王城の歓待
昼過ぎ、コーネル伯爵の馬車が王城の城門前に到着した。
城門で控えていたアッシェは、一行の姿が見えた瞬間から、深く、静かに頭を下げて待機していた。
それが、貴族への礼儀であり――王宮に仕える者としての義務である。
馬車が止まると、まず屈強な男が二人降り立った。
護衛だ。
視線だけで周囲を掃くように見渡し、足運びに一切の淀みがない。
彼らが単なる飾りではないことは、それだけで十分に伝わった。
続いて、コーネル伯爵が馬車から降りる。
柔和な笑み。
清潔な身なり。
華美に走らない、品のよい装い。
立ち居振る舞いも隙がなく、誰の目にも「模範的な貴族」として映るだろう。
――少なくとも、外側だけは。
「お待ちしておりました、コーネル伯爵」
「お迎えいただき恐れ入ります。王城のもてなしは噂以上ですね」
伯爵の慈愛に満ちた声に、アッシェは淑女顔負けの微笑みを返す。
「長旅でお疲れ様でございましょう。どうぞこちらへ。客間までご案内いたします」
アッシェは先導し、一行を城内へと通した。
歩く間も護衛たちは伯爵を挟むように左右に位置取り、一歩も離れようとしない。
客間の前で、アッシェは滑らかな所作で振り返る。
「中で王子がお待ちです。護衛のお二方は、こちらへどうぞ。すぐ隣に控え室がございますので」
「いや、我々はここで待機する。お構いなく」
アッシェの申し出を、男の一人が低く、鋭い声で遮った。
護衛たちは、客間の扉と廊下の曲がり角を同時に視界へ入れる位置に立っていた。
ただ主人に付き従っているだけではない。周囲の動きも、退路も、常に意識している。
主人への忠誠ゆえか。
あるいは、ただの警戒心か。
いずれにせよ、彼らはこの扉の前から動く気はないらしい。
「かしこまりました。では、冷たいお水だけでもご用意させてください」
アッシェは近くのメイドに視線で合図を送る。
「……それはありがたい。心遣いに感謝する」
男の一人が、わずかに表情を緩めた。
アッシェはその反応に、穏やかな微笑みだけを返す。
その笑みの奥に、何ひとつ――余計なものを混ぜることなく。
◇◇◇
「失礼いたします、ディクト殿下」
客間に現れたコーネルは人当たりの良い笑みを浮かべ、深々と頭を下げた。
動きに無駄がない。礼は深いが、卑屈ではない。
貴族としての作法を、徹底的に身につけている――そう思わせる所作だった。
「やあ、伯爵。遠いところからよく来てくれたね」
ディクトは椅子に腰掛けたまま、軽く手を上げるだけで応じる。
それが不遜に映らないのは、顔立ちと声が、あまりにも整いすぎているせいだ。
「とんでもございません、殿下。こうしてお目にかかれますこと、光栄に存じます」
ディクトはにこやかに頷くと、向かいの椅子を指先で示した。
「楽にしてよ」
「では、お言葉に甘えまして」
コーネルは礼を崩さぬまま腰を下ろす。
その瞬間ーー静かに扉が開き、メイドが一人入ってきた。
流れるような美しい金髪を巻き髪に整えた、優雅なメイドだった。
一見すれば、どこかの令嬢と見紛うほど気品がある。
両手で押しているのは、銀細工の施されたティーワゴンだ。
そこにはティーポット、白磁のカップ、砂糖壺、ミルク差し、菓子皿。
どれもが“王城の品”として申し分のない質を誇っている。
「失礼いたします」
控えめで澄んだ声。
メイドはワゴンをテーブル脇へぴたりと寄せ、手早く、しかし急がずに準備を始めた。
まず、ポットの蓋をそっと開ける。
湯気が立ち、ベルガモットの香りがふわりと広がった。
次に、カップを二つ並べる。
取っ手の向きまで揃える動作に、王城の作法が滲む。
紅茶が注がれる。
琥珀色の液体が、カップの底に静かに溜まっていく。
「――お好みで、砂糖とミルクを」
「……これは、どうも」
コーネルは丁寧に礼を述べ、カップを手に取る。
湯気の向こうから漂う香りに、思わず目を細める。
上品で、芯があり、余韻が長い――“良質な茶葉”の香りだった。
一口含む。
「……これは……」
言葉が、思わず漏れた。
すぐに我に返り、コーネルは小さく咳払いをして姿勢を正す。
「失礼いたしました。……素晴らしい香り。たいへん見事な紅茶に感動いたしました、殿下」
ディクトは伯爵の反応を眺め、面白そうに口角を上げた。
「伯爵のために、良い茶葉を用意したんだ」
そう言いながら、自分のカップには砂糖を一匙落とす。
白い粒は音もなく沈み、やがて溶けて消えた。
メイドは最後に一礼すると、ティーワゴンを静かに押して退室した。
「それにしても――殿下は、見違えるほどでございますね」
コーネルは言葉を選ぶように、静かに口を開いた。
「恐れながら、以前にも殿下とお会いしたことがございます」
そう言って、ほんの少しだけ視線を遠くに泳がせる。
「あれは、十年以上前でしょうか。先王デイン陛下の御前で一度だけ、お姿を拝見しております。当時の私は領主として未熟で、領地の運営に手を焼いておりまして……今思えば、恥ずかしい限りでございました」
照れ臭そうに笑う仕草は、どこまでも柔らかい。
ディクトは紅茶の香りを楽しむように、ゆっくり息を吸った。
「そうだったんだ。今は領地の統治、上手くやってるんだよね?」
「……恐れながら。まだ道半ばではございますが、ようやく形になってまいりました」
