chapter13
アルファがその声を聞いたのはたまたまだった。
食事を終え、自室で少し休んでから今日もサーカスへ出かけようかと廊下を歩いていた時、病室から嗚咽混じりに「死にたくない」と聞こえてきたのだ。
ゼットやミスロたちから、病室にはあまり近づかないようにと言われていたが、気が付けばドアを開いていた。
ベッドの向こう側、窓のすぐ前で蹲っている患者が見え、近づいて声をかけた。
「お姉ちゃん、大丈夫だよ」
「……ぇ?」
顔を上げた少女は、アンジュと同じか、少しだけ年下に見えた。気が強そうな釣り目は眦が下がっており、水滴となった涙が頬を伝っていく。
「どこか痛いの? パパを呼んでこようか?」
「……パパ?」
首を傾げる少女に、アルファはしゃがみこんで目線を合わせた。
「うん、パパはお医者様なんだ。白衣を着てる背の高い男の人だよ」
「……えっ、娘なのか?」
「うん」
少女は呆けた表情を浮かべていたが、唇を強く結び、顔を背けた。
「別に痛い所なんてない。だからアイツは呼ばなくていい……出て行ってくれ」
「でも……」
「いいから放っておいてくれ!!」
なりふり構わない怒声に、アルファは身を強張らせたが、泣きだしたり、怯えたりすることはなかった。
少しだけ怒ったように眉を寄せ、アルファはポケットからハンカチを取り出すと、少女の顔にそっと当てた。
その行動に、少女は戸惑ったような声を上げた。
「何してやがるんだ?!」
「死にたくないって泣いている人を、放っておけないよ」
「なんだよ、お前には関係ないだろ!」
身じろぎしながらハンカチから逃れようとする少女だったが、決して乱暴に振り払うような真似はしなかった。その代わりに、語気は強くなっていく。
「別に心配してもらうほどの怪我はしてねぇんだよ!」
「じゃあ何で死にたくないなんて言ったの? お姉ちゃん、自分が死ぬかもしれないって思ったんでしょ?」
「だから怪我でも病気でもねぇし、痛くもないんだよ! 私がいいって言ってんだから、もう放っておいてくれよ!!」
「放っておけるわけないじゃない!!」
突然の怒声に、今度は少女が動きを止めた。
「放っておけ? ほっとけるわけないでしょ!!」
「っ……何なんだよお前、しつこいんだよ! 一人にさせてくれ、頼むから!!」
それを聞いたアルファは、少女の顔を両手で挟み、真っ直ぐに見つめていたが、その目は潤んでいて、今にも泣きだしそうに見えた。
それを見て、少女は先ほどまでの威勢が嘘のように静かになった。
「お母さんを呼ぶくらい、辛いんでしょ?」
「んな訳……そもそも、お前盗み聞きしてんじゃねぇよ」
「それは、ごめんなさい。廊下を歩いていたら、聞こえてきたから」
「……外に声、漏れねぇんじゃなかったのかよ」
少女はため息をつくと、アルファの手に軽く触れ、静かに離させた。
「……何でここまで聞き分けがねぇんだよ。母親から、他人様が嫌がることはするなって教わらなかったのか?」
言われたアルファは少しだけ間を置き、次の言葉を発した。
「パパに教えてもらったけれど、私はやめないよ」
「何でだよ……パパか母親に言いつけんぞ」
「それは困るかな……でも、ママは無理だよ」
「あ?」
「それよりも!」
アルファは笑顔を浮かべ、少女の手を取った。
「お姉ちゃんは死なないよ。だって、パパが助けてくれるもん」
「はっ、医者一人に何ができるって言うんだ?」
「パパは凄いんだよ。どんな病気や怪我をした人だって、皆元気にしちゃうんだから」
だからと、少女の手をきゅぅぅと握る。
「お姉ちゃんは、絶対にパパが助けてくれるよ。なんたって、パパは世界一のお医者様だから」
アルファの脳裏に、心から信頼している父親の後ろ姿が浮かぶ。それだけで、目の前の少女は救われると信じられるし、きっと助けてくれると確信できた。
少女はアルファの言葉に耳を傾け、目を静かに閉じると、首を小さく振った。
「……お前の親父さんは、凄い医者なんだろうな」
それだけ言うと、少女はアルファの肩に手を置いて、微笑を浮かべた。
「なら、明日にでもここを出られそうだな」
「そーだよ! パパは何でもできちゃうんだから!」
「なんでもはできねぇぞー」
間延びした声に、アルファと少女が揃って肩を跳ねさせ動きを止め、恐る恐る入口の方へ目を向けると、ドア横の壁にもたれかかって腕を組んでいるゼットの姿があった。
途端にアルファの表情が焦りへ代わり、目に見えて狼狽し始める。
ゼットは二人の様子を見ると、頭を掻きながら近づいて行った。
