33.カゲロウデイズ
いつの間にか、俺の体は泣き別れになっていた。下半身が浮いているのが見える。腰から下の感覚が一切ない。
一瞬、激痛が走ったかのように感じた。
今は何も感じない。
青空が綺麗だな、とか眠くなってきたな、とかしか思い浮かべられない。意識が遠のいていく。無理やり起きることが不可能なぐらいに溺れ落ちていく。
ああ、暗い。
何も……無い。
◆
……。
……。
……。
……。
《蘇――蘇生――》
……。
真っ暗闇の中にいるのが分かる。五感が全て機能しない場所だ。目の前は真っ暗闇で何も変わらない空間。無音状態で、匂いもしない。肌への感覚もない。そもそも俺に皮膚とか舌とかが存在しているかどうか怪しい、と思うぐらいの感じ方をしている。
……黒。
……真っ黒。
……真っ暗闇。
宇宙に漂っているように無重力状態で、深海に溺れているかのようにどうしようもなく身を任せるしかない。
「さあ、起きるんだ! 君なら立てる! ネバーギブアップだぁ!!」最近聞いたことがあるようなとてもうるさい声だなぁ。
「もうっ。うるさいっ。そんな声出さなくたって効果あるんだから。ちょっと黙ってて。」女の子の声だ。高い声がする。
「いや、応援してやったらもっと効果でるに決まっている。さぁ、立ちあがるんだぁ! うおおおおおおぅ!」
「そんな訳ないって言ってるでしょ。あー、ほんとっにうるさいんだってば!」
「頑張れぇえええええい!」
「あー、もう!」
男性の声と女の子の声が終わった。あまりにも唐突な出来事に思わず驚きを隠せない。
先程まで宇宙のような海のような場所にいた気がしていたが、今は地面ではないどこかに横たわっている気がする。砂利や小石、コンクリートの感覚は一切ない。ちょっと固めの雲だろうか。さらに俺の上には何かが乗っている。重くはないけど、重みを感じる。軽い何かが沢山乗って重みになっているのだ。
挟まれているんだ。俺の皮膚が温かいと叫んでいる。
今度は、地震が起きている。体が揺れている。それだけではない。腕がぎゅっと締め付けられている感じがする。
今気付いた事がある。瞼を開くことが出来る。
だが、瞼が重くて開くのが億劫だ。
さらに気付いた事がある。声が出せる。少しだけ唸って見た。さらに地震が激しくなった。思わず目を見開いた。
すぐそこにカシェルがいて、腕を掴んでいる。瞼を開けたことを知ると、掴んでいた腕を思いっきり動かしていた。地震の正体は……これか。
ここはどこだろうか。周りを見渡していくと、今朝まで泊まっていた宿だと分かった。
布団を退かす。ふと思ったが、俺の下半身はちゃんと存在していた。真っ二つに分かれたのが嘘だったみたいに。
さらに、だ。元々あった横腹の抉れていた箇所が元通りになっている。傷ももうない。まさに全回復とでも言えるだろう。
「不思議だねっ。」
「ああ、そうだな。」
直に身に起きている不思議に違和感はあるものの、その原理は一切分かることはなく、不可思議な、さぞ奇妙なものだと認識している。
「そういや、メイサは?」
「それが起きてすぐに確認したけど、近くにはいないみたい。」
「手掛かりとかもなさそうだよな。」
取り残された二人だけの空間。心の中は無念の気持ちで満たされていた。
立ち上がった。
ふと、ポケットに何かが入っていることに気付く。
紙だった。その紙を開くとオレンジ色の折り紙がそこに貼られていた。その折り紙に『コルォナの地の風の塔にいる。迎えに来て』と書かれていた。
彼女の字だろうか。どこか罠っぽい感じがする。ただ、「紙に折り紙を貼って書くのはカシェル達しかいないはずだよ」と言われ、疑うことを止めた。
コルォナの地の風の塔とはどこだろうか。そう言えば、ルクバーらに貰った地図があった。それを広げる。
少しの間、眺めていくと、右上の方にそれらしいものを見つけた。
まず王都の東門から出て北へと向かう。そして、森の中に入って、洞窟に向かう。「実はね、カシェル、この洞窟を探検した事があるんだ~」と思わぬガイドが存在した。安心感が流れてくる。
と思った矢先「まあ、毎回迷っちゃうんだけどね」と安心感が漏れていった。
