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4話 功労者への褒美

一通りの会話を終えると、コーネルは静かに席を立った。


「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました、ディクト殿下」


胸に手を当て、深々と頭を下げる。


「今後もより一層、この国の繁栄に尽くすことをお約束いたします」

「うん。期待しているよ」


ディクトは柔らかな笑みを浮かべて答えた。

その声に、疑念の色はない。


少なくともコーネルには、自分が次代の王から確かな信頼を得たように思えた。


今日の会談は上手くいった。


いや――上出来と言っていい。


新領地の開拓についても、王子は関心を示していた。


それだけではない。

将来、臣下として仕えたいという意思まで伝えることができた。


これ以上ない成果だ。

コーネルは込み上げる満足感を胸の奥へ押し隠し、顔を上げる。


そして、さも今思い出したように口を開いた。


「そういえば、殿下」

「ん?」

「僭越ながら、カドラス宰相にもご挨拶申し上げたく存じます。どちらにいらっしゃるか、ご存じでしょうか」


やはり、そこが本命か。


ディクトは、男の狙いをとうに見抜いていた。

王子には忠勤を示し、宰相には成果を売り込む。

次代の王と、現政権の中枢。

その両方に自分の価値を示すことこそ、今日の登城の目的なのだろう。


だが、そんなことは顔に出さない。


「分かった。メイドに案内させるよ」

「お手を煩わせ、申し訳ございません」

「気にしないで」


ディクトは軽く手を振った。


「伯爵は、この国にとって大切な功労者なんだから」

「もったいなきお言葉にございます」


コーネルの表情が、わずかに緩む。


その反応を眺めながら、ディクトは何かを思い出したように続けた。


「ああ、そうだ。今夜は城に泊まっていくといい。部屋はもう用意させてあるよ」「城に……私が、でございますか」


一瞬、コーネルの目が揺れた。用心深い男の勘が、何かを嗅ぎ取ろうとしたのかもしれない。

だが、王子直々の厚意を断るという選択肢など、彼にあるはずもなかった。


「……身に余る光栄にございます。ただ、護衛を部屋の外に置くことだけは、お許しいただけますでしょうか。なにぶん、臆病者の性分でして」「好きにするといいよ。伯爵の身の安全は、僕にとっても大事だからね」


