chapter48
夜、ミスロはユーフィッド邸の自室で早々に眠ろうと思ったのだが、中々寝付くことができず、中庭へ出ていた。
月明かりの下、夜風を感じながら庭の端に用意されたティーテーブルの椅子へ座り、星空をぼぉっと見上げていると、ルランが館から出てきた。
「あら、眠れないの?」
「はい」
ルランは向かいの席に座ると、同じように空を見上げた。
しばらく無言の時間が過ぎたが、やがて、ルランが「ねぇ」と呼んだ。
「貴女たちが見た怪物と騎士って、本当にいたのかしら?」
「えぇ、いました。証拠となるのものは……これを」
ミスロは立ち上がり、寝間着の裾を見せると、ルランは目を少しだけ細めた。
「……誰が、やったの?」
「怪物の一体です。私が見せることができる、唯一の証拠です」
月明かりの下、ルランは切れた上着の裾をじぃっと観察する。
「……とても、えぇ、とても鋭利な刃で斬られたよう。迷いなく斬った。でも、恐らくは何かしらの手加減を相手はしていた……どう?」
「えっ、えぇ……」
衣服の切れ具合を見ただけで、そこまで言い当てられたことに、ミスロは驚いた。
「寝間着を斬られたということは、二番目に出てきたという怪物ね。なるほど、こんなに綺麗に斬れているんだもの。最初からそうなったデザインの服に見える。とても恐ろしい相手だわ。貴女のいう事も、あながち嘘ではなさそうね。ありがとう、見せてくれて」
ミスロが座り直すと、ルランはため息をついた。
「でもこれは、アルには直接見せられないわねぇ」
「いえ、必要とあればお見せします」
気恥ずかしさを覚えたミスロは顔を赤くして、それを見たルランは微笑を浮かべた。
「私が見せるわ。それに、駐屯地でこれを見せたのは、レリムとディザイダだけでしょう?」
「はい。隊長が、他の騎士には見せなくてもいい、と……」
「それでいいと思うわ。父親でも、ちょっと照れくさいでしょう?」
「はい……」
そう言って縮こまる娘に、ルランはほんの少しの悪戯心を覚えた。
「アルも幸せ者よねぇ。親離れしても、まだこうやって慕ってくれる娘がいるんですもの」
「母上っ、私はあくまで騎士としてですねっ!」
「あ、でも貴女の場合は私も大好きだったわね。あらまあっ、アルだけじゃなくて私も幸せ者だったわ!」
「お母様っ!」
くすくすと笑うルランに、ミスロは涙目になって抗議の声を上げたが、声を抑えている辺りは流石と言うべきであった。
「ごめんなさい。久しぶりに会えたものだから、つい」
「だからと言って、ここまで意地悪をされなくてもよいではありませんか」
「貴女がいつまで経っても堅い言葉遣いだからよ。いつもみたいに話してくれればいいのに」
「今回は……任務で来ていますので」
「それはそれ。ここは貴女の家でもあるのだし、私たちの前くらいでは、方の力を抜いていいのよ?」
そう言っても、ミスロが中々の頑固者だということを、ルランは良く知っていた。彼女の予想通り、ミスロは頑なに話し方を変えようとはしなかった。
少しいじり過ぎたかもしれないと思い、ルランはそろそろ次の話題へ移ることにした。
「……明日、アルから話があると思うから、先に言っておくわ」
「結婚相手の話し、ですか?」
「そうそう。貴女はまた断るんでしょうけれど」
「えぇ」
ミスロが唯一、父のすることで嬉しくないことが、自分にそろそろ結婚しないか、と言ってくることだった。見合いまでは行っていないが、もしそんな話をまたしてこようものなら、今度の長期休暇は帰省しないつもりでいる。
「そろそろいい相手を見つけてもいい頃だとおもうけれど」
「お言葉ですが母上。私はまだ結婚するつもりはありませんし、相手は自分の目と意志で選びたいと思っています」
「ふふっ、それでこそ私の娘。と言いたいけれど、実のところどうなの? 選ぶと言っても、貴女の目に適う殿方なんて、早々いないと思うけれど」
「そうですね……」
ミスロの幼馴染や知り合いの女性は、貴族、平民問わず、十代半ばで結婚した者が少なくない。残っているのは、騎士団に所属している仲間たちを含めた少数だ。その中でも、婚約者や恋人、意中の相手がいる者はいる。
例えばそう、親友のライカは意中の相手がいて、相手が自分を迎えにくるのを待っているのだ。
見ていて微笑ましいが、自分はそうやって待つつもりは全くなかった。見合いを否定するつもりはないが、自分はせめて自ら相手を見つけたいと思っている。
ただ、アルデバランのような立派な男性、という必要最低条件を超える逸材が中々見つからないのだ。
「ミスロ、アルと並ぶような殿方は滅多にいないわよ……?」
「えぇ。わかっています」
「いたとしても、貴女が気に入るかどうかはわからないわよ?」
「はい」
「……アルがこいつなら、って思った人でも?」
「いくら父上の選抜でも、ダメです」
「一度くらいは会ってみたら?」
「見合いですか……?」
「ミスロ、騎士と言え貴女は貴族の娘……わかったからその目はやめなさい」
ミスロの射殺さんばかりの視線を受けて、真面目な顔で説教をしようとしたルランは、すぐさま手を翳して止めさせた。
