表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/10

バルド商会

それからしばらく歩くと、通りの先にひときわ目を引く建物が現れた。


石造りの二階建て。

通りに面した広い間口の上には、金箔で縁取られた大きな看板が掲げられている。


バルド商会。


周囲の店よりひと回り大きく、街の中心に根を張るような存在感を放っていた。


入口の前には何台もの荷馬車が並び、箱詰めされた荷物が次々と運び込まれている。

出入りする従業員たちも忙しなく行き交っていた。


「……立派なお店ですね」


マロンが建物を見上げながら、率直な感想を漏らす。


「ええ。地方の商会にしては、なかなかね」


アッシェも看板を見上げた。


「通りの店より、ずっと人も集まっています」


マロンの言葉に、アッシェはわずかに目を細める。

街に入ってから感じていた違和感が、改めて胸の奥に引っかかった。


以前よりも閑散とした露店。

借金取りに詰め寄られていた店主。

どこか沈んだ市場の空気。


そして、この商会だけが、まるで街の活気を吸い上げたかのように繁盛している。


(……何か関係があるの?)


今はまだ、答えは出ない。


アッシェはそれ以上考えず、重厚な木扉へ手を伸ばした。


扉が静かに開く。

その瞬間、店内から甘く上品な香りがふわりと流れてきた。

熟した果実を思わせる、どこか贅沢な香りだった。


「いい匂い……」


マロンが思わず小さく呟く。


店内は、想像していたよりも広かった。

高い天井の下に商品棚が整然と並び、磨き上げられた床が灯りを柔らかく反射している。


並んでいる商品も実に多彩だった。

洋服、香料、宝飾品。

さらには、東の帝国から運ばれてきたと思われる魔道具まで揃っている。


一つの店というより、小さな市場のようだった。


アッシェは歩きながら、さりげなく店内を見渡す。

通路は広く、棚の配置もよく考えられていた。

客が足を止めれば、すぐに従業員が静かに近づく。


(……よく統率されているわね)


ただ品物を並べているだけの商会ではない。

店全体に、誰かの目が行き届いている空気があった。


マロンが、隣で弾んだ声を上げる。


「すごいですね、お姉さま!」


きらきらとした瞳で、棚から棚へ視線を移している。


「見たこともないものがたくさんあります! 見て回るだけでも楽しそうです」


まるで宝探しをしている子どものようだった。


アッシェは、そんなマロンの横顔を静かに見つめた。

隣で目を輝かせる少女を見ていると、張りつめていた気持ちが少しだけ緩んだ。


「そうね」


アッシェはわずかに微笑んだ。


「せっかくだもの。少し見ていきましょう」

「はいっ!」


マロンの声が、嬉しそうに弾む。

二人は連れ立って店内を歩き始めた。


しばらく進むと、華やかな衣装が並ぶ一角に差しかかる。


色とりどりのドレスや外套が、壁際の棚や人形に飾られている。

その中でも、ひときわマロンの目を引いたものがあった。


淡い色の布地に、鮮やかな刺繍が施されたドレスだった。

胸元から裾へ流れるように伸びる模様は繊細で、どこか異国の雰囲気を漂わせている。


「わあ……!」


マロンは思わず足を止めた。

ドレスの元へ歩み寄ると、きらきらとした瞳で見上げる。


「これ、とっても可愛いです!」


アッシェは傍らの札を確かめ、小さく頷いた。


「帝国製のものみたいね」

「お姉さま、着てみてもいいですか?」


マロンの声は、すでに夢中だった。

ドレスの裾を軽く持ち上げ、きらきらした目でこちらを見つめる。


「もちろんよ」


アッシェが頷くと、マロンの顔がぱっと明るくなった。


「ありがとうございます! では、試してきますね」


近くにいた従業員に声をかけると、マロンは奥の試着室へと案内された。

布の擦れる小さな音とともに、カーテンが閉じられる。


待っている間、アッシェはゆっくりと衣装の並ぶ棚を見て回った。


軽やかな布地のドレスから、落ち着いた色合いの外套まで、種類は幅広い。

高価なものもあれば、比較的手に取りやすい値段の品も並んでいる。


(豊富な品揃えね)


