表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
舞台を奪え。――役者たちの群像劇――  作者: リュコ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/14

第六話 稽古

 夕方。

 第二実習棟、地下。


 D-3。

 学院の中で、いちばん使われない稽古場だった。

 天井が、低い。

 壁が、防音マット張り。

 床は、白いリノリウム。

 ただ、それだけの部屋。


 予約は、二時間。

 水城が、取った。



「人気ねえ部屋なんだよ」


「一年が三人で使うには、丁度いい」



 空野が荷物を下ろすと、すでに宗近が来ていた。

 姿勢、相変わらず。

 ただ、今日は、稽古着だった。

 黒い、シンプルな上下。

 日常で見ているシルエットとは、別人みたいに、肩が、落ちていた。


 肩が落ちている、というのは──



「……うわ」



 空野が、思わず、声を漏らす。



「肩、ちっこ……」


「はい?」


「いや、ごめん」


「あ、それ、俺も思った」



 水城が、ジャージのジッパーを下ろしながら、言う。



「普段、姿勢で盛ってるんだよな、お前」


「盛ってはいません」



 宗近は、否定する。



「立っているだけです」


「……立ってるだけで盛れる時点で、おかしいんだよ」



 宗近は、少し、笑う。

 そして、靴を、脱ぐ。



 リノリウムの床の上に、宗近が素足で、立つ。

 その瞬間。

 空野は、自分が今まで見ていた宗近が、宗近の半分だったことに、気づいた。


 足の親指が、床を、噛んでいる。

 土踏まずが、上がっている。

 膝の裏が、わずかに、緩んでいる。

 姿勢が同じはずなのに、足の入り方が、別物だった。



「……やっぱ、別」



 水城が、低く、言う。



「別、と言うほどではありません」


「いや、別だよ。お前、地面に貼り付いてんじゃん」



 宗近は、答えない。

 代わりに、空野を、見る。



「空野くん」


「うん」


「立ってみて、いただけますか」





 空野は、靴を、脱ぐ。

 宗近の隣に、立つ。



「同じように」



 宗近が、言う。



「と、言われても」


「真似で、構いません」



 空野は、見た通りの姿勢を、作ろうとする。

 膝を、わずかに、緩める。

 腰を、落とす。

 肩を、下げる。

 その瞬間、宗近が、軽く、言う。



「肩、上がっています」


「……え」


「下げようとして、上げています」



 空野は、自分の肩を、確認する。

 確かに、下げようとしているのに、肩甲骨が前に出て、結果として、肩が上がっている。



「……マジか」



 水城が、笑う。



「お前、力んでるよ」


「力んでねえって」


「いや、力みっぱなし」



 宗近は、空野の隣で、自分の肩を、もう一度、軽く、落とす。

 肩甲骨が、背中の中で、滑るように、下がっていく。

 何もしていないのに、下がる。



「……どうやって、それ」


「抜くだけです」


「抜く、って」


「力を入れる、の反対です」


「反対……」



 空野は、もう一度、試す。

 入れない、ように、する。

 すると、今度は、姿勢自体が、崩れる。



「……できない」


「できません」



 宗近は、当然のように、言う。



「私も、十年、できませんでした」


「……」


「それは、稽古ですので」





 水城が、横で、ぱちぱち、と拍手する。



「まあまあ、宗近先生」


「先生では、ないです」


「いや、先生だろ、これ」



 水城は、ジャージの袖を、まくる。



「なら、俺も、先生、やらせろよ」


「マイズナー、ですか」


「そう」



 水城は、空野の、正面に、立つ。



「お前、座ってろ」



 宗近に、言う。

 宗近は、頷いて、稽古場の隅に、座る。

 正座、だった。





「空野」



 水城が、向かい合う。



「レペティション、知ってるよな」


「もちろん」


「じゃあ、やろっか。」


「ん?」


「俺がお前のこと見て、何か、言う。お前は、それを、繰り返す」


「で、お前も、俺のこと見て、変えていい」


「……それだけ?」


「それだけ」


「それだけ、なのに、難しい?」



 水城は、にやり、と笑う。



「やってみ~」





 空野は、水城の、正面に、立つ。

 水城が、見る。

 数秒の、沈黙。

 そして、口を、開く。



「お前、緊張してる」



 空野は、繰り返す。



「俺、緊張してる」


「お前、緊張してる」


「俺、緊張してる」



 繰り返し。

 ただ、それだけ。

 最初は、機械的な、音の往復だった。


 でも、四回目くらいから、何かが、変わる。

 水城が、空野を見る目の、温度が、少しだけ、変わる。



「お前、緊張してる」


「俺、……緊張してる」


「お前、緊張、ちょっと、緩んだ」


「……俺、ちょっと、緩んだ」


「お前、笑いそう」


「俺、笑いそう」



 その瞬間、空野は、本当に、笑った。

 笑った瞬間、水城も、笑った。

 二人、声を出して、笑う。

 宗近が、隅で、目を細めて、観ている。





「な?」



 水城が、笑いの余韻のまま、言う。



「これ、簡単に見えて、すぐ、嘘になるんだよ」


「嘘」


「相手のこと、本気で見てないと、今、変わってくれない」


