19話 狩られる者たち
森の奥、木々がぽっかりと途切れた空き地に、十数人の男たちが陣取っていた。
草は荒々しく踏み潰され、湿った土にはいくつもの足跡が乱雑に刻まれている。
倒木のそばには、荒縄や布袋、手入れの悪い短剣が無造作に転がっていた。
一見すれば、粗野な野盗の集まりにしか見えない。
だが、彼らの腕や首筋には、鎌首をもたげた蛇の刺青――裏組織『セルペンス』の証が刻まれていた。
「この前の商人、傑作だったよな」
ひとりの男が、思い出し笑いをこぼした。
「『荷は全部やるから、娘だけは助けてくれ』って、必死に泣き喚いててよお」
「ああ。荷も大事な娘も盗られるって分かった時の、あの商人の顔は最高だったな」
「そういや、あの娘はどうなったんだ?」
「なんでも、奴隷として売られるって話だ」
「さすがジムグリ様だ。やることがえげつねえ」
「ちげえねえ」
男たちの間に、下卑た笑いが広がった。
他人の絶望を笑いものにする声が、静かな森の中でひどく場違いに響いている。
だが、その輪の中で、ひとりだけ笑っていない男がいた。
ルクサ・ラッセ。
今回の襲撃を任された指揮役である。
彼は倒木に腰を下ろし、片膝に腕を乗せたまま、部下たちを冷めた目で見ていた。
粗野な服装に、伸びた無精髭。
見た目だけなら、他の男たちと大差ない。
だが、鍛え上げられた肉体と鋭い眼光だけは違っていた。
肩の力は抜けているのに、隙がない。
腰に提げた剣へ、いつでも手が届く姿勢を崩していない。
殺しの場に慣れた者だけが持つ、静けさがあった。
「お前たち」
低く濁った声が、ざわついていた空気を切り裂いた。
「無駄口はそこまでだ。そろそろ狩りの準備をしておけ」
その一言で、何人かの男が慌てて姿勢を正した。
笑い声はぴたりと止まり、空き地に一瞬だけ冷えた静けさが落ちた。
「分かってますよ、ルクサの旦那」
軽薄そうな男が、へらへらと笑いながら返事をした。
だが、その笑みはすぐに引きつった。
ルクサが、ただ一度だけ視線を向けたからだ。
睨むというほど大げさなものではない。
ただ、細い目で軽く見ただけ。
それだけで、男の背筋に冷たいものが走った。
「……っ」
男は慌てて口をつぐむ。
額に、じわりと冷や汗が滲んだ。
隣にいた仲間が、顔を寄せて声を潜める。
「おい、あんまり旦那の前で調子に乗るなよ」
「な、何者なんだよ、あの人は」
「知らねえのか。元傭兵って噂だ」
「傭兵?」
「ああ。戦場で人を殺しすぎて、”返り血のルクサ”って呼ばれてたらしい。この前も、商人の護衛どもを一瞬で斬り殺しちまってたぜ」
「……おいおい。マジかよ」
「だから、絶対に機嫌を損ねるなよ」
「……ああ。気をつけるよ」
男たちはそう囁き合いながら、ちらちらとルクサの方を盗み見た。
ルクサは何も言わなかった。
ただ、顎に手をやったまま、森の奥へ視線を向けている。その横顔に表情らしいものはない。けれど、細められた目の奥には、冷めきった苛立ちが沈んでいた。
部下たちの下卑た笑い声が、まだ空き地の空気にこびりついているようだった。
気に入らなかった。
これから襲撃だというのに、浮かれきった空気。
獲物を見下し、奪う前から勝った気でいる。
ルクサは、そういう盗賊じみた軽さが嫌いだった。
傭兵の仕事は、もっと単純でいい。
命令に従い、必要があれば殺す。
それだけだ。
余計な笑い声も、嬲るような悪趣味も、仕事には不要だった。
「……緩んでいるな」
誰に聞かせるでもなく、ルクサは低く呟いた。
