第13話 それぞれの戦場1
サリウス領を包む静寂は、死の臭いを孕んだ軍靴の音によって破られようとしていた。
しかし、そのすべてを上空から見下ろす冷徹な『眼』があることを、襲撃者たちは知る由もない。
「――状況、すべて把握しました。ネズミの数は予定通りですね」
戦場から数キロ離れた地点。
メアリーは艶やかな漆黒の髪を夜風になびかせ、その瞳に膨大な情報を映し出していた。
彼女が展開する半径二十キロを網羅する『広域探知』は、草木を揺らす風の動きから、侵入者の心音一つ、皮膚を流れる汗の一滴までをも逃さない。
彼女は指先で空間を操作するように、念話の回線を開いた。
『テトラ村担当、ミツルギさん。聞こえますか? 三時方向から十名、十時方向から十名が展開中。
そして村の正面、茂みの陰に七聖天の一人がネズミのように潜伏しています。
村の結界は私の術式で固定しました、安泰です。
……まずはその三時方向の雑兵と、隠れている七聖天をまとめて斬り捨ててください』
「――承知した。我が主の庭を汚す露払い、任せてもらおう」
テトラ村の入り口。隠密魔法を過信し、音もなく近づいていた聖教国の暗殺兵たちは、自分たちの目の前に立つ老剣士が、なぜ虚空に向けて頷いているのか理解できなかった。
ミツルギは老いを感じさせぬ軽やかな足取りで地を蹴った。
神力に満ちたその右手は、既に愛刀の柄を、絶対の確信とともに握りしめている。
「神を騙る徒輩に、我が主の領土を踏み荒らさせん」
抜刀の音すら残さぬ一閃。神速を超えた銀光が夜を裂き、三時方向から迫っていた十名の首が、抵抗の間もなく同時に宙を舞った。
一方、シグルト村。
『カレンさん。
正面に十名、背後に十名です。七聖天は九時方向の森の入り口。
正面を殲滅後、そのまま七聖天を叩き潰してください』
「メアリー様、賜りましたわ。……ふふ、お嬢様のために、最高に綺麗にお掃除いたしますね」
カレンは優雅にバトルメイド服のスカートを翻し、その影から二本の、エリスからプレゼントされた愛らしい鉄扇を抜き放った。
扇の縁には、訓練で身につけた高圧の『水刃』が、月光を反射して青白く煌めいている。
「汚らわしい足でお嬢様の庭を汚した罪、その命で購っていただきますわ」
襲撃者が彼女の幼い姿を捉え、嘲笑の笑みを浮かべる暇もなかった。
カレンの体は水面を滑るような歩法で闇に溶け、鉄扇が描く美しき円軌跡に沿って、敵の喉元から鮮血の噴水が次々と吹き上がる。
「さて、指示は完了ですね。……私は、もう終わりましたし」
二人の戦いを見守るメアリーの背後には、もはや動く者の気配はなかった。
彼女が通り抜けた後の草原には、目に見えぬほど細く、鋼よりも鋭い『神力糸』によって、肉体も、鎧も、武器も、等しくサイコロ状に切り裂かれた襲撃者たちの残骸が転がっている。
メアリーは『新米使徒』たちの瑞々しい戦いぶりを眺めながら、悠然と村の中間地点へと歩を進めた。
──同時刻、サリウス伯爵邸。
そこは奇妙に静まり返っていた。ただ一人、門前に立つミモラを除いて。
ミモラは巨大なハルバードを杖のようにつき、月光を背に受けて仁王立ちしていた。
その姿は一輪の豪華な薔薇であると同時に、決して超えられぬ断崖絶壁の如き威容。
彼女を取り囲むのは、隠蔽魔法と消音魔法を重ねがけした聖教国が誇る特殊部隊『蠍』の精鋭二十名。
「……遅いわね、すべてが。欠伸が出ちゃう」
ミモラの呟きと共に、その輪郭がブレた。
瞬歩――人間が視認できる限界を遥かに超えた速度。
『蠍』の精鋭たちが『獲物が消えた』と認識した刹那、ミモラは既に彼らの円陣の中央を駆け抜けていた。
ハルバードが半円を描いた瞬間、ゴト、ゴト、ゴト……と、五つの頭部が等しく地面を転がり、血が噴き出した。
「隠れているつもり? 殺気で空気が震えているわよ」
彼女は返り血一滴浴びることなく、残る獲物たちの驚愕した気配を追い、風のように再び疾走した。
三村での戦闘が「一方的な処理」と化している頃、魔の森の深層域。
崖上では、エリスが冷ややかな笑みを浮かべて『観察』を続けていた。
眼下の魔法陣を囲み、狂信的な眼差しで詠唱を続ける六人の術者。
そしてその背後で、高みの見物を決め込む懲罰部隊長『賢者』ラッセル。
魔法陣がどろりとした血の色に染まり、森の魔獣たちに『使役』と『魅了』の呪縛が伝播していく。
万の軍勢にも匹敵するスタンピードの完成。
「ほぅ、偽女神オフィリアが作った、なんちゃってレガリアの力か。……ふふ、中身はもう空っぽじゃのぉ」
エリスは紅い唇を三日月のように釣り上げた。
「『静止の術式』――展開」
その言葉が紡がれた瞬間、次元結界内の『時間』が完全に凍りついた。
吹き抜ける風も、舞い落ちる葉も、魔獣の咆哮も、すべてが絶対的な神力の下で静止した。
ラッセルさえも、思考を残して石像のように固まる。
「まずは、魔法陣の六名。……邪魔じゃ、首チョンパじゃな」
──ゴトリ。
音のない世界で、六つの頭部が同時に落ちる。
ラッセルは目を見開いたまま、その光景を脳に焼き付けることしかできなかった。
神の領域の前では、七聖天という肩書きも塵に等しい。
「さて。この三千もの魔獣、ここで消し炭にするのは少し勿体ないのぉ」
エリスは底知れぬ真っ黒な笑みを浮かべ、はるか遠方にある聖都の方向を見据えた。
「リレトス聖教国よ、お主らが慈悲深く用意したプレゼントじゃ。おあつらえ向きの『返礼品』として返してやろう。……この賢者殿も、梱包の一部として一緒に、な♪」
エリスが指をパチンと鳴らす。
次の瞬間、停止していた三千の魔獣たちの憎悪の矛先が、術式の反転によってサリウス領から「聖都リレトス」へと書き換えられた。
それは女神の気まぐれな悪戯。
しかし、リレトス聖教国にとっては、抗いようのない『滅亡』の判決が下された瞬間であった。
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