31話 セルペンス掃討戦⑦
「――供犠」
ジムグリの左手から、またひとつ指輪が消えた。
砕けた宝石が光の粒となって散り、代わりに膨大な魔力が右手へと集まっていく。
「ったく、こいつも気に入ってたんだぜ……」
ジムグリは忌々しげに吐き捨てた。
だが、その目は鋭くアッシェを捉えている。
先ほどまでの余裕ぶった態度とは違い、明らかに警戒を強めていた。
「ま、仕方ねえか。その分、きっちり回収させてもらうぜ」
ジムグリが右手を突き出す。
その手のひらに集まった濁った茶色の魔力が、巨大な球体へと凝縮された。
「食らいやがれ!」
次の瞬間、魔力弾が凄まじい勢いで放たれた。
アッシェは即座に右手を掲げる。
「――『炎の刻印』」
白銀の紋章が輝き、灼熱の炎が噴き出した。
炎と魔力弾が正面から衝突する。
轟ッ!!
凄まじい爆風が巻き起こり、室内に熱風が吹き荒れた。
だが、ジムグリの魔力弾は止まらなかった。
炎を押し退け、なおもアッシェへ迫ってくる。
(……押し返せない)
アッシェは即座に床を蹴り、横へ跳んだ。
直後、魔力弾が背後の石壁へ激突する。
ドォンッ!!
轟音とともに石壁が砕け、無数の破片が飛び散った。
アッシェは爆風をかわしながら着地すると、すぐさま反撃に転じた。
「――『雷の刻印』」
右手に浮かぶ白銀の紋章から、紫電が迸る。
放たれた雷撃は一直線にジムグリへ伸び、その巨体を直撃した。
バチィッ!!
「……ぐっ!」
激しい雷光がジムグリを包み込む。
しかし、雷撃が収まると、そこには何事もなかったかのように立つ男の姿があった。
身体には傷ひとつない。
その代わり、左手に嵌めていた指輪がひとつ、乾いた音を立てて砕け散った。
(……またひとつ)
アッシェはジムグリの手元を見つめた。
先ほどまで指を飾っていた宝石は、着実に数を減らしている。
攻撃を防がれるのは厄介だが、代償となる指輪にも限りがあるはずだ。
このまま攻撃を重ねていけば、いずれ――。
「……ここからは消耗戦ね」
アッシェが静かに呟いた。
「……ふん」
ジムグリは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「だったら、少し趣向を変えてやるよ」
そう言って、右手に嵌めていた指輪をひとつ外した。
「――供犠!」
指輪が光の粒となって消え、濁った茶色の魔力がジムグリの全身へと広がっていく。
アッシェは目を細めた。
これまでとは魔力の流れが違う。
右手へ集中するのではなく、身体の隅々まで行き渡っている。
「はっははは!」
ジムグリが愉快そうに笑った。
「俺の魔法は便利でな。こうして、身体能力を強化することだってできるんだぜ!」
全身を覆う魔力が膨れ上がり、ジムグリの筋肉が一回り大きくなる。
太い腕には血管が浮き上がり、足元の床がみしりと軋んだ。
「今度は直接ぶっ潰してやるよ!」
ジムグリが床を蹴った。
ドンッ!!
巨体からは想像もできない速度だった。
床に亀裂が走り、一瞬にしてアッシェとの距離を詰める。
「……っ!」
アッシェは咄嗟に横へ身をかわした。
直後、巨大な拳が先ほどまで彼女のいた場所へ叩き込まれる。
ドガァンッ!!
床が砕け、深い陥没が生じた。
巻き上がった石片が、アッシェの頬をかすめる。
(……速い)
アッシェは距離を取ろうとした。
しかし、ジムグリはそれを許さない。
「逃がさねえぞ!」
再び床を蹴り、強引に間合いを詰めてくる。
右拳が迫り、続けざまに左拳が振り抜かれた。
どちらも、まともに受ければ大きなダメージは免れないだろう。
アッシェは上体を反らして一撃目をかわし、次の拳を身を沈めてやり過ごす。
だが、三撃目が迫ったところで、回避が間に合わないと判断した。
「――『身体強化の刻印』」
右手に白銀の紋章が浮かび上がる。
同時に、全身へ魔力が巡った。
視界が鮮明になり、迫り来る拳の軌道がはっきりと見える。
アッシェはジムグリの腕をかすめるように身をひねり、その懐へ飛び込んだ。
「……っ!」
反応が遅れたジムグリの脇腹へ、鋭い蹴りを叩き込む。
ドンッ!!
