2話 荒れ狂う負傷した狩人
「えへへ……どうぞぉ……」
彼女の声が扉の向こうから聞こえた。
セシリアは臨時の医療担当に任命されている。
治癒魔法が使える彼女は、ガロットの治療を担当しているのだ。
イグナーツはセシリアから入室許可を得てから中に入る。
室内に置かれているベッドの上には、魔物により肩の肉を食われたガロットが寝ていた。
ガロットを見つめてから足を進め、彼はベッドへと近づく。
彼は藻掻き苦しむように終始唸りながら寝ており、全身を縄で拘束されている状況である。
「う……ぐ……う……」
苦痛に顔を歪め、ガロットは唸り続けていた。
漆黒の髪が汗に濡れ、金茶色の瞳が苦痛に揺れる。
左肩の包帯は血で赤く染まり、黒ずんでいる。異臭が漂い、腐敗臭が鼻を突く。
「セシリア……ガロットの容態は……どうだ……?」
ガロットの様子を見た後、イグナーツは重々しい雰囲気を見せながら、セシリアに詳しい容態について尋ねた。彼の声は重たく、切れ長の黒目がちな瞳が不安に揺れる。
「えへへ……現状で、ガロットには回復の兆しがありません……。寧ろ、日に日に悪化している状態ですぅ……。特に、魔物に噛まれた肩の部分が……腐り始めていますぅ……」
重々しい表情を見せながら彼女は答えた。
淡いミルクティーブラウンのゆるふわウェーブが揺れ、まんまるな目が悲しみに揺れる。
「腐り始めている……?」
驚愕の声をイグナーツが上げた。
「はい……。傷口から細菌が侵入し、組織が壊死を起こしていますぅ……。医学的に言えば、壊疽ですぅ……。このまま放置すれば、壊疽が全身に回り、敗血症を起こし、ガロットは死にますぅ……」
悲しみに満ちた声でセシリアは説明する。
「どうにかならないのか……!」
焦り切り気味にイグナーツが尋ねた。
「えへへ……こんな所では、治療行為は限られていますぅ……。現状では、治癒魔法と薬草でしか手がありませんぅ……。薬も設備も、ありとあらゆるものが不足しており、手の施しようがないというのが現実ですぅ……」
拳を握り固めて震わせながらセシリアは答えた。
「くそ……!」
彼女から医療の現実を聞かされると、イグナーツはやりきれない思いを抱く。
「えへへ……今後も、この場凌ぎの医療行為しか出来ませんぅ……。ガロットを救うには、本格的な医療施設と薬が必要ですぅ……。でも、ここにはそれがありませんぅ……」
続け様にセシリアは話を続けた。それを聞いてから、イグナーツは静かに目を閉じる。
そして、とある記憶を思い返した。
それは、ガロットが魔物に噛まれて、床に伏せるまでの出来事である。
まず、彼が魔物に噛まれて直ぐの頃は、治癒魔法のおかげでまだ元気な状態であり、冗談を言ったり魔物に対して悪態をつくほどの活力があった。
左肩の傷は痛々しかったが、ガロットは気にする様子もなく、仲間たちと共に戦い続けていた。
だが彼が魔物に噛まれて三日が経過すると、そこからは喉が切れるほどに原因不明の重たい咳が続いていた。
ガロットは何度も咳き込み、喉から血が滲むほどだ。
セシリアが治癒魔法を施しても、咳は止まらなかった。
彼は夜も眠れず、常に咳き込み続ける日々が続いた。
十日が経過した頃には、原因不明の頭痛を発症して、何度も自身の頭を壁に打ち付けるという奇行に出た。壁には血が飛び散り、ガロットの額が裂けた。
ヴェルナーとルーカスが必死に彼を止めたが、彼の力は凄まじく、制止するのに苦労した。
頭痛は激しく、ガロットは常に苦しみ続けていた。
二週間が経過すると、原因不明の高熱に襲われ、意識が混濁し始めた。
彼の体温は四十度を超え、全身が汗に濡れた。
意識は朦朧とし、うわ言を呟き続けた。
幼い頃の記憶を呼び起こし、母親の名を呼ぶこともあった。
高熱の影響で意識が混濁すると、言動が幼児退行して知能が著しく低下した。
