エピローグ③
ディザイダの下へ戻り、倒れていた槍の柄を爪先で蹴って跳ね上げ、油断なく切っ先を敵へ向ける。
『ちっ、これだから女神どもの加護は嫌いなのよ……近づきにくいったらないわ……厄介なのよ』
なるほど、先ほどから余裕を持った態度で、中々近づいてこないと思ったら。
ミスロは後退しながらディザイダの腰に手を回した。すぐにでも彼女を肩に抱えて逃げられるように準備する。
「ディザイダ、落ち着いて聞きなさい。もし体の自由が戻ったら、真っ先にこの事を隊長に報せ、それから急いで民たちを避難させるのです」
「ミスロさんは?!」
「貴女を安全な場所まで運んだら、奴を足止めします」
「危険ですっ、見ていましたが、彼女の動きは七大騎士クラス……いえ、もしかしたらそれ以上かもしれません!」
「すぐにそこまで察することができたのであれば、突っ込む気力もわかないでしょう」
『逃がすと思う?』
声が、すぐ真横から聞こえた。
体が半自動で槍を振るい、隣に現れた敵を柄で叩こうとしたが、受け止められてしまった。
『こうなったら、少しくらい女神の力があっても、我慢してあげる……』
言葉の途中から、美女の体が崩れていき、衣服が闇に解けていく。
腕は被膜のついた羽に、足は分裂して植物の根のような、それでいて粘液にまみれた君の悪い何かへ……そして、妖艶な上半身を持つ怪物へと変貌を遂げた。
ディザイダの声にならない悲鳴。
ミスロでさえ、気味の悪さと、邪悪な気配に嫌な汗が止まらない。
屈強な騎士二人の心を、冷や水のような感覚が侵蝕していく。
『その後で、じっくりと血を味あわせてもらうわ!!』
口を大きく開いた怪物が、ミスロたちへ襲い掛かろうとした、その直後。
『うぎゃっ?!』
突然、怪物が悲鳴を上げ、大きく仰け反った。
ミスロは咄嗟にディザイダを担ぐと、怪物から距離を取った。
その時、ディザイダは確かに見た。
怪物の胸に、光る何かが刺さっているところを。
「ふぁ……っ」
そして、突如として頭上から紅と金色の閃光が落ちてきて、怪物を両断した。
『お、のれ……まさ、か…………』
断末魔の叫びは、しかし響き渡ることなく、最初から発した存在などなかったかのように、夜の静けさが戻った。
体が動くようになったディザイダはミスロに降ろしてもらい、並んで様子を観察する。
先ほどまで怪物が立っていた場所に、赤い鎧を纏った騎士が立っていた。金色の襟巻が光を放ち、辺りを淡く照らしだしている。
幻想的な光景に、先ほどまでの出来事を忘れたように見つめるディザイダとミスロは、しかし、突然騎士の背後で起き上がった真っ二つの怪物を見て声を上げた。
「後ろ!!」
「危ない!」
騎士の姿が掻き消え、怪物が振り降ろした根が演習場の地面を砕く。
『『おのれぇ、おのれぇ、おのれぇェッッッッッ!!!』』
左右の半身が別々に動きながら、騎士の姿を探していると、右半身の翼が突然切り裂かれた。
怪物の後方に現れた騎士が、そのまま蠢く根には触れず、いつの間にか持っていた光り輝く得物を投擲した。その豊かな乳房と脇腹の間に刺さると、怪物の右半身は苦悶の声を上げ、光の粒となって消えた。
『何……?! まさか、力を失いつつあって……これ、なの?!』
狼狽する左半身だけ残した怪物が跳躍し、片方だけの翼で夜空へ飛び立った。
『ベルテス様、アーカイム様、まずい、奴は、奴はいます。姫様を、後は――――』
空手の騎士は、逃げようとする怪物を見上げる。
そして、右手を軽く振るった。
ミスロとディザイダには、怪物の左胸が、光ったように見えた。
もし夜目が効いていたのであれば、人間であれば心臓がある辺りに、幾つもの鋭角のついた、小さな光の円盤が刺さっているのが見えていただろう。
『あぁっ、愛しの方の大切な宝物、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■……に、我らが王国に栄光あれぇぇぇぇぇぇあああああああああああああああッ!!』
聞くも悍ましい絶叫が空から降り注ぐ。
直後、怪物を光が包み込み、花びらのように、星の海へと消えて行った。
全てを見届けたミスロとディザイダは、言葉を失いながら、騎士へと視線を戻した。
そこで、ディザイダは初めて、その不思議な鎧が、騎士の全身を覆っていることに気が付いた。兜も頭部を全て覆っており、それでいて複雑そうな構造ではなく、両目に当たる部分が金色に輝いているように見えた。
星海の下で、自ら輝く紅の騎士に、ディザイダは目を奪われていた。
「……綺麗」
知らず知らずのうちに紡いだ言葉は、果たして騎士に届いたのかどうか。
彼(?)は二人へ顔を向ける。
ミスロと、騎士の視線が交錯する。
「助かった、感謝する」
騎士は何も返答せず、地面を蹴る。
金色の線を描きながら、その体は宙へと舞い、演習場の外へと跳び去って行った。
「……ミスロさん」
「はい」
「貴方の報告は……嘘ではなかったんですね。怪物も、騎士も」
ふと、演習場を見回したディザイダは、息を呑んだ。
先ほど、怪物に折られたはずの剣や、砕かれた地面が、自分たちが来た時と変わらない状態でそこにあった。
変な笑いが漏れそうになるのを堪え、ディザイダはミスロへと振り返る。
「……夢、だったんですか?」
「夢であったのであれば、どれだけよかったでしょうか」
ミスロが切れた裾を見せる。
「これは……緊急会議が必要になります」
「しかし、誰も信じないでしょう」
「少なくとも、隊長は信じてくれます。これは、王国を揺るがす大事態です」
断言するディザイダの瞳に、使命感が宿る。国と民を護るために戦う、騎士の目だ。
それを見たミスロは頷き、騎士の去って行った方を見やった。
「ミスロさん、一つ、貴方にお願いがあります」
「何でしょうか?」
「この事をユーフィッド卿に報告するのです」
「わかりました」
闇が襲い掛かった事実を知る二人の騎士が動き出す。
それを、遠くから見守る赤い鎧の騎士が、左手を明後日の方角に振るう。
直後、遠くの方で、一瞬だけ何かが光って、消えた。




