第22話 心の神
空が割れた。それは単なる大気の震えではなく、幾星霜にわたり世界を縛り付けてきた『偽りの理』が剥がれ落ちる音だった。
かつて『神聖』を謳歌したリレトス聖教法国。
その輝かしい街並みには、いまや逃げ場のない絶望の影が色濃く落ちている。
天を突く聖獣たちの咆哮が地を揺るがし、大気を震わせるたびに、民たちは石畳の上に膝をついた。
彼らは互いの体を、骨が軋むほど強く抱きしめ合い、絶望に震える唇を動かした。
「ああ、神よ……救いたまえ……」
その祈りは、もはや形式だけの『女神オフィリア』へのものではなかった。
それは死という絶対的な運命を前にした、生命としての根源的な叫び。
人々は固く瞳を閉じ、冷たい刃が、あるいは獣の牙が肉体を切り裂く瞬間の衝撃を、首を竦めて待った。
しかし、どれほど時が過ぎても、熱い鮮血が噴き出す痛みは訪れなかった。
代わりに聞こえてきたのは、獣の唸り声ではなく、凄絶な断末魔の絶叫。
それも、民たちが等しく恐れ、平伏させられてきた『権力者』たちの、無様な悲鳴であった。
恐る恐る目を開けた民が見たのは、神話の具現化であった。
聖獣たちの鋭い爪が狙い過たず貫き、引き裂いたのは、民の血税で肥え太った腐敗した聖職者、弱者を虫のように踏みにじった兵士、そして私欲のために国を内側から腐らせた傲慢な貴族たちのみであった。
悪事に手を染めた深さに比例し、彼らは熾烈な責め苦を受けた。
ある者は豪華な建屋とともに粉砕され、ある者は生きたまま己の罪を強制的に吐き出させられながら、終わりのない恐怖に叩き落とされた。
一方で、泥にまみれ、寄る辺なく、あるいは奴隷として虐げられてきた弱き者たちの頭上には、月の光よりも柔らかな白銀の光が降り注いだ。
──案ずるな、汝らに罪はない──
どこからともなく響く、あの無機質でありながら全知全能の慈愛を感じさせる『声』。
傷ついた体には高位の回復魔法が雨のように浸透し、絶望に焼かれた心には潤いを与える慈悲の魔力が染み渡る。
──人々は思い出した。
先刻、脳裏に直接刻み込まれた『剥き出しの真実』を。
自分たちが信じ、祈りを捧げていた対象が、いかに浅ましく、おぞましい偽物であったか。
偽りの女神への信仰は、その瞬間に霧散した。
人々は自発的に額を地面に打ち付けた。
彼らはもはや恐怖からではなく、真なる神の降臨に対し、魂の奥底からの祈りと感謝を捧げたのである。
聖都の中央広場は、かつて女神を讃える華やかな式典の場であった。
しかし今、そこは『生ける地獄』と『神聖な祭壇』が同居する、異様な空間へと変貌を遂げていた。
広場の中央、天の裂け目から伸びる幾条もの光り輝く鎖。
そこに磔にされていたのは、数日前までこの世の春を謳歌していた法皇、大司教、そして破滅を招いた大貴族たちであった。
彼らは死を許されなかった。
神の炎に焼かれ、憤った民から石を投げつけられても、鎖から供給される神気によって強制的に再生させられる。
「お前のせいで、うちの娘は帰らぬ身となったのだ! 人でなしめ!」
「よくも! 私の息子をなぶり殺したわね! 地獄へ落ちろ、化け物め!」
愛する者を奪われた民たちの積年の憎悪は、止むことのない投石となって彼らに降り注いだ。
死ぬことすら叶わず、永遠に再生を繰り返しながら、自らの罪を反芻し続ける断罪。
それこそが、慈悲深き主神が唯一、赦しを与えなかった者たちへ課した『対価』であった。
粛清の嵐が過ぎ去ったとき、リレトスという国の形は、もはや原型を留めていなかった。
私欲にまみれた貴族の八割、聖職者の九割が物理的に排除され、略奪に走った商人や兵士、そして『魂の澱み』があまりに深かった民の三割までもが、この世界から消え去ったのである。
役目を終えた聖獣たちが、夜霧が晴れるように忽然と姿を消した、その直後──。
聖教法国全土を、壮絶な『白銀の炎』が包み込んだ。
それは熱を持たず、ただ『この世に不要な不浄』のみを消滅させる、神の業であった。
罪と穢れは津波のような炎に押し流され、罪深き者たちの亡骸は、跡形もなく消滅して荼毘に付された。
それは、この地に残された者たちへの魂の救済にほかならない。
──誰もがそう確信した。
生き残った者たちは、その炎の中に温かな揺り籠を見た。
傷も、不治の病も、長年の飢餓さえもが癒えていく。
彼らは涙を流しながら、この清浄な炎に跪き、感謝の言葉を繰り返した。
混乱の極致から立ち上がったのは、唯一、浄化の炎を浴びても焼かれず、逆に癒やされた公爵家を中心とする、わずかな清廉な貴族家だった。
彼らは神の浄化の跡に立ち、新たな世界の理を刻むことを、震える声で誓い合った。
「我らが犯した悪業は、巡り巡って必ず裁かれる。善業こそが神に癒やされる。これこそが、我らが背負うべき唯一の教典である」
近い未来、この教訓を第一義とする『新神教』が設立され、国名は『リレトス新神教国』へと改められることになるだろう。
かつて勇者が振るったとされる聖剣は、聖獣の咆哮一閃によって塵となり、偽りの女神が授けたとされる魔法書は、聖火によって灰となった。
過去の『偽りの加護』をすべて剥ぎ取られたこの国は、産まれたての赤子のように裸のまま、しかし、かつてないほど清廉な魂を持つ国家として、産声を上げたのである。
この未曾有の混乱を、隣国が見過ごすはずもなかった。
大陸の覇者たらんとするドラン帝国は、リレトスの動乱を絶好の好機と捉え、即座に二万の大軍を動かした。
しかし、神の瞳から逃れられる場所など、この世のどこにも存在しなかった。
進軍の最中、暗殺部隊を指揮していた首脳陣やその関係者が一斉に「心臓麻痺」による不審死を遂げた。
さらに、進軍する軍勢の前に、美しき天女のような神獣ビャクが降臨した。
神獣が天を仰げば、黄金の雷鳴が轟き、軍の半分を戦闘不能にした。
極めつけは、帝都の奥深く。
幾重もの重厚な結界に守られた城を容易く貫き、皇帝の眼前、わずか数センチの床に天雷が突き刺さったのである。
「……撤退だ! 今すぐ全軍、引き返せ! 逆らうな、あれは『人』が相手をしていい存在ではない!」
皇帝の悲鳴に近い命令により、帝国軍は蜘蛛の子を散らすように退却した。
この『神の直接介入』を目の当たりにした密偵は震え上がり、帰還報告を受けた近隣諸国は、もはや敵対という選択肢を失ったに等しい。
近い未来、彼らは震えながら方針を転換し、競うように新神教国への建国支援を申し出るだろう。
ミレニアム共和国のサリウス領を陥れ、主神エリスを害そうとした陰謀は完全に潰え、関わった者すべてが逃れようのない『報い』を受けた。
──真(心)なる神、降臨。
それは、もはや単なる伝説や御伽話ではない。
目に見える断罪と、肌で感じる慈愛。
静かに、しかし抗いようのない真実として、世界は今、受け入れようとしていた。
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