エピローグ②
月明かりの下、ディザイダは演習場に立っていた。
目が覚め、どうしてか眠ることができず、気が付いたら演習場に足を運んでいた。
夕方の決闘を思い出す。
ゼット・ワンダー。
噂には聞いていた。優れた医術の腕を持ち、それを民草のために振るう青年。
ミスロたちが度々立ち寄り、彼の娘に稽古をつけている、とも。
しかし、ミルシャたちから聞いた話で、アルファたちに剣を教えているのはミスロたちだけでなく、ゼットも混じっていると知った時、怒りと同時に幸運を感じた。
入団を断るアルファを、騎士団へ導くいい機会だと思った。
流石にミスロたちにゼットが剣を教えていた、とフィナと言う女が口走った時には、怒りがいよいよ頂点に達し、この思い上がった青年を叩きのめしておかねば、とも思った。ミスロたちが強い理由が、もしかしたらわかるかもしれない、とも。
戦ってみて、最初は弱すぎると失望した。
そして、奇妙な一撃を受けて負けた。
車輪のように回るシナイ、そして脇腹に感じた鋭い衝撃。
久しく覚えのなかった感覚。気が付けば、手を当てていた。痛みはない。
剣を車輪のように回す技はあるが、彼の剣は既存のどの流派にも当てはまらなかった。
全く知らない流派だ。彼の故郷のものだろう。
ゼットは言った。
自分は素人で、本物はもっと凄いと。
きっと、彼の師匠のことだろう。
あの腕で、自らを素人と呼ぶ彼は、本当に一体何者なんだろうか。
何故、故郷を離れ、妻と共に霊峰へと登っていたのだろうか。
ふと、気配を感じて振り返ると、ミスロが近づいてきていた。
「こんばんは、副隊長。こんな夜更けに、何をされているんですか?」
「眠れませんでしたから……ミスロさんも?」
「えぇ」
隣に並んだミスロも、演習場へ目を向けた。
「私は……平民は、護られるべき存在だと思っていました。だから、弱いのに、剣術を教えるなんておこがましいと……それは、今も変わりません」
ですが、と続ける。
「彼は、違った。まさか……国王から指導許可が下りているなんて、話にすら聞いていませんでした」
「申し訳ありません。王とゼットの希望で……」
「いえ。話してくれていなかった隊長が悪いのです。情報収集をしていなかったなんて思わなかったなどと言って逃げて……」
ぶつぶつとつぶやくディザイダの黒いオーラに、ミスロは苦笑した。
「……ねぇミスロさん。ゼットさんは本当に何者なんですか? ただの旅人ではないでしょう」
「この話を聞いた者は、皆そう言います」
「身ごもった奥方を連れて、霊峰へ登っていた……もしかして、彼はどこかの貴族――」
『いいえ、貴族ではありませんわ』
唐突に、天から声が降り注いできた。
ディザイダとミスロが振り仰ぐと、星の煌めく天海の真ん中に浮かぶ月が見えた。
見慣れた、しかし美しい光景。
その中に、不自然な影が浮かんでいた。
女性だ。
妖艶なドレスに身を包んだ、妙齢の女性が浮かんでいた。
「なっ……」
声を失うディザイダを他所に、ミスロはすぐさま彼女を庇うように前に出た。
美女は静かに演習場の中央に降り立つと、二人を見て、口端を歪めた。
『ただの、殺し屋よ』
「……何者ですか、貴女は?」
「副隊長、耳を貸してはいけません。奴は悪魔です」
『悪魔だなんて……そんな酷い』
美女は気にした様子もなく、余裕たっぷりにゆったりと振り返り、
『私はただの神よ』
先ほどから喋らず、歪むだけだった口元が裂けるように開くと、鋭く並んだ、鮫を思わせる歯が、月下に光った。
「ッ……?!!」
「ディザイダ、走れ!」
ミスロは近くにある剣を確認すると、護身用に持ち歩いているナイフを取り出し、美女目がけて投げつけた。
同時に駆け出し、それぞれ近くにあった剣を執る。
その間にもミスロは美女の動向を確認していたのだが、美女はナイフを避けることなく、突き出した掌で受け止め――――ナイフの刀身を砕け散らせた。
出鱈目な。
剣を構えながら、ディザイダの前に立ち、睨みを利かせる。
「ディザイダ、ここは私が引き受ける。貴女は逃げなさい」
「ですがミスロさん、体が……動かないっ!」
苦しそうな声に振り返れば、ディザイダが震えていた。恐怖ではなく、金縛りにあった体を必死に動かそうとしているのだ。
「まさか、この前の……」
先日、ライカが似たような状況に陥った時を思い出し、ミスロはゆっくりと近づいてくる美女へ自ら近づいた。
それは、熟練の騎士たちからも賞賛される、無駄のない動きだった。滑るように近づき、相手の急所を狙って撃ちこんだ一振りが、美女の体を斜め下から切り裂く、はずだった。
『無駄よ』
しかし、服に着いた埃を払うような軽い動作で、ミスロが振るった剣は刀身半ばから折れてしまった。
殺気を感じ、すぐさま後方へ下がった。その際、めくれた上着の裾が、不可視の攻撃で切られた。