幅広い客を相手にしているのだろう。

これだけ人が集まるのも頷ける。


そんなことを考えていると、試着室のカーテンが静かに開いた。


「お姉さま、どうでしょうか?」


現れたマロンは、先ほどのドレスに身を包んでいた。


柔らかな布地が華奢な体に自然と馴染み、金色の髪ともよく映えている。

淡い色合いのドレスは光を受けてふんわりと揺れ、どこか春の花のような印象を与えた。

まだ幼さの残る面立ちと相まって、儚げで愛らしい。


マロンは少しだけ落ち着かなさそうに裾を整える。


「その……似合っていますか?」


アッシェはしばらく黙って見つめた。

そして、ゆっくりと目を細める。


「とてもよく似合っているわ」


その言葉を聞いた瞬間、マロンの顔に花が咲いたような笑みが広がった。


「本当ですか!?」


嬉しそうに声を上げると、その場でくるりと一回転する。

裾がふわりと広がり、軽やかな布地が柔らかく揺れた。


「えへへ……」


少し照れたように、マロンは笑う。

だがその表情は、隠しきれないほど嬉しそうだった。


しばらく鏡の前で自分の姿を眺めていたマロンは、やがて名残惜しそうにドレスの裾を整えた。


「……満足しました」

「もういいの?」


アッシェが尋ねると、マロンは小さく頷いた。


「一度、こういうドレスを着てみたかっただけなので」


そう言って、少し照れくさそうに笑った。


「それに、まだ他にもいろいろ見てみたいです!」


アッシェはその様子を静かに眺め、わずかに口元を緩めた。


「そう、分かったわ」


それからマロンは試着室へ戻り、元の服に着替えた。

少しして戻ってくると、二人は再び店内を歩き始める。


衣装の並ぶ一角を抜けると、今度は宝飾品が並ぶ場所へ出た。


ガラスケースの中には、様々なアクセサリーが整然と並んでいる。


金細工の指輪。

宝石を散りばめた耳飾り。

細やかな彫刻の施されたブレスレット。


どれも丁寧に磨かれ、灯りに照らされて静かに輝いていた。

店の管理が、隅々まで行き届いていることが分かる。


その中で、アッシェの目がひとつの品に留まる。


繊細な銀細工のネックレスだった。

蔓のような細い装飾が絡み合い、その中央には小さなルビーが嵌め込まれている。


深く澄んだ赤い光

それを見た瞬間、アッシェの心臓が嫌な音を立てた。


――どくん。


呼吸が浅くなる。


店内のざわめきが、少しずつ遠のいていく。

人の声も、店員の気配も、隣にいるマロンの存在さえも薄れていく。


目の前のルビーが、遠い記憶を呼び覚ました。


陽光の中、純白のドレスを着た小さな少女が楽しそうに笑っていた。


『見てください、お姉さま!』


少女は嬉しそうに首元のネックレスをつまむ。

そこにも、同じような深紅のルビーが揺れていた。


『似合っていますか?』


無邪気な声。

誇らしげな笑顔。

陽の光を受け、ルビーが赤くきらめく。


それは、もう二度と戻らない日の記憶だった。


「……」


気づけば、アッシェはガラスケースの前で立ち止まっていた。


「お姉さま?」


声をかけられ、はっと顔を上げる。

マロンが、不思議そうにこちらを見ていた。


「どうかしましたか?」

「いいえ」


アッシェは小さく首を振った。


「少し、見入っていただけよ」


そう言って視線を外し、ゆっくりと息を整える。

胸の奥では、まだ記憶の余韻が静かに揺れていた。


(……夢のせいかしら)


