2-4. 戦姫と宮司
———かつて、宮司には親友がいた。
これはその親友、騎士長ライ・ク・アーの奥底に封じられた宝石のような煌めきと、その身を貫く鋭利な剣の記憶。
幼い頃からパーティなどの催しで会う機会が多く、年の近さもあり自然と中は深まっていった。
当時帝国の元にいた宮司と令嬢は皇帝にも気に入られ、まるで娘のように可愛がられていた。
よく姉妹のようだと、そう言われていた。
これはそんな2人の幸福に満ちた記憶。
宮司の屋敷。
2人はその庭でテーブルを囲んでいた。
優しい風が花を揺らす庭園で密やかな楽しい時間が流れていた。
「アイラのお菓子、意外と美味しいわね」
「ふふーん、ナイスチョイスでしょ。他にも美味しいものを多数用意しております」
「宮司様がこんなにもグルメだとは知らなかったわ」
「ライは剣ばっかりだもん。お茶会でも開かないと稽古しかしないからね。人生棒に振る気か。剣だけに」
「……ダジャレ? 笑っておくか迷うクオリティね」
「ライの感性はまだまだわたしの感性に追いついていないようね」
「はいはい」
香ばしいお菓子がなくなっていくのを見ながら、ライはティーカップの香りを楽しんでいた。
「むー、ラーイー、淑女たるものコミュニティに溶け込む教養も必要なのです」
「そんなものいらないわ。というかさっきのダジャレで溶け込めてるの?」
「ふふん。でもせっかく美人なのにもったいないぞ。この流れるようなブルネットの髪。深く澄んだ蒼い物憂げな瞳。鍛えているとは思えない細くしなやかな手脚。くぅ〜、どれほど羨ましいか」
「そりゃどうも。髪は生まれつき、物憂げに見えるのは淑女になるのが面倒なだけよ。アイラだって金で揃ってて綺羅びやかというか、かわいいじゃない。なぜか太らないし」
「太りたくても太れないのだ。はっはっはっ」
よし、いつか太らせてやろう。
得意げに鼻を鳴らす少女を横目に、ライはカップに軽く口をつける。
アイラはぼんやりと空を見上げた。
「でもさ、誰も言い寄っては来ないんだよね。ふっ、私がステキ過ぎるからか。まことざんねん」
「性格に問題があるからでしょ。まぁ、寄ってくると邪魔だから羨ましいわ」
「ライは沢山寄ってくるもんね。ふーん。同年代ってみんな子供っぽいからいーけど」
「アイラから見てもそうならよっぽどね」
「どういう意味だ」
「男って、騎士を目指すにしてもどこか浮わついてるというか」
「英雄に憧れてって感じだもんね」
「使命のためではなく憧れのためか。遊びじゃないでしょうに」
ため息混じりの麗人を見つめるアイラ。
凛とした佇まいに似合う艶のある瞳を見つめてうっとりする。
「そんな人しかいないならぁ、もういっそライと結婚しようかなー、なんちゃって」
「やだ」
「えー、なんでよー」
「だって私がこき使われるのが目に見えてるもの」
「やだなぁ、そんなことするわけないじゃん」
「アイラずぼらだから後でやるって言って絶対やらないから私がきっちりやっていっつも苦労させられる未来しかみえん。よく考えてみるとあんたおっさんね」
「……い、いいじゃん、メイドのみんながいるんだからライにはやらせないよ」
「身の回りのことくらい自分で少しはやりなよ」
「だって宮司だしー」
「そんなんじゃ嫁にもらってやらんぞー」
「むっ、じゃあライが驚くほどきっちりやってくれる旦那様を見つけてやる。いつも私のことを考えていて、先回りして用意してくれて、しかも文句言わないの。かんぺき」
「それは執事だろ」
「……」
「熟女のコミュニティ? に溶け込んで探してみたら? 私は騎士目指すから、ごめんよー」
「私を見捨てないで〜、ライ〜」
「はいはい」
これは、親友を処刑台へと導いた騎士長の胸に封じた、幸福の一場面。
しかし、この幸福に触れようとする度に彼女の心は無数の剣に刺し貫かれるのである———
記憶は手の届かないところにあるもの。
満たされた記憶は懐かしく、美しい。
それと同時に、いつも奈落にいることを思い出すのだ。
私にとって親友との記憶は、虚空に浮かぶ虚像でありならが、しかしその心を奈落の底に縫い止める鋭さを持つ。