「……」


「お前、けっこう、すぐ、入れたな」



 水城が、空野を、見る。

 ずっと観察している水城の目だ、と空野は、思う。



「うん。入れた」



 空野は、認める。

 入れた。

 むしろ、簡単に、入れすぎた。

 水城の言葉に、自分の中の感情が、勝手に、呼応する。

 待たないでも、来た。

 ――昨日まで、それで、神代に外された俺と、同じだ。

 胸の奥が、少し、冷える。



「……入れすぎ、かも」



 空野は、自分で、言う。



「は?」


「俺、お前の言葉、すぐ、引っ張られる」


「それ、いいことだろ」


「いいこと、なのか?」



 水城は、少し考えて、首を、傾げる。



「……いや、わかんね。半分くらい、いいことかも」





 宗近が、隅から、口を、開いた。



「水城くん、この練習、終わりにしても、いいですか」


「……お、はい、先生」


「先生では、ないです」



 宗近は、立ち上がる。

 正座から、立ち上がる動作も、水城と空野とは、別の生き物の動きだった。



「空野くん」


「うん」


「マイズナーは、反応する稽古です」


「うん」


「型は、反応しない稽古です」



 空野は、まばたきを、する。



「……反応、しない」


「ええ」



 宗近は、稽古場の、中央に、戻る。



「能のカマエは、止めるためのものです」


「動かないのではなく、動かないでいるための型です」


「外から、何が来ても、そこにいる」



 宗近は、自分の足を、もう一度、床に、噛ませる。



「これが、あると」



 一拍。



「感情が、流れて、いきません」


「留まるんです」



 空野の中で、何かが、点く。





「……試して、いい?」



 空野は、訊く。



「型。それで、白磁の、独白」



 水城が、ぴたり、と、止まる。



「お前、それ、Aブロックの課題だぞ」


「うん」


「課題のやつ、一年がやるのか」


「やる」


「……マジか」


「マジ」



 宗近は、頷く。



「型、貸します」


「貸す、って言い方、いいな」


「貸すんです」


「うん」





 空野は、素足で、リノリウムの上に、立つ。

 宗近が、見せた、足の入り方を、思い出す。

 親指。

 土踏まず。

 膝の裏。

 完全には、できない。

 完全に、できないまま、立つ。

 

 肩を、抜こうとする。

 入る。

 息を、整えようとする。

 乱れる。


 でも。

 立っている。

 水城が、向かい合うように、座る。

 宗近も、隣に、座る。

 二人が、観ている。

 空野は、口を、開く。



「あなたが」



 声が、低い。

 自分の声では、ない気がした。



「いない」



 声が、途中で、止まる。

 止まったまま、しばらく、立つ。

 止まったまま、なのに、観ている水城と宗近の方が、少し、息を、浅くする。

 空野は、続ける。



「あなたが、いない」



 二度目。

 一度目より、ずっと、軽い。

 軽いのに、消えない。



「……」



 水城が、囁く。



「お前、それ」


「黙って」



 宗近が、止める。

 水城は、止まる。





 二度繰り返しただけで、空野は、止めた。

 それ以上、続けるには、まだ、技術が、足りなかった。

 立つ。

 膝が、震えている。



「……ちょっと、見えた」



 空野は、自分に、言った。

 何が見えたのかは、まだ、言葉に、ならない。

 でも、確かに、何かが、見えた。

 宗近が、頷く。



「型、お返しください」


「……うん」



 空野は、姿勢を、解く。

 肩が、戻る。

 膝が、伸びる。

 抜けたものが、戻ってくる。


 普通の、自分に、戻る。

 少しだけ、寂しかった。





 稽古場の、片付けをしながら、水城が、ぽつりと、言う。



「……お前、向いてんのかもな、それ」


「型、か?」


「いや」



 水城は、首を、振る。



「型を、借りる方」


「借りる?」


「自分の方法、まだ、ないわけじゃん」


「うん」


「でも、宗近の型、借りて、立てた」


「……」


「それ、お前にしか、できないかもしれない」



 宗近が、隣で、頷く。



「私も、同じことを、思いました」


「ふたり揃って、何だよ、それ」


「褒めています」


「分かりにくいんだよ、お前らの、褒め方」



 空野が、ぼやく。

 宗近が、笑う。

 その瞬間、また、十代の顔になる。





 稽古場の、電気を、消す。

 廊下に、出る。


 夜の窓の向こうに、街灯が、ぽつぽつと、点いている。

 空野は、廊下を歩きながら、自分の足の裏の感触を、確かめている。

 普段の、ただの足の裏に、戻っている。

 戻っている、はずなのに。

 ほんの少しだけ、床に、残っている感じが、あった。

 自分の素足の、その下に。 


――型は、感情の容れ物だ。

 

 宗近の言葉ではない。

 水城の言葉でも、ない。

 空野が、自分の中で、勝手に、つけた名前、だった。

 まだ、自分の山は、見えていない。


 でも。


 借りられる。


 それが、今日いちばんの、収穫だった。

 胸の奥に、少しだけ、温度が、残っていた。

 その温度を、空野は、もう、こぼさないでいられる気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