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第十二章 直島

 直島(なおしま)への船は、宇野(うの)港から出る。

 豊島を発った翌日、慎也は岡山県の宇野港に立っていた。高松から電車で移動し、宇野まで来た。港は小さかった。フェリーの待合所があり、自動販売機が一台、長椅子がいくつかあった。冬の平日の朝、他に乗客は三人だけだった。

 船が来た。

 豊島行きの船より、さらに小さかった。定員が三十人ほどの旅客船で、甲板に出ると風が直接来た。宇野港を離れると、すぐに海が広がった。


 船は接岸した。

 降り立つと、港の空気が豊島とは違った。観光地の空気があった。

 最初に目についたのは、赤いかぼちゃだった。

 桟橋の突端に、草間彌生(くさまやよい)の水玉模様の赤いかぼちゃが置かれていた。冬の灰色の海に、その赤が鮮やかだった。

 冬でも、カメラを持った人間が数人いた。土産物屋が開いていた。

 慎也はその空気を、少し持て余した。

 豊島の、押し込められたような静けさとは対極にある空気だった。ここは整えられていた。来る人間を迎える準備が、島全体に施されていた。


 直島には、美術館がいくつかある。

 ベネッセハウス、地中美術館、李禹煥美術館。それぞれが、島の地形や景色と一体になった設計になっていた。建物が景色を額縁にし、景色が作品の一部になる。自然と人工が、ここでは意図的に混ざり合っていた。

 慎也は地中美術館に向かった。

 丘の上に建てられた美術館で、建物のほとんどが地下に埋まっていた。地上からは、コンクリートの壁と光を取り込む開口部しか見えない。中に入ると、自然光だけで照らされた展示空間があった。

 モネの『睡蓮』の連作が展示されていた。自然光のみで鑑賞でき、時間帯や天候で色の見え方が変わるように展示されていた。

 絵の前に立った。

 モネの晩年の視力は衰えていたそうだ。白内障で、青系の色の識別が困難になっていたという。それでも描き続けた。黄色がかって見える世界で、あの独特の滲みを生んだとも言われている。その絵が今、この空間に置かれていた。

 その事実を、慎也は絵の前で考えた。

 見えなかった人が描いたものを、最もよく見えるように展示する。

 それは敬意か、それとも別の何かか。


 地中美術館を出て、丘の上の道を歩いた。

 海が見えた。

 直島の海は、他の島の海と同じ瀬戸内の海だった。でも見え方が違った。整備された遊歩道から見る海は、額縁に入った絵のようだった。どこを見ても、構図が決まっていた。視点が誘導されていた。

 それが心地よかった。

 心地よいことが、少し怖かった。

 豊島では、見え方が誘導されなかった。谷がそこにあり、畑がそこにあり、老人がそこにいた。それだけだった。何を見るかは、自分で決めなければならなかった。

 それに対して、直島は何を見るべきかが示されている島であった。

 示された通りに見ると、確かに美しかった。

 ただ、その美しさが本物の美しさかどうかは、慎也にはわからなかった。

 本物の美しさ、という言葉自体が、怪しいかもしれなかった。美しさはいつも誰かによって作られる。自然の景色ですら、誰かの視点を通じて「美しい」

と判断される。直島は、その過程を意図的に、可視化しているだけかもしれない。

 慎也はベンチに腰かけ、海を見た。

 水平線の向こうに、本土の山影があった。

 ここから見える景色も三枝は見たのだろうか。そもそも、三枝は直島に来たことがあったのだろうか。手紙には直島の名前があった。でも、どこで何を見たかはわからない。


 本村という古い集落に、廃屋を改築した作品が点在していた。普通の民家の外観を持つ建物の中に、現代アートが入っている。生活の場所と作品の場所の境界が曖昧になっている空間だ。

 一軒に入ってみる。中は暗かった。

 目が慣れると、床に何かが見えた。

 ガラスの破片が床一面に敷かれていた。月明かりを模した光の中で、ガラスが輝いていた。踏めない。踏んだら壊れる。でも、踏まないと進めない。そんな緊張感が空間に充満していた。

