chapter5
ワンダー診療所は、今日もそこそこだけ繁盛していた。
朝から片手で数えるだけの患者がやってきたが、大概は軽い風邪で、ぎっくり腰の老人もいたが、ゼットは全て問題なく治療し、そしてお昼を少し回ったところ、今日最後になるであろう患者の処置を今終えた。
「はい、これで終わり。痛みがあったらまた言ってくれ」
「毎度すまねぇゼット。恩に着るぜ!」
「そう思うならそろそろツケを払ってくれねぇか?」
「それじゃあ、今度いい娘がいる店紹介するぜ?」
「毎度言っているが、行かないからな? 少しずつでもいいからしっかりと払えよ?」
「かぁぁっ、これだから嫁一筋で娘一筋のお医者様は色気ってもんがねぇで困る!」
軽口を叩く職人姿の青年に、アンジュが呆れて肩を落とした。
「だからいいんじゃない。ゼットさんはオルトさんと違って、誰それ構わず声をかけたりしないのよ」
「つまり、アンジュちゃんも望みが薄いってことだぜ?」
「ゼットさん、溜まっているツケ、利息つけてもいいんですか?」
「あぁ、総額の一分ってところで妥協してもいいぞ?」
「ゼット、アンジュちゃん、そりゃぁねぇぜ!」
「だったらさっさと仕事終わらせてこい。仕上げもほぼ終わってるだろ?」
「わかったよ。ったく、仕方ねぇな」
「ツケ、利息五分追加……」
「すぐに終わらせてくるからよぉ! またケインの店で飲もうぜ!」
嵐のように走り去っていく青年オルトを見送ると、ゼットは帳簿に「今日の分も追加」と容赦なく書き加えていく。流石に利息は冗談だったようで、つけなかった辺り良心的だとも言える。
ゼットは代金が一括で払えないものには、少しずつの支払いでいいと言っている。元々、診療費も治療費も驚くほど安いため、払えない者は極々稀だ。
こういった点もさることながら、何より訪れる者たちの信頼を勝ち得ているのは、ゼットの腕だ。彼にかかれば、重い風邪や大けがもたちまち治ってしまう。流石に骨折はそうもいかないが、適切な接骨や処置などにより、通常よりも早く丈夫に回復するのだ。
大々的に広告はしていないものの、ワンダー診療所は知る人ぞ知る庶民の味方として日々営業している。おかげで収入が少ないが、家計が火の車にならない。
ここが奇跡の診療所と言われている所以の一つだ。何せ九年もの間、閉店の憂き目に遭っていない。
理由を知るのは、ごくごく少数の者のみであるが、後ろめたいところが全くないため、ゼットは苦笑を漏らすだけで、数年来の友人のツケや軽口、毎日やってくる患者の少なさにも動じない。
「患者が少ないことはいいことかな」
「今日は五人で、昨日と一昨日は三人でした」
「いいじゃないか。今年に入って一番の患者は風邪を引いたアミリア婆さんだけなんだから」
「それも半刻しないうちに治しましたけどね」
そう言うアンジュの顔は笑顔だ。診療所がつぶれるのは嫌だが、かといってここを利用しなければならない人が増えず、訪れた人が元気になってくれるのは嬉しいのだ。
ゼットもその辺りはわかっているため、肩を竦めて見せるだけだ。
「俺はその人の元気になりたいって意志に力添えするだけだ。まぁ? 俺の力なら? その人の回復速度を倍にできるがな?!」
「はいはい、それはコーシェの生薬が効いてるんですよね」
「うくっ、その通りだ」
調子に乗った口調のゼットをぴしゃりと一蹴し、アンジュは彼の前にカップを置いた。
「あんがとよ」
「いえいえ。今日はもう患者さんが来ないかもしれませんね」
「よきかな、よきかな」
「えぇ。家計が火の車にならないのが不思議ですけれど」
「俺の人望のおかげだな。火の車じゃなくて水車の如く生活を回していける」
「全然面白くないですよ」
傍から見れば、仲の良い恋人か年若い夫婦のように見える軽いやり取り。
もちろんそんな事実は一切ないのだが、そんな二人に異を唱えんとする者が一人、扉から顔を覗かせていた。
アルファだ。
「……ただいま」
「おうおかえりアルファ」
愛娘のじっとりとした視線に、嫌な汗を浮かべながら引きつった笑顔で応じるゼットを他所に、アンジュはそそくさとその場を後にする。
「それじゃ私は少し奥へ行ってきますね」
「おい、逃げるなよ! 俺を見捨てるなよ!」
「娘との団欒を邪魔するほど私陰険じゃありませんから。できた妻は帳簿と薬の整理に入ります」
「できた妻なら旦那を見捨てないで欲しいな?!」
「ねぇパパ、ママを裏切ったりしないよねぇ?」
軽い冗談のやり取りを楽しんでいたゼットだが、アルファの一言に動きと表情を止める。
それは嫉妬から出てはいたものの、全部わかっているアルファなりの軽い冗談だったのだが、ゼットはしっかりと彼女に向き直り、静かに微笑を浮かべた。
「……あぁ、もちろんだ」
「ふーん? だったらいいよ。許してあげる」
微妙な空気の違いに少し戸惑いながらも、アルファはそう言って自室へと去って行った。
診察室に一人残されたゼットは、小さな音を出す階段へ視線を向ける。
「俺は裏切らないよ。お前のこと」
その顔に浮かぶ微笑は、どこか苦悩が滲み出ているが、慈愛に満ちてもいた。




