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15話 新たなる指令

「ーーというのが、今回バルド商会について得られた情報よ」


静まり返った王城の一室で、アンナ・エルドレッドは淡々と報告を締めくくった。


机の上では燭台の火がゆらゆらと揺れ、淡い灯りが書類の端や、重たいカーテンの襞を静かに照らしている。

部屋の主であるディクト・ベネグ・エットルムは、ひととおり話を聞き終えると、満足そうに頷いた。


「ご苦労だったね、アンナ」


どこか機嫌のよさそうな声だった。


「でも、まだ分からないことが多いわ」

「そうだね。それについては、また調べていけばいいさ」

「とりあえず、報告は以上よ」


そこでアンナは一拍置き、じろりと視線を落とした。


「だから、そろそろ離れてくれない?」


その視線の先には、アンナの膝を枕にして、優雅に寝そべっているディクトがいた。

見下ろすアンナの視線と交差するように、ディクトは下から彼女を見上げ、愉快そうに微笑む。


「気にしないでよ」

「気にしかしないわよ」


アンナの声には、はっきりと苛立ちが滲んでいた。

それでも、ディクトに起き上がる気配はまるでない。


「まったく……」


アンナは呆れたように息をつき、こめかみを軽く押さえた。


「こんなことなら、商会の後ろにいる組織について、もう少し探ってくればよかったわ」

「組織?」

「言ったでしょう? 『セルペンス』という組織よ」


その名を口にした瞬間、ディクトは「ああ」と気のない声を漏らした。


「それなら、もういいよ」

「……いいって、何が?」


あまりにもあっさりとした反応に、アンナは眉をひそめる。


ディクトは寝転がったまま、どこからか一枚の紙を取り出した。そして、ひらりとアンナの前に広げる。


「これを見て」


アンナは訝しみながらも、その紙へ視線を落とす。


一見すると、それは何かの予定表のようだった。

日付ごとに、見慣れない商会の名、取引の時刻、荷の内容、さらに通過する経路まで細かく記されている。


アンナは紙面に目を走らせ、わずかに眉をひそめた。


「これは……商人たちの取引をまとめたもの?」

「バルド商会が持っていたリストだよ」


ディクトは、まるで天気の話でもするように答えた。


「商会は商人たちの動きを把握している、ってこと?」

「ああ。邪魔な商人が、いつ、どこを通り、どんな荷を運ぶのか。彼らはそこまで掴んでいる」


ディクトは淡々と続ける。


「あとはセルペンスを動かして襲わせるだけだ。表向きは、野盗の仕業に見せかけてね」


アンナは息を呑んだ。


紙に記された情報は、あまりにも詳細だった。

まるで、リオネルを行き交う商人たちの動きが、最初からすべて見通されているかのようだった。


「商会は、どうやってこれを?」

「さあね。内通者でもいるんじゃない?」


ディクトの口ぶりは、あまりにも軽かった。


アンナは紙から顔を上げる。

そこでようやく気づいた。


この男は、最初からかなりのところまで情報を掴んでいたのだ。

自分をリオネルへ向かわせる前から、セルペンスの存在も、バルド商会との関係も、彼らが何をしているのかも、ほとんど知っていた。


じわりと、恨みがましい視線を落とす。


「……あなた、最初から知っていたわね」


ディクトは目を閉じたまま、素知らぬ顔をしていた。


「ねえ、アンナ。なんで僕が君に膝枕を頼んだか分かるかい?」

「なんでって……いつも悪趣味でしょう?」

「それもあるけど、今回は少し違うよ」


ディクトは、相手の反応を楽しむように薄く笑った。


「君が一日かけて集めてきた情報より、僕の持っている情報の方が上だと分かったときに、君がどんな顔をするのか――」


そこで一度、言葉を切る。


「できるだけ間近で見たかったんだ」


アンナは一度だけ、ぱちりと瞬いた。

それから、にこやかに微笑む。


「ディクト王子」

「なんだい?」


アンナは微笑んだまま、静かに拳を握った。


「このまま一思いに、拳を振り落としてもよろしいですか?」

「主人に暴力を振るうつもり?」

「私は本気よ」

「野蛮なメイドだね」


言い終わるや否や、ディクトはさっと身を起こした。

アンナの膝から軽やかに退くと、そのまま何食わぬ顔で執務机の椅子へ座り直す。


「どうしたんですか、殿下? 逃げるなんて、らしくありませんね」

「殺意を向けられて逃げない方がおかしいよ。あ、今なら拳を振り下ろしてもいいよ」

「……あなたね!」

「そんな怒らないでよ。少し落ち着きなよ」

「あなたが挑発するからでしょう!」


鋭く言い返したあと、アンナは小さく息を吐いた。


乱れたエプロンの皺を指先で整え、ついでに表情も整え直す。怒りをそのままぶつけたところで、この男はますます喜ぶだけだ。それくらい、嫌というほど分かっている。


「……もういいわ」


