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セイクリッド・クロニクル4  作者: スタジオぽこたん
第三章 クリサリスの末裔
13/16

  3


「まずは怪我人の治療を! 他にも侵入者がいるかもしれません。各員は警戒を怠らないで下さい!」

 外から爆音が響く中、王女セシリアは果断に指示を飛ばす。

 城内へ避難したセシリア達は、本来は昼餐会が開かれる予定となっていた大ホールにいた。

 海外からの来賓を持て成すためのパーティや、式典、舞踏会などが開かれる場所だけあって、大ホールは城内でも非常に堅牢に作られている。

 窓や扉には聖術により硬化が施されており、生半可な攻撃で打ち破る事は出来ない。

「重症の方から先に看ます! 皆、お願い!」

 怪我人の治療でもっとも活躍を見せたのは、塹壕戦で治療部隊を担ったティンクを筆頭とする少女達であった。

 たった一晩とはいえ、凄まじい数の救命救急を経験した少女達は、大人達ですら動揺を見せるこの場に置いて、冷静に、可憐に、そして、確実に治療に当たる。

 白の制服姿で聖なる祈りを唱える少女達の姿は、まさに白衣の天使であり、足の骨折の治療を受けていた貴族の男は、

「だ、脱帽だ。ミーミル士官学校の教育はここまで進んでいるのか」

 すると、

「私達がこれほど冷静に治療へ専念出来るのは、命を懸けて災厄を喰い止めて下さるレキ様がいるからです。背中を守ってくれる頼もしい仲間がいるからです」

 ティンクは真剣な表情で言った。

「ええ、ティンクさんの言う通りです。レキ様がおられなければ、私達もまた恐怖に怯える一人でしかなかったでしょう」

 ティンクの隣で、別の怪我人を治療をしていた少女が頬を染めて言った。

 ぴくりと、他の少女達の手が一瞬だけ止まる。ティンクの知らない所で、少女達の熱い戦いが勃発していた。

「ほら、動かないでツバキ姉さん」

 十三使徒のツバキを『姉』と呼ぶシラユリは、ツバキの側に両ひざをつくと、甲斐甲斐しく怪我の治療を手伝う。

 二人は同じ師から剣を習った『姉妹弟子』の関係にある。

 ツバキの左腕の爆傷は相当な重傷で、あと少しでも治癒聖術が遅かったら、二度と剣を握れなくなっていたかもしれない。しばらくは絶対安静が必要で、腕に負荷がかからないようカーテンを裂いて作った包帯をツバキの腕に巻いていた。

