プロローグ
王国騎士アスカス駐屯地の一室で、一人の少女が指先で執務机を叩いていた。ゆったりとしたペースで、苛立った様子はなく、何か考えを纏めようとしている雰囲気があった。
年は十代半ばから後半だろうか。ほっそりとした印象を受けるが、しなやかで良質な筋肉がついている。
伏し目がちに思案に耽っている顔は整っており、その雰囲気は深淵の貴族令嬢を想起させる。
しかし、彼女が纏っているのはドレスではなく王国騎士の制服で、ほんの少しの装飾が施された鞘に納まる実用性重視の長剣が、机の脇に立て掛けられていた。
騎士は貴族出身の者が多く、当然ながら温室育ちの令嬢とは比べ物にならないほどの力を有している。
女性騎士の多くは主に、その令嬢たちを守護する任務を負っている。その力は絶大であり、男性騎士たちが複数名でかかってきても単騎で返り討ちにできるほどだ。
彼女もその屈強な騎士の一人であり、眉目秀麗な出で立ちで、常人を凌駕する力を持っているのだ。
王国騎士アスカス駐屯地、第一小隊の副隊長。
それが彼女の力を現す地位で、若くして就いた役職だ。
果たして、若き副隊長が熟考する案件とは、夜警に出た直属の部下二人からの報告だった。
「怪物……ですか」
ありえない。呆れた声が心情を物語っている。
おとぎ話に出てくるような魔法使いや角の生えた怪物なら、夢でも見ていたのだろうと思えるのだが、報告書には『粘着性のある液状の下半身を持った怪物』とあった。
夢を見ていたのではなく、酷い酩酊状態だったのではないかと疑ったほどだ。何をどうしたら、考えただけで不快な気分になるような存在を想像できるのか。
北部に隣接するヴァルエ国や、東部のセーウェ王国に伝わる『ドラゴンの影』の方がよほど聞き心地がいいし、まだ夢のある話だ。
「まぁ、あの二人が冗談でこのような報告をするはずはありませんが……」
件の二人の事は、公私にわたって信用している。
気持ちの悪い話ではあるが、実際にいれば王国規模での問題だ。早急に調査を行わなくてはならない。
一笑に付すことなく合理的に判断した彼女は、すぐさま手の空いている部下数名に現場検証を命じた。
一仕事終えて茶を飲んでいると、部下のベルが部屋に入ってきた。
「副隊長、そろそろ視察のお時間です」
「わかりました」
ごく自然な様子で立ち上がり、剣を手に取ると、ベルと共に部屋を出た。
仕事の一環ではあるが、外へ出れば多少の気晴らしになるだろう。
そう考え、副隊長は駐屯地を後にした。
馬車に乗り込んだところで、ふと何かを思いだしたように、対面に座る部下へと声をかけた。
「そう言えば、あの賊はどうなったのですか?」
「賊……あぁ、無音剣ですか?」
「えぇ。彼女だけ引き渡し名簿に名前がありませんでしたから」
無音剣から事情を聞いた部下たちの報告と嘆願を聞き届け、国王は慈悲深くも賊たちの身柄をウェーレへ引き渡すと仰せになった。
思うところはあるものの、国王の命ならば従うまでだ。
しかし、名簿を確認した時に、最初に受けた報告と人数が一人合わなかった。それが、部下の一人が直接剣を交えた相手で、噂にも聞いていた無音剣の使いならば、余計にその行方が気になった。
「えぇと、今はこの街で人助けの仕事に就いていると聞いています」
「衛兵にでも取り立てられた、と?」
「いえ。私も聞いただけですので、詳しい事はわからないんです」
「そうですか……」
気にはなるが、国王が哀れな少女を不幸な目に合わせるようなことはないだろう。これ以上の狼藉を働かず、民草の助けになる仕事をするというのであれば、それでいい。どうせ監視はついているだろう。
副隊長はこの件について思考する事をやめた。
ααααα
アルファが目を覚ますと、サァフの寝顔が目と鼻の先にあった。
規則正しい静かな寝息をたてるあどけない少女に、アルファは思わず笑みを浮かべてしまう。
整った顔立ちに、長い睫、形のよい眉、ほんのり紅色の頬と唇。
綺麗で、可愛いなぁと考えていると、少女の目が薄らと開かれた。
「……アルファ?」
「おはよっ、サァフお姉ちゃん」
しばらくサァフはアルファを見つめていたが、やがて意識がはっきりしてきたのか、ゆっくりと上半身を起こして背伸びをした。
「そっか……私、ここで暮らすんだったな……」
小さな声で自分に言い聞かせるようにつぶやくと、同じく上半身を起こしたアルファの頭に手を乗せた。そのまま優しく髪を撫でる。
「おはよう、アルファ」
「うんっ」
アルファは満面の笑顔で答えた。
アルファ・ワンダー、十歳。
彼女にとって最高の誕生日プレゼントと言うべき、新しい友達兼姉兼家族も、照れくさそうにはにかんだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
第二章開始です。
サキュバス第二章も近々アップしていく予定です。




