たぬきは良い子です大丈夫です
エルンストは狩猟・調理方面に関して言えば、ちょっとしたプロに匹敵する。
祝福に頼っていないからこそバランスが良く、安定してマルチタスクをこなすことが出来た。
無論、本職には勝てない。
けれど、こと冒険という意味で言えばエルンストは本職よりも便利であり、そして本職の足を引っ張らないサポート能力こそが彼の真価であると言えた。
リディアの魔法は万能型であり、狩猟には向かないものの、調理には非常に有用だった。
特に、水を無限に供給出来ることは強い。
個人使用程度の水ならば、たいした魔力消費もない。
二人が協力すれば、旅における問題点の多くは解消される。
それでも――万全とはいかなかった。
餓えることはない。
けれど、満たされることもない。
ギリギリの二歩手前くらいが常となっていた。
備蓄野菜が足りない。
医療キットが足りない。
マントを筆頭に、ブーツや服などの摩耗も激しい。
どうしても、補給しそこねた部分がネックとなりじわじわと苦難が旅にしみ込んでいく。
天候の良い日は乾きを恐れ、雨天の時の衣服の痛みを恐れ。
強奪するために、誰かに襲われないかと内心思う自分の醜さに呆れ。
いつからか、エルンストとリディアから笑みが消えた。
正直に言えば……彼らだけならば、まだ余裕だった。
もっと過酷な旅になっても、笑っていられる程度には彼らの忍耐と能力は高い。
そう――彼らなら。
ある日突然、たぬもちは妙に良い子になっていた。
ここ数日の間は規定量以上食べず、暴れて不満を示すこともなければ、我儘や文句の類も一切口にしない。
人間ならば、それは当然だろう。
しんどいのは皆同じ。だからみんなで我慢しよう。
だがそれはあくまで人の道理。
決して、獣の道理ではない。
二人が我慢しているのがなんとなくわかるのだろう。
だから、自分も我儘を言わない。
きっとそんな風に考えたからだろう。
けれど……そんな良い子になることを、二人が望むわけがなかった。
だから、気づけば笑えなくなっていた。
それから半月ほどして、一行は新たな街へと辿り着いた。
正確には、立ち寄る予定のなかった近隣の街へ、逃げ込むようにして入った。
たぬもちが我慢している。
その事実に、二人はどうしても耐えられなかった。
街の正門前で、エルンストはたぬもちをリディアへ預けた。
「じゃあ、頼んだ。何か美味いものでも食わせてやってくれ」
リディアは小さく頷き、たぬもちをそっと抱きかかえる。
事前に二人分の食事と多少の補給物資を買うには十分な額を、エルンストは預けていた。
けれど、それは同時にエルンストのほぼ全財産でもあった。
「ゆ?」
たぬもちはマントを羽織り、顔を隠すエルンストを見て、小首を傾げた。
「……少しの間別行動だ。リディアと一緒にいてやってくれ」
そう言って、エルンストはたぬもちを撫でる。
伝わったのかは、定かではない。
けれど、たぬもちが元気良く手を挙げたから、伝わったのだとエルンストは信じたかった。
「後は頼む」
そう言って、エルンストは一足先に街の中へ溶け込んでいく。
リディアはたぬもちが不安にならないよう、静かに頭を撫でた。
この街がアイルザムともミストラウルとも近い以上、ここでも何かエルンストがらみでトラブルになる可能性は高い。
だから、別行動を取ろうと二人は事前に相談しあっていた。
正直言えば、ここに寄りたくはなかった。
けれど、我慢するたぬもちがあまりにも痛々し過ぎて、もう見ていられなかった。
ここ『ザットル』の街は、アイルザムやミストラウルに比べれば大分規模は小さい。
ミストラウルのように大きく発展したわけでもなければ、アイルザムのようにあちこちに馬車が出ているわけでもない。
良くも悪くも普通の平凡な街である。
ただ、アイルザムとの定期交流便があることがエルンストにとっては不安要素だった。
