↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/32

3話 王城の歓待

昼過ぎ。


コーネル伯爵を乗せた馬車が、王城の城門前へ到着した。


城門で控えていたアッシェは、一行の姿が見えたところで足を揃え、静かに頭を下げる。

貴族への礼儀であり――王宮に仕える者として、当然の振る舞いだった。


馬車が止まる。

最初に降りてきたのは、屈強な男が二人。


伯爵の護衛だ。


地面へ足をつけるなり、それぞれが周囲へ鋭い視線を走らせる。

足運びにも視線の動きにも淀みがない。

単なる飾りの護衛ではないことは、それだけで十分に分かった。


続いて、一人の男が馬車から降り立つ。


コーネル伯爵。


柔和な笑み。

清潔に整えられた髪。

華美に走らず、それでいて質の良さが一目で分かる装い。


立ち居振る舞いにも隙がない。

誰の目にも、教養と品格を備えた模範的な貴族として映るだろう。


――少なくとも、外側だけは。


「お待ちしておりました、コーネル伯爵」


アッシェは美しく一礼した。

「お迎えいただき恐れ入ります。王城のもてなしは噂以上ですね」


コーネルもまた、穏やかな笑みを返す。


「長旅でお疲れでございましょう。案内いたします。どうぞ、こちらへ」


アッシェは淑女顔負けの微笑みを浮かべ、先導する。

その後ろをコーネルが歩き、さらに両脇を護衛たちが固めていた。


城内へ入ってからも、二人は主人からほとんど離れない。

すれ違う使用人にまで目を配り、常に周囲を警戒している。


やがて一行は、ディクトの待つ客間へ到着した。


アッシェは扉の前で足を止め、滑らかな動作で振り返る。


「中で王子がお待ちです」


アッシェは扉を開き、コーネルを客間へと案内した。


「どうぞ、お入りくださいませ」


コーネルが室内へ足を踏み入れたのを確認してから、静かに扉を閉める。

それから、廊下に残った護衛の二人へ向き直った。


「護衛のお二方には、すぐ隣に控え室をご用意しております」


だが――。


「いや。我々はここで待機する」


男の一人が、低い声で断った。


「お気遣いは無用だ」


そう告げると、二人は扉の両脇へ分かれる。


客間の入口だけではない。廊下の曲がり角まで視界に収められる位置だった。


主人への忠誠ゆえか。

あるいは、ただの警戒心か。


いずれにせよ、この場を離れるつもりはないらしい。


アッシェは表情ひとつ変えなかった。


「かしこまりました」


無理に勧めることもなく、静かに頭を下げる。


「では、せめて冷たいお水だけでもご用意させてください」

「……それはありがたい」


先ほどまで警戒していた男の表情が、ほんのわずかに緩んだ。


「心遣いに感謝する」

「とんでもございません」


アッシェは近くに控えていたメイドへ視線を送り、水を用意するよう指示する。


そして再び、穏やかに微笑んだ。


その笑みには、何ひとつ――余計なものを混ぜることなく。


◇◇◇


「失礼いたします、ディクト殿下」


客間へ通されたコーネルは、人当たりの良い笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。

礼は深い。

だが、決して卑屈には見えない。


貴族として身につけるべき作法を熟知していることが、一つひとつの所作から伝わってくる。


「やあ、伯爵。遠いところからよく来てくれたね」


ディクトは椅子に腰掛けたまま、軽く片手を上げた。

態度だけを見れば、ずいぶんと気安い。

それでも不遜に映らないのは、その整った容姿と柔らかな声音のせいだろう。


「とんでもございません、殿下。こうしてお目にかかれましたこと、光栄に存じます」

「堅苦しい挨拶はいいよ」


ディクトはにこやかに頷くと、向かいの椅子を指先で示した。


「座って楽にしてよ」「では、お言葉に甘えまして」


コーネルはもう一度頭を下げ、向かいの椅子へ腰掛けた。

それからまもなく、扉が静かに開くと、メイドが一人入ってきた。


流れるような金髪を美しく巻き、王城のメイドらしい端正な身なりをした女だ。一見すれば、どこかの令嬢と見紛うほど気品がある。


押しているのは、銀細工の施されたティーワゴン。


白磁のカップにティーポット。砂糖壺、ミルク差し、菓子皿。


どれも王城で客人を迎えるにふさわしい品ばかりだった。


「失礼いたします」


澄んだ声とともに、メイドはワゴンをテーブル脇へ寄せる。


