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第25話 平穏

 午前十時を過ぎ、サリウス伯爵邸の空気は重く沈んでいた。


 一向に帰還せぬエリスを案じ、ミモラは焦燥に駆られて魔の森へと転移した。


 森の入口で広域探知を放つも、エリスの魔力反応は霧のように消え失せている。


 無理もない。神獣フェンリルが展開した「次元断絶結界」の内側で、その白銀の尻尾に包まって爆睡しているエリスを、人間であるミモラの術式で見つけることなど不可能に等しかった。


 ミモラは震える指先で俯瞰術式を展開し、森の深層域を覗き込んだ。そこで目にしたのは、神話の戦場のごとき凄惨な光景であった。


 転がっているのは、首を落とされた六体の魔術師の死体と、禍々しい魔法陣の残骸。


 そして崖の上から深層域まで、数キロにわたって大地を抉り、引き裂くように刻まれた巨大な「爪痕」。


 その破壊の終着点に、ミモラは「それ」を見つけてしまった。


「……っ!?」


 そこにあったのは、無残に千切れ、なぜか粘り気のある不可解な液体でベトベトになった、エリスの愛らしい衣服の切れ端。


 そして、傍らには彼女が愛用していたハンカチ。


 まるで、幼い少女が巨大な化け物に襲われ、抵抗虚しくその胃袋へと消えていったかのような――凄惨な「捕食」のような跡。


「えっ……あ、あぁ……」


 最悪の想像が、ミモラの脳内を埋め尽くした。


「エ、エ、エリスちゃん………!!」


 ミモラは膝を突き、森の奥へと響き渡るような声で泣き崩れた。


 愛する孫が、名もなき怪物に噛み砕かれ、跡形もなく消えてしまった。


「テティアに、伝えなきゃ……」


 ミモラは千切れた布地を震える手で風呂敷に仕舞い、幽鬼のような覚束ない足取りで、邸宅へと帰還した。


「ミ、ミモラ伯爵様がお戻りです……!」


 玄関に響いたメイドの悲鳴に近い声。


 飛び出したテティア、メアリー、カレンの三人は、ミモラの絶望に染まった顔を見て息を呑んだ。


「ねぇ、エリスは!? エリスは無事だったんでしょう!?」


 テティアが掴みかかるように問い詰めるが、ミモラは唇を血が出るほど噛み締め、ただ黙って風呂敷を広げた。


「……これ……が……」


 差し出されたのは、ドロドロに汚れた衣服の切れ端。


 そして、空中に投影された「地平線まで続く破壊の爪痕」の映像。


「「「「「…………っ!!」」」」」


 全員の思考が停止した。


 これほどの破壊を引き起こす何かに、三歳の子供が襲われたのだ。


 誰もが「死」の一文字を想起した。


「な、な、なんてこと……」 


 テティアの目から大粒の涙が溢れ出した。


「エ、エリスーー! エリスーーーー!!」


 テティアはその場に崩れ落ち、喉が裂けんばかりの慟哭を上げた。玄関ホールが深い悲しみに包まれた…



 その時であった。


「なんじゃ? そんなに叫ばんでも聴こえとるぞ、お母様。皆して玄関で何を騒いでおるのじゃ?」


 聞き慣れた、少し生意気で、これ以上なく愛らしい声。


「……幻聴……? 」


「幻聴ではないわい。ほれ、お前たち、行くぞ」


「私、エリスちゃんの声が聞こえるわ……」


 呆気にとられる大人たちの間を、エリスは見たこともない六人の幼児を引き連れ、当然のような顔で通り過ぎ、食堂へと向かっていった。


「「「「「…………」」」」」


「……テティア様、お嬢様が今、食堂へ行かれましたが……」


「「エリスーーーーーーー!!!」」


 ミモラとテティアは絶叫し、死から蘇った孫(娘)を追いかけて脱兎の如く食堂へ疾走した。


──午前十一時三十分過ぎ。


「な、なんじゃ、妾が死んだと思ったのか? そんなこと、ありえんのじゃ」