「上手くなったものだ。昔は私が包帯をよく巻いてやったのをだぞ?」

「あの頃が懐かしいです」

「しばらく見ない間に、強くなったのだな。刃を交えずとも、そなたの剣に迷いがなくなったのがわかるぞ」

「はい。この命を懸けて、お仕えしたい人を見出しました。レキ様の側にいるためには、もっともっと強くあらねばなりません」

「恋を知るか。これは色んな意味で、私も負けてはおれぬな」

 ツバキはそう言って、優しく微笑むのであった。

 その頃。

 大ホールの一画に集まる貴族達は――

「し、城の守りは大丈夫なのか?」

「外には戦乙女のマリア様もおりますし、すぐに応援が駆けつけるでしょう」

「だ、だが、レキとかいうあの男は、本当に信用に足るのか?」

「〝北の暗剣殺〟の悪名は戦争屋でなくとも耳にしています。サウサス渓谷の追撃戦では、わが軍に多大な被害を与えたとか」

「そんな輩に獅子勲章など……やはり、オーギュスト卿の言う通りなのでは?」

「然り、然り。カルネギアの者をとり立てるなどどうかしている。ところで、オーギュスト卿はいずこへ?」

 受賞式に参列していた貴族の連中が、口々にレキを悪く噂する。

「――――ッ」

 誰によって命を救われたのか、それすら気付かない者達。

 その心ない言葉を耳にして、怒りに震えるシラユリ。 

「案ずるな。そなたが見定めた武士は、このような戯言でどうにかなる方ではないさ」

「ですが、ツバキ姉さん……」

 と、その時。

 窓から眩い閃光が広間に飛び込み、身が竦むほどの爆音が轟いた。

 硬化が施された城の窓が爆風によりビリビリと震え、凄まじい揺れに転倒する者が続出。天井のシャンデリアが大きく振り子に動く。

 人知を越えた戦闘が、外で繰り広げられているのだろう。

 爆発はなおも続き、堅牢な城が軋むような音を立てる。口さがのない噂をしていた貴族達が、情けない悲鳴をあげる中、

「レキ様がこの国へ捧げる忠誠と、献身を疑う者がいるのであれば、我こそが獅子の金十字を抱くに相応しいと思う者がいるのであれば、今すぐに武器を取り、外へ赴き、敵を討ち滅ぼして見せなさい!!」 

 十八歳という若さで王の名代を務める王女セシリアは、怒りに満ちた表情で叫んだ。 

 貴族達は王の怒りに青ざめ、視線を下げる。

「さあ、どうしたのです? 先ほどまで威勢は何処へいったのです!? 此度の受勲に異議がある者は今すぐ申し出なさい! さもなくば無礼な口を閉ざして永遠に沈黙なさい! レキ様は我々を守るために今この時も、命懸けで戦っているのですよ!!」

