第8話 女神の加護
サリウス邸の執務室は、もはや現世の理から切り離された異界と化していた。
テティアの展開した『空間断絶術式』により、外部の喧騒も、風の音さえも届かない絶対的な静寂が部屋を支配している。
その中心で、漆黒の翼を広げ、深淵の如き魔力を放つエリスの姿を前に、執事ミツルギと侍女カレンは、立っていることすら許されなかった。
──圧倒的な神威。
それは暴力的な圧迫感ではなく、魂の深淵に直接響く、逆らいがたい「絶対者」の重力。
二人は糸の切れた人形のように崩れ落ち、ただ呆然と、己が仕えてきた主の真の姿を仰ぎ見るしかなかった。
エリスを包む漆黒の燐光は、まるで夜空の星々を溶かし込んだかのように煌めき、背後の翼が羽撃くたびに空間が微かに歪む。
自分と同じ漆黒の髪をなびかせるその姿に、カレンは言葉にならない激しい動悸を抑えられなかった。畏怖、敬虔、そしてそれを上回るほどの法悦が、彼女の胸を焦がしていく。
「……驚くのも無理はありませんわ。ですが、これが真実なのです」
テティアの、聖母のような慈愛に満ちた声が静寂を震わせた。
娘テティアの言葉を継ぐミモラ
「娘のテティアが産んだ子は、この世界そのものを形作った女神の転生体。そして、私たち四人はその女神の加護を受け、理を代行する『使徒』……既に神の領域に足を踏み入れた存在なのです。これがその証ですわ」
ミモラ、テティア、シルビア、メアリー。四人が一斉に右手を掲げると、その白皙の肌に、漆黒の炎で焼いたような『八翼紋章』が鮮烈に浮かび上がった。紋章からは微かな神気が立ち昇り、彼女たちの存在がもはや人ではないことを、残酷なまでの美しさで証明していた。
「女神様と……その、使徒様……」
ミツルギは顔面蒼白になり、あまりの衝撃に魂が肉体から離脱しそうなほどの混乱の中にいた。
半世紀以上を生き、数多の修羅場を潜り抜けてきた老執事にとって、目の前の現実はあまりに過剰で、あまりに崇高すぎた。
だが、その意識を現世に繋ぎ止めたのは、幼子の愛らしさを残しながらも、万物の主としての威厳に満ちたエリスの声だった。
「妾はこの世界を創造し、一度は眠りについた闇の女神。縁あってお母様の子としてこの地に転生し、再び歩みを始めた。この四人には妾の加護を分け与え、既に寿命という名の檻を壊した不老の存在となっておる。『知神』、『女神の聖母・陽神』、『地神』、そして『戦神』……。皆、妾にとって代えのきかぬ、最愛の家族なのじゃ」
エリスはゆっくりと床に降り立ち、跪くカレンの目の前へと歩み寄った。
そして、小さくも温かな手で、震えるカレンの頬を包み込む。慈しむように目を細め、エリスはその魂を見つめるように囁いた。
「カレン。お主を救ったのは、同じ髪色を持っていたからだけではない。不条理な運命に抗いながら、それでも美しくあろうとしたお主を、妾はどうしても放っておけなかった。お主の魂は、この世界において誰よりも純粋な輝きを放っておったのじゃよ」
その瞬間、カレンの瞳から大粒の涙が溢れ出した。絶望の淵にいた自分を掬い上げてくれた、あの日の奇跡。それが単なる幸運ではなく、神の意志であったと知った彼女は、祈るようにエリスの足元へ額を擦りつけた。
「やはり……やはり貴女様は、私の女神様だったのですね……。この命、この魂、すべては貴女様のために」
もはや忠実な侍女という枠組みを超えた、狂おしいほどの思慕。頬を紅潮させ、潤んだ瞳で主を仰ぎ見るカレンの姿に、テティアは微笑みながらも心の中で(ああ……これはメアリーの時と全く同じね。自覚はないでしょうけれど、完全に『恋』に落ちてしまったわね……)と、新たな家族の誕生を予感していた。
「――で、じゃ! ミツルギ、カレン。お主らにもこちら側の理へ来てもらうのじゃ!」
エリスが再び宙へ浮き上がり、翼を大きく広げた。その背後から、神代の記憶を呼び覚ますような黄金と漆黒の光が溢れ出す。
「選ぶがよい。妾の加護を受け、永遠に家族として歩むか。あるいは、今この瞬間の記憶をすべて消し、平穏な『人』としての余生を送るか。お主らの自由意志に問う。……どちらを選んでも、妾はお主らを愛し、守ることに変わりはない」
究極の選択。だが、二人に迷いなど一片もありはしなかった。
「「永遠に! 女神エリスディーテ様に、不滅の忠誠を!」」
二人の魂が呼応した瞬間、エリスの手から溢れ出した神聖な輝きが光の奔流となり、彼らの胸へと吸い込まれていった。
ミツルギの手の甲には万物を断つ『剣神』の加護が。
カレンの手の甲にはすべてを癒し、時に荒れ狂う大海と化す『水神』の加護が。
神の権能を分け与えられた二人の肉体は、瞬時に再構成され、人という種の限界を超越した。
瞳には神代の光が宿り、その肌は透き通るような神気を纏う。
「「……ありがたき、幸せ……っ!」」
魂の格(位階)が引き上げられた万能感に震え、二人は深く深く頭を垂れた。
『パシッン!』と、ミモラが乾いた音を立てて手を叩き、重厚な空気を鮮やかに切り裂いた。
「さて、家族も増え、チーム・サリウスが揃ったところで、今夜の『害虫駆除』の作戦会議を始めましょうか。時間は限られているわ」
エリスは再び微かな魔力を纏い、元の愛らしいレッドブロンドの少女へと姿を変えた。
そしていたずらっぽく微笑むと、カレンの髪と瞳も自分と同じ色へと塗り替える。
「ほれ、妾とお揃いじゃ! よく似合っておるぞ、カレン」
「……! ありがとうございます! エリスお嬢様……!」
顔を真っ赤にしてエリスに抱きつき、幸せそうに頬を擦り合わせるカレン。
その光景は、どこから見ても微笑ましい主従のじゃれ合いにしか見えない。
だが、その内実は、大陸を揺るがす創造神とその使徒たち。
聖教会やドラン帝国の刺客たちが、自分たちの都合で踏み込もうとしているのは、もはや人の住まう館ではない。
そこは、神々が獲物を慈しみながら、同時に冷酷に屠るのを待ち構える『死の神殿』。
サリウス領の夜は、今、真実の意味で「断罪」の時間を迎えようとしていた。
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