どのくらいあちらの情報が入ってきているか。
それ次第では、エルンストはすぐ街の外へ出なければならないだろう。
とはいえ……エルンストは逃げる前にここで、どうしてもやらなければならないことがあった。
資金稼ぎである。
今回の物資購入で、資金は底を尽きる。
次のことを考えるならば、ここである程度の蓄えを用意しておきたかった。
いや、余裕がないとまずい。
そんな脅迫観念にさえ、エルンストは駆られている。
たぬもちを我慢させたこと。
それが今、彼のトラウマとなりつつあった。
なにせ普段好き放題で我儘を言っていたたぬもちが、ある日いきなり良い子になったのだ。
人のご飯を奪わず、欲張らず、食事時間以外に一切食べ物を要求しない。
そのあまりにも痛々しい姿は心に来た。
そして、そんなことをさせた自分たちを恨んだ。
だからこそ、エルンストは多少無茶をしてでも、今資金を確保する必要があった。
(リディアは大丈夫だろうか……)
無事、食事が取れているだろうか。
動物連れでも大丈夫な飲食店があるだろうか。
自分抜きで、ちゃんと意思疎通が取れているだろうか。
エルンストは不安になりながらも、意識を切り替える。
しばらく歩いて見つけた冒険者用の酒場は三つ。
その中でエルンストは、自分の噂が流れてなさそうで、なおかつフードを被ったままで活動出来そうな、もっとも汚れた場所を選んだ。
薄暗いだけでなく、不潔さまで隠しきれていない酒場へ足を踏み入れた瞬間、ジロリとした視線が一斉にエルンストへ向けられた。
相も変わらず、どこも同じ光景だ。
こういうろくでもない冒険者酒場というのは、決まって安酒に飲んだくれる、冒険者崩れのゴロツキで溢れていた。
「なんだ兄ちゃん? 場所を間違えてないかい? ここにはミルクなんて出ないぜ?」
酒臭い太った男が、にやけ面のまま腕を肩に回してくる。
そのままフードを剥ごうとした手を掴み、エルンストは容赦なく捻り上げ、そのまま地面へ叩き倒した。
「悪いが、雑魚に構ってる暇はない。仕事をくれ。見ての通り、多少腕に覚えもある」
「あいたたたた! わかった! わかったから離せ! 離せよ!?」
男の腕を極めながら、エルンストはバーテンダーの方へ目を向ける。
バーテンダーは無言のまま、顔を横に動かす。
その視線の先には、大柄の店員が。いや、その風格からして店長だろう。
店長らしき男はエルンストをジロリと見た後、口を開いた。
「酔っ払いを押し倒す以外に、何が出来る?」
「公式の依頼なら、何でもやってやる。どぶさらいだろうと便所掃除だろうとな。大体のことは出来るから、店の手伝いとかでも良い。三流便利屋程度に思ってくれ」
「……良いだろう。残り物しかないが、持っていけ」
店長はしかめっ面のまま、テーブルに書類の束を叩きつけた。
エルンストは倒した酔っ払いを蹴飛ばした後、依頼の束を取り、ぱらりとめくる。
想像通り――いや、想像以上にロクな依頼が残っていなかった。
「何でもするつもりではあったが……いくら何でもこれは……」
「大半が塩漬けの依頼だからな。それが嫌なら、明日の朝にまた来い」
「……いや、その予定ではあるが、それまでにも多少は稼いでおきたい」
エルンストは紙を一枚取り出し、それを店長に見せた。
「……正気か?」
「今日中に終わる依頼で、これが一番報酬がマシだった。あと、失敗しても罰金もないしな」
「まあ、やってくれるなら俺としても文句はないが……」
店長はドンと叩きつけるように酒場の判を押し、依頼書をエルンストに押し付けた。
「持っていけ。これがないと不法侵入になるだろ」
ぱっと受け取った後、エルンストは背を向けた。
「次は、何か頼め」
店長の声が、背に届く。
「だったらミルクでも用意してくれ」
嫌味のようにそれだけ返し、エルンストは酒場を後にした。
ありがとうございました。