ポットの蓋を開けると、立ち上る湯気とともに、ベルガモットの爽やかな香りが客間へ広がった。


二つのカップを並べ、静かに紅茶を注いでいく。

琥珀色の液体が、白磁の器を満たした。


「お好みで、砂糖とミルクをお使いくださいませ」

「どうもありがとう」


コーネルは軽く会釈すると、カップを手に取った。

まず香りを楽しみ、それから一口。


「……これは」


思わず声が漏れる。


すぐに我に返ると、コーネルは小さく咳払いをした。


「失礼いたしました。実に素晴らしい香りです。たいへん良い茶葉をお使いなのですね」


ディクトは伯爵の反応を眺め、面白そうに口角を上げた。


「伯爵が来るから、少し良いものを用意したんだ」

「これは恐悦至極にございます」


ディクトは微笑みながら、自分のカップへ砂糖を一匙落とした。

白い粒が琥珀色の中へ沈み、ゆっくりと溶けていく。


給仕を終えたメイドは静かに一礼し、そのまま客間を後にした。


しばし、紅茶の香りだけが二人の間を満たす。


やがてコーネルは、言葉を選ぶように、静かに口を開いた。


「それにしても――殿下は、本当にご立派になられました」

「そう?」

「はい。恐れながら、以前にも一度だけ、殿下のお姿を拝見したことがございます」

「へえ」


ディクトが興味深そうに眉を上げる。


「あれは……十年以上前でしょうか。先王デイン陛下の御前で、一度だけ」


コーネルは遠い記憶を辿るように視線を上げた。


「当時の私は領主としても未熟で、領地の運営に手を焼いておりまして……今思えば、お恥ずかしい限りです」


そう言って、照れ臭そうに笑う。

どこまでも柔らかく、人当たりの良い笑顔だった。


「そうだったんだ」


ディクトは紅茶の香りを楽しむように、ゆっくりと息を吸った。


「じゃあ、今は上手くいってるんだね。領地の統治」

「……恐れながら。まだ道半ばではございますが、ようやく形にはなってまいりました」

「十年前は苦労してたのに?」


ディクトが首を傾げる。


「何か――伯爵の中で変わったことでもあったの?」

「いえ。私が何かを成したなどとは、とても」


コーネルはゆっくりと首を横へ振った。


「領民がよく耐え、よく働いてくれた。ただ、それだけでございます」


謙虚な言葉だった。


自らの功績を誇ろうともせず、領民を讃える。

聞く者が聞けば、立派な領主だと感心するだろう。


ディクトは、それ以上は何も言わず、紅茶へ口をつけた。


「ところで殿下は、来年にはご成人を迎えられるのですね」

「ああ、そうだよ」


この国では、成人するまで王位には就けない。

ゆえに、先王を亡くした今も、ディクトはまだ『王子』のままだ。


「僕なんて、まだ学園を出たばかりだからね。国を動かすには、実力も経験も足りないよ」


ディクトは軽く肩をすくめた。


「そのようなことはございません」


コーネルは即座に否定する。


「殿下のお噂は、かねがね耳にしております。王立魔法学園を首席でご卒業なさった秀才であると」

「確かに首席ではあったけれど、それと『王の器』は別問題だよ」


ディクトはカップを置いた。


「王は一人じゃ何もできない。優秀な臣下に支えてもらって、初めて国を動かせる」


そして、何気ない口調のまま続ける。


「だから僕も、忠誠の厚い人間をこれから揃えていかないとね」


ほんの一瞬。


コーネルの視線が鋭さを帯びた。


だが、ディクトはそれに気づいた様子を見せない。


「……なるほど。殿下のご慧眼、恐れ入ります」


まるで、その言葉を待っていたかのように、わずかに身を乗り出した。


「もしお許しいただけるであれば――私も、その一人として殿下のお力になれますよう、微力を尽くしたく存じます」


ディクトは柔らかく笑った。


――分かりやすい男だ。


へりくだることで相手を立て、その実、少しずつ距離を詰めてくる。

忠誠を口にしながら、その瞳には、さらなる高みを望む色が浮かんでいた。


「それは頼もしいな」


ディクトは何も気づいていないような顔で頷く。


「カドラス宰相からも伯爵の手腕は聞いてるよ。誰も引き受けたがらなかった領地の開拓まで任されてるんだって」

「はい。身に余る大役をいただいております」


コーネルは深く頭を下げた。


「まったく作物が育たない、ひどく荒れた土地らしいね」

「……ええ」


わずかな間。


「正直に申し上げれば、まだ目に見えるほどの成果はございません」


コーネルは苦笑した。


それから、少しだけ声を明るくする。


「ですが――最近になって、ようやく所々で小さな芽が出始めまして」


