14:到着
『空気濃度、標準です』
「あー……ようやくですよ」
アナウンスを聞くなり僕は、メットのバイザーを開けて息を吸う。
続いて首元のスーツとの接続を解除。ヘルメットそのものを外して脇に避けると、スーツのフロント部分を全開にする。
ああ、体をじっとりとさせている汗が、大開きにしたスーツから入ってくる空気で乾いてく……。
真空で汗水流した後に触れる流れる空気は格別だね。
「フフ、確かに気持ちいいよね」
「あ、声に出してました?」
後ろから聞こえてきた微笑ましげな声に、僕はシートから身を乗り出して後ろを覗く。
すると後部仮設シートに座ったラティさんが、ヘルメットを脱いで汗を払うように首を振る姿が目に入る。
短めに揃えた金髪が揺れ動いて、その度に絡んでいた匂いがコックピットに広がる。
制汗剤のだろうサラリとした柑橘系の香りに遅れて、ふわりと汗のにおいもほのかにくる。
それは確かに汗のにおいなのだけれど、不思議と臭いと不快には感じない。むしろもう少し嗅ぎたいと思えるくらいだ。
これって、いわゆるフェロモンというヤツだろうか?
「どうかしたの、イチカくん?」
「あ、や……その、すみません」
ラティさんの体臭を感じていたこと。
それがなんとなく気恥ずかしいやら後ろめたいやらで、僕はつい謝ってしまっていた。
「フフ、何を謝ることがあるの?」
僕が無意識にとはいえ、体臭を嗅いでいたことに気づいてはいないのか、ラティさんは僕の詫びの言葉を覚えがないと微笑む。
「えっと、その、なんとなく、です」
でもまさか「ラティさんの匂いが漂ってきてたので味わってました!」なんて言えるわけが無くて。僕はあやふやな笑みと言葉でぼやかして、まっすぐにシートに座り直す。
『コックピット内部、ニオイ成分上昇、上昇』
「ちょ、ま! ルカ!?」
でもそこでルカがいきなりにとんでもないことを口走る。
「あはは、僕って汗の臭いキツいんですかね? 自分で自分の臭いってよっぽどでないと分かんなくて」
そんなことを言いながら、僕は大開きのスーツをパタパタとさせて空気交換を促す。
そしてチラリと後ろを見ると、顔を真っ赤にして開けかけたフロントジッパーを上げたラティさんと目が合う。
「ご、ゴメンね? 私けっこう汗っかきで、気をつけてはいるんだけど」
「あ、いえ、大丈夫です! 制汗剤の匂いがほとんどでしたし、いま嗅いだ分なら、ラティさんの匂いは僕は好きな方で………あ」
僕の言葉が進むに連れて、ラティさんの顔がさらに赤みを増していく。それを見て僕はようやく、自分が何を口走ったのかを自覚した。
「えっと……あっと、その、すみません。ホントに……」
「いや……私こそ、気を使わせちゃって、ゴメンね?」
「すみませんでした……」
なんてセクハラ発言してんだ僕は!
好みの体臭だ、とか我ながら酷い。酷すぎる!
こんなのフォローでもなんでもない! ただのフェチズム暴露じゃないか!
気まずい空気に満たされたコックピットの中で、僕は目の前で先導してくれてるピッコロ機の背中を見る。
そうして僕らは黙ったまま、隊長さんのと、それに続くピッコロさんのストームクラウドにくっついて、アルシエルがハンス隊の格納庫に到着する。
格納庫に並んでいるのは標準サイズLB対応のハンガーが六機分。今は部隊のメンバーが出払ってたから当然だけれど、その内の五つが空いていて、柱ばかりの広々とした空間だ。
「あ、あれがラティさんのストームクラウドですか?」
「え? あ、ええ、そうそう! 今あそこに停めてあるのが私のよ」
ただ一つ埋まったハンガー。そこで留守番に残されていた一機を僕が指差すと、ラティさんは慌て気味にだけれど頷いてくれる。
「外目には、隊長さんのみたいな分かりやすい個性は無いですね?」
整備士の人に誘導されて、アルシエルはラティ機の隣の空きハンガーに納まる。
近くで見るとよくわかるけれど、本体と内蔵装備のみの状態だからか、本当にスタンダードな虫顔LBにしか見えない。
「ええ。本体にはあんまり尖ったチューンはしてないの」
「装備の選択で対応するって感じですか?」
「そうそう。だから干渉しやすい増加装甲とかは着けてないのよ。設計思想から外れないで、フィッティングだけ」
なるほど。ラティさんの操縦をハンスさんが柔らかいって言っていたけど、柔軟に幅広く対応できるって意味でもあったのか。
そのままのストームクラウドとバッチリ噛み合ってる訳だから、余計なチューンは必要ないんだ。
そんな話をしている内に、アルシエルは脚をたたんでハンガーにボディを固定する。
そして短い振動を寄越してきて、作業の終わりを告げてくる。
「お疲れさまアルシエル。でもどうしたのさ、そんなに拗ねて?」
僕はレバーをさすりながら、宥めるようにアルシエルに尋ねる。
でもそれに対するアルシエルの答えは、シートベルトの解除とハッチの開放だった。
