第16話 断罪天使たちの修行
天界を震撼させた『天使の断罪』から数日。
地上界、サリウス領の片隅にある訓練場には、場違いなほどに美しい、煌めく赤髪の麗人が立ち尽くしていた。
「……解らぬ。なぜ、この私が、天界の軍団長たる我ミカエルが……このような『芋掘り』に従事せねばならんのだ」
大天使ミカエル。不義を断罪する神の剣であり、天界最強の戦乙女。
彼女は今回の騒動で直接的な罪はなかったものの、『ルシフェルの暴走を止められなかった責任』を自ら負い、エリスに地上での修行を志願したのである。
凛とした顔立ちに、泥が跳ねても損なわれない高貴なオーラ。だが、その手には聖剣の代わりに、使い古されたクワが握られていた。
そして、彼女の配属先は、ミモラの元だった。
「あらあら、ミカエルちゃん? 手が止まっているわよ。知恵とは、土の中から黄金(じゃが芋)を見つけ出し、効率的に食卓へ運ぶためにあるの。さあ、あと三百キロ、収穫してちょうだい。できないなら……今夜の『特製ポテサラ』は抜きよ?」
優雅に指示を出すのはミモラだ。彼女の背後には、同じように多くの天使たちが麦わら帽子を被り、手拭いを首に巻き、クワを使って、収穫した後の畑を耕している。
「ミ、ミモラ様……。これはもはや、知略の修行ではなくただの重労働では……」
「あら、ミカエルさん、まだ分からないのかしら。他の天使たちをご覧なさい。それでも、分からないのであれば、少しヒントをあげましょうか?メアリ〜」
「はーい! ミモラ様。任せて下さい!!」
ドォォォォン!! という地響きと共に、メアリーが空から降ってきた。
「ミカエル! 貴女の剣は確かに鋭いけれど、心が硬すぎるのよ! もっとしなやかに! ジャガイモを傷つけずに掘り起こす繊細な手つきは、戦場での微細な魔力操作に通じるの。さあ、掘りなさい! 掘って、掘って、大地の愛を感じるのよ!!」
「くっ……これが、地上界の『洗礼』か……!」
ミカエルは煌めく赤髪を振り乱し、聖剣をクワに持ち替え、涙を飲んで大地に突き立てた。かつてルシフェルと戦った時よりも真剣な面持ちで。
修行の合間の休憩時間。
木陰で顔の泥を拭うミカエルと、疲れ果てたバルカスたちに、サリウス邸の侍女カレンが近づいた。
彼女の両手には、キンキンに冷えたお茶と、テティア特製の熱々の『ジャガバター』が乗った盆がある。
「皆さん、お疲れ様です! ミカエルさん、随分と腰が入ってきましたね。とっても素敵ですよ」
「カ、カレン殿か……。だが、やはり分からぬ。なぜミモラ様やテティア様は、我らのような不甲斐ない天使を、こうまで寛容に受け入れられるのだ? 規律を乱した者は、即座に消滅させるのが天界の理……」
ミカエルが真剣に問うと、カレンはクスクスと笑い、ジャガバターを一つ、ミカエルの口にポイと放り込んだ。
「!?アッツ!アッツ!熱!…んぐっ!? ……もご、もご……っ。これは、甘い……?」
「ふふ、テティア様はね、『完璧な神様』よりも、『一緒に笑い合える家族』の方が好きなんです。理屈じゃないんですよ。お腹がいっぱいになれば、悪いことは考えられなくなる。それがサリウス家のルールなんです」
ミカエルは口の中に広がる優しい甘さに、驚きで目を丸くした。
天界での食事は、ただのエネルギー補給に過ぎなかった。だが、この『ジャガバター』には、作った者の慈愛が、食べた者の疲れを癒そうとする祈りが込められている。
彼女の頬が、じゃが芋の甘さとカレンの優しさで、ほんのりと赤く染まった。
「……バルカス。私は、規律という名の鎧で心を固めすぎていたのかもしれぬな」
「左様です、ミカエル様。俺もメアリー様にぶっ飛ばされながら気づきました。守るべきは天界の体面ではなく、このじゃが芋を笑って食べられる日常なんだと」
その夜。
月が天界を照らす頃、ミカエルは訓練場の中心に立ち、静かに剣を抜いた。
それはかつてのような『断罪の剣』ではない。どこか柔らかく、温かな光を纏った舞い。それを見ていた力天使たちも、一人、また一人と立ち上がり、月光の下で演武を始める。
彼女たちの心には、一つの確固たる決意が芽生えていた。
「我々はもう、天界の操り人形ではない。……テティア様が愛し、エリス様が守り抜いた、この『混沌として温かな家族』を、今度は我々が支える盾となるのだ」
ミカエルが剣を天に掲げたその時――。
「あら〜。夜更かしは美容の敵よ?」
木陰から、大きな湯気を立てた大鍋を抱えたミモラとテティアとメアリーが現れた。
「夜食にじゃが芋を沢山入れたポトフを作ったの。ミカエルさんも、皆さんも、一緒に温まりましょう?」
テティアの微笑みは、どんな高位魔術よりも深く、天使たちの魂を浄化した。ミカエルは剣を収め、その場に跪き、深く深く頭を垂れた。
「……謹んで、頂戴いたします。聖母テティア様。このミカエル、この命尽きるまで、貴女が愛するこの家の庭掃き……もとい、守護を全うすると誓いましょう」
翌朝。サリウス邸の庭には、これまで以上に熱心に、そして鼻歌を歌いながらジャガ芋を掘る、『戦乙女』ならぬ『農乙女』と化した大天使の姿があったという。
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