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街に潜む陰

北東の交易都市――リオネル。

東の帝国とも交易がある、王国第三の都市だ。


街門へ続く街道には、すでに長い列ができていた。

荷を満載した商人の馬車。

巡礼者らしき旅人。

農産物を運ぶ荷車。


その列に紛れるように、一台の馬車がゆっくりと進んでいく。


やがて――


馬車は街門をくぐった。

車輪が石畳を叩く音が、土の道とは違う硬い響きに変わる。


その瞬間、アッシェの脳裏に朧げな記憶が蘇った。


この街には、幼い頃に訪れたことがある。

だが、目の前に広がる光景は、記憶の中のリオネルとはどこか違っていた。


通りには、多くの商人が行き交っている。

荷馬車は絶えず進み、旅装の行商人たちも足早に石畳を踏んでいた。


人の流れは、確かにある。


それなのに――店に、活気がない。


広く舗装された通りの両側には、本来なら露店や商店が並んでいたはずだった。

だが今は、店と店の間に空いた場所が目立つ。

かつて露店がひしめいていたであろう場所も、がらんとしていた。


足を止める客は少ない。

棚や台に並ぶ商品もまばらで、空の木箱ばかりが目につく。

呼び込みの声も、どこか弱々しかった。


(……おかしいわね)


アッシェの知るリオネルは、もっと活気ある街だった。


通りの両側には露店がずらりと並び、客が肩をぶつけ合うほどの人で溢れていた。

香辛料の刺激的な匂いと、焼き菓子の甘い香り。

商人たちの威勢のいい呼び声が、あちこちから飛び交っていた。


――市場の街。

それが、アッシェの記憶にあるリオネルだった。


だが今、行き交う商人たちは通りの店には目もくれない。

荷馬車も、行商人も、まるで決められた流れに従うように、街の中心へ向かっている。


人はいる。

荷も動いている。


それなのに、通りからは商いの熱だけが抜け落ちていた。


やがて馬車が止まり、二人は通りへと降り立つ。


「まずは商会に行きましょう」


アッシェは胸の奥に残る違和感を抱えたまま、

人の流れに紛れるように歩き出した。


だが、いくらも進まないうちに、冷や水を浴びせるような怒号がその歩みを止めた。


「もう期限は過ぎてるだろうが!」


荒々しい声の主は、がっしりとした体格の大男だった。

日に焼けた肌に無精髭を生やし、片目の上には古い傷跡が走っている。

汚れた革の上着を羽織り、腰には使い込まれた短剣がぶら下がっていた。


その男が、痩せ細った中年の店主を恫喝していた。


店主の服はところどころ擦り切れ、顔色は土のようにくすんでいる。

見るからに、まともな食事も取れていない様子だった。


「今月の分、まだ払ってねえよな?」


男は低く言った。


「ま、待ってください!」


店主は震える声で訴える。


「近頃、野盗が多くて……商品の仕入れもままならないんです。どうか、もう少しだけ待っていただけませんか……」

「知らねえよ。借りた金は返す。当たり前のことだろうが!」


「お願いします! もう少しだけ……!」


店主は石畳に膝をつき、必死に頭を下げた。

だが、男は聞く耳を持たない。


「約束を守れねえなら、店ごと売り飛ばすしかねえな」

「そ、それだけは……勘弁してください!」


血の気が引き、店主の顔が青ざめる。


男は懇願を無視し、店先の商品へ乱暴に手を伸ばした。

それを止めようとした店主を、羽虫でも払うかのように突き飛ばす。


「邪魔だ」


石畳に転がされた店主は、それでもすぐに起き上がった。

よろめきながらも男にしがみつき、必死に首を振る。


「やめてください……それを持っていかれたら、本当にもう……!」

「鬱陶しい野郎だな」


男は不快そうに顔を歪め、指の関節を鳴らした。


「痛い目を見ねえと分からねえか」


そして、ゆっくりと拳を振り上げる。


(まずいわね)