鈍い衝撃音が響いた。
しかし、ジムグリの巨体はびくともしなかった。
まるで分厚い鉄壁を蹴りつけたかのような手応えだった。
「……へっ」
ジムグリが口元を歪める。
次の瞬間、太い手がアッシェの足首を掴んだ。
「捕まえたぜ」
「……っ!」
アッシェが振りほどこうとするより早く、ジムグリはその身体を持ち上げた。
そして、力任せに放り投げる。
ガシャァンッ!!
アッシェの身体が飾り棚へ激突した。
棚が大きく傾き、並んでいた陶器が次々と床へ落下する。
「はっははは! どうだ!」
ジムグリが高笑いする。
しかし、アッシェはすぐに立ち上がると、右手の刻印から火炎球を放った。
「……へっ。そんな攻撃効かねえよ」
ジムグリは右手から小さな魔力弾を放ち、炎を迎撃する。
轟ッ!!
炎と魔力が衝突し、爆風となって四散した。
(……身体強化だけではないのね)
アッシェは冷静に観察していた。
どうやら、身体強化に使用している魔力を維持したまま、攻撃魔法も使えるらしい。
「おらぁ!」
ジムグリが再び突進してきた。
アッシェは迫る拳を紙一重でかわし、懐へ潜り込む。
続けざまに肘打ちを叩き込むが、ジムグリの身体を覆う魔力に阻まれ、決定的な一撃には至らない。
「どうした? この程度じゃ俺は倒せねえぞ!」
ジムグリが振り返り、拳を振り下ろす。
アッシェは身を翻してかわすと、今度は壁際へ移動した。
「逃げ回ってばかりじゃねえか!」
「……力任せに突っ込んでくるだけなのね」
アッシェは冷ややかに答えた。
「……あ?」
ジムグリが眉をひそめる。
その隙に、アッシェは床を蹴った。
だが、ジムグリもすぐに反応する。
「もらったぜ!」
一気に距離を詰め、大振りの右拳を繰り出した。
アッシェは咄嗟に右手を掲げる。
「――『守りの刻印』」
白銀の紋章が輝き、正面に防御結界が形成された。
直後、ジムグリの拳が激突する。
ドォンッ!!
「吹き飛べ!」
凄まじい衝撃が結界を襲い、アッシェの身体が後方へ弾き飛ばされた。
ガンッ!!
背後にあった巨大な金庫へ、勢いよく叩きつけられる。
「……くっ!」
背中に鈍い痛みが走った。
それでもアッシェは倒れることなく、右手を金庫の扉について姿勢を立て直す。
「……はっ。どうやら、先に限界を迎えるのは嬢ちゃんの方みてえだな」
ジムグリが愉快そうに笑う。
先ほどまで軽々と攻撃をかわしていた少女も、明らかに動きが鈍ってきている。
いかに腕が立とうとも、魔力には限りがある。
対して、自分は代償さえあれば新たな魔力を生み出せる。
このまま攻め続ければ、いずれ押し切れるはずだ。
「悪いが、待ったはなしだぜ!」
ジムグリは再び指輪をひとつ外した。
「――供犠!」
指輪が砕け散り、濁った茶色の魔力が右手へと集まっていく。
「そらそらぁ! いつまで立ってられるかな!」
次の瞬間、魔力弾が立て続けに放たれた。
アッシェは金庫から離れ、迫る攻撃を次々とかわしていく。
一発目が床を抉り、二発目が背後の壁を粉砕した。
続く三発目は炎で迎撃したものの、凄まじい爆風が巻き起こった。
アッシェは咄嗟に腕で顔を庇い、舞い上がる瓦礫を避けながら後退する。
「ちっ、しぶてえ女だぜ!」
ジムグリは忌々しげに舌打ちすると、さらに指輪を犠牲にして攻撃を続けた。
次々と魔力弾が撃ち込まれ、室内に轟音が響き渡る。
床は抉れ、壁は崩れ、棚に並んでいた高価な調度品も次々と破壊されていった。
先ほどまで豪華絢爛だった部屋は、見る間に瓦礫と煙に覆われていく。
「いい加減に、くたばりやがれ!」
ジムグリが怒鳴った、そのときだった。
立ち込めた煙の中から、灼熱の炎が飛び出した。
「……ちっ!」
ジムグリは咄嗟に両腕を交差させる。
炎が巨体を包み込み、その指に嵌められていた指輪がひとつ砕け散った。
しかし、ジムグリ自身には傷ひとつない。
