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機巧のギルフェンセィア 天使の子守歌  作者: 胡桃リリス
第三章 夕闇に潜む怪異を暴け
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chapter37


 ライカはほとんど反射で、剣を抜くよりも先に、コーシェを抱えて横へ転がった。間一髪、二人がいた場所を謎の影が通り抜けた。


 ライカとコーシェが起き上がると、一人の男が立っていた。真っ黒な外套を纏った姿が、薄暗い街に溶け込んでいるような不気味さを感じさせた。

 男は端正な顔立ちをしていたが、美しさよりも、湧き上がる畏怖の感情に怖気が走る。


 彼の真っ赤な目が二人を見下ろしていた。目が合った訳でもないのに、二人の体は金縛りにあったように動けなくなった。


「力が欲しいか?」

「え?」


 唐突に、男が口を開いた。その目線は、コーシェへ向けられている。


「力が欲しいか?」

「ち、から?」


 突然の出来事と男の登場に、コーシェは茫然としていた。男の言葉がまるで心地よい歌のように耳から頭へ入り込んでくる。


「そうだ。力が欲しいか? お前の欲望を満たせるだけの、知識と技術を授けてやろう」

「知識と、技術……」

「コーシェ、耳を貸しちゃだめよ!!」


 ライカは遮ろうとするが、喉と口が動くだけで、声は出てこなかった。記憶から、夜の街で出会った悍ましい怪物との邂逅が浮かんでくる。あの時と同じだ。


「そうだ……お前の望みを言え。叶えてやろう」


 甘美な響きを乗せた声音がコーシェの心を揺り動かさんと紡がれる。

 傍で聞いているライカには、悪魔が彼を連れ去ろうとしているように見えた。

 果たして、コーシェは虚空を見つめながら「力……望み……」とつぶやき、


「お断りします」


 はっきりとした口調で断った。恐怖が浮かぶ目は、しかしはっきりと男を見据えている。

 コーシェの様子に、ライカは瞠目した。


「やはり、奴らの加護が効いているか……」


 男は苛立ったように目を細めると、突然その場から飛び退き、近くの建物の影に入り込んだかと思うと、その姿を掻き消した。


 直後、二人の体に自由が戻った。


「何が……」


 ライカがふらつくコーシェを支えながら立ち上がらせようとしていると、周囲から何かがぶつかる音が聞こえてきた。

 音の発生源は、辺りの建物の影からだ。弾かれ、ぶつかり、時々火花が散る光景が繰り広げられる。


「セイクリッド様……これは……」

「後よ。コーシェ、動ける?」

「はい!」


 腰が抜けているかもしれないと心配したが、彼は自分の足でしっかりと石畳の上に立ち、力強く返答した。

 しかし、あの不気味な男や、今しがた周囲で起きている怪現象のおかげで、この場を離れようにも動くことができない。

 音は次第に激しさを増し、所々でチカッ、チカッと光が発せられるようになった。


 常人なら恐怖で平常心を失っているところだが、元より屈強な騎士であるライカは、先日、異形と出会いその身を以て力を体感したおかげで、怪物の類と出会った時のために覚悟ができていたおかげで冷静さを保っていられた。

 そしてコーシェも、薬師と言う根気のいる職業柄と、フィールドワークで野山を独り歩き回っているため、心身共にただの街人よりは強く、震えそうになる足を気合と根性で無理やりに抑えこむことができていた。


 その時、二人の耳に、年若い女性の声が届いた。


『三つ数えたら、その時光った場所目がけて走りなさい!』


 少し焦ったような、しかし力強く、聞いていて安心できる声だった。


「今のは?」

「わからないわ。でも……!」


 視界の端で一際大きな光が発生したのを確認すると、ライカはコーシェを引っ張って走り出した。


「今は、信じてみるしかない」


 夜の帳が降りてくる不気味な街へ、二人は走り出した。


『待て!!』


 怒声が聞こえてきた。先ほどの男の声だ。


『逃げなさい二人とも!』

『えぇぇい!! 邪魔をするな!!』


 悍ましい声だ。

 顔をしかめ、踵を返したライカだが、その手をコーシェが引っ張っていた。


「ライカさん、こっち!!」


 彼が引っ張る先の道に、光が走った。背後から目に見えない男の怒声が聞こえてくる。


 二人は走った。しかし、どこまで行っても迷路は途切れず、闇は深まっていくばかりだ。背後から聞こえてくる戦闘音は激しさを増していき、ほとんど離れない。

 ライカは警笛を鳴らしてみたが、音は出なかった。やはり、封じられている。


「コーシェ、アンタだけでも逃げなさい」


 自分が出来ることはないだろう。だが、せめて彼だけは逃がさないと。

 ライカはコーシェの手を振りほどこうとするが、彼は想像以上に強い力で抗い、離そうとしない。


「ライカさんも一緒に逃げるんですよ!」

「ダメよ! 今に追いつかれる!!」

「あの不思議な声の人が、止めてくれています!」


 コーシェは思う。

 あの女性の声は、優しい感じがした。朝と、影の男のような嫌な気配はない。ずっと見守ってくれているような、それはまるで――――。


「優しい妖精さんが、ボクたちを守ってくれようとしていますから!」

『妖精じゃないっての!!』


 背後から苦々しそうな文句の声があがったが、必死に逃げる二人には届いていなかった。


お読みいただきありがとうございます。

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