 席に着いたエリスが、やれやれと言った様子で鼻を鳴らす。


「「「「「「然り! 主が不覚を取るなど、万に一つもございません!」」」」」」


 後ろに控える六人のチビっ子たちが、一斉に声を揃えて同意した。


「……エリス。まず聞かせて。この子たちは、一体誰なの?」


 テティアが震える声で尋ねると、エリスは自慢げに胸を張った。


「この純白の髪の少女がビャク。妾の守護者じゃ。そしてこの五人はビャクの眷属にして、自然を司る妾の使徒たちじゃ」


「守護者……使徒……?」


「そうじゃ。あの地平線まで続く傷跡は、ビャクが妾を見つけて感激のあまり突撃してきた跡なのじゃ。結界は壊されるわ、腕は痺れるわ、お腹は痛いわで中々のダメージじゃったわい」


「……。じゃあ、なんで衣服があんなにベトベトになっていたの?」


 その質問に、エリスは顔をポッと赤らめ、気まずそうに視線を逸らした。


「……そ、それは……乙女の危機だったのじゃ///」


「!? な、何をされたの!? 貴方、まだ三歳なのよ! ビャク! 貴方、エリスに何をしたの!!」


 テティアの背後に、魔王を遥かに凌ぐ修羅のオーラが立ち昇る。


「ち、違います聖母様! 私は主にまみえた悦びに我を忘れ、つい……!」


「我を忘れて、つい? ……あんなことや、こんなことをしたというの!? ……殺すわ」


「ち、違うのじゃ! お母様待つのじゃ! 全身を舐め回されただけじゃ!」


「ぜ、ぜ、()()()()()()()()()…… やっぱり殺すわ」


「ビャク! 危機じゃ! 今すぐ小さくなって元の姿に戻れ!」


 ボフン! という音と共に、幼女は一匹の愛くるしい白狼へと姿を変えた。


「ほれお母様、この(フェンリル)がじゃれついて舐めてきただけじゃ。セーフじゃな!」


「……な、なんだ、ペットに舐められただけなのね。ホッ……」


(危ないところじゃった。お母様の脳内で、いつもお母様とメアリーが乳繰り合っておる姿を、妾とビャクに重ねていたようじゃ! 妾の尊厳が死ぬところじゃったわい……!)


 その後、エリスは五人の幼児たちも本来の姿――九尾、猫又、白龍、麒麟、不死鳥へと一時的に戻して紹介した。


 全員が『神級』の魔獣であることを知り、ミモラたちは再び石のように固まった。


「さぁ、朝食兼昼食にするのじゃ! お前たち、人化して席に着くのじゃ!」


「「「「「「いただきます!」」」」」」


 初めての「見た目だけ同年代の友人」に囲まれ、和気藹々と食事を楽しむエリス。


 しかし、死ぬほど心配した保護者たちの怒りは、これしきでは収まらない。


 食事を終える頃には、夜叉のような笑顔を浮かべたミモラ、テティア、シルビア、メアリー、カレン、そして無言で腕を組むミツルギが、完全に逃げ場を塞いでいた。


「エ・リ・ス ちゃん? と、貴方たち? 何が、どうして、こうなったのか……ぜーんぶ、お話ししてくれるかしら?」


 テティアはニッコリと笑いながらも、その瞳には一切の光がなく、額にはピキピキと青筋が立っている。


 食堂の温度が急速に下がり、冷気が物理的に発生し始めていた。


「ッ! ……は、はい……ごめんなさい……。お母様、おばあちゃま、それに皆も。今すぐ、すべてお話しさせていただくのじゃ……」


 創造神の威厳は塵となり、最強の使徒たちと共に、エリスは「実家の聖母」の恐ろしさに、ただガタガタと震え上がるのであった。

いつも読んでくれて嬉しいのじゃ!

それと応援してくれて感謝じゃ!

嬉しくて!妾は、張り切って

頑張るからのう


(*´ω`*)/応援これからも頼むのじゃ⭐

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