 セシリアの言葉を証明するかのように、外からは凄まじい剣戟の音と、重い爆裂音が轟き――もはや、レキを悪く言う者は誰もいなかった。

 彼らはただ不安だったのだ。

 命の危機に心を乱し、募る苛立ちを何かにぶつけなければ平静を保てなかったのだ。

 だが、王女の怒りの声に、貴族達もまた、目が覚めたかのように己を取り戻す。

「ロンド教官」

 と、事態を俯瞰するように、冷静に見つめていたアリオストロが言った。

「どうした、アリオストロ」

「俺達に、武器の携帯許可を頂けませんか?」

「まさか、レキの援護に行くというのではあるまいな?」

「外の敵は赤髪に任せれば問題ないでしょう。なら、俺達は最悪の事態に備えるべきです」

「最悪の事態か。なるほど……確かにその通りだな」

 二人は揃って、この国の要である若き指導者セシリアを見やる。

「はい。今この場で考え得る最悪は――」

「新たな『敵』という事か」

「考えすぎかもしれません。ですが、あの塹壕戦で俺達は多くを学びました」

「いや、俺も気になっていたところだ。騒ぎが起きてからもう五分以上は経つ。なのに、この城の守備隊が一向にやってこない。何かが起きていると見るべきだろう」

「対抗しようにも俺達には武器がありません。いざとなれば身体を張ってでも王女様はお守りしますが、武器があるに越したことは」

「この大広間から武器庫までは、かなり距離がある。俺が敵なら真っ先に抑えるだろう」

「なら、どうすれば……」

「武器ならここにあるではないか」

 思案するアリオストロに、ロンドは腕を掲げて大広間を見やる。

 アリオストロはハッとなり、広間のあらゆるものを観察した。

 昼餐会のために用意されたのは、豪勢な料理が並ぶ無数の円卓に、数えきれない椅子。

 当然、ナイフやフォークなどの銀製品が無数に用意されていた。

 円卓や椅子などは硬い材木が使われているため、解体すれば簡単な木剣や、槍の柄になるだろうし、ナイフやフォークはそれだけで武器足りえる。

 ロンドはすぐにプリンセスガードの知り合いに声を掛け、セシリアから許可を貰った。

「全員、聞いてくれ!!」

 アリオストロが、この場にある全てを使って『武器』を作れと号令をかけると、ミーミル士官学校の生徒達は待ってましたと云わんばかりに動き出す。

 〝戦士〟の称号を持つ生徒は、衛兵から借りた剣で円卓の『支柱』を斬りおとす。

 高級なウォルナット材から削りだされた太くて硬い支柱は、テーブルクロスを巻き付ける事で、強力な『棍棒』へと早変わりした。

 椅子の支柱にナイフを取りつけ短槍にする生徒や、棍棒にフォークを巻き付け、殺傷能力をあげるものなど、生徒達の創意工夫は止まらない。

 〝騎士〟の称号を持つ生徒は、支柱が斬りおとされた『円卓』にこそ価値を見いだした。

 円卓を裏返して取っ手を取り付ければ、『大盾』と呼ばれる巨大な盾の完成である。

 踏ん張りが効きやすいよう下を平らに削ったりと、神意を纏いやすいよう、紋章を刻み込んだりと、生徒達は自分が使いやすいよう、様々にカスタマイズしていく。

 〝猟兵〟の称号を持つ生徒は、多種多様な『投擲武器』を作って見せた。

 大量に余っているフォークなども、叩いて平らに伸ばせば立派な武器である。

 中でもテーブルクロスを編んで作った投石器は、遠心力を使った原始的な作りではあるものの、その威力は非常に強力で、試し撃ちの的に選んだ硬い果実が、木端微塵に吹き飛んだほどである。砕け散った果実は、猟兵の生徒が責任を持って食べていた。

 〝導師〟の称号を持つ生徒は、常にオーバルクリスタルがあしらわれたアクセサリーを身につけているため、武器がなくともある程度の術を発動できる。

 ただ、強力な聖術の使用には、やはり触媒となる『杖』を必要とした。

 そこで目を付けたのが、蝋燭を立てるための『燭台』である。

 神意の伝導率が高い金の燭台に、純度の高いオーバルクリスタルを取り付ければ、立派な触媒の完成である。オーバルクリスタルは宝石としての価値も高く、先ほどの貴族達が身につけていたクリスタルを無償で提供してくれたため、予定よりも多くの触媒が完成した。

 ここで、問題ではないが、少しだけ『不満』を持つ生徒達がいた。

 それは、〝暗殺者〟の称号を持つ生徒である。

 彼らだけは、テーブルナイフや、肉斬りナイフを普通に使うだけで、武器として十分に間に合ってしまったのだ。

 しかもテーブルナイフは銀製の最高級品で、肉斬りナイフにいったっては真銀製だ。神意を纏うのが非常に楽で、この場に置いて暗殺者の生徒達が最も頼りになる戦力となった。

 だが、 

「あっちの方がいいなぁ」「俺達だけ普通だよな」「この肉斬りナイフ、私の装備よりいい品だよ?」「私達、サバイバルとか得意なのに……」

 暗殺者の生徒は、お手製武器を作る他の生徒を、ちょっぴり羨ましそうに見るのであった。

 こうして僅か三十分足らずで、生徒全員が武装を終えた。

 ミーミル士官学校の生徒、合計二五〇名。

 全員が称号の担い手である事を考えれば、その戦力は、この城における最強部隊となる。

 しかも彼らは歩きたての新兵ではなく、レキと共に壮絶な修羅場をくぐり抜け、一皮も二皮も剥けた精鋭達だ。

 この場にいる全ての者が、彼らを頼もしく見つめた。

 と、その時。

 大広間の正面扉が、外から殴りつけるように叩かれたではないか。

「な、何者だッ!?」

 扉の前を警護していた四人の衛兵が叫ぶが、外からの返事は、扉を殴る音だけであった。

 何度も、何度も、まるで誰かが体当たりでもしているかのように。

 衛兵は緊張した面持ちで、槍を構えながら指示を乞う。 

「プリンセスガードは王女の護衛をお願いします。三組と四組は王女の守りを固めろ! 一組と二組の前衛はこちらに来て半包囲の陣を組め!! 現場指揮は頼んだぞ、アリオストロ!」 

