31.夜に駆ける
「この世は等価交換でできている。世の中は常に公平なのだ。しかし、次の三つの要因で不平等と感じてしまう。内一つは誰もが直面する等価交換が唯一及ばない要因だ。一つは気持ちだ。気持ちは目に見えない。そして、気持ちは人によって価値が変わる。ある人にとっては幸せな事でも、ある人にはそこまで幸せに感じないかも知れない。同等の価値と思っても、相手からしたら価値がなく懐疑の心も買われているかも知れない。そんなことに気付きもしなければ、後で秤を平等にする時にトラブルになる。もし得た物と怨恨とを秤にかけた時、怨恨を売った側がそれに気付けなければ、そいつは無料で物を買ったと思うことになる。そして一つは、ギャンブル性があると言うことだ。未来に託して売買する。恩を売ることや温情のため、と理由は人それぞれだが、今では釣り合わないが、未来でさらなる利益を得ることを望んで売買するのだ。」
闇の中で、爆煙が揺らりと揺れている。
俺も含めて周りで放心状態になっていた。怒りに任せて近づく人々は誰もが地面に伏せていた。
「現に例えるならば、王様は豪勢な暮らしを買う変わりに、庶民の恨み辛みを増幅させることで秤はバランスを取っていた。それが怒りに変わりデモや反乱が起きるのは至極当然の理。だが、まだ、その時ではない。王様は買った怨恨が見えていない。だからこそ、王様の脳内の秤は傾いていて、武力を用いたら元通りになると思い込んでいる。だが、そんなもの一時のまやかし。何れ瓦解するのは分かっている。待てば海路の日和あり。だのに何故待てない。待てぬならば死ぬかもしれんのだぞ?」
ポツリ。天使の涙が零れ落ちていた。
悲しき夜の声が聞こえる。
「そして、等価交換の理が唯一及ばないもの……それが"死"だ。天国や地獄などは存在しない。それは人間が、等価交換の理の中で生きる人間が、原理に当てはまらない"死"を等価交換の枠組みに組み込むために作った代物なのだ。死ねば、無に帰るだけだ。その代わりの得はない。大きすぎる代償の割に惨めにも何も得られるのだ。」
重力のかからない場所で言葉が重くのしかかっていく。「死んで救済されることはない。ただの無駄死にだ。」
冷たくあしらわれるような表情。ふとメブスタの顔が脳裏に現れた。
拳と足に力が入る。隣ではカシェルも同じようだ。
グッと地面を蹴り上げた。
が、襟を掴まれて思わずバランスを崩してしまった。後ろを振り向くとルクバーがそこにはいた。
「君達は逃げきってくれ。あの子から逃げ切らせるようお願いされているんだ。あの子の意思を、無駄にしないで欲しい。」
その言葉を聞いて、足が止まった。
「アイツと戦うのはギルドに所属している僕らなんだよ。メブスタさんの意思は僕らが継ぐ。絶対に無駄にはしない。だから、君達も無駄にしないよう逃げ切って欲しいんだよ。」
それを聞いたら、この場から去った方がいい気がしてきた。俺らはその場から離れて、夜の道を進んで行った。そして、夜の影に身を隠していった。
◆
朝になってようやく泊まれた宿。そこの布団でゆっくりと腰を休める。
ふと窓から景色を見下ろした。
デモの行進が行われている。ふとルクバーがいるのが見えた。あの後、無事に事を終わらせたみたいだ。ということはリベルはどうなったのだろうか。退治したのだろうか、逃げられたのだろうか。
メブスタは一度、飲みの席で話し合った仲だ。特段親しい訳でもないが、知り合いではある。だからこそ、無気力感が襲ってくる。希死念慮に至る経緯と、全てを背負う覚悟。それを知るからこその同調。
「なんど死に直面しても、耐えられないなぁ」と呟かれている。魚の家の子ども達の死を何度も見ている彼女でさえ、大切な人の死は受け入れられないものなのだろう。
本当なら逃げるための準備や、実際に逃亡を図ることをするのだろうが、今日はそんな事をする気力が湧かなかった。
デモの声がはっきりと聞こえてくる。
この国はどこに向かっているのだろうか。ふと気になってしまった。
結局、その日は切り替えることができずに一日が過ぎ去っていった。
◆
今日はやけに胸が騒がしい。産毛が逆だっているからだろうか。
珍しく今日はデモの雰囲気が存在していない。
人の流れが存在していて、多くの人が王都にある大広場へと向かっていく。何を思ったのか、俺らはその流れに吸い込まれるように身を任した。川の流れに逆らうことがないように。まるで磁石に引き寄せられるかのように。
広場付近の離れた家と家の間の細い路地からその景色を眺めようと考えた。多くの人が埋めつくし、彼らの視線の先には磔にされているルクバーの姿があった。
それだけじゃない。
