第5話 復讐に生きるのか、それとも――
父に連れられ、俺は屋敷の奥にある書斎へ入った。
扉が閉まると、父はしばらく黙ったまま俺を見ていた。
先ほど俺が使った歩法。
剣尊となった俺が作り上げ、今では禁じられている技だ。
あれを見てもなお偶然だと言い張るのは、さすがに無理があるだろう。
やがて父が口を開いた。
「……やはり、そうだったか」
「何がだ?」
「お前がアルド殿下の生まれ変わりだという話だ」
「今さら信じたのか? 何度もそう言ってきたはずだが」
父は小さく息を吐いた。
「今さらではない。正直に言えば、かなり前から疑っていた」
「なら信じればよかっただろう」
「信じたくなかったのだ」
意外な答えだった。
「なぜだ?」
父は椅子へ腰を下ろし、俺にも向かいの席を勧めた。
「お前は三歳の頃から、自分はアルド・ラグナスだと言い続けていた」
「ああ」
「最初は子供の戯言だと思っていた。だが、成長するにつれて説明のつかないことが増えていった」
異常な身体操作。
教えてもいない魔力の扱い。
戦闘に対する勘。
そして、誰にも教わっていないはずの剣術。
「隠していたつもりはないからな」
「それが余計に怪しかった」
「なら、なぜ認めなかった?」
父の表情が少しだけ険しくなる。
「お前が、あまりにも何も恨んでいなかったからだ」
「……そのことか」
「ああ」
父はまっすぐ俺を見る。
「帝国の話をしても興味を示さない。自分を殺した弟子たちを探そうともしない。失った王国を取り戻そうとも言わない」
「そんな暇はなかった」
「十年間ずっとか?」
「身体を作るのに十年かかった」
父が目を閉じた。
「そういうところだ」
「何がだ?」
「今となっては、むしろ本人だと納得できる」
失礼な話だ。
父は苦笑してから続けた。
「アルド殿下ほどの人物が、あれほどの最期を迎えたのだ。もし生まれ変わったのなら、普通は復讐を考えると思うだろう」
「そういうものか?」
「少なくとも、私はそう思っていた。帝国を恨み、自分を殺した者たちを探し、失った王国を取り戻そうとするのではないかとな」
俺は少し考える。
「確かに、復讐心で強くなれる段階はある」
父が黙って俺を見る。
「怒りや憎しみは人間を動かす。限界を越えるきっかけにもなる。それを否定するつもりはない」
前世でも、そういう剣士を何人も見てきた。
復讐だけを支えに剣を振り、それまでとは比べものにならないほど強くなった者もいる。
「だが、俺はその段階を通り過ぎている」
「……」
「今さら誰かを憎んだからといって、俺の剣が一段上に進むとは思えない」
父は何も言わない。
「復讐することで強くなれるなら、それも一つの手段だ。そうでないなら、俺が優先する理由はない」
「では、自分を殺した弟子たちにも恨みはないと?」
「ない」
あの時、弟子たちに与えられていた選択肢は少なかった。
俺を殺せば家族が助かる。
殺さなければ、自分も家族も死ぬ。
それだけだ。
「そもそも俺は、弟子たちに生き残ることを優先しろと教えてきた。あの状況なら、俺を裏切るのが正しい」
父が一瞬黙った。
「凄まじい教えですな」
「合理的な考えだと思うが?」
「あの状況で、自分を殺すことまで正解に含める師はそうおらんでしょう」
「だが、結果として正しかった」
俺は続ける。
「あの戦争で死んだ弟子もいれば、戦後に粛清された者もいるだろう。だが、剣尊の教えを作った俺自身が、こうしてもう一度剣を取っている」
父が俺を見る。
「なら、少なくとも俺が過去に囚われる理由はない」
「随分と簡単に言いますな」
父が額を押さえた。
いったいどうしたというのだろうか。
「では、帝国も恨んではいないのでしょうな」
「無論」
「自分をあそこまで追い詰めた相手ですぞ。最後は謀略によって殿下を殺した」
「何を言う。それが戦争というものだ」
俺は答えた。
「正面から俺を倒せないなら、補給を断ち、味方を削り、逃げ道を塞ぐ。当然の戦い方だろう」
父が黙る。
「相手が上手だった。それだけだ」
「……天晴れな戦略だったと?」
「ああ」
俺は頷いた。
「それを恨むのは筋違いだ。恨むとすれば、自分の弱さだけだ」
父は驚かなかった。
むしろ、やはりそうかという顔をしている。
「予想通りの答えだ」
「分かっていたのか?」
「最初は、復讐しようとしないことがお前を偽物だと思う理由だった」
父は椅子にもたれた。
「だが、十年もお前を見ているうちに、逆に思うようになった。本当にアルド殿下なら、こういう男なのではないかとな」
「そういうことか」
「ああ」
「なら何が問題なんだ?」
父は少し呆れたように俺を見る。
「分からんのか? まあ、お前は……いや、殿下は、ご自分が強くなることにしか興味がないようですからな」
「その通りだ」
「胸を張って言うことではない」
父の声が少し低くなる。
