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機巧のギルフェンセィア 天使の子守歌  作者: 胡桃リリス
第三章 夕闇に潜む怪異を暴け
38/91

chapter29


「あ、コーシェさん、お帰りなさぁい」

「リリアンちゃん、ただいま。ガランさんたちは元気かな?」

「はいっ」


 アルファを迎えにきたリリアンと挨拶を交わし、登校する二人を見送ったコーシェは、そのまま表の掃き掃除へと向かい、それが終わると食卓、応接間、待合室と手早く掃除を進めて行った。

 その手際の良さにサァフが感心していると、アンジュがいつものように元気よく診療所のドアを開いた。


「おっはようございまーす!」

「よっ」

「おはよう」

「あの、玄関の掃除が終わっているみたいなんですけど、サァフがやったんですか?」

「いや、私じゃなくて……」


 言いかけたところで、一通り掃除を終わらせたコーシェが戻ってきた。


「あ、アンジュちゃん、ただいまぁ」

「おかえりなさい。ようやく戻ってきたわね」

「街道が封鎖されちゃって」

「事情は聞いているわ。遅れた分として、お客様用のハーブのブレンド、またよろしくね」

「任せてよ」


 コーシェは軽く手を挙げると、奥へと引っ込んだ。


 サァフとアンジュも準備を終え、診療所の一日がまた始まった。


「なぁアンジュ、コーシェって本当に男なのか?」

「え? あぁ、そうよ。信じられないかもしれないけれど。本人は凄く気にしているから、あまり言わないであげてね」

「そうか……」

「私も最初に会った時には女の子だと思ったものよ」


 始まったが、誰もこないので、二人は受付で頷き合っていた。


「そう言えば、昨日はお前らどこに行ってたんだ? 帰ってきても誰もいないし」

「その前に、アンタこそ、どこへ行ってたのよ?」

「私は、ゼットに相談に来たっていう学校の体育教員とか言う奴に誘われて、近くの居酒屋で愚痴を言い合ってた」

「あぁ、オージュ様と一緒だったのね」

「え、オージュってことは、あのマルタって奴の一族なのか?」

「えぇ、オージュ家の長女で、マルタ様の一番上のお姉様よ。ミスロ様の後輩で、トーナメントの一騎打ちでは毎年上位に残る腕前の方なの。たまに診療所にも来るわ」

「そ、うか……」


 やっぱりこいつらの周囲は何かおかしい。そう思ったが、サァフは口には出さなかった。


「それで、私たちの話ね。うーん、色々あって、騎士団の駐屯地へ行ってたのよ」

「は? 何かあったのか?」


 もしかして、自分絡みでややこしいことでもあったのだろうかと危惧するサァフだったが、アンジュは視線を明後日の方角へ向けて半笑いを浮かべた。


「えぇとね。アルファを騎士団へ迎えたいって勧誘があって、ちょっと実力を見て見たいってことで、皆で行ってたのよ」

「お前もか?」

「心配だったから」


 嘘は言っていない。アンジュは本当に心配だった。アルファだけでなく、ゼットのことも。結局は、杞憂ではあったが。


「んで? 断ってきたのか?」

「ええ」

「そうか」


 サァフはそう相槌を打つと、それ以上は踏み込まなかった。

 恐らく、それだけではないと、直感が言っている。オージュ家の長女だって、相談のためではなく、自分を保護・監視するために来たのだろう。それくらいは察することができた。


「ミルシャって小娘は中々強かったが、アルファはそれを上回ってる。性格も悪くねぇし、騎士団としちゃ、確保しておきたい人材だよなぁ」

「そうみたいね」


 アルファを巡って一悶着あったが、サァフには言わないようにと口止めされているため、アンジュもそれ以上は話さなかった。


「アンジュは」

「ん?」

「騎士になりたいって、思ったことはあるか?」

「んー……まぁ昔はね」

「今は?」

「そう言う道があったのかもしれないって思うけれど、今の私は診療所で働いている方が好きだから」

「そうか」

「サァフは、どうなの?」

「私は……」


 一度は諦めた。諦めざるをえなかったのだ。

 しかし、命拾いして、守りたいものが新しくできて、コーシェのあの姿を見たら……。


 自然と浮かんだ言葉が、口から紡がれようとしたとき、ドアが開き、職人姿の青年が入ってきた。


「よぉっす、アンジュちゃん。ゼットはいるかー? ツケ、払いに来たぜー!」

「はい、お仕事お疲れ様です。ちょっと待っていてくださいね」


 アンジュはサァフに「また後でね」と言うと、ゼットを呼びに診察室へ入って行った。

 残されたサァフがため息をついていると、オルトが近づいてきた。


「お、話に聞く新しい看板娘さんかい? 俺はオルト。細工師をしているもんだ」

「初めまして、サァフです」


 営業用の笑顔と言葉使いで答えたサァフの下に、ゼットを連れたアンジュが戻ってきた。


「おはよーゼット。溜まっていたツケ、キッチリ持ってきたぜ」

「そんな自慢げに言うようなことじゃねぇよ。……よし、確かに預かった。あんまり無茶はするなよ?」

「わぁってるって。それより、サァフちゃん、可愛いじゃねぇか」

「何だお前、ウチの従業員を口説きに来たのか?」

「違うからそんな怖い目で見るなよ。しかし、倒れていたそうじゃねぇか。俺より、サァフちゃんの方は大丈夫なのか?」

「えぇ、私は大丈夫です。それに、ゼット先生に助けていただいた恩返しがしたくて、ムリを言って働かせてもらっているんです。感謝しかありません」


 表向きの事情を明るく話すサァフに、オルトは優しい表情を浮かべたかと思うと、快活に笑った。


「そうか。こりゃ、アンジュちゃんに強敵が現れたな!」

「強敵?」


 サァフが小首を傾げる横で、アンジュが満面の笑顔になり、


「オルトさん、利息、払ってもらってもいいんですよ?」

「うおっ、おっかねぇ!? いや、すまん、冗談だ」

「はぁ……」

「何だお前、ウチの従業員をからかいに来たのか?」

「それも違うからそんな目で見るなよ。……んじゃ、帰るわ。そうだ、今夜、ケインとこで一杯どうだ?」

「晩飯の後でなら、言葉通り一杯だけ付き合ってやるよ」

「よしっ、そう来なくっちゃな。そう言やぁコーシェの奴、まだ戻ってきてねぇのか?」

「戻ってきたさ。今は中庭の掃除をしてくれている。呼んでくるか?」

「いや、また後にするわ。じゃあ、夜にまた来るぜ!」


 言うだけ言ってオルトは去って行った。

 営業用の笑顔で見送ったサァフがぽつりと、


「なんか軽そうな奴だったな」

「言動はそうだが、悪い奴じゃない。それに、職人としての腕は確かだ」

「怪我をした時は、よくツケにしていますけどね」

「大丈夫か、アイツ……」


 サァフは、本当に、この診療所には変わった奴しか来ないなと思いながらも、やはり口には出さなかった。


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