第7話 魔王の力
「我は第53代魔王グレイヴ」
グレイヴの眼窩で、青白い炎が揺れる。
「かつて女神セレスティアを殺すため、人類すべてを敵に回した男だ」
父の表情が強張った。
俺は少しだけ興味を引かれる。
「女神を殺す?」
「ああ」
「なぜだ?」
「話せば長い」
「なら短く話せ」
「……」
グレイヴが黙った。
「何だ?」
「いや。千年ぶりに目覚めた魔王に対して、もう少し何かないのかと思ってな」
「ないな」
「そうか……」
少し残念そうだった。
父が小さくため息を吐く。
「気にするな。こいつは昔からこうだ」
失礼な話だ。
「それで?」
俺が促すと、グレイヴは気を取り直したように胸を張った。
「我も元は人間だった。そして、お前と同じネクロマンサーだった」
「ああ。それは聞いた」
「我は死者を操り、魂を研究した。やがて、人という存在そのものを調べるようになった」
「魂か」
「ああ。人はどこから生まれ、死ねばどこへ行くのか。ギフトとは何なのか。そして――女神とは何なのか」
少し面白くなってきた。
「俺も似たようなことは考えたことはある」
俺はギフトの探求の果てに剣尊にたどり着いた。あるいは魔王も同じなのか?
「続きは?」
「知りすぎた」
グレイヴの声が低くなる。
「我は、人の身で触れてはならぬ領域へ近づいた」
「女神の領域か?」
「ああ」
そこで一度、言葉を切る。
「そして、人間たちは我を裏切った」
「それで魔王になったのか?」
「そうだ」
随分と分かりやすい。
「何だ、その顔は」
「いや。簡単に魔王になるものだと思ってな」
「簡単ではない!」
眼窩の炎が大きく揺れた。
「昨日まで我を英雄と讃えていた者たちが、一斉に我を異端者と呼び始めたのだ。国は我を捕らえようとし、神殿は研究を禁じ、仲間までもが敵に回った」
「ん?そうか」
何かどこかで聞いたよう話だ。
「我は人間を守ってきた。それにもかかわらずだ」
千年経っても、怒りは消えていないらしい。
「だから滅ぼした」
「ずいぶん極端だな」
「貴様に言われたくない」
「俺は何も滅ぼしていないぞ」
「だが、裏切られたのであろう?」
「ああ」
「ならば、なぜ恨まぬ?」
またその話か。
「恨んで強くなれるなら恨む」
「……何?」
「お前は怒りや憎しみを力に変えられたのだろう。それなら意味はある」
俺は肩をすくめた。
「だが、俺はもうその段階を通り過ぎている」
「……」
「今さら弟子を憎んだところで、俺の剣は強くならない。なら、わざわざ恨む理由もない」
グレイヴがしばらく黙った。
「言っている意味が分からぬ」
「分かる必要があるのか?」
「……ないかもしれんな」
「ああ。ともかく、俺は弟子を恨んでいない。それだけだ」
「我とは違うということか」
「そういうことだな」
グレイヴは小さく顎を鳴らした。
「理解はできぬ。だが、貴様の言い分は分かった」
そして声を低くする。
「ただ、我は許さなかった」
我を裏切った者を殺した。
国を滅ぼした。
神殿を焼いた。
死者の軍勢を率い、人類を敵に回した。
「それで第53代魔王か」
「そうだ」
だが。
グレイヴはそこで声色を変えた。
「後になって、我は気づいた」
「何に?」
「本当に憎むべき相手は、人間ではなかった」
グレイヴが上を見る。
地下なので天井しかないが。
「女神セレスティアだ」
その時。
「……待て」
父が口を挟んだ。
「何だ?」
父は俺とグレイヴを交互に見る。
「この魔王の話……ソード、お前の最期と似すぎていないか?」
「何がだ?」
「グレイヴは人の身で女神の領域へ迫った。その直後、それまで味方だった人間から追われるようになった」
「そうだ」
父が今度は俺を見る。
「全盛期のアルド・ラグナスも、人の限界を越えようとしていたのだろう?」
「ああ」
「そして、その頃にあの戦争が起きた」
父の顔から、先ほどまでの呆れた様子が消えていた。
「最後には祖国から反逆者とされ、弟子たちに殺された」
「確かにな」
「それだけではない」
父は腕を組む。
「あの戦争は、いくら何でも不可解な点が多すぎる」
俺も黙って続きを待った。
「お前の戦い方が無茶だったのは事実だ」
「無茶なのは認める。だが、それまで勝ってきただろう」
「その通りだ。だからこそ不自然なのだ」
父の目が細くなる。
「補給が途絶えた。援軍は来なかった。王国はお前を反逆者とした。そして最後には、弟子たちの家族まで人質に取られた」
「……」
「一つや二つなら偶然とも言える。だが、あまりにも綺麗にお前の逃げ道だけが塞がれている」
それは俺自身、前世の最後から感じていたことだった。
戦略を間違えることはある。
俺は軍師ではない。
だが、こと戦いにおいて、あれほど続けて読みを外したことはない。
「古い剣術名家にも、同じ疑念を抱いている者はいる」
父が続ける。
「戦後、資料が消される前にあの戦争を調べた者たちだ」
「女神が関与していたと?」
「断言はできん」
父は首を振った。
「だが、疑っている者はいる」
そしてグレイヴを見る。
「魔王よ。どう思う?」
グレイヴは迷わなかった。
「可能性は高い」
