第6話「二人の朝」
翌朝、エルナが倉庫の前に立っていた。
扉を開けた瞬間に目が合った。腕を組んで、壁に背を預けて、いつもの顔をしていた。
「なぜここがわかった」
「お前を見失ったことがない」
後ろでリーネが身構える気配がした。エルナを見て警戒している。当然だった。見知らぬ大人が倉庫の前で待っていたら誰でもそうなる。
「知り合いか」リーネが聞いた。
「傭兵だ。俺の事情を知っている」
「どこまで?」
「ほとんど全部」
リーネはしばらくエルナを見ていた。エルナもリーネを見ていた。値踏みするような視線じゃなかった。ただ確認している目だった。
「ヴァルト家の子どもか」エルナが言った。
「……なんで知ってる」
「ヴァルト家が昨日から人を出して探している。街で噂になってる。お前の特徴と一致する」
リーネの顔が硬くなった。
「もう見つかってるの」
「まだだ。でも今日中には絞り込まれる。ここは一昨日から変えた方がいい」
エルナは倉庫の中に入ってきた。手に包みを持っていた。置いていくと、中からパンと干し肉が出てきた。
「とりあえず食え。話はその後だ」
三人で木箱に座って、黙って食べた。エルナのパンは俺たちが昨日食べたものより柔らかかった。久しぶりにまともな食事だと思った。
「次の寝床の当てはあるか」エルナが俺に聞いた。
「ない。今日探すつもりだった」
「俺が一つ知っている。街の北側に、孤児を預かっている老婆がいる。紋章の有無は関係ない。一人頭、銀貨一枚で一ヶ月泊めてくれる」
「信用できる場所か」
「十年前から知っている。問題ない」
リーネが口を開いた。
「私、お金は持ってる。でもヴァルト家に繋がりがある人間だったら困る」
「老婆はヴァルト家とは関係ない。そもそも、あの婆さんは貴族が嫌いだ。逃げてきた子どもを売り渡すような真似はしない」
リーネはしばらく考えた。それから俺を見た。
「あんたはどう思う」
「エルナの情報は今まで外れたことがない。行く価値はある」
リーネは頷いた。「わかった、信じる」
エルナは少し意外そうな顔をした。
「簡単に信じるんだな」
「ヴェイルが言うなら信じる。あんたのことは知らないけど、ヴェイルが信頼してるなら十分だ」
エルナは俺を見た。俺は視線を逸らした。
「……妙な信頼関係だ」エルナが呟いた。
「知り合ったのは昨日だ」
「それで十分だと思ってる」リーネがあっさり言った。「昨日、あんたは私の紋章を面白いって言った。欠陥品だって言わなかった。それだけで十分だ」
エルナはまた俺を見た。今度は何か言いたそうな目をしていた。でも何も言わなかった。ただ、小さく息を吐いた。
「わかった。今日中に移動しろ。俺が案内する」
三人で倉庫を出た。
街の北側は、俺がよく歩いていた区画とは少し雰囲気が違った。石畳が古くて、建物が低くて、路地が細かった。でも人の顔が柔らかかった。この辺りに住んでいる人間は、紋章の有無を一々確認するような目をしていなかった。
エルナが立ち止まったのは、石造りの小さな家の前だった。扉は古くて、看板は出ていなかった。
「ここだ」
エルナが扉を叩いた。
しばらくして、扉が開いた。
出てきたのは小柄な老婆だった。白髪で、顔に深い皺があった。目だけが、不思議なほど鋭かった。エルナを見て、それから俺とリーネを見た。
「また連れてきたのか、エルナ」
「二人だ。一ヶ月の間、頼む」
「見せてみろ」老婆は俺の腕を見た。「無紋か。珍しい」それからリーネの腕を見た。「複合持ちか。これまた珍しいのを連れてきた」
「事情があって家を出た。悪い子どもじゃない」
「エルナが連れてくる子は皆そうだ」老婆はため息をついた。「入れ。飯は朝晩出す。余計なことをしなければ追い出さない。それだけだ」
二人分、銀貨二枚を払った。リーネが払おうとしたが、俺が先に出した。
「あとで返す」リーネが言った。
「気にしなくていい」
「返す」
強い言い方だった。折れる気がなかった。
「わかった」
老婆の家は小さかったが、清潔だった。子どもが六人いた。全員が事情を抱えているような顔をしていたが、俺たちを見て特別な反応はしなかった。無紋も、貴族の落ちこぼれも、ここでは大した話じゃないらしかった。
割り当てられた部屋は、二段ベッドが二つ入った狭い部屋だった。他の子どもと相部屋だったが、悪くなかった。物置部屋の雨漏りよりずっとましだった。
荷物を置いてから、リーネが俺に言った。
「学校、今日も行くの」
「行く」
「私も行く。でも——昨日言ってたこと、本当にできると思う? フードを被って、誰にもわからないように」
「ヴァルト家の人間がお前の通学路を知っていなければ問題ない。この家から学校までのルートを先に確認して、安全な道を選べばいい」
「一緒に行ってくれる?」
「今日だけだ。ルートを覚えたら、あとは自分でやれ」
リーネは少し笑った。
「わかった。今日だけ頼む」
エルナは玄関先で待っていた。出てきた俺たちを見て、腕を組んだまま言った。
「二人とも落ち着いたか」
「ああ」
「じゃあ俺は行く。また来る」
「いつ」
「必要な時だ」
エルナはそう言って、路地に消えた。
リーネが隣でエルナの背中を見送っていた。
「あの人、変わってるな」
「俺もそう思う」
「でも悪い人じゃなさそう」
「そうだ」
二人で、学校に向かった。
フードを目深に被ったリーネは、貴族の子どもには見えなかった。普通の、少し背の高い女の子に見えた。
学校の門をくぐるとき、リーネが小声で言った。
「緊張する」
「そうか」
「そうかって……もう少し共感してくれてもいいんじゃない」
「俺も最初は緊張した」
リーネは少し黙った。
「……あんたも緊張するんだ」
「する。ただ顔に出ないだけだ」
リーネは小さく笑って、それから前を向いた。
教室に入るとき、ロッドがこちらを見た。リーネを見て、俺を見た。何かを聞こうとしている顔だったが、俺が小さく首を振ると、頷いて視線を戻した。
そういう空気を読める男だった。
リーネは俺の隣の席に座った。担任に名前と事情を説明すると、担任はしばらく書類を確認して、席を割り当てた。リーネ=ヴァルトという名前に、担任は気づかなかった。
授業が始まった。
リーネは最初から熱心に聞いていた。家庭教師に教わっていたからか、基礎的な知識は俺より広かった。ノートを取る手が速かった。
隣でその様子を見ながら、俺は思った。
昨日まで一人だったのに、今日は隣に人間がいる。
悪くなかった。
体の奥の黒は、今日も静かに眠っていた。
でも——少し前よりも、呼吸が深くなった気がした。