その瞬間。


ディクトの瞳が、ほんのわずかに細くなった。

変化は、それだけだった。


「へえ」


柔らかな声。


「それはすごいね」

「ありがとうございます。まだまだ始まったばかりではございますが、来年には殿下の即位を祝うにふさわしい、良いご報告ができるかと」

「期待してるよ」

「必ずや」


コーネルは自信に満ちた笑みを浮かべた。

ディクトもまた、笑っていた。


どちらも穏やかな笑顔。

だが、その意味はまるで違っている。


ディクトはカップの縁へ指を添えた。


「――ねえ、伯爵」

「はい」

「一つ、聞いてもいい?」

「もちろんでございます」


ディクトは、ふと思いついたように首を傾げた。


「伯爵にとって、民とは何だい?」

「……民、でございますか?」


あまりにも唐突な問いだった。


コーネルは一瞬だけ言葉を失う。

すぐには答えず、わずかに目を伏せた。


突然の問いに戸惑った、というよりは――どの答えが王子にとって最も都合がいいかを測っているようだった。


「そんなに難しく考えなくていいよ」


ディクトは優しく笑う。


「ただ、伯爵がどう考えてるのか聞いてみたいだけ」

「……なるほど」


コーネルは一度息を整えた。

そして、ゆっくりと口を開く。


「私が思うに――民とは、国を支える『根』でございます」

「根?」

「はい」


コーネルは静かに頷いた。


「大樹が、地中深く張り巡らされた根によって支えられるように、国もまた、民によって支えられております」


淀みなく言葉を続ける。


「農民が畑を耕し、商人が品を運び、職人が物を作る。それぞれが己の役目を果たすことで、国という大樹は枝を伸ばし、葉を茂らせていくのです」


完璧な答えだった。


民を想う領主として。

国に仕える貴族として。


どこにも非の打ち所がない。


だからこそ――。


ディクトは、その言葉を聞きながら薄く笑った。


「根かぁ。いい例えだね」

「恐れ入ります」

「でもさ」


ディクトが、何気なく続ける。


「根が腐ることもあるよね?」


コーネルの笑みが、ほんのわずかに止まった。


「……腐る、でございますか」

「うん」


ディクトは優しく頷いた。


「一本の根が腐ったら、そこから他の根まで駄目になるかもしれない。そういうとき、伯爵ならどうする?」


数秒の沈黙。

やがてコーネルは答えた。


「腐敗した箇所は――早期に見つけ、取り除くべきかと存じます」

「取り除くんだ」

「はい。残酷に思われるかもしれません。しかし腐敗を放置すれば、いずれ健全な根まで蝕まれる」


コーネルは真剣な顔で続ける。


「そして最後には、国という大樹そのものが枯れてしまう。だからこそ、そのような腐敗が生じないように正しく管理することが、我々貴族の責務ではないでしょうか」

「なるほど。その通りだね」


ディクトは、静かに頷いた。

その答えに満足したように。


コーネルの肩から、わずかに力が抜ける。

どうやら、自分は王子の望む答えを返せた。


そう判断したらしい。


だが――。


「じゃあ、もう一つ」


ディクトはまだ終わらせなかった。


「民と貴族。国にとって大事なのは、どっちだと思う?」

「……これは、また難しい問いですね」


コーネルは困ったように笑った。


だが、今度はさほど時間をかけなかった。


「民でございます」


静かな答えだった。


「民あっての国です。彼らがいなければ畑は耕されず、商いも成り立たず、兵を集めることもできません」


一呼吸置き、胸へ手を当てる。


「貴族とは、その民を守り、正しく導くために存在するもの。ゆえに――国の礎は民であると、私は考えております」


「そっか」


ディクトは静かにカップを置いた。


「伯爵の考えが、よく分かったよ」


その言葉に、コーネルは安堵したように微笑んだ。


「恐れながら、私ごときの浅見でございます」


そう言って頭を下げる姿は、最後まで謙虚だった。


民を思い。


国を思い。


己の功績をひけらかすこともない。

誰が見ても、理想的な領主だっただろう。


ディクトは、そんな男を柔らかな微笑みとともに見つめていた。


――腐った箇所は、取り除くべき。


つい先ほど、コーネル自身が口にした言葉だった。


その言葉が誰に向けられることになるのか。


コーネル伯爵は――まだ、知らない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。