21話 黒雷のルクサ
次の攻撃が来るより早く、ルクサは動いていた。
開けた場所に留まるのは危険だ。
そう考えるより先に、身体が地を蹴っている。
倒れた部下の横を抜け、近くの太い木の陰へ滑り込む。
背中を幹に預けると同時に、ルクサは素早く周囲へ視線を走らせた。
パァン――!
また、乾いた破裂音が森に響いた。
部下の一人が頭を撃ち抜かれ、声もなく地面へ崩れ落ちる。
戦場慣れしていない男たちは、突然の攻撃に反応できず、ただ立ち尽くしていた。
「伏せろ! 頭を出すな!」
ルクサは鋭く叫びながら、破裂音が響いた方角へ視線を向ける。
だが、視界の先にあるのは、幾重にも連なる木々ばかりだった。敵の姿は見えない。
その時、木々の向こうで、かすかな閃光が走った。
「まさか……」
ルクサは目を細める。
閃光が見えたのは、木々の隙間、そのさらに向こう。森の奥にある、わずかに高くなった崖の上だった。
「あそこから狙っているのか……」
背筋に、冷たいものが走った。
少なくとも、数百メートルは離れている。
その距離から、森の枝葉の隙間を抜いて、人間の頭を撃ち抜く。
魔法により攻撃か。
それとも、魔道具による狙撃か。
どちらにせよ、並の腕ではないことだけは確かだった。
やがて、銃音が止んだ。
「くそ……」
ルクサは奥歯を噛みしめる。
十二人いたはずの部隊は、すでに壊滅していた。
今、まともに動けるのは自分も含めて三人だけ。
ほんのわずかな時間で、ここまで削られたのだ。
ルクサの動きに気づいた生き残りの二人も、慌てて木の陰へ身を潜める。
「旦那……! ど、どうすりゃいいんですか!?」
男の一人が、震えた声で叫んだ。
「喚くな」
ルクサは低く叱責する。
「け、けどよ……一瞬でみんなやられちまった……!」
「そんなことは分かっている」
ルクサは舌打ちした。
これだから、浮かれきった連中は頼りにならない。
狩る側のつもりでいて、いざ狩られる側に回った途端、この有様だ。
銃声は止んでいる。
だが、危機が去ったわけではない。
いつ攻撃が再開されるか分からない。
そして、次に頭を撃ち抜かれるのは、自分かもしれない。
そう考えた瞬間、額にじわりと汗が滲んだ。
ルクサは剣士だ。
身体強化程度の初級魔法なら扱えるが、遠距離攻撃の手段は持たない。
つまり、こちらから狙撃者へ反撃することはできない。
分が悪い。
そして、問題は狙撃者だけではなかった。
ルクサは木陰から半身を出し、空き地の中央に立つ白銀のメイドを睨みつけた。
「お前ら……一体何者だ。目的はなんだ?」
血の匂いが漂う空き地の中で、アッシェだけが異様なほど静かだった。
足元には、頭を撃ち抜かれた男たちが転がっている。まだ温かい血が湿った土に染み込み、赤黒い染みを広げていた。
生き残った二人は、木陰に隠れたまま震えている。先ほどまで下卑た笑みを浮かべていた面影は、もうどこにもない。
だが、アッシェはそのどれにも関心を示さなかった。
ただ、冷たい瞳だけをルクサへ向けている。
「言ったでしょう?」
その声は、ひどく穏やかだった。けれど、血に濡れた空き地の中で聞くには、あまりにも冷たい。
「掃除をしに来たって。これは、ほんの挨拶よ」
「挨拶だと……?」
ルクサの眉間に深い皺が刻まされる。
「俺の部下を一方的に殺すことが、か?」
「そうね」
アッシェは否定しなかった。
「数が多いと、逃げられた時に面倒でしょう?」
その声音には、怒りも憎悪もなかった。
ただ、邪魔なものを片付けた。
それだけの響きだった。
ルクサは奥歯を噛みしめる。
この女は、殺しを楽しんでいるわけではない。必要だから殺し、邪魔だから消す。それを当然のように口にするアッシェに、ルクサは背筋が冷えるのを感じていた。
「安心して」
アッシェは淡々と続けた。
「残ったあなたたちは、すぐには殺さないわ」
「何?」
「聞きたいことがあるの」
「ずいぶんと舐められたもんだな」
ルクサは唇を歪めた。
だが、怒りに任せて飛び出すことはしない。
