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機巧のギルフェンセィア 天使の子守歌  作者: 胡桃リリス
第一章 ワンダー診療所へようこそ!
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chapter2


 アルファの後ろ姿を見送り、ミスロはそっと扉を閉めると、食器を流し台へと置いた青年へと向き直った。


「今日は剣術の授業があるんだ」

「あぁ。……ほれ」

「ありがとう」


 出されたお茶を受け取り、ミスロは客用の椅子へと腰かける。


「実は、今日の指導教員は私なんだ」

「そっか。まぁ適度にビシバシ頼むわ」

「どっちなんだ」


 おかしそうに青年を見やり、カップに口をつける。


「む、今日は変わった風味だな」

「お、わかるか」

「あぁ、緑茶と似ているようで違う。なんというか、甘い香りと、すっきりした中にも不快でない渋味がある」

「そいつは良かった。荷物を整理してたら持ってきていた奴を見つけてな」

「見つけたって……いいのか、貴重なんだろ?」


 少し慌てたようなミスロに、青年は何てことないと手を振り、食器を洗い始める。


「いつも見回りをしてくれている騎士様へ、せめてもの感謝の気持ちだからさ」

「……お前という奴は」


 苦笑し、ミスロはお茶の味を楽しむ。鼻腔を抜ける茶葉の香りと青年の何気ない言葉に、肌寒かった外の空気で冷めていた体がほっこりと温まる思いだ。

 そうしている間に、手際よく一仕事終えた青年が椅子に座り、自分のカップに口をつけてふぅ……と一息ついていた。

 相変わらず仕事が速い、とミスロが視線を向けたところで、青年はカップを机の上にことりと置いた。


「今日、アルファが夢を見たって言ってな」

「怖い夢でも見たのか?」

「それがな」


 いつもと違う雰囲気で口を開いた青年の言葉に、居住まいを正して耳を傾けた時だった。


「おはようございまーす、ゼットさぁん!」


 けたたましい鈴の音と共に、元気いっぱいの挨拶が家中に響き渡った。しかし決してうるさいと言う訳ではなく、聞いている者も元気にしてしまいそうな、明るく陽気に満ちた少女の声。

 部屋にひょこっと入り込んできた癖のあるセミロングの少女は、青年と共にお茶をしているミスロの姿を見つけると、なにやら思案顔になり、


「明日からはもう少し早く来るか」

「いや、私も今来たばかりだし、あまり早く来てもゼットたちが困るだろう」


 ミスロが呆れた口調で突っ込むと、少女は「そうですね」と素直に頷く。


「でもゼットさんとお茶しているなんてミスロ様ずるい!」

「いや、ずるいと言われても……」

「アンジュも飲むか?」

「いただきます!」


 困り顔のミスロを助けるように青年が差し出したカップを受け取り、少女アンジュは空いている椅子へとうきうきと座った。

 十四歳になり、後一年もすれば大人として見られる彼女だが、まだまだ子どもっぽいところも残っている。

 ミスロは少し落ち着きなさいと言いながらも、妹を見るように暖かな眼差しを向けている。


 ところで、ミスロを名で呼ぶことは、街娘であるアンジュには本来許されないことなのだが、当の本人はそれを気にせず良しとしている。

 世間一般では「ミスロとお茶を飲んでいるゼットはずるい」という認識が大多数であり、アンジュの反応は極めて特殊であるのだが、誰も気にしていない。そもそもが、騎士が庶民の家に上がりこんでお茶を共にしているというのも滅多にない話である。


 ついでに、アルファがミスロをお姉ちゃんと呼ぶ事に関しては、ミスロ自身が彼女の事を赤ん坊の頃から青年と共に見守り育ててきたため、こちらも全く気にしていない。それに、彼女のことは年の離れた妹分として接しているため、名前で呼ばれなかったら機嫌が悪いのかと心配するくらいだ。


 閑話休題。


 お茶を飲み終わると、アンジュは「よし!」と拳を握り、元気よく立ち上がった。


「あ、さっきそこでアルファたちに会いましたけど、剣術の授業でもあるんですか?」

「あぁ。今日は私が教員としてあの子たちを指導することになっている」

「えぇぇ! いいなぁアルファとリリアン~!」

「お前も去年までやっていただろう」

「それはそれ、これはこれです! それに、ミスロ様の授業ってひと月に一度か二度だったじゃないですか」

「本職はこっちなんでな。それに、ライカや専門の教師もいただろう。彼女たちだって優れた剣士だぞ?」


 ミスロの咎める視線に、アンジュは「うぅ」と呻いて目を逸らす。


「それはそうなんですけど、なんていうか、ミスロ様と稽古していると普段よりもずっとずっと力が湧いてくると言いますか……」

「何だそれは」


 アンジュの答えにミスロは肩透かしを食らったように肩を竦める。


「その、なんだ。慕ってくれるのは、まぁ正直なところ嬉しいが……」

「私は今でもミスロ様も稽古も大好きです!」

「わかったわかった。また近いうちにな」


 かつて教え子だったアンジュと談笑するミスロは、なんだかんだ言って楽しそうだ。


「さて、それじゃあ私は準備に入りますね!」

「毎日ご苦労なことだ」

「ありがとなアンジュ」


 ミスロたちに労われ、頬を赤らめてはにかみ、アンジュは奥の部屋へと入って行った。


「……で、さっきの話しの続きなんだが」

「あぁ、そうだったな」

「アルファが、あの時の事を夢に見たらしい」


 ミスロは目を少しだけ見開き、天井を見上げて静かに息を吐く。


「そうか、長い……いや、早いものだな。十年とは……」

「そうだな」

「しかし、まだ赤ん坊だったころの事を夢に見るとはな」

「俺は二歳の頃に俺自身を認識してたぜ?」

「私もそれくらいだったか? まぁそれはいい。それより、アルファは……」

「……まぁ、あいつも完全に夢だと思っているみたいだから、問題ねぇよ」


 少し昔の事を思い出すように、青年は目を閉じる。

 が、変わってしまった空気を換えるように、青年はパンッと軽く柏手を打ち、笑ってみせた。


「それでもあいつは俺の娘で、俺はあいつのかっこいい親父ってわけさ」

「自分でかっこいいとか言うな」


 呆れた口調だが、その表情は優しいミスロに、青年はふふんと自慢げに胸を張る。


「いや、アルファが俺の事をかっこいいって言ってくれたんだぜ? たまにかっこいいってな!」

「全然威張れることではないと思うのだが……」


 どこに行っても、父親とはこんな感じなのだな、とミスロがぼやくが、青年は聞かないふりをしていた。


「さて、それじゃ私もこの辺りで失礼しようか」

「おう。アルファたちのこと、頼んだぜ」

「任せろ。お茶、おいしかったよ。ご馳走様」


 奥の部屋にいるアンジュへと声をかけて挨拶を済ませると、ミスロはドアを潜り、街へと戻って行った。

 表に出てその後ろ姿を見送ると、青年は背伸びをしてから、ドアの表にひっかけていた看板を裏返した。


「んじゃ、ウチもそろそろ始めますか」


『ワンダー診療所、診察中』と書かれた看板が揺れ、今日も街医者ゼット・ワンダーの一日が始まった。

 と、ゼットは我が家を振り仰ぎ、


「パパはやめてくれ、恥ずかしい……」


 小さくぼやいた。


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