 慎也は出口まで、壁際をそっと歩いた。

 出ると、秋の静けさがあった。

 隣の家は、普通の民家だった。洗濯物が干されていた。老婆が庭先に出て、植木に水をやっていた。作品の隣で、誰かの生活が続いていた。

 その並列こそが直島の本質かもしれない。

 作品と生活が、混在している。境界がない。どちらが本物かという問いを、この島は無効にする。


 昼過ぎ、海の近くのカフェに入った。

 窓から海が見えた。席は少なく、慎也の他に客が二人いた。ひとりは外国人の旅行者で、スケッチブックに何かを描いていた。もうひとりは、三十代の女性で、ノートパソコンを開いていた。

 慎也はコーヒーを頼んだ。

 女性の方が顔を上げた。

「すみません」

と言った。

「もしかして、杉本慎也さんでしょうか」

 慎也は少し驚いた。

「そうですが」

「やっぱり」

 女性は静かに笑った。

「本の著者近影で見て、もしかしと思いました。『灯台の島』読みました」

「ありがとうございます」

「こちらで仕事をしています」

 女性は名刺を出した。

岡部(おかべ)といいます。以前、美術館のキュレーター(学芸員)をしていました。今は独立して、アートと地域の関係を研究しています」

 岡部という名前と元キュレーターという肩書きを、慎也は受け取った。

「杉本さんは、なぜ直島に」

 岡部は聞いた。

「島を旅しています。橋では繋がっていない島を」

「しまなみとは違う旅ですね」

「ええ。前の本が、しまなみの旅でしたから。今回は船でしか渡れない島々を」

「直島は、その流れで」

「そうです」

 岡部は少し考えてから、

「一緒に島を歩きませんか」

と言った。

「キュレーターとして、案内できることがあるかもしれませんので」


 岡部の案内で、島を歩いた。

 彼女はこの島のことを、深く知っていた。どの作品がどういう経緯で生まれたか、アートが来る前の島がどういう場所だったか、島民との軋轢がどこにあったか。表面には見えていないことを静かに話した。

 地中美術館の近くで、岡部は足を止めた。

「杉本さんは、地中美術館に入りましたか」

「入りました。モネを見ました」

「どうでしたか」

「美しかった」

 慎也は答えた。

「美しすぎて、少し怖かった」

 岡部はうなずいた。

「それは正直な感想だと思います。あの美術館は、美しさを最大化するように設計されています。光の角度、壁の角度、見る人の立ち位置、すべてが計算されています。計算の結果として現れる美しさです」

「計算された美しさは、本物じゃないんですか」

「本物です」

 岡部は言った。

「でも、計算されたものだということを忘れると、危ない」

「危ない、というのは」

「現実は、そのままでは耐えられない」

 岡部は海の方を見ながら言った。

「だから人は()()する。美しいものだけを見えやすくし、醜いものを隠す。それが、芸術(アート)の正直さかもしれません。でも」

 岡部は慎也の目を見て言った。

「意図的にやっていることを忘れると、編集された現実を現実そのものだと思い始めてしまう。それが危ない」

 慎也は聞きながら、西川老人の言葉を思った。

「切り落としたことを知っているかどうか」

 岡部の言葉と老人の言葉が、同じ場所を指していた。


 歩きながら、岡部は話し続けた。

「杉本さん。直島にアートが来る前、この島の人たちはどう思っていたか、ご存知ですか」

「いえ、詳しくは知りません」

「複雑でした」

 岡部は言った。

「外から来た人間が、島を作品の舞台にする。島の景色が、誰かの作品の背景になる。島民の生活が観光資源になる。それを喜ぶ人もいた。反発する人もいた。今もそういう感情は残っています」

「整えられることへの、抵抗ですか」

「整えられることへの、というより」

 岡部は少し考えた。

「自分たちの場所が、自分たちのものではない物語の中に取り込まれることへの抵抗、でしょうか。島が外から来た人間の視点で語られる。でも、島に生きている人間には別の物語がある。その別の物語が、外から来た人間の物語に塗り替えられていく」

