エピローグ
「ヴァンドラお姉ちゃん」
呼ばれて、私は意識の一部をそちらへ向ける。
鍵のかかったドアの向こうで、私のことをお姉ちゃんと呼ぶ少女の声は、どこか眠気を帯びていて、寝起きだという事がわかる。実際に、私の『目』に映っているアルファは、起き抜けで、寝間着姿のままだった。
「どうかしたのか?」
返事をすると、アルファは頬を指でなぞりながら、何をどう説明したらいいのか、悩んだ末に話し始めた。
「あのね、最近、時々なんだけれど……誰かが呼んでいるような気がするの」
声のような気もするが、聞いたこともない言葉で、それはまるで悲鳴のようで……アルファの心の中に、若干の不安が生まれていた。もしかしたら、何か悪い病気の類で、空耳が聞こえているのか。
それとも、“友達”の仲間が助けを呼んでいる声なのか、と。
だが、どれも外れだ。安心させるためにも、私は椅子から立ち上がり、ドアを開いた。
薄明りの中で、アルファが私を見上げた。赤い瞳は潤んでいて、助けを求めているようだった。
私に、助けを求めても、お前を助けてやることはできないぞ。
そんな事を思いながら、小さな肩に手を置いてやる。
「思春期の頃には、まぁまぁあることだ。私も、昔はよくあった」
本当だ。彼女との違いは、明確に相手とそれを認識し合っていたということだ。
「本当?」
「あぁ。怯えることはない。もし病気ならゼットが治す。お前の“友達”やその仲間でもない」
「そう……かな?」
言いながらも、アルファの心に安定感が戻ってきた。
仕上げに、私は彼女の頭にそっと手を置く。
「安心しろ、アルファ」
「うん」
手を動かしてやると、アルファは気持ちよさそうに目を細めた。
「そろそろ、部屋に戻れ。サァフが目を覚ます頃だ」
「うん。ありがとう、ヴァンドラお姉ちゃん」
にっこりと笑顔になり、アルファは向かいの自室へ戻った。ドアを閉める前に、私に手を振ってきたので、適当に振りかえしておいた。
「すっかり、お姉ちゃんだな」
「あの子の姉代わりはたくさんいるだろう。私ではない」
すぐ隣に文字通り一瞬で出現したゼットがからかってくる。
本当なら、私ではなく、お前がアルファの不安を取り除けば万事解決なんだ。
「たまには、父親以外の人物に甘えたくなることだってあるだろ?」
「だからと言って、サァフがいる。今日中にはミスロが戻ってくるし、リリアンたちもいる」
「それに、お前もな」
あぁ言えばこう言う。本当に好かん男だ。
「アルファは、お前の事を大好きなお姉ちゃんとして信頼している。それだけだ」
「そうか」
無視してもよかったが、何となくそれだと負けた気になるから、返事はしておいた。
「信頼と言えば、ミスロがお前の事を信頼していると答えていた」
「そうかい、そいつは嬉しいね」
まったくダメージにならんか。やっていられない。
ドアを閉めると、締め切った部屋に暗闇が戻ってくるが、すぐに目が慣れ、薄明りに照らされた内装が目に入ってくる。
椅子に座り、現在進行形で淀みなく進む世界の情景をまたぼんやりと眺める。
またこうやって、役割を果たすだけだ。そうだ、知っているかもしれないが、仕事の一環として、報告だけはしておこう。
「ところで、敵総大将とその右腕の名前を掴んだぞ。ベルテス、アーカイムだ」
この名前は、最初に戦った奴や、その次に戦っていた敵も呼んでいた名前だ。当然、ゼットもすぐに合点がいっただろう。
「奴らは、お前たちの居場所を掴んだ。どうする?」
「どうするって、いつも通り乗り込んで倒す……つもりだったが」
「……そうか」
また、それができなくなったんだな。
「無視すれば、いいものを」
「本当は、そうしたいけどなぁ……」
ゼットはやれやれと肩を竦めると、階段を降りて行った。
やれやれと言いたいのはこっちだ。
何か物事を解決できる力があり、それを為し得る者を縛るのは、いつだって――あぁ、本当に、無視すればいいものを。
そうすれば、私は、お前たちと会わずに済んだのに……。
「寂しい事考えてると、アルファが泣くぞー」
階下で料理中のゼットが最悪な独り言をつぶやいた。
娘をダシにするとはいい性格をしている。
今回ばかりは、無視してやった。
しばらくアイツとは口を利いてやらん……む。
街に入ってきた旅人の中に、気になる者がいた。
「……また、一悶着ありそうだな」
お読みいただき、ありがとうございます。
第四章はこれにて終了です。
この物語の地の文は、プロローグ以外、
ヴァンドラが『誰か』に語っている設定です。