「自分なんかほっといて出ていったらいい……って、任せっきりにしてラティさんとばかり話してたのは悪かったよ」
僕はシートの手すり周りを撫で続けながら、お詫びの気持ちを込めて声をかける。
返事はない。
だけれど、その気になれば強引に叩き出したりできるのにやろうとはしない。
こういう態度は、僕にも覚えがある。
「いきなり襲われて戦ったりなんだり大変だったよね。アルシエルだって疲れてるのに、任せきりにしちゃってゴメンよ」
ここで突き放した態度を真に受けちゃダメだ。心の整理が着くまで近くにいた方がいい。
「おいおい、なにやってんの? 降りねえの?」
「ピッコロ少尉……それがですね」
「ちょっと、アルシエルを怒らせちゃいまして」
「怒らせた……って、なにやっちゃってんのよ、イチカよい」
ステップになった装甲にまで呼びに来てくれたピッコロさんだけれど、僕の失敗を聞いて呆れ顔になってしまった。
『ガラティア、メス臭イ。イチカ、クラクラ。アルシエル、拗ネタ』
「ちょ、ルカッ!?」
失礼ってモンじゃないでしょそれはッ!?
「メ、メス臭……」
「ハッハーン、なるほどなるほど。イチカはそう言う性癖で……」
ああ、もう!
ラティさんは恥ずかしいやら落ち込むやらで、真っ赤になってうつむいちゃったし!
ピッコロさんはキシキシ笑いながらこっち見てくるし!
ルカが歯に衣着せない説明するから!
「どうした、何があった? ……本当に何があった?」
「いや、隊長。イチカもあどけない顔してヒトのオスだったらしいですわ。で、ガラティアのヤツと相性がグッド!」
ピッコロさんヤメテ!
その卑猥な感じのハンドサインは止めてくださいよ!
手を出したワケじゃ無いんですから!
「……お前は何を言ってるんだ」
ああ、隊長さんのいかつい顔がどんどん呆れた風になってく!
最悪だ。
信じて連れ回してる助手には目覚めた性癖バラされるし、しかもそれをネタにしてからかって遊んできそうな人に。
もうホント、最悪だ。
「何を遊んでいるのだね」
僕がそんな風に現実にうちひしがれていると、隊長のものとは違う低い声が投げ掛けられる。
「ハッ、司令! お見苦しいところをお見せしました!」
「司令が!?」
その声を聞くや、隊長さんとラティさんは急いでアルシエルから降りる。そればかりか、ピッコロさんまでが足早に二人に続く。
「アル、モニターに出してよ」
偉い人みたいだから、僕も出ていかなくちゃいけないんだろう。
だけれど、この基地の偉い人ってことはアルシエルにまた家出されたら困るよね。
だからシートから離れるワケには行かないから、アルシエルに外の様子を教えてもらうことにする。
すると手元のタッチパネルコンソールを兼ねたサブモニターに、アルシエルのコックピット前の様子が俯瞰で映る。
「ありがとう、アルシエル」
拗ねていても、こうして応えてくれるところはやっぱり可愛いや。
『新鋭機を暴走させ、脱走を許しておきながら、お前たちは何をやっているのだ? 少々たるみすぎではないか?』
『申し訳ありません、テイラー司令』
ハンス隊の皆さんから敬礼を受けているのは、細身で背の高い軍人さんだ。
カーキ色の制服のカチッとした着こなし。それに鋭さのある顔だちから神経質そうな感じがある。
『それで、報告にあった民間人の協力者というのはドコにいるのだ?』
『まだアルシエルのコックピットにおります。なにやらアルシエルの機嫌を損ねたとか』
『貴様の報告は受けているが……ライムブラッドの機嫌とは、にわかには信じがたいな』
ハンス隊長の言葉に、司令官さんは半信半疑な風にこっちを見る。
それに対して、アルシエルがハンガーの支柱を揺らすほどの振動波を出す。
「ちょっと、ちょっとアル? やめて! 落ち着いて!」
耳が痛くなるようなそれを堪えながら、僕はどうにかレバーにしがみついてアルシエルを宥めにかかる。
アルシエルの視界を映したモニターには、ギョッと目を見開いた司令官さんと、頭を抱えたハンス隊の皆さんの姿がある。
「す、すみません! コックピットからで失礼します! ムーンフロンティア市民のイチカ・アルカラです。すみません、アルシエルを怒らせてしまってすみません!」
マイクを使ってお詫びの言葉を届ける。信じてもらえるかは分からないけれど、何も言わないわけにはいかない。
『テイラー司令。先に報告したとおり、新型にあるらしい自我は幼く、多感です。また人間社会に対する理解も不十分であります』
『協力者のイチカくんは暴走に巻き込まれたにも関わらず、私たちに快く協力してくれた少年なのです! これは彼の意思ではありません』
ハンスさんとラティさんが懸命に僕を庇ってくれている。
けれど、司令官さんはそれに返事もせずにアルシエルに向かって歩いて来ている。
対してアルシエルは威嚇するように震えて、しかもレバーがひとりでに暴れだそうとしている。
マズイよ! こんなとこで暴れだしちゃ!
