chapter53
逆さがいなくなった途端に、ミスロたちユーフィッドの三人と、フジライ、ブディたちは力が抜けたようにその場に片膝をついた。
ミスロの視界に映っていた遠い場所の景色が消える。遠視の魔法が解けたのだ。
「……此度も、救われたな」
最初に口を開いたのはタンデンだった。その視線は、騎士へと注がれている。敵意はなく、まるで懐かしい友を見たような、そんな柔らかい目つきだった。これに、フジライとブディが驚いた。
「親父……?」
「父上……?」
弟子二人には振り返らず、タンデンは騎士へと向き直った。
「私の首を差し出す。この二人のことは、どうか救ってもらいたい」
晴れ晴れとした顔で嘆願するタンデンに、今度はユーフィッド家の面々が何事かと意識を向けた。
「私たちがこの世界に来た瞬間に、貴殿は我々を倒すことができた。違うか?」
騎士は答えない。手にしていた弓が風に吹かれ、光の粒子となって消えた。月と、発光する襟巻に照らされた赤い鎧姿はどこか儚く、幻想的で、誰もが騎士から目を離せないでいた。
「それをしなかった理由は問うまい。だが、先ほどの一撃を見て確信した。貴殿は力を失っておらぬ」
「は?」
フジライが我に返り、素っ頓狂な声を漏らした。
「いや、親父……じゃなくてジジイ、どういうことだよ。こいつは力を失いつつあるか、もう限界ギリギリまで来ているんじゃなかったのかよ?」
「さてな……だが、見ただろう。逆さに強化された機械人形の破壊光線を打ち破ったあの一撃を。今だって、その気になれば我々の首を刎ねるくらいは造作もなかろうて」
タンデンは剣を鞘に戻すと、それを唖然とするフジライに預け、騎士へと近づいた。
「猶予をくれたこと、感謝する。さぁ、私を斬れ。そうすれば、任務失敗と見做され、二人も咎は受けぬ。この二人は、私の加護は受けているが、まだ邪悪に堕ちてはおらぬ。どうか、どうか見逃してほしい」
騎士が、ようやくタンデンへと顔を向けた。兜で隠され、表情は伺えないが、襟巻と同じく、金色に発光する目元がタンデンを見据えていた。
「ま、待ってくれ! 待ってくれ!」
それに慌てたのは、フジライとブディだった。駆け寄ろうとしたが、タンデンの僅かな振り返りに気圧され、足こそ止めたが、言葉は続いた。
「親父だって、まだ邪悪になったわけじゃねぇんだ! 今回の作戦だって、そこのミスロって女に一切の暴力を加えるつもりはなかった。そこの女に喧嘩を吹っかけたのは俺だっ。俺が悪だ! だから俺を斬ってくれ! 親父を斬らないでくれ!」
「フジ兄は少し黙ってて」
ブディに鞘で腰を打たれ、フジライはくぐもった呻き声を上げながらしゃがみこんだ。それを無視して、ブディは一歩前に出て、騎士へと呼びかけた。
「師匠は王国に参入してこそいますが、兄の言うように、師匠は邪悪に堕ちておりません。この度の作戦で我々が行おうとしていたことは二つ。一つは、貴方をおびき寄せるための人質としてミスロさんを誘拐すること。ただし、ミスロさんは客人として丁重に扱うということを事前に取り決めていました。愚兄が勝手に暴走したのは彼の言う通りなので、その点は仕置きしていただいても構いません」
「ォイ……ブディ……?」
痛みからか、妹から容赦のない言葉を聞いたからか、フジライが目尻に涙を浮かべた。
「それから、もう一つの作戦……それは私が任されていました」
ブディは毅然とした態度を崩していなかったが、ミスロには、彼女が死地へ赴こうとしている騎士の空気を纏っているように思えた。
「私の任は、アスカスにいる姫様を、連れ出すことでした」
一瞬の静寂。
だが、何かが起きる訳ではなく、ブディは息を吸ってから続けた。
「そうです。もう王国は、姫様の居る場所をアスカスだと特定しています。直に精鋭たちが集まり、この世界へ乗り込んでくるでしょう。そうなる前に、我々が姫様の身柄を確保したかったのですが……失敗しました」
『当り前よ。まだ十とちょっとくらいしか生きていないようなヒヨっ子に負けるわけにはいかないわ』
女傑が憤慨したが、ブディは取り合わずに騎士へ視線を戻した。