忘れていたはずの思い出が、波紋のように広がっていく。


ふと視線を戻すと、マロンがまだこちらを見つめていた。


「どうしたの?」

「その……」


マロンは言いづらそうに視線を落とした。

指先が、そっと自分の袖をつまむ。


「なんだか、とても……懐かしそうなお顔をされていたので……」


アッシェは少しだけ驚いた。


「そんな風に見えた?」

「はい」


マロンは素直に頷く。

それから、少し元気のない声で続けた。


「それに……どこか寂しそうでした」


アッシェは一瞬、言葉を失った。

それから、少し困ったように微笑む。


「少し、昔のことを思い出していただけよ」


できるだけ何でもないことのように言った。

だがマロンは、まだ迷うように口を開きかけては閉じている。


「それは……お姉さまにとって、大切な方のことですか?」


アッシェは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

炎に包まれ、消えてしまった少女の姿が胸に浮かぶ。


そして、静かに頷く。


「ええ。とても大切な人よ」


その答えに、マロンのまつ毛がわずかに揺れた。


「そう、なんですね……」


声は小さく、どこか元気がなかった。


「どうしたの?」


アッシェが首を傾げると、マロンは慌てて首を振った。


「い、いえ……なんでもありません」


けれど、視線は落ちたままだった。

袖をつまむ指先に、少しだけ力がこもる。


「ただ……」


言葉が途切れる。


マロンは、そっとアッシェの横顔を見つめた。

すぐそこにいるのに、手を伸ばしても届かない場所を見ているような顔だった。


「なんだか、お姉さまが……」


そこでまた、言葉が止まる。


「……遠くに行ってしまいそうで」


思いがけない言葉に、アッシェは一瞬だけ目を瞬かせた。

だが次の瞬間、ふっと肩の力が抜けたように、柔らかな笑みをこぼす。


「……お姉さま?」


きょとんとするマロンの頭に、アッシェはそっと手を置いた。

指の間で、柔らかな金髪がふわりと揺れる。


「マロン」


優しく名前を呼ぶ。


「大丈夫よ。私はどこにも行かないわ」


マロンの瞳が大きく見開かれた。

そして次の瞬間、うっすらと潤む。


「……ずるいです」


聞き取れるかどうかというほどの小さな声だった。


そんなふうに優しくされたら、もっと離れられなくなる。

マロンはそう思いながら、そっと視線を落とした。

胸の奥が、くすぐったいように熱い。


しばらく、二人の間に静かな時間が流れた。


やがてアッシェは、ふとガラスケースの中へ視線を向ける。


「ねえ、マロン」


静かな声でそう言い、ケースの中を指し示した。


そこには、ひとつのネックレスが置かれていた。


淡いサファイアが嵌め込まれた、小ぶりなネックレス。

控えめな意匠だが、灯りを受けて静かに輝いている。


深い青の宝石は、まるで澄んだ空を閉じ込めたようだった。


「これ、マロンに似合いそうね」

「私に、ですか?」


少し驚いたように聞き返すマロンに、アッシェは軽く頷いた。

近くにいた店員を呼び、ケースからネックレスを取り出してもらう。


「少し、じっとしていて」


そう告げて、アッシェはマロンの後ろへ回った。

金色の髪を指先でそっと避け、細い首元にネックレスをかける。


小さな留め具が、かちりと静かに閉まった。


「ほら」


近くの鏡に、二人の姿が映る。


金色のショートヘアの下で、淡い青の宝石が静かに輝いていた。

控えめな光だったが、マロンの柔らかな雰囲気によく似合っている。


「わあ……!」


マロンは思わず声を漏らし、鏡をのぞき込んだ。

自分の姿と首元のネックレスを何度も見比べる。


「これ……すごく可愛いです」


その横顔は、宝物を見つけた子どものように輝いていた。


「とても似合っているわ」


アッシェが優しく微笑む。


「それ、私から贈らせて」

「えっ……いいんですか?」


マロンは驚いたように振り返った。

嬉しさを隠しきれていないのに、まだ遠慮しているのが分かる。


アッシェは穏やかに頷いた。


「もちろんよ、私に遠慮しなくていいのよ」


その言葉に、マロンの瞳が大きく揺れた。

少し迷うように視線を泳がせたあと、やがて小さく頷く。


「……ありがとうございます」


声は小さかった。

けれど、胸の奥からこぼれたような響きだった。


アッシェは、それからネックレスを購入する。

箱に収められたそれを受け取ると、マロンは大事そうに両手で抱えた。


「気に入ってくれたの?」

「はい!」


マロンは勢いよく頷く。

箱を胸の前でぎゅっと抱きしめた。


「一生、大切にします」


マロンは時折、箱の表面をそっと撫でては、くすぐったそうに微笑む。

その表情は、まるで宝物を手にした子どものようだった。


その様子を横目で見ながら、アッシェは静かに目を細めた。


ほんの少しでも、マロンが喜んでくれたのなら。

それだけで、胸の奥に残っていた苦い記憶も、わずかに薄らぐような気がした。


やがて二人は、バルド商会を後にした。


外の空気は、店内に満ちていた甘い香りよりも少し冷たかった。

それでも、マロンの足取りは来た時よりもずっと軽い。


箱を抱きしめるその横顔には、隠しきれない幸福が滲んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