 この場での全体指揮権を与えられたロンドが、指示を出す。

 円卓の盾を構える騎士の生徒達が、扉を囲むように半円の形に大きく展開。

 その後ろに、戦士、暗殺者、さらに後方に猟兵という順で、武器を構えた。

「衛兵、扉を開けたらすぐに後ろに下がれ!」

 ロンドの言葉に、衛兵達はコクリと頷く。

 二人の衛兵が扉の取っ手に手をかけた。

 緊迫した空気に誰もが、手に汗を握る。

 次の瞬間。

 バンッと扉が内側に開かれると、雪崩のように大広間に侵入して来たのは――

 この城を守る要である、『王城守備隊』であった。

「アアアアアアアアアアアッ」

 守備兵らは口角泡を飛ばし、目を血走らせるという、明らかに異常な激昂状態で、剣や槍を振り上げながら襲い来る。

「衝撃が来るぞ! 踏ん張れッ!」

 と、現場指揮官を任ぜられたアリオストロが叫ぶ。

 対して円卓の盾を構える騎士の生徒らは、極めて冷静に包囲を維持。

 次々に繰り出される攻撃を、いとも容易く受け止める。

「おい、この盾凄いぞ」「ああ、ビクともしないな」「大盾とはこれほどのものか」「俺……こいつを相棒にしようかな」

 重く分厚い高級な作りの円卓は、その大きさも相まって見事に盾の役目を果たしていた。

 評判は上々で、盾を構える彼らの表情は誇らしげですらある。

 と、

「攻撃の際は力を入れすぎるなッ! 木製である事を忘れなよ!!」

 アリオストロの指示に、応ッ! と返事を返す戦士の生徒達。

 最初の突撃をいなしたあとは、ワザと包囲の一部に隙間を作り、そこから飛び出して来た兵士を一人づつ叩く。

 円卓の太い支柱で作り出した棍棒を構える生徒達は、フルプレートの鎧を着こむ守備兵に遠慮く棍棒を振り降ろす。

 ボゴンと凄まじい打撃音がして、鎧がへこむ程の衝撃に兵士が吹き飛んだ。

「おい、この棍棒凄いぞ」「お前、騎士の奴と同じ事を言ってるぞ」「だが、鎧相手には打撃武器が有効だ」「気絶させて捕えろ!」

 相手を殺さず一撃で戦闘不能に出来るとあって、戦士の生徒達は棍棒を手に、部屋に突入して来た守備兵を次々に倒していく。

 後方で待機していた暗殺者や、猟兵の生徒達も、守備兵を戦闘不能にしては大広間の中ほどに引きずり、カーテンをよじって作ったロープで縛り上げる。

 城の守備隊は、精鋭の兵士から選ばれる。

 だというのに、ミーミル士官学校の生徒達は、見事な連携で守備兵を捕縛していった。

 これには生徒達が優秀で、レキとの塹壕戦を経験した事も大いにあるが――

「やはり、正気を失っているか。薬物か? それとも、呪術や聖術の類か?」

 ロンドは捕えた兵士を尋問するが、彼らは総じて正気を失っており、理性のない獣のように暴れる。脅威の度合いはぐんと下がるものの、急ぎ原因を特定しなければならなかった。

 その役目を務めるのは、優秀な導師であり、強大な第二称号を持つティンクだ。

 ティンクは、シラユリに拘束された兵士の一人を慎重に看る。

「神よ、この者を蝕む悪意を祓いたまえ――――」

 何種類かの解毒系の聖術を試した結果、ティンクは青い顔になった。

「こ……これは、でも、どうして?」

「何かわかったのか?」

 と、シラユリ。

「この方は瘴気に侵されています。でも、ただの瘴気ではありません。触れるだけで肌を焼き、吸うだけ肺を腐らせる、上級瘴魔が放つ強大な瘴気です」

「上級瘴魔だと? そうか……君は、黄昏の森の姫だったな!」

 ロンドは膝を叩く。 

「はい。五十年前の《英雄戦争》の際に、黄昏の森は多数の上級瘴魔に攻め込まれました。森の一族は甚大な犠牲を出して瘴魔を退けましたが、彼らの死骸は死してなお、瘴気の猛毒を発して森を蝕んでいます。この方達を蝕む毒は、それと非常に似ています」

