chapter10
女の子の声と、何かが空気を切り裂く音が聞こえてくる。
あぁ、これは木剣を振るう音だ、とピエロは穏やかにそう考えた。
ゆっくりと瞼を開き、見知らぬ天井をしばらく呆然と見ていた。天上を白っぽい陽光が照らしており、朝か、と寝ぼけたように上手く回らない頭で考えた。
しかし、すぐに気を失う前の状況を思い出して起き上がろうとするが、腹部に痛みを感じて動きを止める。
「生きている……のか?」
「あ、起きたのね」
混乱した頭でとりあえず生きていることを声に出して確認したところで、突然かけられた声に顔をあげる。
癖のあるセミロングの上に白布を巻いた少女が、シーツを持って見下ろしていた。勝気な印象を受けるが、穏やかな声音からは安否を気遣う様子が伺える。しかし、多少武術を学んだ事があるようで、体幹のブレがなく、足運びも素人のものとは違う。
「ここは……」
「ワンダー診療所よ。街中で倒れていたところを、王国騎士の人たちがここまで運んでくれたの」
運がいいわね、と言うと、少女は何の警戒もなく近づいてきた。
咄嗟に、この少女を取り押さえ、状況を聞きだしてここから脱出しようかと考えたが、視界の端に見覚えのある人物を認めて動きを止めた。
自分の攻撃を全て躱して見せた、あの青年だ。羽織った白衣のポケットに手を突っ込んでいる姿は平凡な少年然としていて、とてもではないが化け物染みた動きができるようには見えず、もしかしたら目の前の少女の方が強いのではないかと思ってしまう。
「ほら、怪我してるんだから動こうとしないの!」
母親が注意するような雰囲気で言ってのけ、シーツを手際よく交換すると、少女は白衣を着た青年へ振り返る。
今がチャンスか、と再び気を巡らせようとするが、青年が少女へ頷いたのと同時に視線を一瞬だけ向けてきた。警戒していたようには見えないが、今動いても、少女を人質に取る前に止められる、という予感があった。
仕方なくじっとしていると、少女が出て行った扉を親指で示しながら青年が近づいてきた。
「アイツ、気付いてないみたいだったが、アンタが何かしようとしたらその瞬間に腕捻るくらいは普通にできるからやめとけ、な」
「……お前の嫁か?」
「全然違う」
肩を竦める青年は、一見すると隙だらけだが、やはり何かしら仕掛ければ即座に対応されそうな予感があり、どうにかできる気が全くしなかった。
ここは大人しくして、隙を見て脱出しようと計画し、まずは状況を把握に努めることにした。
「……どうして、私は生きているんだ。他の奴らはどうした?」
あの時、腹部を切り裂かれたと思っていたが、痛みの具合などから峰打ちだと気づいたが、収容場所が診療所というのが不可解だった。先ほどの少女も、武術を嗜んでいることには気付いたが素人に毛が生えた程度の実力だと踏んでいたし、表情や言葉からは何の警戒もされていなかったことから、ここが軍や関連の医療施設とは違うと判断した。
また、通常の国で携帯が制限ないし禁止されている特殊な剣を装備しているスパイや暗殺者を、暖かなベッドの上に寝かせているというのもおかしな話だった。拷問部屋の台の上で目覚める暗殺者やスパイの話なら何度も聞いたことがあるため、今の状況が全く飲み込めない。
青年は質問に一つずつ答えていったが、大体予想した通りの内容だった。
計画は失敗し、実行部隊は全員捕縛、抜け穴を探していた密偵も直に捕まるという。そして事件から一日が経っており、黒幕も近いうちにあぶりだされ、処分を受けると聞かされたことまでは、まだよかった。
自分が生かされ、一人だけ診療所に収容されている理由についは、自分を倒した騎士からの要望によるものだと聞かされた時には、思わず舌を噛もうとしたが、舌が歯に届く前に体の動きが唐突に止まってしまった。
青年は手を服のポケットに入れた状態のままで、一体何が起きたのかわからず焦るが、瞬きと呼吸以外は全くなにもできなかった。
「おいおい、医者の前で自殺とかやめてくれよ……」
「お、お前がやったのかっ」
「医者なら持っていて当然の技術だ、気にするな」
一体どんな技術だそれは、と内心で毒づく。
どれだけ力を入れようとしても無駄な事を即座に悟り、舌を噛むことを完全に諦めると、ようやく体の自由が戻ったが、シーツの上に少し涎が垂れてしまっていた。
「……何なんだお前は」
「ゼット・ワンダー。ただの街医者だ」
「お前のような街医者がいてたまるかっ」
自決は諦めたが、今の状態に納得がいく訳ではない。生かされた理由が、尋問目的であることの他に、もう一つあった。
「敵に、情けを掛けられたなんて……」
生きていることが嬉しいという気持ちはある。しかし、同時に凄くどす黒い感情が胸中で渦巻き、途方もない悔しさがこみ上げてくるのだ。
気が付けば目の前が歪み、シーツとそれを握る手の上に水滴が落ちていく。
