす。

 だが、それは悲しみの声ではなく、感嘆であり、歓喜の声であった。

 愛されている実感をこれ以上ないほど感じ、胸が張り裂けそうに高鳴り、愛しさがあふれ出して止まらない。

「大丈夫。私は大丈夫です、レキ君」 

 マリアは両手をレキの首の後ろに回すと、ギュッと引き寄せ抱きしめた。

「マリア……さ、ん?」

 愛する少女の熱と吐息と、想いに触れたレキは、ようやく緋色の瞳に理性の光を取り戻す。

「はい、マリアです」

「本当に、本当に大丈夫なのですか? 怪我は……ないんですね?」

「……わ、私の身体に傷一つないことを調べてくれたのは、レキ君ではありませんか」

 マリアはスカートをめくられた事を、真っ赤な顔で指摘する。

 レキは己のしでかした行為に、ようやく気が付いたのだろう。

 恥じ入るように俯き、頬を染めた。

「す、すみません。僕は冷静さを失っていたようです。マリアさんがあの程度の敵に後れを取る訳がないのに……」

「謝らないで下さい。確かに驚きましたし凄く恥ずかしかったですけど、嫌だなんて欠片も思ってはいません。この身は既にレキ君に捧げていますから。ただ、その……時と場合は考えて下さいね?」

「……返す言葉もありません。反省しています」

 叱られた犬のようにしょんぼりとなるレキに、マリアの胸はキュンキュンと高鳴る。

 だから、

「ふ、二人きりの時なら、か……構いませんから……❤」

 マリアはギュッとレキに抱き付くと、その耳元で甘く囁いた。

「え?」

 きょとんとした顔をするレキに、

「ん?」

 マリアもおかしな事を言ったかしらと首を傾げ、ハタと自分がとんでもない言葉を口走った事に気が付いた。

 今回、レキは純粋にマリアの身を案じていた。

 身体をまさぐったのも、スカートをめくり上げたのも全て、サルディスの攻撃を喰らったフリをしたマリアに対して、我を失ってしまうほど心配していただけだ。

 だが、あの時。

 マリアはレキから身体をまさぐられて、スカートをめくり上げられて、このままエッチな事をされてしまうと勘違いしてしまった。

 そして、今もまた、エッチな行為を期待するかのような物言いをしてしまった。

 時と場所を考えずに発情しているのは、自分の方ではないか。

(ふぁあああああ――――ッ!!)

 茹で上がったロブスターのように、マリアの顔は真っ赤になる。

「マリアさん……」

 ゴクリとレキが喉ならして、腕の中のマリアに熱い眼差しを向ける。

「ち、違います。今のは言葉の綾といいますか、その、本当になんでもないんです!」

 何か言わなければ、弁解しなければ、と思えば思うほど頭が茹だって何も考えられない。マリアは羞恥のあまり、レキに抱き付き、その首筋に顔をうずめて隠れるのだが――

「!?」

 レキは身体を震わせ、マリアから身を引こうとする。

「れ、レキ君?」

「後で話しましょう。今は僕から離れて!」

 レキが慌てたようすで言った。

 きっとこんなエッチな子だと知って、幻滅したのだろう。

 だが、駄目なのだ。

 レキを想うだけで、レキに触れるだけで、その匂いを嗅ぐだけで、マリアはもう人参を前にしたウサギさんになってしまうのだ。

「い、嫌です。離しません! 絶対に離しませんっ!」

 マリアはヒシッと、涙目でレキの首に抱き付く。

 次の瞬間。

 レキはマリアをお姫様抱っこしたまま跳んだ。

 直後、足元の屋根に無数の太刀筋が走り、崩れ落ちていく屋根の中から巨大な蟲の化け物が、サルディスが姿を現した。

 真紅の単眼を憎悪で血走らせながら、レキに向けて蠍の尾を、鋭く尖った毒針を撃ち出す。

 レキはマリアを抱いたまま、後ろに跳んで攻撃を回避。

「しっかり掴まってて、マリアさん」

 サルディスが巨大な大鎌を振り回して、恐ろしい斬撃を繰り出して来るのを、レキは紙一重で避けていく。 

「お、降ろして下さい、レキ君! 私も戦います! いいえ、私に戦わせて下さい!!」 

 ずっと隠して来た秘密を、エッチな子だと知られた以上。名誉を挽回するには、汚名を返上するには、目の前の敵を見事に屠ってみせるしかないだろう。

 戦乙女としての矜持が、マリアを奮い立たせる。

 だが、

「駄目だよ。離さない」

 冷たく硬い声で、レキは言った。

「――――ッ」 

 その迫力に、マリアは小さく息を呑む。

 サルディスは何事かを喚き散らし、濃密な瘴気を放出。レキとマリアを殺すために凄まじい魔力を収束させていく。

 巨大な蠍の尾が、禍々しい紫の光を放つ。

 そんな修羅場の最中、レキの視線はマリアだけに注がれていた。

「僕はね。僕の中で沸き立つ醜い欲望が、マリアさんを傷付けてしまわないよう、ずっと……ずっと『我慢』して来たんだ。なのにさっきからの誘惑は一体なんだい? 僕の理性を試しているのかい? 知らないのなら教えて上げるよ。僕にだって――我慢の限界があるんだ」