「瘴気の毒を、祓う事は出来るか?」

「残念ですが今すぐには。ただ、長い治療と静養さえあれば、いずれ完全に浄化できるでしょう」

「よし、方針が決まったな。毒に侵された仲間を助けるぞ! 王女を守りつつ、誰一人として死なせるな! 三組、四組前へ出ろ! 一組、二組は交代して後ろに下がれ!」

ロンドの指示に、アリオストロを始めとするミーミル士官学校の生徒達は、

「はい!」

 と、声を揃えて、高らかに返事をした。


   ◇


「おのれ、レオナールめ! 一体どういうつもりだ! この計画に何年かけていると思っている!」

 オーギュストは毒づきながら、焦りを隠しきれない様子で足早に廊下をいく。

「あと少し、あと少しで、マリアを我が妻に出来たところを!」

 苛立つように頭を掻き毟ったオーギュストの前に、虚ろな表情で彷徨う兵士達が現れた。

 オーギュストは慌てて廊下の壁に寄る。

 虚ろな兵士達はオーギュストを無視して、大広間の方へ向かって行く。

「ふん、奴の毒は効いているようだな。だが、あの程度では時間稼ぎにしかなるまい」

 オーギュストは今日、この日のために、あらゆる手を尽くした。

 原因不明の昏睡事件もその一つだ。

 オーギュストが王城に務める給仕を買収して、兵士達の食事に『毒』を盛ったのである。

 『夢の悪魔』が用意した毒は、以前に王へ盛った毒でもあり、それを何百倍にも希釈して薄めたものを使用した。 

 彼らは覚めない悪夢に囚われており、少量であれば傀儡のように操れると悪魔は言っていた。現に、毒と一緒に渡された『鈴』を持つオーギュストだけは、奴らの虚ろな瞳には映ってはいない。

「こうなれば、マリアだけでも攫って……」

 オーギュストが何故、これほどまでにマリアへ耽溺するのか。

 その原因は、彼の出自にあった。

 オーギュストは、四大侯爵家であるハミルトン家の嫡男として生を受けたが、彼に称号の力が宿る事はなかった。

 称号とは万人に宿るものではない。

 だからこそ尊ばれ、神の戦士として戦う義務を負うのだ。

 問題は――オーギュストの父が、生粋の『称号至上主義者』だった点にある。

 称号の力を持たないオーギュストは、父から石ころ同然に扱われ、母は実の息子を出来損ないと罵った。

 生かされたのは、貴族としての対面でしかなかった。

 屋敷に住まう事を許されず、十歳で領地の果てに放逐された。

 大貴族の嫡男であったオーギュストは、たった一人で生きていく事になったのだ。

 そんなオーギュストを憐れみ、手を差しのべたのが、ハミルトン家の屋敷で働く一人の若いメイドである。

 彼女は、商家を営む父を頼った。

 息子に代を譲り隠居生活を送っていた老人は、密かにオーギュストを引き取ると、彼を商人として一から育て、全てを叩きこんだ。

 オーギュストは称号の力はなかったが、商人として類い稀なる才能を持っていた。

 こうして、オーギュストは十五歳で商人として独り立ちする事となる。

 老人は立派に成長したオーギュストに安心し、静かに息を引き取った。

 だが、老人は気が付かなかった。

 オーギュストには類い稀なる商才があり、懐は常に金貨に満ちていても、その心に一欠片の愛が無いことに。

 老人だけが、彼にとって最後の家族だったのだ。

 老人の死後、オーギュストは老人の家族を事故にみせかけ殺し、老人の息子の商会を乗っ取った。さらに商会の力を利用して、自分を捨てたハミルトン家の縁者を全て殺した後に、侯爵家を継いで絶大な権力を手にした。