「ダメ! いけないよアルシエル! 落ち着いて、LBの心をハイそうですかなんて受け入れられるヒトはそうそうは……」
「キミがイチカ・アルカラ君かね?」
暴れるレバーを必死に抑えているところにかけられた声。
低いその声に顔を上げると、コックピットのすぐ前に立つ司令官さんと目があった。
「は、はい! そうです!」
確認にイエスと答えられはしたけれど、レバーが暴れようとしてるから、これじゃ敬礼の真似事もできやしない。
「す、すみません! 手が離せないで、こんな状態で失礼しています!」
せめて背筋だけでも伸ばして、目上の人に向かうきちんとした姿勢を取れてないことにお詫びをする。
「いや、構わない。こちらこそ取り込み中に失礼したようだ」
けれど意外なことに、司令官さんから返ってきた言葉は、とても穏やかな物だった。
こんな失礼な状態なのに。
見る人によっては、ただ遊んでバカにしてるとしか見られないような状態。そんな僕からの言葉を、あっさりと認めてくれたんだ。
それは僕が民間人の協力者だからだろうか。
お客様扱いってことで、多少のところは割り引いて見てくれたって事なんだろう。
「基地前での戦いは見させてもらった。救援が間に合わず申し訳なかった。だが、そもそも必要はなかったようだ。見事な操縦だった」
「いえ、そんな。基本的にはアルシエル任せで、僕は発破がけしてただけですし」
実際自動操縦の車のルート設定をしただけみたいなものだし、それで操縦を誉められても、アルシエルを始めとした色んな所に悪い気がする。
でもせっかく誉めてくれたのに、それを受け取らないっていうのも、かえって失礼だったかもしれない。
けれど司令官さんはただ興味深げに僕を眺めるだけ。
特に気に障った様子は見えない。
僕が気にしすぎ、考えすぎてるんだろうか。
「ともあれ、君の協力には私からも感謝の言葉を贈らせてもらう」
「は、はい。こちらこそ。ハンス隊の皆さんには良くしていただきました」
「うむ。そう言ってもらえると私としても助かる」
司令官さんはそう言って、コックピットの出入口から一歩引く。
「さて、ここまでの新型機輸送に協力してもらった上で申し訳ないが、今一つ、アルカラ君には協力を頼みたい」
「司令、彼はもう充分に協力してくれました。これ以上頼るのは……」
「だが、これはアルカラ君にしかできないことだ」
ハンスさんが割って入って司令官さんに待ったをかける。けれどそれは司令官さんの冷静な一言で突っぱねられてしまう。
「内容を聞かせてもらってからでもいいですか?」
二つ返事で安請け合いは絶対ダメだからね。
封を切ってみたら、三日以内にドラム缶一杯のエレックライムの回収依頼だった、なんて時は叔父さんも頭抱えてたし。
あの時はルカにも無理をさせたなあ。足りないのを誤魔化すのに吐き出させたりとか。
とにかく、頼みの内容を確認せずに引き受けたりすると、大概ろくなことにならないってこと。
「ふむ。なかなかに小賢しいな。だがそうした慎重さは良いよ」
そういって司令官さんは口元を緩める。
面と向かって顔をしかめられなかっただけいいんだろうか。
「といっても、ここでお願いするのはそう難しい話ではない。新型をまともに動かした経験を、開発者たちに話してやってほしい、というだけだ」
「つまり、データ取りの一環、と?」
「そういうことだ。頼めるかな?」
「はい! もちろんです!」
何の協力要請があるものかとちょっと構えちゃったけれど、何とかなりそうな話で安心した。
「快い協力に感謝するよ。私はハンス中尉らから詳しい報告を聞かなくてはならないから、彼らとともにここを離れるが、聞き取り役もほどなくやってくることだろう。では、失礼するよ」
司令官さんはそう言うと、ハンスさんたちを連れて格納庫から出ていくのだった。