ディクトは、にこやかに頷いた。


「それと――今までの功績に見合う、ふさわしい『褒美』も用意しておくよ」


コーネルが、目を見開く。


「……なんと」


やがて、その頬がわずかに紅潮した。


「ありがたきお言葉にございます、殿下」


深々と下げられた頭。

声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。


爵位か。領地か。


あるいは、来年の即位後に、何らかの要職を与えられるのかもしれない。

そんな期待が、胸の内で膨らんでいくのだろう。


――本当に、単純で面白い男だ。


ディクトは客間を出ると、すれ違ったメイドに短く告げた。


「伯爵を、カドラス宰相のもとへ」「かしこまりました」


◇◇◇


「ふ……ふふっ」


その夜。

客室に通されたコーネルは、込み上げる笑いを抑えきれずにいた。


宰相との会談は、拍子抜けするほど上手くいった。


夕食の席では、カドラス自ら杯を掲げ、「この国の未来に」と乾杯までしてくれたのだ。


すべてが順調だった。


王子からは褒美の約束を取りつけ、宰相からは惜しみない賛辞を受けた。

自分の名は、確実に王国の中枢へ届き始めている。


「ここまで来たか……」


笑みが、自然と深くなる。


それもこれも――。

あの役立たずだった農民どもから、法外な税を搾り取った甲斐があったというものだ。


『このままでは冬を越せません』

『せめて種籾だけはお残しください』


泣きながら縋りついてきた者もいた。


だが――そんなことは知ったことではない。


自分が上へ行くために必要な犠牲だった。

ただ、それだけのことだ。


コーネルは、改めて客室を見渡した。


天蓋付きの寝台。

金糸の織り込まれたカーテン。壁を彩る絵画も、飾り棚に施された細工も、どれも一級品ばかりだ。


かつて、領地の運営に手を焼いていた頃の自分には、決して手の届かなかった世界。

その入口に、今、自分は立っている。


「私は、もっと上へ行ける」


静かな声が、誰もいない客室に落ちた。


もう、野心を隠す必要などない。

もっと上へ。

さらに高みへ。


いつの日か、この王城に並ぶほどの権力と富を手にする。


コーネルは、それを疑っていなかった。


◇◇◇


深夜。

王城が深い静寂に包まれた頃。

来賓用の客室の前には、二人の護衛の姿があった。


いや――。


正確には、立っていようとしていた。


一人は壁に背を預けたまま、ずるずると腰を落としている。

もう一人は片膝をつき、剣の柄を握りしめたまま目を閉じていた。


二人とも意識を失っている。


静まり返った廊下に、規則正しい靴音が響いた。


コツ。

コツ。

コツ。


白銀の髪を揺らしながら、一人のメイドが歩いてくる。


アッシェ・レベンケ。


片手に持った手燭の炎が揺れ、廊下へ細長い影を落としていた。

アッシェは倒れた二人の前で足を止める。


「お休みなさいませ」


返事のない二人へ、彼女は丁寧に頭を下げた。

それから、客室の扉に手をかける。


◇◇◇


きい、と小さな音を立てて扉が開いた。


「……ノックをしろと言ったはずだ」


寝酒の杯を傾けていたコーネルは、振り向きもせずに言った。

昼間の柔和さは、そこにはない。

使用人に向ける、傲慢な声だった。


「失礼いたしました」


返ってきた声に、コーネルの動きが止まる。

聞き覚えのある声だった。

ゆっくりと振り返る。


開け放たれた扉の前。

月明かりの中に、白銀の髪のメイドが立っていた。


「あなたは……王城の――」


言い終えるより早く、アッシェが指先を動かした。


白い光が床を奔る。


「――っ!?」


刻印が、光の蔦のようにコーネルの足元から這い上がり、一瞬で全身へ絡みついた。


次の瞬間。

見えない力に弾かれたように、その身体が宙を舞う。


「がっ……!」


背中から壁へ叩きつけられた。

激痛が走る。

そのまま床へ崩れ落ちたコーネルは、反射的に起き上がろうとした。


だが――。


「な……?」


身体が動かない。


指が。

腕が。

脚が。


まるで自分のものではなくなったかのように、何ひとつ言うことを聞かない。


「な、なんだ……これは……!」


何が起きたのか、理解できない。


その視界へ、白いエプロンの裾が入り込んだ。

アッシェはメイド服の裾を汚さぬよう優雅に腰を落とし、床に転がる男の顔をそっと覗き込む。


月明かりを浴びた白銀の髪が、静かに揺れた。


彼女は――微笑んでいた。


「お掃除の時間です」


囁くような声が、暗闇へ落ちた。


「――っ、な、なん……!」


コーネルは必死に後ずさろうとする。

だが、身体は動かない。


全身に刻まれた白い刻印が鈍く光り、指一本動かすことさえ許してくれなかった。


「これは、どういうことです! あなたは王子の……!」「お静かに」


アッシェは人差し指を唇へ当てた。その仕草はあまりにも洗練されていて、まるで夜会の席で淑女が秘密を囁くようだった。


「あまり騒がれると、主人が起きてしまいます」「しゅ、主人……?」


コーネルの瞳が揺れる。


理解できない。

昼間、この女は自分を迎え入れた。

微笑み、頭を下げ、王城を訪れた客人として丁寧に扱っていたはずだ。

それがなぜ――。


今、自分を床へ転がされ、この女に見下ろされている。


「ご、護衛! 誰か――!」


声を張り上げる。


しかし、返事はない。扉の向こうは、まるで世界から切り離されたかのように静まり返っていた。


「こんなことをして許されるはずがない……! 私が、この国のためにどれだけ――」「ええ。存じ上げております」


アッシェは微笑んだ。


「コーネル伯爵様」


名前を呼ばれた瞬間、男の表情が強張った。


「あなたが王都へ納めていた多額の税。その正体は、領民から不当に搾り取ったものでしょう?」

「……!」

「来年のために残すべき種籾にまで手をつけたそうですね」

「ご、誤解だ……!」

「領民は飢え、このままでは冬を越せるかどうかも分からない」


アッシェの声音は、どこまでも穏やかだった。


怒鳴りもしない。

責め立てもしない。


ただ事実を確認するように、淡々と言葉を重ねていく。


「それなのに、王城では国に尽くす忠臣の顔をしていた」

「違う! 私は、そのようなことはしていない!」


必死に声を上げる。

だが、その言葉に説得力などなかった。


先ほどまで、領民を犠牲にして成り上がったことを喜んでいた男の口から出るには――あまりにも空虚な弁明だった。


アッシェは、小さく息を吐いた。


「本当に、愚かな方ですね」


静かな声だった。


「殿下は、すべてご存じです」

「……な」


コーネルの顔から、わずかに血の気が引いた。

アッシェは続ける。


「それに、こう仰られたはずです。今までの功績に見合う、ふさわしい『褒美』を用意する――と」


コーネルの脳裏に、昼間の光景が蘇った。


爵位か。

領地か。

あるいは要職か。

そんな未来を思い描き、期待に胸を膨らませたのは、ほんの数時間前のことだ。


「あ、あれは……」


アッシェは立ち上がった。

冷たい月明かりの中。

床へ転がる男を静かに見下ろす。


「これが、その『褒美』でございます」

「……っ」


コーネルの口から、声にならない息が漏れた。

アッシェはさらに続ける。


「そういえば――」


ほんのわずかに首を傾げた。


「昼間、殿下に仰っていましたね。腐った根は、早期に見つけ、取り除くべきだと」


コーネルの目が、限界まで見開かれた。


民とは何か。

根が腐ったとき、どうするべきか。


昼間、紅茶を飲みながら交わした、あの何気ない問い。


あれは――。


世間話などではなかった。

最初から。


すべて――。


「ま、待ってくれ……」


声が震えた。


「私はまだ役に立てる! 人脈もある! 殿下にだって――」

「時間です」


アッシェは静かに告げた。

その微笑みは、最後まで崩れない。


「王国のゴミは、私が掃除いたします」


喉元に刻まれた白い印が――ぐっ、と脈打った。


「い、嫌だっ――」


白い光が、一瞬だけ部屋を照らす。


男の声は、そこで途切れた。

やがて、客室には静寂だけが残った。

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