23話 セルペンス制圧作戦①
アッシェたちは、リオネルの街の西側――スラム街に隣接する一角にいた。
朽ちかけた家屋が並ぶ貧民街を抜けた先に、古い石造りの建物がある。
周囲の建物よりひと回り大きい。
だが、目立つ看板もなければ、人の出入りもない。
ひっそりと佇んでいるだけの建物。
それなのに、そこだけ空気が重く沈んでいるように見えた。
そこが、裏組織セルペンスのアジトだった。
「まさか、またこの辺りに来ることになるとはね」
アッシェは、離れた路地の影から建物を見つめていた。
組織についての情報は、野盗に扮していたセルペンスの一員――ルクサからすでに聞き出している。
根城がスラム街の近くにあると知った時、アッシェは少しだけ驚いた。
ふと、アッシェの脳裏に、あの兄妹の姿が浮かぶ。
親を奪われ、幼い兄妹だけが取り残される。
それは、この街に巣食う闇が生み出した結果のひとつにすぎない。
ならば、その根を断つ。
アッシェは静かに息を吐き、改めて建物へ視線を向けた。
「……見張りはいないのね」
建物の前にも、周囲の路地にも、人影は見当たらない。
目立たないようにしているのか。
それとも、侵入者が来ても構わないという自信の表れか。
いずれにせよ、周囲は不気味なほど静まり返っていた。
「ガレット」
アッシェは、隣に立つ赤髪のメイドへ視線を向ける。
「中の様子は分かる?」
「お安い御用だぜ、姉御」
ガレットは口角を吊り上げ、片目を細めた。
その瞳の奥に、赤い魔力の光が灯る。
ガレットの固有魔法――『空間』。
それは、視界に収めた空間そのものを把握し、操る魔法だった。
ただし、無制限に広がるすべての空間を捉えられるわけではない。森の奥深くのように広大で、境界が曖昧な場所では、把握できる範囲にも限りがある。
だが、今のように建物そのものを視界に収めている状況なら話は別だ。
壁も、扉も、暗闇も関係ない。
ガレットはその建物をひとつの空間として捉え、内部の構造ごと把握することができる。
廊下の長さ。部屋の位置。階段のつながり。そして、その中に潜む人間の気配。
建物の内側が、まるで手のひらの上に乗せた模型のように、彼女の意識へ浮かび上がっていく。
「そうだな……雑魚が十数人。奥の方に、強い魔力の気配が三つ」
ガレットは、建物の奥を睨むように見つめた。
「その中でも、一つだけかなり強いな」
「おそらく、それがジムグリね」
アッシェは、ルクサから聞き出した情報を思い返す。
セルペンスには、強力な魔力を持つ幹部が二人いる。
そして、その上に立つ男がジムグリ。
バルド商会と手を組み、リオネルの街を裏から蝕んでいた男だ。
邪魔な商人は、野盗に扮した部下に襲わせる。
商売が苦しくなった者には、高利の金を貸しつける。
返せなくなれば、店も土地も家族さえ奪い取る。
そうして商人たちを追い詰め、街の商いをバルド商会へと集めていった。
商会の急成長も、露店が街から消えていったことも、すべてはジムグリが仕組んだものだった。
「どうする、姉御?」
ガレットが肩をすくめる。
「片っ端から頭をすっ飛ばしちまおうか? この距離なら、壁越しでも余裕だぜ」
「待って、ガレット」
アッシェは即座に止めた。
もし、セルペンスがエルドレッド家の件に関わっているなら。
あるいは、当時の貴族たちにつながる情報を少しでも持っているなら。
ここで殺して終わらせるわけにはいかない。
「彼らには、聞きたいことがあるわ」
「オーケー。姉御がそう言うなら、文句はないぜ」
ガレットは素直に頷いた。
その声には一切の不満もない。
むしろ、アッシェの判断なら当然従うという、強い忠誠心のようなものが滲んでいた。
「では、どう攻めますか?」
黙って話を聞いていたシトラスが、穏やかな声で尋ねる。
「そうね……」
アッシェはすぐには答えなかった。
ガレットから、内部の人数と配置をさらに詳しく聞き出す。
魔力を持つ幹部たちは、それぞれ離れた場所にいるらしい。
一か所に固まっていないのなら、こちらにとっては好都合だ。
相手が束になって襲いかかってきたとしても、こちらが遅れを取ることはない。
だが、油断はできない。
狙うべきは、短期制圧。
幹部たちを速やかに抑え、そのままジムグリのもとへ向かう。
アッシェは短く息を吐き、結論を出した。
「正面から行くわ」
「やっほい。楽しくなってきた」
ガレットは嬉しそうに声を弾ませる。
対して、シトラスは少しだけ目を丸くした。
「正面突破、ですか?」
「ええ。だけど、こちらの動きをすぐには悟らせない」
アッシェは、建物を見据えたまま続ける。
「私の魔法で、音を遮断する結界を張るわ」
「なるほど」
頭の回転が早いシトラスは、それだけで意図を察したようだった。
「敵の連携を乱すのですね」
「その通りよ。すぐに気付かれるでしょうけど、混乱している間に一気に制圧するわ」
アッシェは一歩、建物へ近づいた。
その手のひらに、白銀の魔力が集まっていく。
淡い光は指先から大気へ流れ、アジトの外壁を這うように広がっていった。
「――『無音の刻印』」
次の瞬間、アジトを囲むように巨大な紋章が展開される。
白銀の光が、石造りの建物と周囲の路地を包み込む。音もなく広がった紋章は、やがて薄い膜のように空間へ溶け込んだ。
これで、紋章の内側では音が封じられる。
結界が破られない限り、この一帯は完全な無音の空間となる。
「行きましょう」
アッシェが告げ、三人は結界の内側へ足を踏み入れた。
その瞬間、世界から音が消えた。
風の音もない。
遠くの喧騒もない。
足元の小石を踏む音さえ、耳に届かない。
ガレットが試しに指を鳴らした。
だが、何も聞こえなかった。
彼女が口を動かす。
おそらく「すげえ」とでも言ったのだろう。
けれど、その声も届かない。
アッシェは二人へ視線で合図を送った。
ガレットとシトラスが無言で頷く。
三人はそれぞれ黒いフードを深く被り、顔を隠した。
そして、アッシェを先頭に、セルペンスのアジトへと踏み込んだ。




