18話 森に潜む者たち
リオネルの街から北西に十数キロ。
街から離れたその地には、鬱蒼と生い茂る大森林が広がっていた。
空を覆うほど高く伸びた木々は、昼の陽光さえ容易く遮っている。幾重にも重なった枝葉の隙間から、細い光がまばらに落ちるだけ。森の中は昼間とは思えないほど薄暗く、湿った土と朽ち葉の匂いが重く漂っていた。
その森の奥を、三つの黒い影が静かに進んでいた。
先頭を歩くのは、白銀の髪を黒いフードの奥に隠したアッシェ。
その後ろに、金髪を縦ロールに整えた優雅なシトラス。そして、燃えるような赤いショートヘアを揺らすガレットが続く。
三人はいずれも、メイド服の上から黒いフード付きのローブを羽織っている。森の薄闇に紛れ、余計な目を引かないための装いだ。
長い裾は歩きやすいように腰元で軽く留められ、足元の動きを妨げない。それでも、風に揺れる黒衣の隙間からは、白いエプロンや整えられたスカートの端がわずかに覗いていた。
その姿だけ見れば、森を抜ける旅人にも見えるだろう。
だが、フードの奥から覗く視線は鋭い。足運びに迷いはなく、呼吸は静かで、周囲へ向ける意識にも隙がない。
彼女たちは、ただ森を進んでいるわけではなかった。
森の中には、一本の街道が通っている。
荷馬車がリオネルへ出入りするための幹線であり、商人たちにとっては避けて通れない道だ。
その道を通る商人たちを、野盗に扮したセルペンスの者たちが、どこかで待ち受けているはずだった。
彼女たちは、それを探していた。
「ったく……賊の野郎ども、どこに隠れてやがるんだよ」
ガレットは苛立たしげに舌打ちし、フードの奥から周囲の木立を睨みつけた。
黒いローブの下で、燃えるような赤髪がかすかに揺れる。
いつもなら獲物を見つけた瞬間に笑い出しそうな彼女だが、今はまだ標的の姿さえ見えない。
そのせいか、吊り上がった口元には楽しげな笑みよりも、苛立ちの色が濃かった。
「これだけ視界が悪くて広すぎると、アタシの魔法も使えねえしよぉ」
低くぼやく声には、隠しきれない不満が滲んでいた。
「たしかに。思ったより広い森ね」
先頭を歩いていたアッシェが、静かに周囲を見回しながら呟く。
目の前に広がるのは、どこまでも同じような木々の連なりだった。
右を見ても、左を見ても、緑と黒が幾重にも重なっている。
わずかな風に葉が揺れ、そのたびに影が形を変える。
まるで森そのものが、こちらの目を惑わせているようだった。
「このまま闇雲に探しても、見つからなさそうね」
「はい。これだけ木々が密集していれば、どこにでも身を潜められます。奇襲を行うには絶好の場所ですね」
シトラスが静かに頷いた。
黒いローブをまとっていても、その立ち居振る舞いには貴族令嬢のような優雅さが滲んでいる。
その横で、ガレットがふと思いついたように顔を上げた。
「なあ、姉御。アタシが空から探してみようか?」
名案だと言わんばかりに、彼女はアッシェのもとへ身を乗り出す。
だが、アッシェは即座に首を横に振った。
「駄目よ。敵がどこに、何人いるかも分からないのよ」
「でもよぉ」
「先にこちらが見つかって、逃げられでもしたら手間が増えるわ」
「逃げられそうになったら、足をぶっ放して止めるからよぉ」
「却下」
アッシェは短く言い切り、シトラスへ視線を向けた。
「シト。悪いけど、探ってくれる?」
「姉御ぉ〜」
不満げな声を上げるガレットを、アッシェはあえて無視した。
この広大な森で敵を探すには、シトラスの魔法が最も効果的だと判断したのだ。
「もちろんです、アッシェ」
シトラスがふわりと優雅に微笑む。
それから、しょんぼりと肩を落とすガレットへ、やわらかな視線を向けた。
「ガレットさんも、ここは私に任せてください」
次の瞬間、シトラスの身体から淡い黄色の光が立ち上り始めた。
光は足元から霧のように立ち上がり、薄闇に沈んだ森の中でやわらかく揺らめく。
木々の隙間を漂うそれは、まるで森そのものが呼吸を始めたかのようにも見えた。
シトラスは静かに目を閉じ、澄んだ声で魔法名を紡ぐ。
「――『森の使役者』」
その詠唱に応じるように、彼女の足元から立ち上っていた淡い光が、風もないのにゆらりと揺れた。散らばっていた光の粒は、まるで呼び寄せられるように一か所へ集まり、幾重にも重なっていく。
やがて、淡い輪郭が結ばれた。
現れたのは、小さな精霊だった。
人のかたちをなぞった、半透明の光。
手足も顔立ちも曖昧で、輪郭は今にも森の空気に溶けてしまいそうだった。
それでも、こちらを見つめる気配だけは、妙にはっきりとしている。
森の匂いが、わずかに濃くなった。
葉の擦れる音が、先ほどよりも近く聞こえる。
ガレットは、怪訝そうに光の精を見つめた。
「こいつが、森の主なのか?」
「そうですね……森の妖精といったところでしょうか」
シトラスは穏やかに答えた。だが、次に精霊へ向き直ったとき、その声音から柔らかさが消える。
「森の精よ」
静かな声だった。けれど、そこには拒絶を許さない冷たさがあった。
「この森に潜む悪しき者たちの居場所を、わたくしに示しなさい」
精霊は、ゆらりと身を揺らす。
やがてゆっくりと頭を垂れ、音もなくシトラスのもとへ滑るように近づく。
葉擦れに似た囁きが、彼女の耳元へ落ちた。
シトラスは目を細め、静かにその声へ耳を傾ける。
彼女は『使役』の魔法士。その固有魔法は、対象を意のままに従わせる力を持つ。
そして、その対象は人間に限られない。虫や獣、時には森に宿る小さな精霊でさえ、彼女の命令に従わせることができる。
やがて、シトラスは静かに頷いた。
「……なるほど。居場所は分かりました」
その言葉とともに、精霊の身体は再び光の粒へとほどけ、森の空気へ溶けるように消えていった。
シトラスは、すっと一方向を指差す。
「ここから少し進んだ先に、木々が途切れている場所があるそうです。そこに、十数名の男たちが固まっています」
「そこを拠点にしているのね」
アッシェが静かに問う。
「はい。間違いなさそうです」
「助かったわ、シト」
アッシェは短く礼を言い、シトラスが示した方角へ視線を向けた。
森の奥は、相変わらず静まり返っている。
鳥の声もない。獣が枝を踏む音さえ聞こえない。
ただ、木々の向こうに横たわる沈黙だけが、先ほどよりもわずかに重く感じられた。
「やっと狩りの始まりか」
ガレットが口元を吊り上げる。
その笑みからは、先ほどまでの苛立ちは消えていた。
代わりに浮かんでいるのは、血の匂いを嗅ぎつけた獣のような獰猛さだった。
「ええ」
アッシェは頷き、フードを少し深く被り直す。
薄闇の中で、端からこぼれた白銀の髪がかすかに揺れた。
「それじゃあ――」
低く澄んだ声が、森の静寂に落ちる。
「作戦を開始しましょう」