「確か、洞窟からコルォナの地に行けるはずだったよ」と、本当かな、と疑わしい証言があった。まあ、信じる以外に択はない。
洞窟から出て、真っ直ぐ北へと向かうと砂漠がある。その砂漠を越えると台地がある。そこの海際がコルォナの地であり、風の塔がある場所だ。
とてもではないが大冒険の匂いがする。
ひとまず旅の荷造りを秒で済まして、再び地図を見た。風の国にはGPSがある訳ではない。雷の国の技術を取り入れてくれれば、とも思うが、愚痴を言っていてもしょうがない。コンパスを頼りに進むしかない。
昼過ぎ。
俺は宿を出ようと玄関に手をかけた。
「いーくーのーかー。」
背後に眠そうな彼の姿が見える。
「タリタも着いてくるのか……。」
「ぼーくーはー。おーきーるのー、みーとどーけーるー。」
彼は「がーんーばーれー」と一声だけをかけてくれた。彼の声を背に受けてメイサを取り戻すための旅の幕開けを噛み締めていった。
◆
東門を出た所にある大きな岩場。正午前ぐらいに、俺はここで死んだはずだった。
この旅の全ての始まりを報せる岩を通り過ぎていく。
森の中はサワサワと音を鳴らし、虫や動物がのびのび暮らしていた。腰辺りまで無造作に伸びた雑草を掻き分ける。
大きな木の間を何回も何回も通り過ぎると、ようやく森の終わりが見えてきた。
「ここが『迷いの洞窟』だよ。」
高く聳える岩山の麓。そこにくり抜かれたように存在している穴がある。
ふと左を見た。そこには人工の轍があり、遠回りさえすればこんな無造作な道を通らなくて済んだのか……と思った。
洞窟へと足を踏みしめた。
入り口は太陽の射し込んだ光で薄暗いで済んだが、段々と暗くなる。松明をつけてある程度進むと一気に明るくなった。
大きく開いた空洞。岩盤には七色に光り輝く宝石のようなものが散りばめられたかのように埋め込まれている。まるで幻想的な空間に迷い込んだみたいだ。思わず「綺麗だ……」と呟いていた。
「凄いよね。あの光る石はこの洞窟に流れているエネルギーを貰って光ってるらしいの。カシェルも初めて見た時、思わず持ち帰ろうとしたけど、石、光らなかったのよ。」
なるほど。そこにあるからこそ光り輝くのであって、取ったら輝かなくなるのか。つまり、取っても価値はないため、人が採ることもなく、この洞窟に残り続けるのだろう。
本来の道から逸れて、少しだけ寄り道をする。どうしても彼女はそこに行きたいらしい。
歩いていくと、外の光が見え始めた。薄く光っている太陽が見える。
外へと出た。そこは岩山に囲まれた盆地であり、山肌の一部だった。そこには草原が広がっている。
少し歩くと雑な感じのする簡素な墓が置かれてある。彼女はその前へと行き手を合わせた。
「親友のお墓なんだ。ライラちゃんって言うの。昔は仲良し組三人でよく遊んでいたなぁ。」
懐かしぶむように夕日になりかけていく空を見上げていた。
「だけど、カシェルと一緒に村八分になっちゃって――。ウチは奇跡的に海に落ちて羽も透明になっただけで済んだけど、ライラちゃんは……駄目だったみたい。」
雲が彼女の顔に陰りを作った。
どこかいたたまれなくなってくる。
「アトラ君は気にしなくていいよ。そういや、乱気流へ飛び込んだのはもう一人いたのよね。先生も村八分を受けたけど、生死は分かっていないんだ。もしかしたらどこかで生きてるかも。」
雲は流れゆき、今度は俺の位置に陰を作った。
「サンダルフォン先生って言うんだ――。」
その名前に聞き馴染みがあった。だが、その人物について顔などは一切分からない。そこでふと固有名詞としてのある目印を思い出した。因習村の近くにある墓の名前。
「俺……その人の名前、見たことあるよ。因習村の近くのお墓にその人の名前が書かれていたんだ。」
それを聞いた彼女は「そっかぁ」と作り笑いを浮かべていた。
再び洞窟へと戻った。
ここまではカシェルの道案内があったから来れたものの、ここからはコンパスによって手探りで進むしかない。
七色の灯りを頼りに進んでいく。
ふと青色に光る場所へと出た。川が見える。
岩でできた橋だ。川のように流れる流水の上にかかっている。その中を奇妙な魚達が泳いでいるのが見えた。
