chapter17
お待たせいたしました。
ワンダー家の朝はゼットの料理から始まる。
フライパンにオリーブ油を入れて野菜を熱した『野菜炒め』と、味噌と呼ばれる発酵食品を使ったスープ、そしてゼット手製のパンだ。日によって野菜炒めに鶏卵が入っているが、丁度今日はそうだった。
アルファも、その隣に座るサァフも、その甘く柔らかな香りに目を輝かせている。
「「いただきます」」
「い、ただきます?」
アルファ、ゼットが手を合わせると、サァフが遅れて真似をする。
「なぁ、今のは何だ?」
「食べ物と作った人への感謝の言葉だよ」
「ふぅん?」
アルファの答えに、サァフは目を少しだけ丸くした。
国や地域によって差異はあるが、基本的に食事前の挨拶と言えば神々に対して行うもので、食材や料理人へ感謝する事は大変珍しい。
その稀有な事を、この家では毎日ずっと行っている。
稀有と言えば、この家には他では見られない風習や物品が多く見受けられる。
出されている料理もそうだが、二人が使っている一対の棒『箸』や不思議な味わいと香りのする緑色の茶、柔らかな口当たりのパンなど、サァフが驚くものばかりだった。
「指がひきつりそうだ……!」
「お姉ちゃん、こうやってやるんだよー」
アルファがサァフに箸の持ち方を指導していると、鐘の音が聞こえてきた。
「もう行かなくっちゃ! パパ、お姉ちゃん、行ってきます!」
「おう、気を付けてな」
「行って来い行って来い」
アルファが玄関を開けると、リリアンが立っていた。
「おはようアルファちゃん」
「うん!」
リリアンが家を覗き込む形でゼットとサァフに会釈すると、アルファは彼女の手を取って歩き出した。
ααααα
アルファが学校へ出かけると、ゼットが食器を洗い始めると、サァフも席を立った。
「手伝うぜ」
「んじゃ、拭いていってくれ」
隣に並んでサァフが手伝っていると、鈴の音と共に元気な声が飛び込んできた。
「ゼットさん、おはようございまーす!」
声の主であるアンジュがパタパタと台所へ顔を出してきた。
「あれ、サァフ……さん?」
「サァフでいい。って言うか、アンタ、朝っぱらから元気だな」
「元気が一番だからね。それより……」
「あん?」
アンジュの視線が二人の間を行き来し、むすっと目を伏せた。
「むぅ、ゼットさんと一緒に食器洗いなんて……羨ましい」
「はぁ?」
首を傾げて呆れ顔をしながらサァフはしっかりと仕事をこなし、ゼットから手渡された最後の皿を拭きあげた。
「住み込みで世話になるんだ、これくらいはして当然だろう」
「気を遣わなくていいと言ったんだがな? まぁ、その気持ちは受け取っておくさ」
指定された棚に食器を片づけた後、事務所代わりの部屋に移動し、サァフは指定されたスカーフとエプロンを羽織ると、ふとアンジュへ尋ねてみた。
「なぁ、えぇと、アンジュさん、だっけか」
「私の方もアンジュでいいわよ」
「ん、アンジュ。いくつか質問してもいいかい?」
「私に答えられることならいいわよ」
「じゃあ……えと、ここって病院なんだよ、な?」
「正確には診療所よ。それがどうしたの?」
「いや、なんつーか……その、ここは明るいなって思ってな」
その言葉に初めは首を傾げていたアンジュだったが、すぐにサァフの疑問に気が付いた。
「確かに、私が知っている昔の病院や診療所って、暗かったり、怖かったりしたわね」
「だろ? なのにここは明るいんだ。なんていうか、安心してしまいそうな、そんな雰囲気があるんだ」
「それはほら、あそこ」
アンジュが指差した壁には、花瓶に収められた花の絵がかけられていた。オレンジ色の、太陽を思わせるような花は、見ているだけで元気が湧いてくるような感動があった。
見たことのない画風だが、きっと名の知れた画家が描いたのだろう、とサァフは感想を抱いた。
「ヒマワリっていう花よ。実物は見たことがないけれど、夏を象徴する花なんだって。他にも色々な絵が飾ってあるわ。見ているだけで、落ち着くでしょ?」
言われてみれば、壁や机の上にさり気なく飾られている植物や風景の絵に、サァフは納得したように頷いた。
「そうか、ただ飾ってあるだけじゃないんだな」
「他にも、日の光が入りやすいようにしているし、ここに本だって置いてある。新聞もあるのよ」
「……待っている間は、退屈しなさそうだな」
診療所の雰囲気について理解したサァフは、じゃあさ、と続ける。
「私が入院している間、来客用の鈴は数えるほどしか鳴らなかったし、それもほとんど午前中だけで、午後から来るやつなんていなかった。患者との会話もあったみたいだったが、全員不安がったり、怖がっているところなんてなかったし、ゼットの事を信頼していることが声だけでわかった」
「へぇ、アンタ、よくそんなことに気が付いたわね」
目を丸くし、アンジュは感心したように頷き、嬉しそうに微笑んだ。
「そう、この診療所に来る人は、皆ゼットさんに診てもらえれば絶対に大丈夫って信じているし、実際に助けられているんだよね」
「それは、アンタもか?」
「えぇ、そうよ」
アンジュは答えながら、髪を後ろで一括りにしてスカーフを被る。
「ワンダー診療所はね、この街の人たちにとっての希望なのよ」
振り返ったその表情は、誇りに満ちていた。
「……希望」
サァフの脳裏にアルファの言葉がよみがえる。
「世界一のお医者様、か」
「え?」
「アルファが言っていたんだよ。アイツが治療しているところは見てないが、アンタの言葉を聞いていると、そうなのかもしれねぇなって」
サァフが後ろ頭を掻きながら言うと、アンジュは胸を張って笑った。
「そうよ! ゼットさんは世界一のお医者様なんだから!」
流石に、褒め過ぎだろう、とサァフは思ったが、口には出さなかった。代わりに、そうかと相槌を打っておいた。
「さて、と。じゃあ、仕事、始めるわよ!」
「おう」
アンジュが表の掛け看板をひっくり返している頃、診察室ではゼットが気まずそうに口元を引くつかせていた。
どうしたんだ、世界一のお医者様?
「やめてくれ……」
顔を赤くして照れている様子は、どこにでもいる、普通の青年そのものだった。
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