外だというにも関わらず王様がそこにいるのだ。もちろん護衛は付いており、カストラやレグルスがいる。それにしても王宮外に出歩いているその姿に驚きを隠せない。
遠すぎるが故に声は聞こえない。
何が行われるのだろうか。嫌な予感しかしない。
王様は赤い鮮血を付近の国民に吹きかける。
遠いせいで詳しくは見えないが、確かに彼の死を確信した。動揺を抑えきれない。
「だから言ったのだ。俺は王様の動向を知ったからこそ、忠告したと言うのに……。」
いつの間にかリベルが横に立っていた。あまりの動揺で、そこに来たことにすら気付けなかった。
「少しお話をしよう。俺は人とは何かについて考えることが好きだ。そして、よくカストラと話をする。彼は政治について考察することに力を入れていて、その過程で人についても考えている。だから、彼とは良く飲んで駄弁る仲なのだ。そんな彼の話になるのだが――。」
前置きはゆっくりと導入され、衝撃的なシーンから脳に話を入れるには丁度良い遅さだった。
「箱がある。それを王様が見ている。その箱からは王様にとって有害な物が溢れ出してきている。もちろん、その物質を減らすことは可能だ。庶民に寄り添えば無毒化されていくのだ。だが、王様はそんなことはしない。あの方は危険な物を破壊して、箱に蓋をして、見て見ぬふりをする。詰め込まれた箱の中は、有毒な物が伝染してさらに増幅していく。何れ箱は限界を迎えて決壊する。それは理なのだよ。」
どこか虚しい瞳をしていた。
「王様は周りの有益な物にしか目を向けず、箱の中の有毒な物、そして、その下に埋もれる有象無象の無毒な物は見て見ぬふり。そんな政治は長く続かないと言っていた。待てば海路の日和ありと言う。何故彼らは待てないのか。」
「みんなそんな余裕ないですよ。必死に生きて、時には贅沢して、それであっという間に日が過ぎていく。もの好きじゃないと、時を待って政治を変えるなんて発想には至らないと思います。きっと今がチャンスだから、その流れに乗るのが一番だと思うから、やるんです。きっと。」
「そうか。ありがとう。俺は王直兵ではあるが、冒険者――つまりギルドの人間の端くれだ。ギルドは解散された。デモを主導した人々はこの後も殺されていく。その中に、ギルド関係者が多くいる。心の中では……穏やかではなかったのだよ。」
まるで弱音だった。彼に溜まっていた辛い気持ちが吐き出されていた。
「俺はこの国が好きだ。この国を守るために、秩序を守る使命を持って王直兵に責務している。だが、どうにもデモ制圧には反対だったのだ。だからと言って、王政が無くなれば無秩序の時が来る。そうなれば国は廃れ、荒れ、あられもない姿になってしまう。そう、この現状が良いとも思ってはおらぬのだ。」さて「均衡を破壊する者の始末は風神様からの依頼だ。この国の秩序を揺るがしがねない存在と仰られたようだ。先程、この国の現状を箱と例えたが、メイサ君がもしバランスブレイカーなのであれば、容易く箱を破壊し、この国を廃れさせる要因となる。速やかに処理しなければ、この国の秩序が危ぶまれるのだ。分かってくれぬか。この国を守るためにも、メイサ君はこの国には居てはいけぬのだ。」
空気が変わった。
頭より先に体が動いていた。
「共感してくれぬか。」
「当たり前だろ。」
メイサを連れて建物の屋上へ。平屋の建物の上に立った。見晴らしが良く、動きやすい。
《風剣・居合》
「伏せて!」と突然頭を地面に抑えつけられた。メイサも同じような状態。無理やり押さえつけてる彼女も同じように伏せていた。
屋根上に立つ一人の老人が剣を振り終える。刀の太刀筋に沿って斬撃が放たれ、その斬撃は壁まで飛び、壁に穴を空けていた。まるで亀裂のように開いた穴が異次元の強さを証明していた。「マジかよ……」としか出せない程、語彙力がなくなった。
逃げるしかない。
異次元の老人剣士セルバンに気をつけながら、次の建物へと飛び移る。
「移動しながらの戦いは若いもんに譲ろうか。」
今度は屋根下から突然現れた一人の少年が攻撃してきた。
《三本指・風包丁》
手の横に風で作られた包丁の模型が見える。そして、その模型が消える頃にはその模型は手に宿り、包丁と同等の切れ味を誇る手刀になっていた。
ここは俺がやるしかない。
ニードルアームで上手く攻撃にぶつけて威力を反らせた。
「じゃーまー。」
「仲間を守るためなら、邪魔でもするさ。」
他人の屋根を走りながら、そして次々に飛び移りながら、タリタと攻撃を打ち合っていく。殺す気でやらないと、こっちが殺されてしまう。そして、メイサまで巻き添えを食らうことになる。