ガロットは赤ん坊のように泣き、言葉も満足に喋れなくなった。
食事も自分で取れず、セシリアが介助して食べさせた。
意味不明な声を発し続け、知性は完全に失われた状態となった。
容体が急変したのは最近の出来事であり、長らく続いていた高熱が収まり、知性の低下から復活した矢先に――彼は噛まれた肩が痛痒いと言い出して、狂ったように泣き出して室内を暴れまわり、近くに置かれていた家具の一部を破壊した。
ガロットは肩を掻きむしり、爪で皮膚を裂いた。血が飛び散り、肩の傷が更に悪化した。
時に彼は棚を倒し、椅子を蹴り飛ばし、暴れまわった。
セシリアは必死にガロットを止めようとしたが、彼の力は凄まじく、制止できなかった。
時にガロットは耐え難い程の痛痒さから解放されようとしたのか、自らの肩を切り落とそうとして、魔物を狩る用の剣の刃を自らの肩に押し当て、切り落とそうとした。
そして彼が耐え難い苦痛から逃れようとして自分の肩を切り落とそうとした瞬間、間一髪の所でヴェルナーが彼の首に手刀を叩き入れ気絶させた。
それ以降、ガロットは病室のベッドにて身体を縄で拘束されて様子見状態。
彼の両手、両足、胴体が縄で頑丈に固定され、動くことは不可能。
例えガロットが暴れても、縄はびくともしない状態で固定されている。
しかし時折、しっかりとした意識を持って彼は目を覚ます時があり、その時は負傷箇所の痛痒さにより泣き叫んだり、俺を殺してくれと死を懇願したりして、精神面でも不安定な状態が続いた。
現状でのガロットへの対処としては、セシリアが治癒魔法を使い、患部の痛みを和らげたり、強制睡眠させている。つまり、真面な物資や設備がない今の状況では、彼を救いたくても救えず、その場凌ぎの事しかできない。
現状でガロットが助かる道は、本部から派遣された救援隊が到着するまで、地獄のような苦しみに耐える事のみ。だが、救援隊の到着まで、あと五ヶ月。
彼の肉体や精神は、それまで持つのか。誰にも分からない。
イグナーツは、その場の現状に無力感を覚えて、拳を握り固めて全身を震わせた。
「セシリア、いつも……ありがとう。お前のおかげで、ガロットは何とか持ち堪えている」
床に伏せる仲間のガロットに目を配り、彼は最後にセシリアに労いの言葉を掛ける。
イグナーツの声は優しく、切れ長の黒目がちな瞳が感謝の色を浮かべた。
「えへへ……隊長、お気になさらずぅ……。これが私の役目ですからぁ……」
微笑みながらセシリアは答える。
淡いミルクティーブラウンのゆるふわウェーブが揺れ、まんまるな目が優しく微笑む。
そしてイグナーツは病室を出た。
病室を出た後、彼は他の仲間たちの様子を見て回るべく、移動を開始。
イグナーツが各階を見て回ると、一部の仲間たちは武具の手入れをしていたり、間食していた。
三階の武器庫では、ルーカスとヴェルナーが武具の手入れをしている。
ルーカスは戦鎚の柄を磨いていた。焦げ茶の短髪が汗に濡れ、琥珀色の瞳が真剣に光る。
鉄打ちの重コートは脱がれており、筋肉の塊のような巨躯が露わだ。
だが、一ヶ月の籠城生活により筋肉は落ち、肋骨が浮き出ている。
「隊長、見回りか……?」
ルーカスがイグナーツに声をかけた。
「ああ、皆の様子を確認している」
淡々と彼が答えた。
「俺は問題ねぇ。まだまだ戦えるぜ」
ルーカスが力強く答えた。だが、その声には疲労が滲んでいる。
ヴェルナーは黄金の大剣の刃を研いでいた。
長めの金髪が後ろで一束に結ばれ、切れ長の蒼い瞳が真剣に光る。
白と金を基調とした布鎧は脱がれており、均整の取れた騎士型の体型が露わだ。
だが、一ヶ月の籠城生活により体重は落ち、肋骨が浮き出ている。
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