「古い剣術名家の中には、今でもアルド殿下の再来を待ち望んでいる者が少なくない」
「俺を?」
「ああ」
父は頷いた。
「殿下が戻れば帝国と戦い、剣士たちが失ったものを取り戻してくださる。そう信じている者たちがいる」
「勝手な話だな」
「その通りだ」
父はあっさり認めた。
「だが、それほど追い詰められている者もいるということだ」
俺は少し考える。
「父上もそうなのか?」
父はすぐには答えなかった。
「戦争が終わった直後なら、そうだったかもしれん」
「今は違う?」
「ああ」
父が俺を見る。
「帝国のやり方を認めたわけではない。奪われたものを忘れたわけでもない。必要とあれば戦う」
そこで一度言葉を切る。
「だが、復讐のためだけに家族や門弟を戦場へ送り出そうとは思わなくなった」
「十年で考えが変わったのか」
「十年という時間もある」
父はわずかに笑った。
「何より、お前を見ていたからな」
「俺を?」
「ああ」
「復讐など考えず、毎日剣を振っている子供を十年間見せられれば、嫌でも考えさせられる」
「なるほど」
「お前が本当にアルド殿下だと認めたくなかったのも、その辺りが理由なのだろうな」
「本物だったら困るからか?」
「ああ」
父は苦笑した。
「皆が待ち望んでいる剣尊と、実際のお前があまりにも違う」
「俺は前世からこうだぞ」
「恐らくそうなのだろうな。風の噂では聞いていた。だが、我々剣術名家は先の戦争に参加していたわけではない」
確かに、父は前世の俺と直接話したことはない。
遠くから見た程度だと言っていた。
弟子たちと違い、彼らが知っているのは「剣尊アルド・ラグナス」という名前と、その戦績くらいなのだろう。
「まあ、その話はいい」
父が姿勢を正した。
「一つ確認しておきたい」
「なんだ?」
「もし刀尊家が帝国と戦うことになったら、お前はどうする?」
「手伝うぞ」
父が少しだけ目を見開いた。
「即答か」
「俺は刀尊家の人間だからな」
今世でこの家に生まれた。
父と母に育てられ、兄姉と暮らしてきた。
「刀尊家が戦うというのなら助力する。それと前世の復讐は別の話だ」
父はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「それなら十分だ」
「そうか?」
「ああ。少なくとも、お前は何もかも捨てて剣の修行へ旅立つつもりではないらしい」
「必要ならそうするかもしれない」
「……今の言葉は聞かなかったことにしよう」
なぜだ。
父は一つ咳払いをした。
「では、もう一つ聞く」
「まだあるのか?」
「こちらの方が重要かもしれん」
父が俺を見る。
「復讐が目的ではない。帝国を倒すことも目的ではない。ならば、お前は今世で何を目指している?」
答えは決まっている。
「剣尊の先だ」
父の眉が動いた。
「剣尊の……先?」
「ああ」
前世の晩年。
俺はずっと感じていた。
剣尊は終点ではない。
その向こうに、まだ何かがある。
何と呼べばいいのかは分からない。
俺自身、まだ見たこともない。
だが確かに、その先があると感じていた。
「前世では、そこへ到達する前に死んだ」
俺は右手を見る。
そこには今日授かったばかりの、ネクロマンサーの紋章がある。
前世にはなかった力だ。
剣士ではなく、ネクロマンサー。
普通なら外れだと嘆くところなのだろう。
だが、俺にとっては違う。
生者の中に敵がいないのなら、死者の中から探せばいい。
前世とは違う方法で、さらに強さを求めることができる。
「今度こそ、その先へ行く」
父はしばらく黙っていた。
やがて、ぽつりと言う。
「結局」
「なんだ?」
「前世から、剣のことしか考えておらんのだな」
「今世では死体集めも加わった」
「死体集め?」
父は一瞬、何を言っているのだという顔をした。
やがて思い出したように俺の右手を見る。
「……そういえば、お前はネクロマンサーだったな」
「ああ」
「それで死体を集めるのか?」
「強者の死体を集める。蘇らせて、俺が戦う」
父はしばらく黙った。
「いや」
「なんだ?」
「ネクロマンサーは、そういうギフトではないのだが」
「そうなのか?」
「普通は死者を操って敵と戦わせるものだ。なぜ自分で戦おうとしている」
「強い相手がいるのに、俺が戦わない理由がないだろう」
「……」
父は額に手を当てた。
「やはり、生まれ変わっても何も変わっておらんな」
「そうか?」
「まあいい。お前が何を望んでいるのかは分かった」
「ああ」
父が小さく息を吐く。
「復讐ではなく、剣尊の先か」
「そういうことだ」
ようやく父も納得したらしい。
俺としては、十年前から何も変わっていない。
前世で届かなかった場所へ行く。
それだけだ。
もっとも――。
そのための手段が、まさか死者を操ることになるとは、俺自身も今日まで知らなかったが。