何度も何度も手刀とニードルを纏った殴りや蹴りがぶつかり合う。俺がこうやって対等に戦うことで何とか他の二人に攻撃が行かなようにできている。
《四本指・風刀》
屋根から飛び降りながら振られる手刀。俺は足にニードルをくっつけた蹴りで何とか応戦した。そのまま地面に着地する。
着地の瞬間少し前転する。服がこれぐらいの衝撃なら吸収してくれるので、ダメージもなく屋上から降りることができた。
《風の重力》
背後に違和感がある。
振り向いた。そこには俺の背後で動けなくなっている二人がいた。
「安心してくれ。目的はメイサただ一人。アトラ君やカシェル君を始末する気はない。」
リベルが近づいてきた。
彼だけではないセルバンもまた近くにいた。
三人に囲まれた。
二人は重力によって動けないでいる。まさに絶体絶命のピンチ。この危機を乗り越えるためには重力の外にいる俺がやるしかない。
とても痛い、痛すぎる痛撃。攻撃を受けた気が一切しない。目の前のタリタも身構えているが技を放ってはいないし、セルバンは剣を抜いていない。何が起きたんだ……。
痛みの位置は横腹。そこから赤い血が包帯を貫通していた。また、口から血反吐も出てきていた。
攻撃を受けた訳じゃなかった。ただ、先程の激しい戦闘によって傷口が開いただけだった。こんな理由のせいで、俺は膝をついたし、息切れもし初めてる。思わず「くそっ」と吐き出してしまった。
「だーいじょーぶー?」
今や敵である彼にすら同情されている。まさしく惨めな状況とも取れるだろう。
ブゥゥン。
ブンブンブゥゥゥン。
こんな時に何の音だろうか。いや、この音は故郷でなら聞いた事がある。バイクの音だ。エンジンを蒸す音だ。俺の経験則だと、エンジンを自ら蒸すような奴にロクな奴はいない。
しかし、風の国にバイクという物はなかったはずだった。ほとんどは馬車だし、唯一無二の乗り物は天使族の村の行き来のためにしか使われていない物であり、その村が滅んだ現在は使われなくなったとも聞いている。
本当に、どうしてバイクの音が? と疑問に感じる。
バイクの音が近づいていく。
本当にバイクが来た。それも横にサイドカーがついている。
バイクが真っ直ぐこちらへと来た。その直線上にいたリベルを轢きかけた。彼はすぐに避けたため何とも無かったが、そのために能力を解いていた。
つまり、先程まで動けなかったが逃げ切れるようになった今が逃げるチャンスだ。
バイクが俺らの近くで止まる。
バイクに乗っている男はヘルメットをしていてよく見えないが、男だと判断はできた。
「はっはっはっ。貰ってくぞ。」
その男はすっとメイサをサイドカーまで運んだ。そのまま走り抜けてしまった。
あまりにも唐突で、荒唐無稽な一連の流れに立ち尽くしてしまった。もちろん、三人の王直兵も同様である。
「……攫われたよっ! 取り返さなきゃ!」
もたもたしてる暇はない。俺は渾身の力を振り絞って体に鞭を打つ。こんな傷痕、気にしてられるか。
他三人も同じ方向へと走っていく。足を引っ張り合う余裕はない。謎の男を追うのに躍起になって走った。
バイクの音がとてもわかりやすい狼煙になっていた。その音を頼りに東門を抜けた。
東門より先。一面原っぱの地面に、正面に一戸建ての家みたいな大きさの巨大岩がそびえ立っている。岩はスクエア型に似ている形をしている。その奥に森が広がる。
よくよく見ると岩の上に先程のバイクがあり、サイドカーにはメイサが乗っていた。
太陽の光がそこを照らしている。
岩の上に一人の男が堂々と立ち尽くす。
黄金みたいな金髪。白を貴重とした橙色のアクセントがある服。悪くはない体格。何よりも明るくて見てるこちらが元気になりそうな程のとびきりな笑顔。
「だーはっはっはっ。よく来てくれたっ! 来てくれなかったら、このままメイサを連れ去ってしまう所だったぞ。」
イメージ通りだ。声がデカイ。言い方を変えれば、うるさい。
「きーみー、だーれー?」
ここにいるのは俺にカシェル、そしてリベルとセルバンとタリタだ。お互いの理由は違えど、メイサを取り返すという目的だけは合致していた。
「そうだな、タリタ君。今はまだ初対面だったなあ!」
彼が首からかけている太陽のネックレスが揺れている。
「俺の名前はK・E・N・T。子どもの頃の夢は太陽になることっ! 空前絶後の男! 全人類の希望の星となるために産まれてきたっ! そんな俺の名前はっ!」
あまりのボリュームに鼓膜が震え上がっている。威勢が良すぎる。というか、名前『KENT』ならケント以外に無いはず……。
「ケ! ン! ト! だ! いええええええええええい。」
ドヤ顔でそう言い放たれていた。
その声が何も無いこの当たりを、その声だけで包み込んでしまっていた。