 ところが、復讐を終えても、月日が経っても、国を買えるほどの富を築いても、オーギュストの心は乾いたままであった。

 ある夜、オーギュストは最高に幸せな夢を見た。

 自分には美しい妻がいて、息子は神話の英雄もかくやという絶大な称号の力を持っていたのだ。彼は妻を何より愛し、息子を何より大切にした。

 乾いた心が満たされ――

 目が覚めた時、現実という名の虚無にオーギュストは絶叫するしかなかった。

「その夢を現実にしたいかい?」

 オーギュストの枕元には一人の少年がいた。

 まがまがしい一本の角を生やす異形の少年が。

「……悪魔よ。何が欲しい? あの夢が叶うなら俺のすべてを くれてやる」

 迷いはなかった。

 夢と同じ愛する家族が手にはいるなら、富も名誉も必要ない。

 こうして、オーギュストは悪魔のいわれるがまま行動した。

 悪魔に貰った毒を国王に盛り、カルネギアと内通して戦争をなが引かせ、同時に小麦の相場を操作して邪魔な貴族を幾人も破産させた。

 王弟であり、宰相であるレオナールの野心を煽り、一大派閥を作り上げた。

 そして、あの日。

 凱旋パレードに王都がわき上がる中、列席者の一人であったオーギュストに悪魔が囁いた。

「――――あの戦乙女が、君の妻になるべき女性だ」

 オーギュストは感動に震えた

 あれが我が妻かと。セイントアークが誇る最強の戦乙女が、神話の英雄を越える力を持つ我が子を産む母体になるのかと。

 この時、オーギュストの瞳には、マリアの事など欠片も映ってはいなかった。

 彼に見えていたのはマリアの名声と肩書き、そして『称号の力』だけであった。

 いつのまにかオーギュストは、あれほど憎悪し、嫌悪していた父と同じ人間になっていたのだ。

 オーギュストは早速、マリアに婚約を申し込んだ。

 歳は二回りも離れているが、貴族の結婚にはよくある事であった。

 だが、マリアの家であるアーデンベルグ侯爵家は、即日で断りを入れて来た。

 オーギュストに焦りはなかった。

 商人として、思い通りにならない事はこれまで星の数ほど経験してきた。

 これまでずっとそうしてきたように、裏社会の人間を使いマリアの周辺を捜索させた。

 マリアの弱味を探したのだ。

 どんな大英雄といえど、どんな聖人君子であろうとも、弱味のない人間などいない。

 結果は『大当たり』だった。

 探らせていた裏社会の人間が、組織ごと壊滅したのは予想外だったが、この国の英雄たる少女が、敵国の暗殺者を匿い、共に暮らしている。

 笑いが止まらなかった。

 あとは、この情報がもっとも効果的で、致命的な場面で使えばいい。

 そうすれば、これまで幾人もそうだったように、戦乙女も自分の操り人形となるだろう。

 なのに、

「くそっ、くそっ、あの男が、クリサリス王家の生き残りだと!?」

 嘘にまみれた偽りの英雄。その化けの皮をはがしてやるはずが、中に隠れていたのは太陽のようにまばゆい輝きを放つ光の王子であった。

 どれだけ渇望しても手にいれる事の出来ない、セイクリッドの力を持つ者であった。

 咎人を裁くもっとも効果的で致命的な場面が、咎人に最高の栄誉を与える場面になってしまったのだ。

「このままではあの夢が叶わぬではないか! 太陽の女神に祝福された、最高の称号の力を持つ我が子を愛することが出来ぬではないか!」

 オーギュストは頭を掻き毟り、はたと、奇妙な違和感を覚えた。

 夢に出てきた子供は、燃えるような『炎髪』に、雲一つない空のように澄みきった『青い瞳』が特徴的だった。

 だが、オーギュストの髪も瞳も『黒色』なのだ。

「どういう事だ――――」

 と、その時。

 ドンッと背後から衝撃があり、焼けるような感触と共に、冷たい何かが胸を突き破る。

 それが剣の切っ先だと気が付いた時、おぞましい吐き気がして口から鮮血が飛び散った。

 後ろを振り向いたオーギュストが見たのは、宰相レオナールの姿で。

「……お、俺を、裏切るのかレオナール。貴様を、王に出来るのは……俺だけだ、ぞ……」

「勘違いしてもらっては困るな。私の目的は最初から貴様の排除だよ。玉座など、頼まれてもなるものか」

「なん、だと……」