チャポンと、牙のついたウナギに似たような怪物じみた魚が顔を出してはすぐに川へと潜った。ここにはここの生態系があるのだろう。勢いよく流れる川を遡って泳いでいる。初めてみる生き物に頷いてしまった。
橋を渡った。少し脆い感じもした。
俺に次いで、彼女も渡っていく。
ガラリと鈍く連鎖する音。岩の橋が崩落した。あまりにも突然で、唐突な崩壊に翼を羽ばたかせる余裕がなかったのだろう。彼女の足は川に浸かった。
「これを掴め」とニードルの一つを投げ渡す。
よしっ、それを掴んでくれた。
彼女は川へと入水し、そのまま流れかけていく。羽は川の中では使えないらしい。つまり、俺が何とかするしかない。
俺の持つニードルを基盤に、次のニードル、さらにその次のニードルが間を空けて宙に浮く。そして、彼女の持つニードルと磁力によって繋がった。
後は引き上げるだけだ。
彼女の持つ四つめのニードルを三つ目のニードルに引き寄せた。そして、今度は――。
ガブリ。そこで牙のついた魚が彼女の背負っていたリュックに噛み付いた。それに続いて川に潜む他の仲間たちも噛み付きにくる。リュックの中の非常食を食べに来たのだろう。
重い――。ニードルがぐらついた。このままじゃニードル事、川に流されてしまう。
三つ目のニードルが二つ目のニードルにくっつき、すぐさま俺の持つニードルにくっついた。彼女は背負っていたリュックを外したため、負荷が軽くなり、引き寄せることが可能だったみたいだ。
そのまま俺に向かってぶつかってきた。
思わず寝そべり、その上に濡れた服の彼女が座る。
「へへっ。濡れちゃった。」
天真爛漫の笑みを見て、思わず体温が上がっていきそうだ。濡れた彼女が腹元に落とす水滴が体温を奪ってくれたことで何とかその体温上昇を防いでくれたが、それが無ければ頬が赤く燃え上がるような現象が起きそうだった。
炎裏石を取り出す。強く握るだけで石から炎が出る石だ。それを使って付属の棒で石を圧迫して火を炊かせる。焚き火が揺らめいていく。
「リュックなくなっちゃった……」と落ち込んでいた。
俺の予備の服を貸す。いや、プレゼントをする。特に、トップスにおいては、彼女は服を特殊な加工をしなければならない。加工については簡易的でよければ背中に二つ穴をあけるだけで良いらしい。
彼女はサバイバル用のはさみで斬り裂いていく。ただ、悪戦苦闘していた。服がダメージを抑えるために鉄糸入りだったため、鉄糸以外を切って、そこを中心にして穴を広げていった感じだ。ついに彼女用の服が完成した。
その場所は開けた空間で彼女は裸になった。一応、俺に背中を見せる形だ。
今まで、絶対におきなかったことがおき始める。女の人の裸体など興味すら湧かなかったはずなのに。何とも思わなかったはずなのに。思わず体を捻って何も無い空間を覗く。
彼女は元々は俺の服に着替え終わった。その姿に、またもや心が騒めく。
今まで余裕のなかった心に、ある程度の暇が生まれ、そこに新たに芽生えた感情が無理やり差し込んでくる。この気持ちは何なのだろうか。
「どう?」と無邪気に振りまく笑顔。その時は透明なはずの翼がくっきりと見えた気がした。
先程まで青かった景色が瞬きと瞬きの間だけ、その一瞬だけ桃色になったような気がした。きっと気のせいだろうと思い込むことにしよう。
彼女のリュックがないと言うことは臨時的な敷布団も一枚だ。雷の国でいう寝袋も、この国では普通に野外で布団をひく。
二人で一つの布団へと入った。
毛布は薄めだ。当たり前だが、そうでなければリュックに入らない。
だのに、とても温かくて心地が良い。
すぐに理由に気付いた。俺は毛布だけではなく、温かな透明な羽に優しく包み込まれているのだ、と。
寝返りを打って真ん中の方に顔を向ける。
当たり前のように、彼女の寝顔がそこにあった。楽しそうな安心そうな寝顔だ。
思わず頬が赤くなる。本当はその気持ちを抑えこもうとすると反動でジタバタしてしまいそうだ。しかし、ジタバタしないように踏ん張る。カシェルがすぐそこにいるから止めたのだ。
しかし、この気持ちは何なのだろうか。
人生で経験することのなかった初めての気持ちだ。なぜか意識してしまう、よく分からない症状だ。
まさに異変だった。
まるで誰かに魔法をかけられたみたいだった。