「やはりか」
「我も似た道を辿った」
グレイヴの声から、先ほどまでとは違う重さを感じる。
「女神へ近づくほど、周囲が変わっていった。噂が流れ、神殿が動き、国が動いた。そして気づいた時には、我は人類の敵になっていた」
「女神が直接命令した証拠は?」
俺が聞く。
「ない」
そこは断言しないらしい。
「だが、偶然とは思っておらん。我を裏切ったのは人間だ。だが、人間が我を裏切るよう仕向けた何者かがいた」
グレイヴが拳を握る。
骨しかないが。
「我は、それが女神だと考えている」
「それで人間への復讐をやめたのか?」
「ああ」
「今度は女神への復讐に切り替えたと」
「そうだ」
なるほど。
「だが、我は届かなかった」
グレイヴが自分の骨の手を見る。
「女神を神の座から引きずり下ろす。そのためだけに、我はこの姿となってまで残った」
青白い炎が俺へ向く。
「アルド・ラグナス」
「ああ」
「お前の最期にも女神が関わっていた可能性はある」
「そうらしいな」
「ならば我と共に女神へ復讐せよ」
俺は少し考えた。
そして。
口元が緩む。
「分かった。そうしよう」
「なに?」
父が驚いた顔で俺を見る。
「どうした?」
「どうしたではない!」
俺とグレイヴを交互に見る。
「お前、つい先ほど復讐には興味がないと言っていたではないか!」
「ああ」
「ではなぜ急にやる気になった!?」
「それは相手が弱い場合の話だ」
「……何?」
「復讐しても強くなれない相手なら、わざわざ時間を使う意味はない」
だが。
女神。
グレイヴですら届かなかった存在。
前世の俺が求めていた、人の領域のさらに先にいるかもしれない相手。
それなら話は別だ。
「相手が女神なら、どんな名分だろうが不足はない」
「……」
「復讐でも正義でも何でもいい。女神と戦えるなら、俺としては大歓迎だ」
父はしばらく無言だった。
やがて額へ手を当てる。
「……本当にぶれないな、お前は」
「当然だ」
グレイヴまで黙っている。
「何だ?」
「いや……」
眼窩の炎が微妙に揺れた。
「我は今、女神への復讐に協力するよう説得したはずなのだが」
「ああ」
「なぜか我とお前では、まったく目的が違う気がする」
「最終的に女神と戦うなら同じだろう」
「そういうものか?」
「そういうものだ」
グレイヴは少し考え。
やがて低く笑った。
「ふ……よかろう」
「決まりだな」
「ああ。貴様が女神へ至るというのなら、我のすべてを貸してやる」
「それで思い出した」
「何だ?」
俺は改めてグレイヴを見る。
「お前、本当に強いのか?」
「……」
「俺はそこを知りたい」
女神の話も興味深い。
だが、目の前にいる魔王がどれほど強いのか。
俺にとっては、それも同じくらい重要だった。
グレイヴの眼窩の炎が止まった。
父も横から頷く。
「私もそれは気になっていた」
「貴様ら……」
「契約前のオーラは凄まじかった」
俺はグレイヴを上から下まで見る。
「だが今は、どう見ても弱い」
「一見ただのスケルトンだからな」
父が付け加える。
「一見ではない!」
グレイヴが怒鳴った。
「現在の我は実際にスケルトンだ!」
「では、やはり弱いのか?」
「話を最後まで聞け!」
グレイヴが胸を張る。
「確かに、かつての肉体も魔力もほとんど失った」
「やはり期待外れか」
「だから最後まで聞けと言っておる!」
声が地下に響いた。
「我が残した最大の財産は、この骨ではない」
「何だ?」
「知識だ」
俺は少しがっかりした。
ここまで引っ張って、知識か。
「その顔をやめろ!」
「知識も大事だぞ」
「まったくそう思っておらんだろう!」
多少は思っている。
「我はネクロマンサーとして、数多の強者を従えていた」
俺の興味が戻った。
「強者?」
「ああ」
「どの程度だ?」
グレイヴが得意げに顎を上げる。
「竜、英雄、魔獣。生前、一国を滅ぼした者すらいた」
いい。
かなりいい。
「そいつらはどこにいる?」
「我との契約はとうに切れている」
「なんだと?」
俺は眉をひそめた。
「やはり役に立たない骨か」
「慌てるな」
グレイヴが一本の指を立てる。
「契約は切れた。だが、どこに眠っているかは知っている」
俺は立ち上がった。
「行くぞ」
「待て」
「一番強い奴からでいい」
「待てと言っておる!」
「何だ?」
「まず貴様は、ネクロマンサーとしての基礎を覚えろ!」
「現地で覚えればいい」
「よくない!」
グレイヴが怒鳴る。
隣を見ると、父が妙に納得した顔で頷いていた。
「どうした?」
「いや」
父はグレイヴを見る。
「少しだけ、この魔王とは仲良くなれそうな気がしてきた」
「奇遇だな」
グレイヴも頷く。
「我も同じことを考えていた」
「なぜだ?」
二人とも答えなかった。
失礼な奴らだ。
だが。
女神セレスティア。
前世の俺を殺した戦争にも関わっていた可能性がある。
そして何より――。
グレイヴですら届かなかった存在。
悪くない。
復讐など、どうでもいいと思っていた。
だが、相手が女神なら話は別だ。
剣尊の先へ進むための相手として。
これ以上の標的は、そう簡単には見つからないだろう。