その声には、怒りというよりも、冷めきった苛立ちが滲んでいた。
その時だった。
がさり、と茂みが揺れた。
ルクサの目が、一瞬で鋭くなる。
遅れて、男たちも声を潜め、森の奥へ視線を向けた。
薄暗い木々の間から、ひとつの人影が現れる。
フードを被った少女だった。
荒れた空き地に、粗野な男たち。血と暴力の気配が染みついたその場所で、彼女だけが別の世界から迷い込んできたように見えた。
フードの奥からこぼれるのは、透き通るような白銀の髪。黒い外套の隙間からは、漆黒の布地に繊細なフリルをあしらった、完璧に整えられたメイド服が覗いている。
その立ち姿は、高位貴族に仕える従者のように美しく、隙がなかった。
だが、ここは王城でも屋敷でもない。
人の目が届かない、森の奥だ。
そんな場所に、少女はたったひとりで現れた。
迷い込んだ者の怯えも、助けを求める様子もない。
薄暗い森の中で、白銀の髪だけが淡い光を帯びたように浮かび上がっていた。
「……メイド?」
「なんでこんなところに?」
「近くに貴族の屋敷なんかあったか?」
男たちが顔を見合わせ、口々に疑問を漏らす。
だが、メイド――アッシェは、彼らの戸惑いなど意に介さなかった。
一歩。
また一歩。
足音はほとんどない。
それなのに、彼女が近づくたびに、周囲の空気だけが少しずつ冷えていくようだった。
騒いでいた男たちの声が、自然と小さくなる。
下卑た笑いも、ひそひそとした囁きも、いつの間にか途切れていた。
その中で、ルクサだけはアッシェから目を離さなかった。
妙だ。
目の前の少女は、逃げるどころか、自分たちへ向かって静かに歩いてくる。
その足取りには、一切の迷いがなかった。
まるで、この場にいる男たちの数と力量を、静かに見定めているようだった。
ルクサの指が、無意識に腰の剣へとかかる。
「ご機嫌よう」
アッシェが静かに口を開いた。
その声は、森の静けさに溶けるように澄んでいた。
しかし、その底には凍るような冷たさがある。
「ずいぶんと楽しそうね」
男たちの間に、わずかなざわめきが走った。
「……おい、聞いたか?」「俺たちに向かって言ってんのか、あの女」「迷子にしちゃ、ずいぶん肝が据わってるじゃねえか」「それとも、助けてほしくてわざわざ来たのか?」
困惑は、すぐに下卑た興味へと変わった。
相手は、たったひとり。武器を持っているようにも見えない、華奢なメイド。
男たちの顔に、じわじわと嫌な笑みが広がっていく。
「迷子なら、道案内してやろうか?」「帰してやるかどうかは別だけどな」「せっかく向こうから来たんだ。丁重にもてなしてやれよ」
下卑た笑みを浮かべる男たちを前にしても、アッシェの表情は変わらなかった。
彼女はただ、男たちの姿を順に見渡していく。
はだけた胸元。
腕。
首筋。
そこかしこに刻まれた、鎌首をもたげる蛇の刺青。
セルペンスの印だ。
「さすがに、嘘ではなかったわね」
アッシェは、確認を終えたように小さく息をついた。
「おい、女」
低く鋭い声が飛ぶ。
ルクサだった。
周囲の男たちが下卑た笑みを浮かべる中、彼だけは表情を変えていない。
腰の剣に手をかけたまま、細めた目でアッシェを見据えている。
「こんなところで、何をしている?」
その声には、部下たちのような侮りはなかった。
あるのは、明確な警戒だけだった。
だが、その殺気を浴びても、アッシェの表情はぴくりとも動かない。
「そうね……」
ほんの少しだけ首を傾げる。
恐怖も焦りもない。