「貴様を殺すのは簡単だが、曲がりなりにも侯爵だ。下手に貴様を殺せばセシリアの名声に傷がつきかねん。それでは意味がないのだ。ここまでお膳立てするの苦労させられた」

 レオナールは容赦なく刃を捻って傷口を広げると、返り血がかからぬようオーギュストの背中を蹴り飛ばして剣を引き抜いた。

 凄惨な血しぶきを上げて、廊下に倒れ伏すオーギュスト。

「あと幾人か処断せねばならんが、貴様が王弟派などという派閥を作ってくれたおかげで楽に片付きそうだ。その点については感謝しよう」

 レオナールはそう言って、細身の剣にべったりとついた血糊を散らすと鞘へと納める。

 それはレオナールが常に持つ、金鷲の嘴の杖であった。

 と、その時。

 にわかにオーギュストの血が沸き立ち、中から道化師の姿をした一本角の悪魔が現れた。

「やれやれ、せっかくの駒が壊れちゃったじゃないか」

 場違いに明るい声で、悪魔は言った。

「……あ、ああ……あ……」

 オーギュストは血の泡を吹きながら、助けを縋るように悪魔に手を伸ばす。

 だが、

「あは、オーギュスト。まだ生きていたんだね、オーギュスト! なら、僕は君には謝らないといけない事があるんだ。聞いてくれるよね? 聞いてくれるよね?」

 道化師の悪魔は、クルクル回ってオーギュストの前に膝をつくと、彼の黒髪を掴んで無理矢理に頭を持ち上げる。

「僕は起こり得ない夢は見せられない。故に、君に見せた夢は、未来に起きる本当の出来事だ。ふふ、『ならどうして』って顔をしているね。君に謝りたいのはそこだよ。僕は『真実の夢』を見せるけど、そこに登場するキャストまでが真実とは限らないのさ。わからないかい? あの夢に出てくるのは戦乙女だ。でも、隣にいる夫は『君』ではないという事さ!」

 夢の悪魔は絶望に呻くオーギュストを見て、腹を抱えて笑うと、

「ああ、そうそう。君は長らく僕を楽しませてくれたから、最後にサービスだ。君が全てを捧げても欲しかった、女神とやらに愛された『称号の力』を持つ子だけど、実は……君の願いはとうに叶っていたんだよ!」

「…………!?」

「放逐された君を憐れみ、手を差し伸べたメイドの女を覚えているかい? そう。君の師であり、最後の家族であり、全てを奪われると知らずに死んでいった憐れな老人の娘だ。彼女は君がしでかした全てを知りながら、ずっと君の側にいた。君を愛していたんだ。ある日、酒に酔った君は戯れに彼女を抱いた。子を宿した彼女は君の迷惑になるまいと、黙って去っていった。本当に傑作だったよ。気が付かなかっただろう? 先ほど中庭に並んでいたミーミル士官学校の生徒の中に、君の息子が居た事を!」

 オーギュストは血反吐を吐きながら、血走った眼で悪魔を睨む。

 その瞳からは涙が次々にあふれ出し――そのまま、二度と動かなくなった。

「――――ぬんッ!」 

 オーギュストは神意を纏った剣で、道化師の姿をした悪魔の首を薙ぐ。

 悪魔は水のようにバシャリと弾けて消えた。

 だが、薄暗い回廊のいずこから、耳障りな高笑いが響いてくる。

『レオナール、ああ、レオナール! 今、僕は君の未来を視たよ。知りたいかい? 知りたいよね? いいや、知りたくないと言っても教えて上げるよ。だって、君の未来はとてもとても酷いんだ。このままだと君は確実に処刑台へ直行さ。断罪刀の露となって消える運命さ。ああ、レオナール。僕に協力しないかい? そうすれば、この酷い未来を変える方法を教えて上げるよ』

 声は聞こえても姿は見えない。

 だが、

「ふっ、安心したぞ道化師。それは、私が望む最高の未来だ」 

 レオナールは笑うと、血塗れの剣の掲げて言い切った。

 何処からともなく幼い少年の笑い声が響き、やがて、何も聞こえなくなった。

 レオナールは冷たい屍となった、オーギュストを見下ろす。

 同情の余地は欠片のなく、この男の行き先は間違いなく地獄だろう。

「オーギュストよ。いや、友よ。俺もいずれ必ずそちらへ行く。愚痴はその時にでも聞こう」

 レオナールはそう言って、血塗れの剣をたずさえたまま回廊を行く。


 眠る兄に変わって国を守るために、若くして王の重責を担う姪の敵を討つために、そして、雪の精霊のような少女との約束を果たす為に――

 


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