「まったく、昔の私そっくりね」
「恐縮です」
「あまり褒めてないわよ」
苦笑したルランが、突然にはたと手を合わせた。
「ねぇミスロ、そう言えばアスカスには薬師コーシェがいたわよね」
「え? えぇ」
「肌荒れに効くお薬があれば、買ってほしいのだけれど」
「母上には必要がないように見えますが……」
ミスロは若干ながら夜目が効き、月明かりくらいの明るさがあれば、近くの相手の肌艶の状態を確認できる。
ルランは年の割に若く見え、ミスロと同じ亜麻色の髪も、肌もとても艶やかだ。特にこれと言った化粧品の類も使っていない。
「私じゃなくて! 今度、マリアに送ってあげたいのよ」
「あぁ、そういうことですか。わかりました。それでは、戻り次第、頼んでおきましょう」
納得したミスロの言に、ルランは目を丸くした。
「頼む? 買うのではなくて?」
「彼とは知り合いなのです」
「まぁ、そうなの?」
「はい。ですが、頼んだ薬が届くのには少し時間がかかるかもしれません」
「人気の薬師ですものねぇ」
「それはそうなのですが……」
歯切れの悪いミスロに、ルランが首を傾げた。
「……先日、彼も、ライカと共に怪物に襲われたのです」
「何ですってっ? じゃあ、三回目の襲われた民間人というのはコーシェ薬師なの?」
「はい。火事場の馬鹿力……ライカと協力して怪物に立ちまわった時の影響で、明日か明後日までは動けないようです」
話しを聞き終えると、ルランは腕を組んで考え込むように目を伏せた。
「仲間が初日に襲った二人のうちのライカと、名が知られるようになってきたコーシェ薬師を始末しようと考えたのかしら……」
「わかりませんが、恐らくライカが狙われた理由は、恐らく母上の考え通りだと思います」
「どうしてそう思うの?」
「私も、奴らに狙われているからです」
ミスロはそう言って立ち上がると、そのまま館へと歩を進めた。
「夜明けには出立します。ここに長くいれば、奴らは来ますから」
「待ちなさい。貴女が狙われているのであれば、なおさらここにいればいいじゃない」
「領民と、母上たちを巻き込みますから」
言うと、ミスロは今度こそ館へと入って行った。
ルランはすぐにその後を追ったが、彼女の姿はどこにも見受けられなかった。
MMMMM
ルランが寝室に戻ると、ベッドに腰掛けたアルデバランが出迎えた。
「あら、起きていたの?」
「あぁ……」
ルランはアルデバランの隣に腰掛ける。
「残念ね。孫の顔が見られるのは、もう少し先みたい」
「そのようだな」
「……ねぇ、あの子も大人。それに自ら望んで騎士になって、今もそこに立っている。心配なのはわかるけれど、結婚しても、あの子は家でじっとしていないわよ、きっと」
「……そうだろうな」
ため息をついたアルデバランに、ルランが寄り添った。
と、アルデバランは愛する妻の名前を口にした。
「ルラン」
「なぁに?」
「もう十年だ。あの日、ミスロが霊峰に登り、旅人の親子を助けてから十年が経った」
「そんなこともあったわねぇ。でも、それがどうしたの?」
「……あのあたりからだよ。ミスロの何かが変わったのは」
「剣は、確かに変わったわね」
ある時、帰省したミスロがアルデバランとの稽古で見たことのない剣術と動きをした。実戦的で理にかなったそれと、これまでの剣を巧みに組み合わせ、偉大な騎士であるアルデバランを翻弄した日を、ルランは思い出した。
「それだけではない……覚悟が違う」
「覚悟?」
「あぁ」
アルデバランは思った。
幼い頃から騎士になりたいと志していたミスロに、アルデバランはその心構えを叩き込んできた。
だが、霊峰から光の柱が昇った後、戻ってきたミスロは、何か大きな使命を背負った者独特の雰囲気を纏っていた。
忘れもしない。
まだ十と少しの少女が、領主や王族のように、何かを守るための義務と責任を明確に認識して抱いていた。
「あの日、何かがあったのだ。あの子が覚悟を背負うような何か、重大なことだ」
「旅人の親子を助けたこと、かしらね。親子は、確か今、アスカスにいるのではなかったかしら?」
アルデバランは、記憶の中から、霊峰で助けられた親子の情報を引き出す。
赤ん坊の娘を連れた年若い男。
その間も、ルランは続けた。
「助けた親子の面倒を、見続けているのかしらね」
「……かもしれんな」
確かに、ミスロならそうするかもしれない。あの雰囲気は、未熟な自らが二人を守っていこうという、覚悟の表れだったのかもしれない。
少し違和感を覚えながらも、そう言う事かもしれないと納得しかけたアルデバランの肩に、ルランは手を置いた。
どうした、と見れば、ルランが窓を指差していた。
「ねぇ、あれ、何かしら」
妻の指差す方を見ると、窓の外で、何かが淡く輝いているのが見えた。月明かりにしては少し眩しい。
立ち上がり、近寄って様子を伺い、アルデバランは愕然とした。
「何だ、あれは?」
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