「てめえ……! まだそんな余力が残ってやがったのか!」
ジムグリが忌々しげに吐き捨てる。
一方、煙の向こうから姿を現したアッシェは、男の手元を静かに見つめていた。
「……やけに焦っているわね。そろそろ限界かしら?」
「……あ?」
「あなたの魔法、魔力を生み出すには指輪が必要なのでしょう?」
アッシェは淡々と言葉を続ける。
「ずいぶんと失ってしまったようだけど、あと何回使えるのかしら?」
その言葉を聞いたジムグリの口元が、ほんのわずかに歪んだ。
だが、すぐに忌々しげな表情へと戻る。
「……ったく、よく見てやがるな」
ジムグリは大きく舌打ちした。
アッシェは改めて、男の手元へ視線を向ける。
先ほどまで太い指を飾っていた宝石は、ほとんど失われていた。
残っている指輪は、あとひとつ。
(……おそらく、次が最後)
攻撃にも防御にも、ジムグリは指輪を消費してきた。
その魔法がどれほど強力であろうと、代償となるものが尽きてしまえば意味はない。
アッシェは静かに右手を構えた。
「……ったく、どいつもこいつも高え代物だったってのによ」
ジムグリは最後に残った指輪を外し、名残惜しそうに眺めた。
その一方で、もう片方の手が何気なく首元の金鎖へ伸びる。
「……こいつらの総額は高くつくぜ。お前の一生で返してもらう」
ジムグリは小さく息を吐くと、指輪を握り締めた。
そして、にやりと笑う。
「さあ、決着をつけようぜ」
「――供犠」
指輪が淡い光を放ち、砕け散った。
同時に、ジムグリの全身から凄まじい魔力が噴き上がる。
「……っ!?」
アッシェは思わず目を細めた。
(何……この魔力量?)
ジムグリの右手に集まる魔力は、これまでのものとは比較にならないほど膨大だった。
周囲の空気が軋み、床に散らばった瓦礫が小刻みに震え始める。
(おかしい……)
アッシェはジムグリの手元へ視線を向けた。
指輪は、もうひとつも残っていない。
(あの指輪ひとつで、これほどの魔力が……?)
そのとき、つい先ほどのジムグリの仕草が脳裏をよぎった。
(……まさか)
ジムグリが獰猛に笑う。
「油断したな、嬢ちゃん!」
「……っ!」
ジムグリの手のひらに、濁った茶色の魔力が凝縮されていく。
それは瞬く間に巨大な塊となり、室内を圧迫するほどの魔力を放ち始めた。
「こいつは、とびきり高えぞ!」
ジムグリが右手を突き出す。
「――しっかり味わってくれよ!」
次の瞬間、凄まじい魔力の奔流がアッシェへ襲いかかった。
轟ッ――!!
回避する間もなく、濁った魔力がアッシェの姿を呑み込んだ。
凄まじい轟音が響き渡り、床が抉れ、周囲の家具が次々と吹き飛んでいく。
ドォォンッ!!
魔力の奔流はそのまま背後の石壁へ激突し、部屋全体を揺るがす大爆発を巻き起こした。
壁が崩れ、天井から大量の石片が降り注ぐ。
やがて轟音が収まると、室内は濃い煙に包まれていた。
「……ふぅ」
ジムグリは大きく息を吐いた。
「ったく、やりすぎちまったか?」
あれほどの魔力をまともに受けて、生きていられるとは思えない。
「……ちっ。せっかく高く売れそうな女だったのによ」
ジムグリは忌々しげに舌打ちした。
生け捕りにして高く売り飛ばすつもりだったが、つい魔力を込めすぎてしまったらしい。
だが、こうなっては仕方がない。
そう考えた、そのときだった。
「……おいおい、冗談だろ?」
ジムグリの表情が凍りついた。
立ち込めていた煙が薄れ、その向こうに人影が浮かび上がったのだ。
「……なっ!?」
そこには、一人の少女が立っていた。
だが、その姿は先ほどまでとは明らかに違っていた。
燃えるような赤い髪。
全身から溢れ出す、圧倒的な魔力。
その右手には、紅蓮の紋章が静かに輝いていた。
「なんなんだ……その姿は……!」
赤髪の少女は、そんな男を静かに見据えていた。