アッシェは小さく息を吐いた。


周囲の人々は、惨状を横目で見ながらも足を止めない。

誰もが関わりを恐れるように視線を逸らし、足早に通り過ぎていく。

助けに入る者は、一人もいなかった。


このままでは、店主の命が危うい。


だが、ここで自分が割って入れば目立つ。

余計な騒ぎを起こすのは避けたい。


「マロン」


アッシェは隣の少女に、唇だけを動かして囁く。


「大事になる前に止めたいわ。できる?」

「もちろんです、アッシェお姉さま」


返事は早かった。


頼られたことが嬉しかったのか、マロンの瞳がぱっと明るくなる。

だが、その表情はすぐに引き締まった。


「任せてください」


小さく頷くと、マロンはさりげなく周囲へ視線を巡らせる。

人々の注意が騒ぎへ向いていることを確かめてから、静かに魔力を巡らせた。


彼女の姿が、陽炎のように揺らぐ。


小柄な少女の輪郭がぼやけ、次の瞬間には、鎧をまとった衛兵の巨躯へと変わっていた。


そのわずかな間にも、男の拳は店主へ振り下ろされていた。

鈍い音が響き、店主の体が石畳に叩きつけられる。

唇は切れ、頬には赤黒い痣が浮かび上がっていた。


「た、助けてくれ……」


かすれた声。

だが、男は気にも留めない。


「しぶとい野郎だ」


再び拳を振り上げられる。


その拳が振り下ろされる寸前、背後から現れた衛兵が、男の肩を掴んだ。


「そこまでにしておけ」


重く、低い声だった。


男は驚いて振り返る。


「……ちっ。衛兵か」

「街中で騒ぎを起こすな」


衛兵に扮したマロンは、冷徹な双眸で男を見据えた。


「これ以上暴れるなら、詰所でじっくり話を聞くことになる」


淡々とした口調。

だが、そこには確かな威圧感が宿っていた。


男は一瞬、忌々しげに舌打ちをする。

それから、ぐったりと倒れ込んだ店主を睨みつけた。


「……ふん。今日は引いてやるよ」


吐き捨てるように言い残し、男は人混みの向こうへ消えていった。


通りは、何事もなかったかのように流れを取り戻していく。

誰もが一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を逸らした。


マロンは倒れ込んだ店主に向き直る。


「大丈夫か?」


店主は何とか頷いた。


「あ、ありがとうございます……」


だが、その顔には安堵よりも、怯えの色が濃く残っていた。


「何があった?」


マロンが問いかけると、店主は一瞬、唇を震わせた。


「実は――」


何かを言いかける。

だが、通りの向こうへ視線を走らせた瞬間、顔色を変えた。


「……いえ、大したことじゃありません」


そう言って、すぐに視線を逸らす。


「大したことって……アンタ、ひどい怪我じゃないか。店も――」


マロンが食い下がろうとする。

だが、店主は慌てて首を振った。


「本当に、何でもないんです。もう、大丈夫ですから……」


そのまま視線を落とし、震える手で散らばった商品を片付け始める。

それ以上、話す気はないらしかった。


アッシェはマロンに、引き上げるよう小さく合図を送る。


「そうか。なら私はこれで」


マロンは短く答え、その場を離れた。


通りを抜け、路地裏に入ったところで、アッシェと合流する。


「おつかれさま、マロン」

「なんだか……騒がしい街ですね」


マロンが小さく息を吐き出す。


その瞬間、彼女の姿が陽炎のように揺らいだ。

衛兵の鎧も兜も輪郭を失い、霧のようにほどけていく。

やがて、その下から見慣れた少女の姿が現れた。

短く切り揃えられた金髪が、ふわりと揺れる。


「案外、あっさり引いたわね」


アッシェは、少し意外そうに言った。


「そうですね」


マロンは頷き、先ほどの男が消えていった通りの方へ、ちらりと視線を向ける。


「ですが……あの人、ただの取り立て屋ではないかもしれません」

「どういうこと?」

「腕を掴んだ時に見えたんです。服の隙間から、肩に蛇の刺青のようなものがありました」

「蛇の刺青……」


アッシェはわずかに眉をひそめた。


「何らかの組織が関わっている?」


そう呟いてから、アッシェは小さく首を振った。

今ここで考えても仕方がない。

まずは、この街の中心にあるものを確かめるべきだ。


拭いきれない違和感を抱えたまま、二人は目的のバルド商会を目指し、再び歩き出した。

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