目の前の女。
遠くからこちらを狙う狙撃者。
そして、まだ姿を見せていない仲間がいるかもしれない。
相手は少なくとも魔法士が二人。
こちらはすでに大半の手駒を失っている。
襲われた商人に雇われた殺し屋か。
それとも、別の勢力か。
正体は分からない。
だが、少なくとも素人ではない。
厄介な相手だった。
ルクサが対応を決めかねている間にも、アッシェの右手には白銀の魔力が集まり始めていた。
淡い光が指先を伝い、右手のひらへと集まっていく。
やがてそれは薄い紋様となり、手のひらの上に静かに浮かび上がった。
「おい、旦那……!」
木陰に隠れていた男の一人が、怯えた声を漏らす。
「あの女……なんかするつもりだ……!」
ルクサは舌打ちした。
完全に後手に回っていた。
見えない狙撃者。
目の前に現れた白銀のメイド。
そして、連中の正体。
そのすべてに意識を奪われているうちに、アッシェの手のひらに浮かぶ紋様は、すでに形を成していた。
「すぐに終わるわ」
そう告げると、アッシェは静かに右手をかざした。
「――『拘束の刻印』」
手のひらの紋様から白銀の光が放たれた。
次の瞬間、生き残っていた二人の男の足元に、白い光の紋章が突如として浮かび上がった。
「なっ……!?」
男たちが反応するより早く、紋章から幾重もの光の輪が伸びた。それは蛇のように絡みつき、腕、胴、足を一瞬で縛り上げた。
「な、なんだこれっ!?」
「くそっ、動けねえ!」
二人は必死にもがいた。
だが、光の輪はびくともしない。
暴れれば暴れるほど身体に食い込み、かえって動きを奪っていく。
「旦那! 助け――」
叫びかけた男の声が、途中で詰まった。
光の輪が喉元までせり上がり、無理やり声を押し潰したのだ。
もう一人も同じだった。手足をばたつかせようとしても、身体は地面に縫いつけられたように動かない。
「チッ……名持ちの魔法士か」
ルクサの顔が険しくなる。
ただの魔法士ではない。
一般的な初級魔法や中級魔法とは違う。
己だけの固有魔法を扱う者。
それが、名持ちの魔法士だ。
ルクサは戦場で、そういう連中を何度か見てきたことがある。
中には、こちらの常識を嘲笑うような理不尽な事象すら引き起こす者もいた。
目の前の女が使ったのは、おそらく拘束系の固有魔法。
一度距離を取られれば、近づく前に動きを封じられる。剣士にとっては、最悪に近い相手だった。
ならば、相手に時間を与えてはいけない。
魔法を使われる前に距離を詰める。思考より早く、刃を届かせる。
この場を切り抜けるには、あの女を先に殺すしかない。
ルクサは腰を低く落とした。
呼吸を一度だけ深く沈める。
次の瞬間、身体強化の魔力を脚へ流し込んだ。
筋肉が軋み、血管が熱を帯びる。足裏が湿った土を噛み、全身が一振りの刃のように研ぎ澄まされていく。
アッシェは動かない。
こちらを警戒している様子もない。
脅威と見なしている気配すらない。
ただ、冷たい瞳でルクサを見ていた。
まるで、次に何が起こるのか分かりきっているような目だった。
気に入らない。
ルクサは奥歯を噛みしめる。
その余裕ごと、斬り捨てる。
次の瞬間、彼の姿が木陰から掻き消えた。
アッシェの視線が、わずかに動く。
ルクサは一直線には進まない。
狙撃者の射線を切るように、木々の陰を縫いながら距離を詰めていく。
右へ。左へ。
幹を盾にし、陰から陰へと滑るように移る。遠くの狙撃者に狙いを定める隙を与えず、それでいてアッシェとの距離だけは確実に詰めていく。
そして、最後の木陰を蹴った瞬間。
ルクサは腰の剣に手をかけた。
得意とするのは、抜刀術。音よりも早く刃を届かせる、初見殺しの一撃。
「――『黒雷』」
湿った土が爆ぜた。
ルクサの姿が黒い雷のようにぶれる。地面を蹴る音が遅れて響いた時には、彼はすでにアッシェの懐へ滑り込んでいた。
抜刀。
狙うは、首筋。
避ける暇も、防ぐ間も与えない。鞘走る刃が、アッシェの白い喉元へ一直線に迫った。




