chapter51
と、ミスロの隣を、誰かが通った。
視界の端で、暖かな太陽のような光が揺れる。
その後ろ姿を見て、ミスロの中で膨れ上がっていた危機感や焦燥感、絶望といった感情が、全て霧が晴れるようにさっぱりと消え去った。
それと時を同じくして、空に輝いていた凶星が一際大きく瞬き、次の瞬間には世界が真っ白に染め上げられた。
不思議と、すぐに視界が光に慣れてきた。
まず目に飛び込んできたのは、立ち上がり、剣を上段で構えていたタンデンと、自分やルランを庇うように仁王立ちしているアルデバランの後ろ姿。
そして、彼らの数歩先で光に向かって手をかざしている、赤い鎧の騎士だった。騎士の頭上には薄透明な緑色の膜が広がっており、白い闇を思わせる光が留まっている。
「貴殿は……!」
「父上っ!」
「何だよ……ありゃぁ」
タンデンが驚きの声を上げ、そのまま膝から崩れ落ちた。それを、ブディと呼ばれた少女が気づいて駆け寄り、一呼吸遅れてフジライがその後を追った。
やがて、空から落ちてきた壁の如き光が消えると、一瞬周囲の様子が真っ暗に見え、これもまたすぐに目が慣れた。
アルデバランとルラン、タンデンたちは驚いた様子で、突如現れた不可思議な騎士を見つめていた。
ミスロたちに振り返ることなく、騎士が手を降ろすと、薄緑色の膜が夜空に一瞬だけ軌跡を残し、夢幻のように散って消えた。
『ようやく現れましたか』
逆さの淡々とした声が再び頭の中に響き渡った。ミスロの視界に映る真っ暗な空間でも、逆さは特に動揺した様子はなかったが、目元に少し笑みができていた。まるで、獲物を見つけた狩人のようだった。
『ヒーローは遅れてやってくる、ですか?』
逆さの嫌味に騎士は反応を示さなかったが、女傑の方が怒りに満ちた声を漏らした。
『どうして出てきたのよ……! 今の攻撃くらい、私が防げた!』
『我々に対抗するための兵器ですよ? 色々と威力を落としていますが、今の貴女くらいなら防御壁を突破して吹き飛ばすくらいはできます』
逆さの言葉には、真実味があった。女傑は呻き声を漏らすばかりで、反論をしなかった。
『あぁ……なるほど、貴女ですか、彼を呼び出したのは』
ミスロの視界の中で、逆さが明後日の方角へ顔を向ける。
その先にいるだろう人物が誰なのか、ミスロは予想がついた。
『姉様……。まぁいいわ。助けてもらったことには感謝するけれど、攻撃はこれ以上しなくていいわ!』
『まぁ、こちらとしてもその方がありがたいですがね。もし貴方がこれ以上動いたら、先ほどよりも威力を上げて撃ちます。そうですね、いっその事、フルパワーで行きましょう。力を失いつつあるらしい貴方を倒すなら、それくらいでいかないと』
先ほどよりも物騒な事を言う逆さに、タンデンと女傑がそれぞれ憤怒を乗せた声を露わにした。
「馬鹿な……そんなことをすればこの国と周辺国が……どれだけの民と生き物の命が消えると思っている!」
『この、アンタは……!!』
『確かに、任務でなければ私だって躊躇いますし、できればやりたくありませんよ。私はベルテス様たちとは違って、そこの御人に恨みつらみはない訳ですから』
そう言う逆さの表情は相変わらずのままだったが、ミスロはこれも彼女の本心だろうと、何となく感じた。偽物の街で戦った女の怪異やその仲間のように、何か思い秘めるところがあるのかもしれない。
だが、心に生まれたほんの少しの同情は、逆さの底冷えするような瞳の前に消えた。
『でもね、任務なんですよ。だったら私はやります。怒るなら、この状況に陥る原因を作りだした、そこの状況を読めない意地っ張りの神を名乗る未熟者に言ってください』
『誰がッ、未熟者で――』
女傑が叫ぶのと同時に、裏庭の片隅に光が降り注いだが、またも薄緑色の膜が空中に浮かび上がって、地表への到達を留めていた。
どうやら、そこに不可視の女傑がいるらしかった。
『まぁ、いいでしょう。これだけ散々時間を与えているのに一向に攻撃を仕掛けてこないということは……本当に力が弱まっている……と見ていいんでしょうか……? 先ほどから使っている障壁も、お仲間の魔法によるもののようですし』
騎士は彫像のように動く様子もなく、逆さの言葉に反応しない。
逆さは肩を竦めるが、やはりこちらも感情を表だって見せなかった。
『まぁ、それなら好都合です……さて、それでは本題に入りましょう。
変身を解除してください。さもなくば、今度こそ、この大陸を蒸発させます』
「何?!」
タンデンが驚愕し、目を見開いた。
「大陸を蒸発……逆さ、貴殿は……!」
『あぁ、そのままでいてくださいよ、タンデンさん。これ以上は本当にベルテス様たちに報告しなくちゃいけなくなりますから。さっきだって、あのまま刀を振り降ろして私の邪魔をしていれば、裏切り者として貴方を報告、その場で始末しなくちゃいけなかったでしょうから。
おっと、女神様や男神様たちも動かないでくださいよ。動けば手元が狂って、大陸プレートまで溶かしつくしちゃいますからね。もしくは、海に当たって、大量の海水が一気に蒸発してしまうかもしれません』
何を言っているのか、ミスロにはわからなかった。
ただ、危機は未だ去っていないことを思い知っただけであった。
『さぁ、変身を解除してください。あ、それとも、これが単なる脅しだったと思っていますか? タルマアさんたちみたいに、標的以外は手出しをしないって言う、道理とかプロフェッショナルというか、神精神の持ち主じゃないんですよ、私は。試しにどこかの村を一つ吹き飛ばしましょうか? こんな感じで』
言い終わるのと同時に、逆さの巨大な鉄筒から光が放たれたが、ミスロの視界の端――ユーフィッド領地にある村の一つの上に、またも緑の光が現れ、受け止めていた。
アルデバランとルランが息を呑むが、光が村に届いていない様子に、ほっと胸を撫で下ろした。
『ふむ……先ほどからずぅっと“視られている”ことはわかっていましたし、ミスロの視界に私の姿を映していることもあえて無視していましたが……』
ミスロは、視界の中に映る逆さと目が合った。心臓が一瞬、止まったような錯覚に陥ったが、何とか堪えた。
『物理的にも精神的にも、これほどの防壁を張れるということは、相当に力がお強い。複数の魔法を種類、強弱、距離に関係なく同時に運用できる……なるほど、本当にいるんですね、タルマアさんたちの報告にあった――』
そして、逆さの視線はどこか別の場所へと向けられた。
『妖精モドキさん』
そう、この私へ。
お読みいただき、ありがとうございます。