 レキの周囲にバチィイと眩い雷花が散り、炎髪がふわりと揺らめく。

「お、怒らないで、レキ君」

「怒ってなんかいないさ。これは昂っているんだ。可愛すぎるマリアさんが悪いんだよ」

 レキはマリアの後頭部に手を添えると、無理やりに唇を奪う。

「ふぁ……」

 突然の口付けに、マリアが甘い吐息を吐く。

「もう遠慮はしない。勲章も、王になるのも、ヴェロニカの事も全部後回しだ。さっさとコイツを倒して屋敷に帰ろう。飢えたオオカミの前に、食べごろのウサギが現れたんだ。どんな未来が待っているのか……マリアさんの身体にたっぷりと教えて上げるよ」

 レキはそう耳元で囁き、マリアを抱きしめる両手に明確な意志の籠めた。

 手のひらから感じる火傷しそうに熱いレキの体温に、マリアは身体を震わせた。

 レキは本気だ。

 本気で求められている。

 シンプルだからこそ間違いようのない愛する少年の望みに、その愛を受け止める少女は、頬を赤く染め、動悸で高鳴る胸を押さえながら、

「お、お手柔らかに、お願いします……」

 オオカミさんの腕の中で、ウサギさんは食べられる覚悟を決めた。

 と、

「随分と見せつけてくれるのね。でも、残念ながらあなた達に未来なんてないわ」

 七メルセを越える巨大な蟲型の上級瘴魔。

 その強さは、以前に戦った人語を解する伝説の漆黒龍にも匹敵するだろう。

 簡単に言えば、サルディス一人で王都を灰燼に出来るのだ。

 そんな化け物が、一振りの百人の首を落とせそう大鎌を大きく振り上げ、蠍の尾の先端に絶大な破壊を秘めた魔力を胎動させる。

 レキとマリアの命を、一瞬で狩り取るつもりなのだろう。

 対して、こちらはどうか?