むしろ、自分に向けられた敵意すら取るに足りないとでも言うような、不気味な余裕があった。
「メイドらしく、掃除しに来たのよ」
「掃除だと?」
ルクサの眉がわずかに動く。
アッシェは氷のように冷たい笑みを浮かべた。
「ええ。あなたたちみたいな小悪党を、片づけに来たの」
その言葉と同時に、アッシェの周囲から白銀の魔力が淡く立ちのぼった。
霞む霧のように広がったそれが、足元の草を震わせる。
湿った森の空気が、ひやりと冷えた。
その瞬間、ルクサの目が細くなる。
先ほどまでとは違う。目の前の少女から、明確な魔力の気配が立ち上っていた。
「この女、魔法士か……」
ルクサは低く舌打ちした。
ただの迷い込んだメイドではない。
そう判断した瞬間、彼の中でアッシェの扱いが変わった。
「お前ら、そいつを取り押さえろ!」
ルクサは即座に命じた。
「分かりやしたよ、旦那」「お前らは左から回れ。俺たちは正面から行く」「おいおい、傷物にするなよ。あとで楽しめなくなるだろ」
男たちは下卑た笑みを浮かべながら、じりじりと動き出した。
だが、その動きに緊張感はない。
警戒するルクサとは違い、男たちは目の前の少女を本当の脅威とは見ていなかった。
二人が正面から距離を詰める。別の四人が左右へ散り、アッシェの退路を塞ぐように回り込んでいく。
正面から押さえ込み、逃げ道を失わせるつもりなのだろう。
それでも、アッシェは動かない。
ただ静かに、右手を前へ差し出した。
「すでに手遅れよ」
冷たい声が落ちる。
「消えなさい」
次の瞬間。
パァン――!
乾いた破裂音が、森を裂いた。
同時に、遠くの木々の間で一筋の閃光が瞬く。
「え……?」
正面から迫っていた男が、間の抜けた声を漏らした。
その眉間には、小さな穴が開いていた。
何が起きたのか理解する間もなく、男の膝から力が抜ける。
身体は前のめりに傾き、そのまま湿った土の上へ崩れ落ちた。
一瞬、空き地から音が消えた。
倒れた男を見下ろしたまま、誰もが息を呑む。
ただ、湿った土の上に赤いものだけが、じわりと広がっていった。
「な……」
誰かが声を漏らした、その直後。
再び、乾いた音が森を裂いた。
今度は、左右へ回り込もうとしていた男の頭が弾けた。
身体が糸を切られた人形のように揺れ、そのまま横倒しに地面へ沈む。
そこでようやく、男たちの間に恐怖が走った。
「な、何だ今の音は!?」
「一体、何が起きたってんだ?」
「おい、頭をやられてるぞ!」
「あの女、何をしやがった!」
混乱が一気に広がった。
先ほどまで下卑た笑いに満ちていた空き地は、瞬く間に悲鳴と怒号に呑まれていく。
湿った森の空気に、濃い血の匂いが混じった。
違う。
ルクサだけは、すぐに気づいた。
これは、目の前の女の攻撃ではない。
彼女はたしかに魔力を纏っている。
だが、攻撃の瞬間にその魔力が動いた気配はなかった。
つまり、別にいる。
ルクサは歯を食いしばり、破裂音が響いた方角へ視線を走らせた。
狙撃だ。
どこかに、こちらを撃っている者がいる。
しかし、見えるのは幾重にも重なる木々の影ばかり。敵の姿はどこにもない。
その間にも、また一人、部下の頭部が撃ち抜かれた。
短い悲鳴すら上がらない。男は声もなく、湿った土の上へ崩れ落ちた。
音がした時には、もう遅い。姿の見えない狙撃手は、森の奥から一方的に獲物を仕留めていた。
「くそっ……何が起きている……ッ!」
ルクサの低い呟きは、森のざわめきの中へ溶けて消えた。
その間にも、見えない銃口は次の獲物を静かに捉えていた。