 慎也はその言葉を聞きながら、自分の本を思った。

 三枝拓海の物語。慎也は三枝について書いた。三枝の物語を、慎也の視点で語った。でも、三枝には、慎也が知らない物語がある。知らない感情がある。知らない時間がある。

 慎也の書いた三枝は、慎也の視点で整えられた三枝だ。

「杉本さんの本にも、そのようなものを感じました」

「感じた、というのは」

「本の中の人物が、杉本さんの物語に奉仕するために存在しているように読めました。主人公が変化するための触媒として他の人物が配置されているように」

 慎也は歩きながら、返す言葉を探した。

「意図したわけではありません」

「そうでしょう」

 岡部は言った。責める声ではなかった。

「意図しなくても、そうなると思います。書く人間には見えていないことが、読む人間には見える。それは、アートでも同じです。作者が意図しなかったことを作品は語ってしまいます。それは、創る者が引き受けるべき部分だと思います」


 夕方近く、黄色いかぼちゃのある海岸まで来た。

 草間彌生の黄色いかぼちゃは、海に突き出た桟橋の先にあった。赤いかぼちゃより小さく、波に近い場所にあった。海風に黄色が揺れるわけではなかったが、それでも揺れているように見えた。

 岡部が言った。

「この作品、一度台風で流されたことがあるんです」

「知りませんでした」

「修復されて戻ってきました。でも、流される前と後では、島民の受け取り方が変わったという話があります」

「どう変わったんですか」

「流される前は、外から来た作品だった。戻ってきた後は、島の一部になっていた。失って、戻ってきたことで、自分たちのものになった」

 慎也はかぼちゃを見た。

 黄色い、水玉模様の少し滑稽な形の作品が、冬の海の前にあった。

 失われて戻ってきたものが、より深く、場所に根ざす。

 その話を聞きながら、慎也は三枝のノートを思った。

 伯方島で失われていたノートが、フミコの手から慎也の手に渡った。渡ったことで、そのノートは慎也の旅の一部になった。同時に、三枝のものでもあり続けた。

 誰のものでもあり、誰かのものでもある。

 両方が同時に成立している。


 岡部と別れ、宿に向かう途中、慎也はもう一度、地中美術館の前に立った。

 閉館時間を過ぎていたから中には入れなかった。外から、コンクリートの壁だけを見た。

 計算された美しさ、と岡部は言った。

 計算された美しさも本物。でも、計算されたものだということを忘れると危ない。

 慎也は自分の本のことを考えた。

 自分は三枝について書いた。書いたものは誠実だったと思う。ただ、全部を書いてはいない。何かを選び、何かを切り落とした。切り落とした後の形を整えた。整えられた形が現実のように見えた。

 整えられた現実は、現実の一部だ。

 岡部は言った。現実はそのままでは耐えられないから、人は編集する。

 老人は言った。切り落としたことを知っているかどうかが、違う。

 二つの言葉が、並んだ。

 編集することは避けられない。でも、編集していることを知っていること。切り落としたことを、書きながら抱えていること。それが、次の書き方なのかもしれない。

 慎也はノートを取り出し、暗くなり始めた空の下で書いた。

「編集された現実は現実の一部。その一部を書くとき、残りを消すのではなく、抱えたまま書くことができるか」

 書いてから、その言葉を見た。

 それは、問いだった。

 答えはまだなかった。

 でも、問いは豊島よりさらに深くなった。

 答えがなくても、問いが深くなることは、進んでいる証だ。

 そう思うことにした。


 宿の部屋から、海が見えた。

 夜の瀬戸内に、いくつかの灯りが見えた。対岸の本土の灯り、船の灯り、他の島の灯り。豊島の夜は光がなかった。でも、直島の夜には光があった。

 光があることが、直島の正直さかもしれない。

 人工の光で海を照らしている。照らされた海は、照らされていない海とは違う顔をしている。その顔も、この島の本物の顔だ。

 慎也は三枝のノートを開いた。

 灯台守の物語。

 灯台守は灯りを灯すことを選んだ。慎也が今治で書き足した、「灯した」という一語がページにあった。

 今は、その一語が足りないと感じた。灯したことは書いた。でも、灯しながら灯台守が何を感じていたかは書いていない。罪を抱えながら灯りを灯すことの、その内側が書けていなかった。

 書き直せるかもしれない。

 書き直すことは、後退ではない。問いが深くなった分だけ、書き直せるものが増えた。

 慎也はノートを閉じた。窓の外の灯りが、揺れずにそこにあった。

 直島の夜は、静かだった。静かさの中に、計算があった。その計算も含めて、今夜の現実だった。

 慎也は横になった。

 明日は、小豆島(しょうどしま)だ。


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