「アルファ、病室というか、患者には近づくなって言ったよな?」
「……はい」
「何で言いつけを破ったんだ? もしかしたら、絶対安静で、さっきみたいに叫びあったらダメな病気だったかもしれないんだぞ?」
「……はい」
静かに頭を垂れるアルファに、ゼットは腰に当てていた右手を広げ、手刀にしたものをその頭にゆっくりと振り降ろし……そのまま髪の毛をくしゃっと撫でた。
「まぁ、今日のところは大事に至らなかったから、許してやるよ」
「ふぇ?」
アルファは口を小さく開けてゼットを見上げる。普段なら、拳骨が落ちてきているところだからだ。
「それに、おっかねぇお嬢さんが俺を睨んでるし」
言われて振り返ると、少女がゼットの事をねめつけていた。腰を少し浮かせていたが、アルファの視線を受けると、ゆっくりと座り直した。
「やれやれ、アルファは人たらしだなぁ。でもな?」
ゼットは撫でていた手を止め、少しだけ力を入れてアルファの頭をきゅっと指圧しながら目線に合わせて屈んだ。
にっこり笑顔なのに、目が笑っていなかった。
「お・ぼ・え・と・け・よ? 病室では、患者さん第一な? 騒ぐな、はしゃぐな、喧嘩するな?」
「ごめんなさい」
アルファが緊張した様子で謝罪すると、ゼットは頷いて手を離した。
じんわり指圧された場所が痛むが、アルファはほうっと息を吐いた。
その様子を見ていた少女が不意に口を開いた。
「……騎士団で見たことあるな、こういうの」
「誰が教官と見習いか」
ゼットは立ち合があると、アルファの頭に再び手を置いて、ドアの方を指差した。
「それより、これから出かけるんだろ? 友達を待たせるなよ?」
「ぁ、そーだった!」
駆け出そうとしたアルファだが、くるりと振り返り、少女へ笑いかける。
「じゃあねお姉ちゃん、もし悪いところがあったら、全部パパに言えばいいから!」
「いいからお前はさっさと行って来い」
「待ってくれ」
苦笑するゼットを制し、少女は立ち上がった。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「アルファだよ」
「私はサァフだ。アルファ、ありがとう」
急いでいるアルファを気遣ってか、少し早口になっていた少女へ、しかしアルファは満面の笑顔を浮かべて手を振った。
「どういたしまして! っとと、じゃあ、私は行くね。 お姉ちゃん、またねー!」
「あぁ」
先ほどまでの様子が嘘のような、素敵な微笑みを浮かべたサァフが手を振り返した姿を確認すると、アルファは今度こそ部屋から出て行った。
「うん、よかったね、サァフお姉ちゃん」
すぐにママに会えるから、もう泣かなくていいよ。
ααααα
少女サァフは、閉じたドアからゼットへと視線を移した。彼もまた、視線を彼女へと向け直したところだった。
最初に切り出したのは、サァフの方だった。
「アンタ、最初から私たちの話を盗み聞いてたんじゃねぇのか?」
「さて、俺は怒鳴り声を聞いて駆け付けただけなんだがな?」
「はっ! 叫びあってるって、ほとんど最初からだろうが。部屋の声は外に漏れていないとか言ってたくせによ」
サァフの悪態に、ゼットは苦笑を浮かべたまま答えない。
「まぁいいさ。……それより、あの騎士様たちに伝言を頼めるか?」
「何も知らないし、話すことはなかったんじゃないのか?」
「まぁ、思い出したってことにしておいてくれ。もういらないかもしれねぇが、もしかしたら、暗部をぶっ潰すか、後始末をするときに役立つかもしれねぇ情報だ」
少しだけすっきりした雰囲気のサァフに、ゼットはやれやれと漏らしながらも、聞く姿勢を取り始める。
「……わかった。けど、俺に伝えるより、騎士様たちが来るのを待った方がいいじゃないか? 俺、街医者だぞ?」
「街医者が訓練を積んだ暗殺者の攻撃を全部かわせるかよ。んで、今回の暗部の動きだが」
ゼットへと自分が知っている情報を全て伝えると、最後に、騎士団宛ての言伝をもう一つ頼んだ。
「もし、もしもまだ仲間が生きているなら……そいつらには、手心を加えて欲しい。アイツらも、私も、暗部に無理やりスカウトされて、騎士になれなかった奴だから。幹部はどうでもいい」
「それは俺が決めることじゃあないが、伝えるだけは伝えてく」
「恩に着る」
伝言を受けたゼットが部屋から出ていくと、サァフはベッドに座り込み、窓から見える青空を見上げた。
「これで、いいよな……せめて、死ぬ前に善行って奴を一つ積んでもさ」
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