chapter32
昼前までに、三人の患者が診療所にやってきて、コーシェはその全員からおかえりと言われた。
フィールドワークのために街から出ていることも多いが、基本的に彼は実家とワンダー家を行き来しているため、馴染みの人たちも多いのだ。
彼の本職は薬師だ。
その腕前はゼットが朝に述べた通り相当なもので、王都でも店を開けるクラスである。
しかし、彼は王都ではなくアスカスで仕事や研究を行っており、実家とワンダー診療所でそれぞれ用途に合った薬草や薬を売っている。
そして、得た資金と、ゼットから見て盗んだり教わったりした技術や知識で新しい薬を作り、検証し、発表することを繰り返している。
これにより、彼の名前は徐々にではあるものの、アスカスを中心に王国中に広まりつつあった。
期待の若手薬師コーシェ。
人々の生活や命を支え、助けることが彼の使命であり、生きがいであったが、努力を惜しまない理由が、もう一つあった。
その目的へいち早く近づくためにも、彼はゼットから異国の知識を取り入れ、薬師としての腕を磨こうとしている。
「コーシェ、キノコってな、植物じゃないんだ」
「えぇっ?! じゃあ、一体何なんですか?」
「キノコは菌類だ」
だからだろう、ゼットの嘘のような本当の話を、驚嘆しながらも受け入れられるのかもしれない。
一方、お茶を飲んで休憩中だったサァフは、半信半疑になって目を細めていた。
「なぁ、こいつ今朝みたいに出鱈目を言っていないか?」
「いえ、本当だと思います」
「えー……?」
コーシェがそう言うものだから、サァフは顎肘をついてゼットを見やった。
「なーんか胡散くせぇというか……」
しかし、もしキノコが植物でなかったのであれば、私たちがこれまでに食べたものは一体なんだったんだろうか。と言うか、菌類って何だろうか、とサァフは何とも言えない気持ちになった。
わからないので、聞いてみることにした。
「……ところで、菌類ってなんだ?」
「目には見えない程小さな生物のことだ。キノコっていうのは、こいつらの胞子を作ったり、飛ばしたりするためのものだ」
「訳がわからん」
サァフは真顔で一蹴したが、一方のコーシェは真剣な面持ちでゼットの話を聞いていた。
「なるほど、キノコのあれは胞子だったんですね……」
「お前は幸せそうだな?」
「はい! 知らないことを知ることができるって何だか嬉しいじゃないですか」
目を輝かせっぱなしのコーシェは、何も知らずに傍から見ていれば、憧れの異性を慕っている年頃の娘そのものだった。本人がとても気にしていることなので言わない。
「ところで、今の話が今朝の、適当に教えるって奴か?」
「いや、今までのは雑談だ。昼飯にエリンギを食ったから、丁度いいと思ってな」
軽い調子だが、キノコの常識を変えるような事をさらりと言ってのけたゼットに、サァフは、やっぱりこいつは只者ではない、と思ったのであった。
「ゼットさーん」
「んじゃ、また後でな」
アンジュの呼ぶ声に、ゼットは表へと戻って行った。
残されたサァフたちは、お茶を飲みながら、しばらく無言でいたが、やがてコーシェの方が口を開いて、
「サァフさんは」
「ん?」
「その、ゼットさんの弟子、なんですか?」
おずおずと向けられた質問に、サァフは噴き出しそうになった。
「んな訳ないだろ」
「そうなんですか?」
「私はここの連中に助けられて、その借りを返そうとしているだけだ。だから、安心して弟子入りなりすればいいだろ」
そう言うと、コーシェは「すみません」と頬を赤くして縮こまった。
まるで好意を抱いている相手を狙う恋敵でなくてよかった、と安心している乙女のように見えたが、サァフは首を振って気を取り直した。
「お前、ゼットの事が好きなんだな」
「ふぇっ?!」
「あっ、いや、別にそう言う意味じゃなくてさ。なんていうか、知識や技術が欲しいからってだけじゃないんだな、と思ってな」
「……そうですね。ボクはゼットさんもアルファちゃんも大好きです。あ、もちろんサァフさんもアンジュちゃんもですよっ」
「私とは今朝会ったばかりだぞ?」
同世代から面と向かってそんな風に言われ、くすぐったく感じてしまい、サァフは少し顔をしかめてしまった。
「サァフさん、いい人みたいでしたから」
いい人。
自分には合わない言葉だな、と思って、サァフは苦笑いを浮かべた。
「いい人って言うのは、ここの連中やお前みたいな奴を言うんだよ。私は捻くれた家出娘みたいなもんだ」
本当は、もっと酷い悪党だ、と心の中で自嘲する。
しかし、コーシェは小さく首を傾げて、
「いえ、サァフさんはいい人ですよ?」
「何で言い切れるんだよ」
「はい、サァフさんが悪い人であれば、アルファちゃんがあんな風に接しないでしょうし、ゼットさんもアルファちゃんやアンジュちゃんに貴女を近づけたりしないはずですから」
考えた事をそのまま口にしているようなコーシェの言葉に、サァフは顔をはっとさせる。
何とも自分にとって都合のいい話に聞こえる。
同時に、よくわからないが、彼の言っていることは正しい、とも思えた。
きのこの山も好きですが、たけのこの里も好きです。




