エピローグ③
ワンダー父子と出会ったのは、ベルが十一歳の時だった。
見慣れない顔の造りをした、少年と言っても差し支えない青年の腕の中で眠る、赤子だったアルファとの出会いを、鮮明に覚えている。
騎士の見習いとして、幼馴染のエール、ゴードンの兄妹と一緒に入団して、少し経った頃。アスカスに近い位置にある村の一つ、レセでの野外訓練の滞在中のことであった。
二人を助けたのが、一つ年上の同期であるミスロだったため、自分たちの班が父子の世話をすることになった。
アルファは夜泣きもせず、ゼットが常に起きて寄り添っていたので、ベルたちは彼のために食事と寝床を用意することにした。
アルファには村の奥方から乳を分けてもらうことも考えていたが、ゼットがそれには及ばないと、鉄製と思われる水筒から、乳首のような突起のついた哺乳瓶なる入れ物に乳を注ぎ、アルファに飲ませていた。彼が言うには、アルファの母親が用意してくれていたものだった。
それを見ていたエールが、自分もアルファに飲ませてみたいと言ったのを皮切りに、ベルやライカたち、もしろんミスロも、ゼットの指示を受けてアルファへ哺乳瓶から乳を与えた。
ゴードンたち男子も、同じようにアルファを抱かせてもらっていた。普段は生真面目だったり無表情だったりする彼らが、目を輝かせていた姿は、年相応の少年のものだった。
そしてベルは、自分の手の中で、一生懸命に乳を飲みながら、自分の事を見上げているアルファが、とても愛おしいと思い、休憩時間などに、ゼットにお願いしてよく抱かせてもらった。ゴードンだけでなくエールからも、構い過ぎとお説教されるくらいには。
だが、この親子との交流を通して、ベルたちは、自分たちが目指す騎士の姿と在り様を、改めて見出した。
この無垢で小さな赤子の生きる未来を、今、生きている民たちの未来を守るために、自分たちは騎士となるのだ、と。
そして、また時が経ち、ベルたちは、どの隊の騎士よりも強くなった。
アスカス駐屯地所属の第一小隊と聞けば、王国内外でも通じるほどだ。
全てはラトゥス王国のため、民のため、家族のため、大切な人のため。
そして、アルファの未来を守るため。
だが、その意志も、今日この場で終わってしまうかもしれない。
ベルは無意識にそう思い、体から力が抜けていくのを感じていた。
だが、
「おおおおおっ!!!」
誰かの雄叫びが聞こえ、意識が現実へと戻った。
急激に回復した視界の中で、ミスロが迫りくる白い光を、上に掲げた輝く剣で受け止めていた。
その隣では、マントの少女が細身の剣で同じように光を止めていた。
まるで、神話の挿絵のような、力強さと神々しさがあった。
先ほどよりも現実離れした光景に、ベルは呆けたように思考が止まっていたが、ライカの声で我に返った。
「ミスロ!」
「ライカっ、ベルと共に逃げろ!」
ミスロが切羽詰まった声で、振り返らずにそう言った。
「そして隊長と副隊長に伝えろ。怪物たちが、アスカスに攻めてきたと!!」
「無駄ですよ。貴女たちが束になったところで私をどうにもできませんし、あの子の攻撃をこれ以上防ぐことはできません」
やがて、上から迫っていた光が消え去ると、一瞬、淡く輝く光が空で弾ける様子が見えた。
「なるほど、防護陣ですか。それと、魔法剣にブディさんの刀だけでよく耐えきりましたね。まぁ、それも限界でしょうが……出力を二パーセントから五パーセントへと上げましょうか」
逆さの言葉にミスロを見れば、片膝を着いて、肩を大きく上下させていた。見習い時代に激しい訓練をしている時でも、あんなに消耗している彼女を見たことがなかったベルは、相対している敵が想像以上の存在であることを、改めて悟った。
「あ……あぁ……」
ベルは、自分の声と体が震えていることに辛うじて気が付いたが、どうすることもできなかった。
勝てるわけがない。
弱気になった心が、逆さへの恐怖でへし折られそうになる。
「エール……兄様……」
幼馴染と、片思いの青年への愛称が口をついて出る。
それを目ざとく聞きつけた逆さが、ベルを見て、首を傾げた。
「おやおや、今、友達の名前を呼びました? その後、男の名前を呼びましたね?」
逆さは顎の部分に手を添えると、「確か……」と何かを思い出すようにつぶやき、突然、合点がいったように手を打った。
「戦場で異性の名前を口にする者は~ってありましたね。あれ、違ったかな……。イワイ君の思考をもう少し読んでおくべきでしたね……結構、名作の予感だったんですが」
もはやベルなど眼中になく、何やら楽しそうに独り言を口にしている逆さに、ベルは頭が真っ白になった。
「い……や……」
「ベル、気をしっかり持ちなさい。アイツら、口八丁で心を折ってくるんだから」
ライカから飛んできた檄にも、ベルは応じることができなかった。
自分は、好きな人とも結ばれず、アルファの未来も守れず、ここで朽ち果てるのか、と言う思いが、沸き起こってきた。
「逃げ、よう……勝てるわけがない」
「そうしたいけど、ベル、アンタ、動ける?」
言われて、ベルは自分の足が地面に縫い付けられたように、全く動かすことができないことに、気が付いた。
「動かない……!」
「あ、流石にちょろまかと動かれて、仕留めた位置にもしも、もしもですよ? 姫様がいたら、嫌な思い出になってしまうでしょう? それだと、説得しづらくなっちゃうんですよね。ですから、そこでおとなしくしていれば、私は貴女たちを攻撃しません」
逆さの目元が、慈母を想わせる柔和な笑みを作った。
それは彼女の言葉と共に、崩壊しかけていたベルの心へ、自然と澄み渡っていく。
「本当……?」
「ベル?!」
「ライカさん、お静かに。えぇ、ベルさん。私は貴女や仲間たち、大切な人たちを攻撃しません。えぇ、本当は私だってこんな事をはしたくないんです。時間稼ぎさえできればよかったのですから、こうやってお話しするだけにしましょう。ね?」
「ベルさん、聞いてはいけません!」
マントの少女が鋭く叫びながら、逆さへと斬りかかった。
しかし、逆さはそれを黒い手袋に覆われた左手で受け止めて見せた。
「ブディさん、弱体化が緩まっていますね……本当に裏切ったんですか。残念です」
「がはっ?!」
言い終わる前に、少女の体が宙を舞い、ベルたちの前に落ちてきた。
見えなかったが、何かしらの攻撃を加えられたらしく、少女は剣を左手から落とし、右腕を押さえた。どうやら、右腕で咄嗟に庇ったようだ。
「ところで……」
逆さは、明後日の方向を見上げながら、口を開いた。
「彼はまだなのですか? 妖精モドキさん?」
現状を監視している私へ、逆さは語りかけてきた。