「何かーー伯爵の中で変化があったの?」
「いえ……私が何かを成したなどとは、とても申せません。領民がよく耐え、よく働いてくれた――ただ、それだけでございます」
コーネルは控えめな言い回しに徹していた。
しかしその口ぶりは、功績が自らの手によるものだと、十分に印象づけていた。
「殿下は、来年にはご成人を迎えられるのですね?」
「ああ、そうだよ」
ディクトは紅茶に口をつけ、軽く目を細めた。
この国では、成人するまで王を名乗れない。
だから、今はまだ"王子"だ。
「僕もまだ、国を動かすには実力も経験も足りない。学園を出たばかりの若輩者さ」
軽く肩をすくめ、両手をひらりと広げる。
「そのようなことはございません。殿下のお噂はかねがね。王立魔法学園を首席でご卒業なさった秀才と、各方面よりお聞きしております」
コーネルは柔らかな声音で賛辞を送った。
「確かに首席ではあったけれど、それと“王の器”は別問題だよ」
カップを置き、指先で縁をなぞる。
「王とは、ひとりで立つものじゃない。支える臣下がいてこそだ。――忠誠の厚い者たちを、これから揃えていかないとね」
一瞬だけ、視線が鋭くなる。
「……なるほど。殿下のご慧眼恐れ入ります」
コーネルは微笑を浮かべたまま、わずかに身を乗り出す。
「もしお許しいただけるなら――私もまた、その一人としてお力添えできますよう、微力を尽くしたく存じます」
(分かりやすい男だな)
へりくだりながら、静かに距離を詰めてくる。
忠誠を口にしながら、その実、より高みを望む野心が透けて見えた。
「それは頼もしい。カドラス大臣から伯爵の手腕は聞いているよ。誰も欲しがらなかった領地の開拓も任されてるって」
「ええ。身に余る大役でございます」
コーネルは深く頭を下げ、それからようやく顔を上げた。
「全く作物が実らない、ひどく荒れた土地なんだってね」
「……ええ。正直に申し上げれば、まだ目に見える成果はございません」
コーネルは苦笑し、そこで一拍置いた。
「……ですが、ようやく所々で小さな芽が育ってまいりました」
ディクトの瞳が、ほんの僅かに細くなる。
「それはすごいね」
「はい。来年には、殿下の即位を祝うに相応しい、良い報告ができるかと」
「期待しているよ」
ディクトはカップの縁を指先でなぞり、ふっと笑った。
その笑みは柔らかい。
「――ねえ、伯爵」
ディクトは、ふと思いついたように口を開いた。
「民って、何だと思う?」
「……民、でございますか」
コーネルはすぐには答えなかった。
ほんのわずかに目を伏せ、言葉を選ぶように口元へ指を添える。
突然の問いに戸惑った、というよりは――どの答えが王子にとって最も都合がいいかを測っているようだった。
「難しく考えなくていいよ」
ディクトは柔らかく笑う。
「伯爵の考えを聞かせて」
その声は穏やかだった。
まるで、生徒が教師に素朴な疑問を投げかけるように。
コーネルは静かに息を整え、やがて顔を上げた。
「そうですね。私が思うに、民とは国を支える根でございます」
「根?」
「はい。大樹が土の下に張り巡らされた根によって支えられるように、国もまた、民によって支えられております。彼らが各々の役目を果たすことで、国という大樹は枝を伸ばし、葉を茂らせるのです」
淀みのない答えだった。
民を慈しむ貴族としては、申し分のない模範解答だ。
だからこそ、ディクトはその言葉を聞きながら、薄く笑った。
「それで、根かぁ。いいたとえだね」
「恐れ入ります」
「でも、根が腐ることだってあるよね? そのときはどうするの?」
「……腐敗、でございますか」
コーネルの笑みが、ほんのわずかに固まった。
視線だけが一瞬、研ぎ澄まされる。
「腐り始めた箇所は、早期に見つけ、取り除くべきかと存じます」
「取り除くんだ」
「はい。残酷なようですが、腐敗を放っておけば、いずれ健全な根まで蝕まれ、やがて国という大樹そのものが滅びます」
コーネルは、さらに言葉を重ねた。
「そうした腐敗を見極め、正しく管理することも、我々貴族の責務ではないでしょうか」
「なるほど。その通りだね」
ディクトは、静かに頷いた。
その反応に、コーネルの肩からわずかに力が抜ける。
どうやら、自分の答えは王子の意に沿ったものだと判断したらしい。
だが、ディクトはそこで終わらせなかった。
「じゃあ、伯爵。民と貴族――どっちが国にとって大事なのかな?」
「……難しい問いですね」
コーネルは困ったように微笑んだ。
だが、その迷いは長く続かなかった。
「民でございますね」
答えは静かだった。
「民あっての国です。彼らがいなければ、畑は耕されず、商いは成り立たず、兵も集まりません。貴族とは、その民を正しく導くためにあるもの。ゆえに、国の礎は民であると存じます」
「そっか。伯爵の考えがよく分かったよ」
ディクトはカップを置き、柔らかく微笑んだ。
「恐れながら、私ごときの浅見でございます」
コーネルは少し照れくさそうに頭を下げた。
謙遜を装ってはいるが、その表情には、王子の意に沿う答えを選べたという安堵がかすかに滲んでいる。
ディクトはどこまでも穏やかに微笑んでいた。
その微笑みの奥で何を測られているのか、コーネルは最後まで気づかなかった。




