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第11話 開戦

──魔の森の入り口。


 月明かりの下に佇む三歳の少女、エリスディーテの影は、背後に広がる森の闇よりも深く、濃かった。


 彼女は小さく右手を掲げ、魔の森全域を草原ごと飲み込む巨大な『次元結界』を展開した。逃げ場を断たれた箱庭。


 その中には、自らを「狩る側」だと信じて疑わない愚かなネズミたちがひしめいている。


 エリスは俯瞰術式を展開し、魔獣を操る部隊の生存を一人ひとり確認した。


 獲物を見つめる蛇のような、温度のない瞳でその時を待つ。


 その時、サリウス領の端に位置する粉挽き小屋から、悪意の塊のような魔力が立ち上がった。


 エリスは即座に敵の伝達魔法を傍受し、その『地獄の声』を六人の脳内へ強制的に流し込んだ。


『こちら懲罰部隊長、七聖天が一人『賢者』ラッセル。魔獣三千頭余り、掌握完了。脅威度S級を含め、進軍を開始する。ミレニアム共和国の半分が消滅する規模だ。跡形もなく踏み潰せ』


『こちら粛清部隊、七聖天『幻惑』シルバー。領都殲滅班ニ百名、七聖天『瞬滅』アムロ。邸宅襲撃班、特殊部隊『スコーピオン』二十名。各村への二十名と、七聖天『無音』『天剣』『幽玄』の三名を配置。……準備完了だ。披露宴の参加者、サリウス一家……皆殺しにする準備は整った』


 そして、大司教バロウの、鼓膜を這いずるような粘つく声が響き渡った。


『リレトス聖教国の勇者たちよ、これは聖戦だ。エリスディーテとカレン、二人の忌み子を確保せよ。その後は、貴様らの気が済むまで甚ぶり、犯し、絶望を刻むがいい。残りの家族も領民も、神の名の下に一人残らず粛清しろ! 神に謀反を企てる者に、女神の断罪による浄化を執行するのだ!』


「「「「おおう!!」」」」


 狂信者たちの、もはや獣と変わらぬ咆哮が通信越しに轟く。


 その内容の醜悪さに、サリウス邸で受話した者たちの空気が一変した。


「……これが、女神オフィリアを信じる国の、真の姿だというのか!」


 敬虔な信徒として生きてきた執事ミツルギは、あまりの吐き気に顔を歪めた。


 自らの守るべき正義が、これほどまでに汚れきった欲望であったという事実。


 彼はその信仰を、己の震える拳で粉々に砕き捨てた。


「……容赦する必要は、微塵もありませんわね」


 テティアの声は、絶対零度よりも冷たく、鋭かった。


 最愛の娘と、その娘が心を通わせる侍女。


 彼女たちに対する悍ましい冒涜の言葉は、聖母の皮を被った「陽神」の逆鱗を爆発させた。


「私の、我がサリウスの領民を、虫けらのように……。エリス、徹底的にやっておしまい!! 二度とこの世界に再生などさせぬほどに!!」


 ミモラの咆哮が念話に響く。


 かつての優雅な伯爵夫人の面影は消え、そこにあるのは、愛する庭を土足で荒らされた『知神』の苛烈な戦意のみ。


「女神エリスお嬢様……私に、貴女を守る力を」


 カレンは胸の前で細い手を組み、静かに、しかし強く祈った。


 主が女神であろうと関係ない。


 自らの世界を泥靴で踏みにじろうとする者たちを、今こそ神より授かった水の裁きで呑み込む時だと、魂が叫んでいた。


 領都。シルビアは待機していた三百名の兵士たちへ、冷徹な念話を飛ばした。


『騎士団、および冒険者諸君。敵との接敵まであと五分。相手は我らの家族を、誇りを、皆殺しにするつもりだ。……手加減も慈悲も無用。確実に、一匹残らず仕留めなさい! 総員抜剣! 戦闘準備!』


 シルビアの指先から、目に見えるほどの魔力の奔流が放たれた。


 それは複雑な『防御術式』と『身体強化術式』となり、兵士たち一人ひとりの肉体を鋼へと、剣を魔剣へと変えていく。


 三百人の戦士たちが、一瞬にして人外の軍勢へと変貌した。


──そして、魔の森の前。


 エリスは月を背に、真っ黒な笑みを浮かべた。


「くっ、くくく……。皆殺しが神託か。面白い、実に面白いのじゃ。大司教と偽女神オフィリアよ、お主らの首、まずはその手駒から洗わせてもらうぞ」


 エリスの背後で、二対四翼の漆黒の翼がゆらりと揺れた。


 空気が凍りつき、空間が彼女の怒りに呼応して悲鳴を上げる。


「さぁ、滅びの時間じゃ。一匹たりとも、冥界へすら行けると思うなよ」


 エリスの瞳が完全に黒く染まった瞬間、魔の森を包む次元結界とは別のサリウス領全体を覆う隔絶結界が即時に張られ、侵略者たちにとっての巨大な『棺桶』へと変わった。


「後悔も懺悔もさせぬ、ネズミ一匹逃さぬからのぉ」


 零時の戦闘の合図がそれぞれの場所で木霊し、最初の血飛沫が舞い上がる。

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