「ですから、真っ先に私をお斬りください。姫様を油断させて連れ出し、その後、何も知らないであろう姫様を修羅の道へと引きずり込もうとした、私を斬ってください。そして願わくば……師匠と兄を、どうか許してもらえないでしょうか」
「おい、ブディ、何を勝手に!」
騒ぎ始める兄妹を他所に、タンデンは騎士を見つめ返した。
「あの者たちは放っておいてもらって結構。私だけを斬ってくれ。そうすれば、上は少しくらいは警戒し、精鋭の到着を少しは遅らせることができるだろう」
「親父、やめろ、俺が斬られる! だからブディを連れて都へ戻ってくれ!」
「それはフジ兄の方です! 父上とフジ兄がいないと、子どもたちが寂しがります!」
「いや、お前だってガキんちょどもに懐かれてるだろ!」
変わらず騒ぎ立てる弟子二人に、タンデンが顔をしかめた時、
「すまない、一つ、いいだろうか」
「すまない、話をしてもいいだろうか」
ミスロとアルデバランが同時に口を開いた。フジライとブディは大人しくなり、タンデンと騎士も父娘へ振り返る。
ミスロが頷き、まずアルデバランが話しを始めた。
「何やら先ほどから色々な事が目まぐるしく起こっているせいで、何が何やらわかっていないのだが……貴殿たちは、何者なのだ? 我が娘や、貴人を誘拐しようとしていたようだが、まさか帝国の残党なのか?」
「アルデバラン殿、我々は貴殿の言う帝国の残党ではない。ましてや、この世界とは本来、縁のない者なのだ」
「ふむ? 遠き国から来た異邦人……なのか?」
「その認識でも構わない。それで一体、話とは?」
「うむ、そうだな……」
頷き、アルデバランは沈黙を続ける騎士へ視線を向けた。
「貴殿が何者で、一体どういった目的を持っているのかはわからない。
だが、どうかこの三人を救ってはもらえないだろうか」
アルデバランが頭を下げると、ルランとミスロも自然と頭を下げていた。
それに慌てたのはタンデンたち、それから女傑だった。
「頭を上げられよ、アルデバラン殿!」
「そうだぜ、アンタたちが何でそうまでする必要があるんだよ!」
「私たちは貴方たちに危害を加えようとした。それだけでなく、結果的にこの地を危険に晒したんです。どうして……」
『そうよ、庇う必要なんてないわ。どうして奴らの仲間を救う義理があるのよ!』
四者四様の言い分に、アルデバランは頭を下げたまま、苦渋の笑みを浮かべた。
「確かに、許すことはできないだろう。だが、先ほどタンデン殿と剣を交えた時に、邪悪さは全く感じられなかったのだ。それに……貴殿らは先ほど、我らと領地の事を、国の事を思ってくれた。誰も犠牲が出ていないのであれば、殺すには惜しいと、私は考えたのだ」
「それは、甘い考えだ、アルデバラン殿」
「いや、私も貴殿らの助命を願おうとしていた」
「ミスロ殿……」
ミスロは騎士を見据えた。
ふと、彼女の脳裏に、十年前の記憶が蘇った。
あの時も、そして今も、彼女の心に引っかかるのは、すぐ隣で沈痛な面持ちでいる父の姿だった。
「どうか、この者たちの命を救ってもらえないだろうか」
『ちょっと待ちなさいミスロ! アンタはまた勝手にそうやって!』
女傑が声を荒げるが、ミスロは目力を緩めない。
騎士が、動いた。
誰もが騎士へ注目する中で、騎士は――その場で跳躍し、館の向こうへと消えた。
突然の出来事に、誰もが茫然としていたが、ミスロは口元に笑みを浮かべていた。
「助かった……のか?」
フジライのつぶやきに、タンデンは寂し気に笑い、頷いた。
「どうやら、そのようだ」
フジライとブディは安堵の息を漏らし、預かっていた剣をタンデンへと返した。
剣を差し直したタンデンは、ユーフィッド家へと向き直り、頭を下げた。
「感謝する」
「いや、我々もただで助けた訳ではない。貴殿らは先ほど、この国だけでなく、大陸全体に及ぶ危機を話していた。詳しく、聞かせてもらえるだろうか」
「あぁ、わかった。だが、伝えたところで、役に立つかどうかはわからぬ」
意味深に言うと、タンデンは語り始めた。
これからこの地へ襲い来るであろう、闇の力を。
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