———ライ・ク・アーは暗い闇の底で、宮司が処刑台へと向かった別れの記憶を見続けていた。
帝都処の地下牢へと続く階段。
乏しい明かりの中を降りていくライの黒髪が暗闇の中で静かに揺れる。
降りるたび、靴音が反響し、最奥で待つ者に来訪を告げる。
そして、分厚い赤錆が浮く扉の前に立つ。
しかし沈黙よりも重い扉を前に俯くしかないライ。
声をかけられずにいると、牢の中からかすれた明るい声が響いた。
「ライ、だよね?」
「ごめんアイラ……ごめんなさい」
「ちゃんとわかってるよ、ライ。こうなったのはあなたが悪いんじゃない」
「だけど私は……この剣を捨てられなかった、今の私にはこれを捨てることが出来なかった」
「大丈夫。あなたが背負うモノを知ってる。私とあなたは同じだもの。そうそう、容姿は違うのにどことなく似てて姉妹みたいってよく言われたもんね、ふふっ。だからこそ五郎臣はあなたを遣わした。相手が上手だったんだよ。あーあ、私達は失敗しちゃったわけだ」
「簡単に言わないでよ……でも、ごめん、私には何も言う事が」
「ライのこと恨んでない。立場が逆ならお互い同じことをして同じように思うでしょ?」
「かもしれないけど、でも」
「誰か来る。そろそろ時間みたい。身体は天へと還り、魂はあなたと共に、導きの果へといざゆかん。なんてね、宮司らしいでしょ? じゃあ元気でね、ライ」
「アイラ、さようなら……アイラ」
———城に籠り、静かに過ごす彼女の脳裏に幾度となく現れる幻影のような夢。
かつては炎と雷を従わせ、戦地を荒らす苛烈な戦いぶりから戦嵐の騎士とも呼ばれた戦姫であった。
だが今は信念を失った心を慰めるように、無為なことに時間を費やしていた。
———友を裏切った代償に平穏が保たれた領地。
若くして得たその城に、1人の男が近づいていた。
それは忠剣八公、帝国の騎士長であった。
「やあ、騎士長ライ・ク・アー」
「騎士長ローゼ・ル・ウー? あなたが来るなんて珍しいわね」
「華やかな庭園だな。君の好みは黒かと思っていたよ」
「毎日黒だけ見ていたら気が滅入るわ。何しに来たの」
「老人達にお使いを頼まれてね。君の静寂を乱しに来た」
「心底迷惑だわ。帰って」
「そうもいかない。わかるだろ?」
「わからないわ。王の盾が主君を守ってなくっていいの? それこそ老人達が喜びそうなシチュエーションじゃない」
「長老がいる」
「あの人だけで? ブルー・ウ・イーはまだ戦えるのかしら」
「魔王が遅れを取る姿は未だに想像できんね」
「そう。ご老体の方が役に立つなら王の盾が形無しじゃない。ああ、それでお役目御免で自由を手に来たわけか」
「ははは。元気そうで何よりだ」
「実は革命軍について妙な噂があってな」
「聞きたくないわ」
「革命軍に不思議な少年がいるらしい」
「あら不思議ね」
「その少年の近くでアイラの名とその声を聞いたと噂されている」
「……醜悪な噂だわ」
「しかし騎士長ポー・ツ・イーが間違いないと言うのだ」
「ポー? そういえば特務中だったか。彼が、ね」
「同じく特務中のセーツ・マ・ルーも同意していた。少年の話、興味ないか?」
「ないわ。あのねローゼ。人の夢とか思惑とか、そういうのはもう、もういい加減まっぴらなのよ」
「そうだな。わかるよ。全くもって同感だ」
「どうだか」
「わかるさ。騎士として、私はただ王に尽くすのみ。例え世界が崩れ去ろうともひたすらに主の行く道に光をもたらす。ただそれだけだ。私に出来るのはそれだけだからな。あの老人共が何を企もうとも我らが王の歩みを止める事は敵わんさ」
「よく言えたものね。その歩みを誰よりも拒んでいるのはあなたでしょうに」
来訪者は帰り際になって役目を思い出し、伝言を城主に伝えた。
いずれ騎士長ルー・ア・シーの指揮による革命軍掃討作戦が開始される。
帝都の守備が手薄になるため城に籠もっていないで参戦するように、という指示であった。
伝えたからな、と言い捨て任をまっとうした騎士長は城を去っていった。
決戦の時は近い。
果たして誰に何が待ち構えているのか。
穏やかに過ごす彼女は、ただその時を静かに待つ———