これ以上付き合っても無駄だと判断し、アンナはそれ以上言及しなかった。


ディクトは相変わらず楽しそうに笑っている。だが次に口を開いたとき、その声は少しだけ仕事の色を帯びていた。


「それじゃあ、今後のことだけど」


ディクトは机の上の書類へ指先を滑らせる。


「明日、もう一度リオネルの街に行ってきて」

「……もう一度、リオネルに?」


アンナはすぐに聞き返した。

その声音には、まだ不機嫌さが残っている。


「情報はもう、あなたが持っているんでしょう?」

「ああ。だから、次は目的が違う」


ディクトは一枚のリストを軽く叩いた。


「これによると、明日、大きな取引がある。彼らはそれを狙って必ず動く」

「……それを、私に阻止しろと?」

「そうだよ」


ディクトはあっさりと頷いた。


「ついでに、セルペンスも潰してきて」

「ついで、って簡単に言うわね」


アンナは呆れたように目を細めた。


「組織は、私の復讐にも関係あるの?」

「直接は関係ないかもね」


その瞬間だけ、ディクトの声音から軽薄さが消えた。


「でも、君が始末する相手としては十分すぎるほどだろ?」


その言葉に、アンナは黙った。


脳裏に、リオネルの街の光景がよみがえる。


活気を失った通り。

閑散とした露店。

借金取りに脅され、店を奪われかけていた店主。スラム街へ追いやられた元商人たち。


そして、あの兄妹の姿。

病の妹を救うため、盗みに手を伸ばした少年。

薄い布団に横たわる少女と、雨に濡れる儚い家の光景が、まだ胸の奥に沈んでいる。


自分たちの利益のために、人の暮らしも、誇りも、命さえも踏みにじる連中。


たしかに、生かしておく理由はなかった。


「……分かったわ」


アンナは静かに息を吐いた。


「けれど、私の城内での仕事はどうするの? メイド長が二日も不在になるのよ」

「問題ないよ。君の代わりはマロンに頼むから」

「マロンに?」


アンナの眉がわずかに動く。


「あの子が優秀なのは、君もよく知っているだろ?」


ディクトは悪びれもせずに続けた。


「なんなら、君より上手く職務をこなしてくれるかもね」


アンナの眉が、ぴくりと跳ねた。


「……やっぱり、一発殴らせなさい」

「君って、ほんと物騒だよね」


ディクトはさらりと受け流し、机の上から一枚の書類を取り出した。


「明日、君はもう一度リオネルへ向かう。セルペンスの襲撃を阻止したうえで、そのまま本体も叩く」

「バルド商会は?」

「放っておいていいよ。後ろ盾を失えば、崩壊するのも時間の問題さ」

「なるほどね」


アンナは納得したように目を細めた。


バルド商会の影響力は、セルペンスあってのものだ。

その支えを失えば、商会の権威など砂上の楼閣にすぎない。


「君なら一人でも余裕だろうけど、念のためにイビルナイツから二人連れていきなよ」

「二人って?」

「ガレットとシトラスあたりがいいんじゃない?」


その名を聞き、アンナの脳裏に同僚たちの顔が浮かぶ。

ガレットは血の気こそ多いが、戦場での判断と腕前は確かだ。

シトラスは学園時代からの同僚で、頭も切れる。

今回のような任務には、うってつけだった。


「……たしかに、あの二人なら適任ね」


アンナはディクトから差し出された書類を受け取った。

だが、そのまま立ち去ろうとはせず、じっと彼の顔を見つめる。


「まだ何かあった?」


ディクトが首を傾げる。

アンナは少し間を置いてから、低く釘を刺すように言った。


「マロンに、妙なことはしないでよ」


ディクトは一瞬だけ目を丸くした。

それから、わざとらしく肩をすくめる。


「何もしないよ。信用ないなあ」

「逆に、あると思うの?」


アンナは小馬鹿にするように返した。

ディクトは気にした様子もなく、机の上の書類を指先で整える。


「安心してよ。何もしないからさ」

「あの子を泣かせたら許さないわよ」


その声には、冗談では済ませない響きがあった。


ディクトは、ほんのわずかに口角を上げる。何かを見透かしたような、薄い笑みだった。


「大丈夫だって」


そう答えたあと、ディクトは小さく呟いた。


「彼女が興味を持っているのは、君だけだよ」

「……何か言った?」

「いや、何でも」


ディクトはいつもの飄々とした顔に戻っていた。


アンナは怪訝そうに眉をひそめたが、それ以上問いただしても無駄だと判断したのだろう。

小さく息を吐き、受け取った書類を胸元へ収める。


「……もういいわ」


それだけ告げると、アンナは踵を返した。


重い扉を押し開け、部屋を出る。背後で扉が閉まる音が響いた途端、張りつめていた空気がふっと遠のいた。

アンナは廊下で小さく息を吐く。


(これでまた、マロンに貸しひとつね)


そう心の中で呟き、アンナは静かな廊下を歩き出した。

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