 レキはマリアを抱き上げたまま、武器すら構えていない。

 マリアもまたレキの腕の中で、レキの凛々しい顔を、うっとりと見上げていた。

 明らかに隙だらけだ。

 絶望的な状況だ。

 なのに、不思議と負ける気はしなかった。

 今なら〝終末の獣〟であろうとも戦えるだろう。 

「愛するレキ君へ、戦乙女の祝福を――――」

 マリアはそっとレキの頬に口付けをする。二人の間に淡い光が弾けて、レキに最高の祝福が、失われた聖術たる『セイクリッド・クロニクル』が発動した。

 だが、

「はぁあああああああああああああああ」 

 サルディスは雄叫びを上げて真紅の単眼を、不気味に輝かせた。

 蠍の尾に収束した絶大な魔力が、毒々しい紫の闇となって螺旋を描く。 

 周囲には凄まじい瘴気が立ち込め、その毒によって、城の屋根が炎に炙られたかのように熔解していき、隣にそびえ立つ尖塔が飴細工のようにぐにゃりと歪む。

「ユグドラシルの根をも腐らせる、ニブルヘイムの闇に呑まれて死になさい!!」

 尾が一瞬、何倍もの大きさに膨張。

 直後、触れるもの全てを溶かす破壊光線が発射された。

 それでも、レキはその場から微動だにしなかった。

 毒々しい破壊光線は、そのままレキとマリアを呑みこむが――

「ば、馬鹿な!」 

 と、サルディスが驚愕に呻く。

 何故なら、サルディスが放った破壊光線が、見えない障壁に阻まれるように、四散しながら後方に散っていくのだ。

 レキとマリアの周囲には、赤と青の輝きが満ちていた。

 光は神々しい神意を放ち、聖なる結界となってあらゆる穢れを浄化する。

 強大な闇の力を秘めた、サルディスの必殺の攻撃。

 あれを防ごうとするなら、防御に特化した第三階位でも、特に聖性の高い聖女か神官の助けが必要だろう。

 だが、その一撃が、神技や聖術ではなく、ただの神意の放出によって弾かれているのだ。

「くっ、なんなのよこの力! この私が近づく事も出来ないというの!?」

 レキとマリアから放たれる光を浴びて、サルディスの身体から白煙が上がる。

 サルディスは二人から、ジリジリと距離を取って下がる。

 聖なる光が、闇の徒であるサルディスの存在そのものを浄化しているのだ。

「……この力が何なのか知りたいか?」

 レキはマリアを抱きかかえながら、サルディスへ向け言った。

「……教えてくれるなら聞こうじゃない。イヴァン様へのいい土産になるわ」

 サルディスは警戒しつつも、大鎌を下げ、蟲の頭部から生える上半身裸を晒す。

 レキとマリアは愛しそうに見つめ合ったあと、

「――――愛の力さ!」

「――――愛の力です!」   

 と、声を揃えて、胸を張って、堂々と言い切った。

 その言葉を証明するようにレキとマリアがギュッと抱き合うと、二人の神意が重なり合い何倍にも膨れ上がって神々しい輝きとなる。

 強大な上級瘴魔であるサルディスが、ポカンと口を開け絶句していた。

 素晴らしき愛の力を前にすれば、闇の住民でさえも『畏敬』の念を抱かざるを得ないのだろうと、マリアは誇らしい気分になる。

 だが、サルディスの心中に渦巻くのは、畏敬ではなく、『畏怖』であり、理解できない存在を恐れるという、個を持つが故に抗う事の出来ない根源的な恐怖であった。

「僕に力を貸してください、マリアさん!」

「どうか私の力を使って下さい、レキ君!」 

 もはやレキとマリアを止められる者は何処にもおらず、二人の愛は際限なく高まっていく。

 神意が無限にあふれ出し、光はどこまでも輝きを増していく。

 極限まで求めあう愛の力は、極光の柱となりて天にまで届いた。

 と、その時。

 レキとマリアはハッとした表情で互いに視線を交わらせ、雲一つない青空を揃って見上げた。

 二人の恋を祝福するかの如く、たった今、『神託』が下ったのだ。

「女神の声が聞こえたよ」

「はい……こんなにも嬉しい事はありません」

 神託によって下されたのは、一つの『神技』であった。

 だが、それは一人で放つものではなく、愛し合う二人で放つ『合体神技』であった。

 愛を燃え上がらせ、二人は神意を高めていく。

 いや、レキとマリアは互いの神意を、二人の間で無限に循環させていた。 

 レキの周囲には〝神喰狼の爪牙〟が群れを成し、『青い』光を煌めかせる。

 マリアもまたレキにお姫様抱っこされたまま、〝神槍ゲルヒルデ〟に『赤い』光を収束させていく。

 レキの瞳が『蒼き』輝きを放ち、マリアの瞳が『紅』に染まる。

 そして、

「――――星のように輝く愛は永遠に燃え盛る!(スターライト・エクスプロージョン)!」

 三千世界に愛を宣言するかのように、レキとマリアは声を揃え、神託により得た合体神技を解き放つ。

 レキのヴァナルガンド達が流星の如く放たれ、その間を駆け抜けるようにマリアの槍から灼熱する炎が光線となって放たれた。

 赤と青が螺旋を描きながらサルディスに直撃するが、

「はっ! こけおどしね! こんな貧弱な攻撃で、私の身体は貫けないわ!」 

 蟷螂の大鎌を交差して完全に防御を固めたサルディスは、凄まじい光の奔流に、八本の脚を城の屋根に突き立て抗う。

 だが、レキはマリアは、サルディスではなく天空を見上げた。。

 次の瞬間。

 サルディスに牙を突き立てる十二のヴァナルガンドから、青白い炎が逆向き噴出し、七メルセもある巨体がカタパルトで射出されたように天空へと吹き飛んでいく。

「ああああああああ――――ッ」

 サルディスの悲鳴は一瞬で掻き消え、その姿は星の瞬きのように空の彼方へと吸い込まれていった。肉眼では捕えられないほど、その姿が小さくなり――

 カッと、雲一つない青空を閃光が埋め尽くした。

その光は遠く離れた黄昏の森にも、カルデラ村にも、港町ヒルホルンにも、ベルクリシ霊峰にも、そして、王都に住まう全ての民に届いた。

 光が去ったあと、空を見上げていた人々は驚きに目を丸くし、少しだけ頬を赤くした。

 何故なら、天空のキャンバスにはピンク色の巨大な『ハートマーク』が描かれ、レキとマリアの愛を印しているのだ。

 しばらくして、二人の愛を祝福する号砲の如き爆音が、地上に降り注いだ。



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