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9話 不運な出会い

商会を出た二人は、再び街の通りを歩いていた。


すでに太陽は高く昇り、石畳を白く照らしている。


荷馬車の車輪が軋む音。

行き交う人々の話し声。


照りつける陽射しとともに、昼の熱気が街を包んでいた。


その隣でマロンが、嬉しそうに口を開く。


「お姉さまと買い物できて、とても楽しかったです」


胸元には、先ほど買ってもらったネックレスの箱。

落としてしまわないように、両手で大事そうに抱えている。


「それなら良かったわ」


アッシェも穏やかに答えた。


「このあとは、少し街を見て回りましょう」

「はい! ディクト様から任されたお仕事ですし、しっかり調査しないとですね!」


元気よく頷くマロンを横目に。


アッシェは、先ほどの商会の様子を思い返していた。


店内そのものに、不自然な点はほとんどなかった。


豊富な品揃え。

隅々まで整えられた店内。

無駄なく動く従業員。

楽しそうに買い物をする客たち。


少なくとも、一つの商会として見れば、よくできた店だった。


だからこそ、違和感が残る。


街へ入ってから目にした、寂れた露店。

借金取りに脅されていた店主。


その一方で、バルド商会だけが、まるで街中の活気を吸い上げたかのように繁盛していた。


さらに、借金取りの肩に刻まれていた、蛇の刺青。

商会の奥に積まれていた木箱にも、よく似た蛇の焼き印があった。


今のところ、どれも、まだ散らばったピースに過ぎない。


けれど、それらがどこかで一つに繋がっている。


そんな気がしてならなかった。


(……もう少し、この街を探ってみた方がよさそうね)


そんなことを考えていた――その時だった。


人混みの中から、小さな影が飛び出してきた。


「きゃっ……!」


少年が、マロンの身体へぶつかる。


肩同士がぶつかり、マロンがよろめいた。


「ご、ごめんなさい!」


反射的に謝るマロン。


だが、ぶつかった少年は振り返らなかった。

そのまま、小さな身体を人々の隙間へ滑り込ませ、あっという間に人混みの中へ紛れていく。


「…………?」


不思議そうに、その背中を見送る。


その横で、アッシェは、わずかに目を細めていた。


おかしい。


偶然ぶつかったようには見えなかった。

人混みから飛び出してきた瞬間から、少年の進路は真っ直ぐ、マロンへ向いていた。

ぶつかったあとも謝るどころか、こちらを確かめることさえせずに走り去った。


まるで、最初から、それが目的だったかのように。


「マロン」

「はい?」

「腰元を確認して」

「え?」


言われるまま、マロンが自分の腰へ手を伸ばす。


そして、顔色を変えた。


「あっ……!」


そこにあったはずの、小さな革のポーチ。


それが、なくなっていた。


アッシェは少年が消えた方向へ視線を向けた。


「スリね」

「ええっ!?」

「ここで待っていて。すぐ戻るわ」

「お、お姉さま――!」


マロンが声を上げた時には、アッシェはすでに駆け出していた。


◇◇◇


人波を縫うように走る。


前から来る人々の肩を躱し、荷車の脇をすり抜け、アッシェは石畳を蹴った。


白銀の髪が、陽光を弾きながら後ろへなびく。


長いスカートを身につけているにもかかわらず、その足運びに乱れはない。


人と人のわずかな隙間を抜け、最短の軌道で少年を追う。


やがて、人混みの向こうに、小さな背中を捉えた。


(見つけた)


だが、距離は思った以上に開いている。


少年は、こうした逃走に慣れていた。


大人では抜けにくい隙間を選び、荷馬車が横切る瞬間に進路を変え、行き交う人々を巧みに盾として使っている。


そのため、なかなか距離が縮まらない。


やがて少年は、大通りの脇へ飛び込み、そのまま細い路地へ滑り込んだ。


アッシェも続く。


石壁に挟まれた狭い道。


建物と建物の隙間を縫うように、いくつもの路地が複雑に枝分かれしている。


先を見通すこともできない。


土地勘のない人間を撒くには、うってつけの場所だった。


(このまま追うだけでは、逃げられるわね)


アッシェは走りながら、右手をわずかに持ち上げる。


指先に、白銀の光が灯った。


視線の先、路地の角へ飛び込もうとする少年の背中へ、細い光が一直線に伸びる。


「――『追跡の刻印《トレース・イングレイブ》』」


白い光が、少年の右腕へ吸い込まれるように消えた。


一瞬だけ、肌の上に淡い刻印が浮かび、すぐに見えなくなる。


対象へ魔力の印を刻み、その位置を追跡する魔法。


一度刻めば、たとえ姿を見失っても、その居場所を辿ることができる。


これで、見失うことはない。


少年はそのことに気づかないまま、さらに路地の奥へと駆けていく。


アッシェも速度を落とさず、その後を追った。


そして、追いかけるうちに、周囲の景色が少しずつ変わり始める。


整えられていた石畳にはひびが目立ち始め、道端には壊れた荷車や泥に汚れた布切れが放置されている。


建物も古びていた。

壁はところどころ崩れ、窓ガラスは割れ、腐りかけた木戸が軋んだ音を立てている。


細い路地には湿った空気が淀み、鼻をつくような臭いが漂っていた。


表通りの賑わいは、もうどこにもない。


アッシェは辺りを見回し、すぐに察した。


――スラム街だ。


つい先ほどまで歩いていた表通りとは、まるで別世界だった。


そんな場所を、少年は迷うことなく駆けていく。


右へ、左へ。


複雑に入り組んだ路地を、慣れた様子ですり抜けていく姿から、この辺りに土地勘があることは明らかだった。


やがて、少年が前方の角を曲がった。


アッシェも遅れず、その角へ飛び込む。


だが――。


その先に、少年の姿はなかった。


細い路地には人影ひとつなく、頭上に張られた紐で、古びた洗濯物だけが風に揺れていた。

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