「もうあのまま、死なせてくれればよかった……」
「死にたくないって思ったから反撃してきたんだろうが。簡単に死にたいって言うんじゃねぇよ」
静かな声に込められた底知れぬ威圧を感じ、思わず顔を上げると、後ろ頭を手でかきながら困った表情をする青年が「あーえぇとだな」と言葉を少し濁した。
「アンタにどんな事情があるかは知らないけどよ……別に俺はアンタを尋問するつもりはないし、騎士様だってアンタが強引に逃げ出そうとしたりしない限りはそうそう手荒な真似はしないと思うぜ」
「何言ってるんだ、お前は……」
今度は無性に腹が立って声をあらげて食ってかかろうとしたところ、部屋のドアがノックされた。
許可の声を受けて入ってきたのは、昨日自分を倒した騎士とその相方であった。
彼女たちは青年と目礼を交わすと、ベッドの傍まで近づいてきた。やはり隙は伺えなかった。
「気分はどうだ、道化師殿?」
「最悪ですよ、正規の騎士様。舌を噛みたかったのに、お優しいお医者様に止められてしまいましたよ」
嫌味を込めて吐き捨てるように言うが、騎士は無反応だ。
「お前に聞きたいことがある。正直に話せば、損はないぞ」
「話すことなんざ何もねーよ」
素の口調に戻って睨みを聞かせてみても、やはり通じない。騎士は無感動な目で見下ろしてくるだけだ。
どこか一触即発の空気が漂うが、青年が挙手をして待ったをかけた。
「あー、すまん、騎士様がた。こいつ、今疲れてるんで、少し安静にさせたいんですがね?」
騎士がちらりと青年を見やるが、青年は臆する様子はなかった。
一喝するかと思いきや、予想外なことに騎士は素直に身を引いたではないか。
「……仕方がない。また後で来る」
そう言うと、騎士は相方と一緒に部屋を出て行くが、扉を閉める前に顔だけ振り返り、
「剣の筋はよかったが、小手先の技に頼り過ぎだった……地の力をもっとつけろ」
言葉をなくし、閉まる扉を茫然と見ていると、青年がさっとシーツをはぎ取り、いつの間にか持っていた替えのシーツをすぐさまかけてきた。あまりの早業に、何の対応もできなかった。
「しばらく休んどけ」
「……お前さ、後悔するぜ?」
悔しさから出た言葉に、青年は首を傾げた。
「医者が命を救って後悔なんてするか」
「いいや、するね! お前らは黒幕が捕まるなんて言ってたが、そんな簡単にできるような相手じゃないさ。いずれ私や仲間ごと、お前やお前の大切な人たちを殺しにくる」
「え、そうなのか?」
脅しを冗談と受け取っているのか、青年の反応は緩い。
それも今の内だと思うと少しだけ溜飲が下がり、同時に自分に対して嫌気がさしてくるが、口をついて出てくる言葉は止まらない。
「暗部の闇は深いぞ……今だって、私たちの連絡が途絶えたことを悟って、新しい暗殺者と実行部隊を送る準備をしている頃だろうな。今日の昼頃にでもこの国へ入ってきて、邪魔者を片っ端から始末しながら、目的を遂行するさ」
「目的ねぇ……そう簡単に見つかるもんかね」
怖がりもしなければ驚きもしない、それどころか、何かを知っている素振りを見せる青年に、言葉がつっかえた。
「な、何の話をしている?」
「いや、アンタらの探し物だよ。そうそう見つかるところに居るのかね? 今回の一件はすでに王都の方にも報告が行っているだろうから、もう見つからないように色々と手が回っていると思うがな」
「何を……一体お前は何を言っている」
「いや、だからアンタらの目的の人物だよ。というか、彼女がそうだとはわからないだろ? もしかしたら他人の空似かもしれないし、密偵が間違えた可能性だって」
「馬鹿な事を言うな!」
今までの自分の行いと、騎士への道を無理やり閉ざされ、鬱屈としていた日々を我慢していた想いを全て否定された気がして、思わず声をあげていた。
「姫様でなければ、私は何のためにこの国に来たんだ……」
そこで、ようやく自分が重要な事を口にしたことに気が付き、言葉を止めた。
きっと部屋の外に騎士たちがいて、今の言葉を聞いて行動を起こすに違いない。
終わった……そう思ったが、青年は相変わらず自然体のままで、静かに耳を傾けている様子だった。
「あ、部屋の外には誰もいないから安心しろ。後、この部屋は防音してあるから、アンタの声で誰かが部屋に来ることはない。後、アンタらを殺しに来る連中はいない。その暗部とやらも、本当にもうすぐ潰れるから」
「……は?」
意味がわからず、自分でも間抜けと感じる声がもれるが、青年は苦笑するだけだった。
「とにかく今は休んどけ。それからどうするか考えろよ」
言い終わった青年が部屋を出た後、ピエロは……暗殺者だった少女は、しばらくドアを見つめていたが、やがて色々と考えることをやめて、ベッドにその身を預けた。
「これは……夢か……」
違うとわかっていながら、そうつぶやかないと、やっていられなかった。




