90、陸斗 VS 丈
救護室のベッドから天井を眺めていた恒心。不意に扉が開く音が聞こえ、咄嗟に視線を逸らすように体を横に向けた。
ギィと音を立て近くの丸椅子に誰かが座った気配が彼の緊張を高める。
「お疲れ様」
その者は恒心の頭に労うように手を置いた。神威学園二学年担任、そして恒心のこちらの世界での保護者である暖だ。
唇を噛みしめた恒心。彼の瞳からとめどなく涙が溢れてくる。必死に押し殺そうとする嗚咽に微笑んだ暖はそのまま救護室を後にした。
「……かち、た、かったっ……」
恒心の絞り出された声は誰に届くでもなく空気に溶けていく。だが、暖にはその思いは届いていた。
(そうだ。悔しがれ。その気持ちが生を渇望する原動力になるから)
「さて、そろそろあっちの双子ちゃんは落ち着いたかな? 本当、二人の世界に入ったらなんも話を聞かなくなるから厄介なんだよね、あいつら」
肩をすくめた暖は、勝負に負けたことで学園のどこかでいじけているだろう杠兄弟を探しに向かった。
大歓声の中控えめに手を振りながら闘技場のフィールドから退場した綸。出入口の通路を抜けて誰の視界にも入らない場所まで行くと彼女は座り込んだ。
(大丈夫。大丈夫。もう終わったんだから……)
震える体を自分で抱き締め次第に早くなる呼吸を押さえようと必死だ。遠くから聞こえてくる足音さえ今の綸の耳には入っていない。
こちらに近づいてきていたのは乃々子であった。綸の勝利を見届け真っ先に駆け付けた彼女。乃々子は綸の前にしゃがむと優しく声をかける。
「あたし以外誰もいないわ」
乃々子の声を聞いて綸の目に溜まっていく涙。綸は顔を上げると乃々子に抱きついた。受け止めるも勢いを殺せずしりもちをついた乃々子。それでも彼女は綸の頭を優しく撫でる。
「……ねぇ、綸。もしかして刃物が怖いの?」
その乃々子の言葉に明らかに綸の肩は震えた。
「前からちょっと違和感はあった。運動神経も瞬発力も悪くない。なのに、武器が向けられると途端動きが鈍くなること。料理で一切包丁を使わないこと。頑なに自分は武器を持たないこと」
乃々子は綸を強く抱きしめた。
「……あなたも苦しんでいることがあったのね。もっと早くに気付いてあげられなくて、ごめんね」
かぶりを振る綸。声を出したいのに一言では発すれば泣き声を上げてしまいそうで、綸は乃々子の服を強く握ることしかできなかった。
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「それでは二回戦目と行きましょうか!」
「二回戦目の相手は一族対決ですね。斑鳩一族・陸斗さん対、鼓一族・丈さん」
「お互いの一族の能力はまさに静と動。これは楽しみですね! そんなこんなで選手たちの登場です!」
「……いや、これ突っ込んでいいの? それともスルーなの?」
意気揚々と、時々口から火を吹きながら実況する半魂・雄榮の隣で腕を組み困惑しているのは、同じく実況の半魂・尽だ。
彼の視線の先に居るのはやっぱりこの男、夕柊。
【がんばれー】
と文字を書いたスケッチブックを頭上に掲げて観客を盛り上げている。
文字の下にはへたくそな似顔絵が二人。おそらく陸斗と丈と思われるが似ているとは口が裂けても言えない出来だ。
もちろんスケッチブックは丈のもの。
登場してきた丈はスケッチブックを掲げている夕柊を見つけると眼を鋭くして腕を振っている。「預けるとは言ったけど、好きにしていいとは言っていない!」と言いたげだ。
「ま、触らぬ神に祟りなしね」
尽の隣で濡れた肩をすくめた女性、半魂・冴花によって場は締められ、
――ブオーン
ギャラルホルンの角笛が開戦を告げる。
「今更だけど、まさか俺らが対戦するとはな。くじ引きも仕組まれていたりして」
陸斗の言葉に頷いた丈。
幼少期に関わりのあった二人だが、自覚しているのは丈だけである。
陸斗としては、斑鳩一族と鼓一族は同じ地方、さらに隣県であるため一族同士の交流が盛んである故の発言だろう。因縁ではないが、縁はある戦い。
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「見合っておりますが、あーっと、先に動き出したのは丈選手! ということでみなさーん、お配りしましたガスマスクの装着をお願いいたしまーす。忠告を無視して倒れてもこちらは一切の責任を負いませんので悪しからず」
雄榮の放送に観客席の見物人およびこの会場にいるすべての人間が直ちにガスマスクを装着した。このガスマスクは神宮博物館・ラボのお手製だ。
シュコーと音を立てながらマイクに乗る声。
「丈さんが動き出したとなると警戒しなければなりませんからね、“あれ”に」
ガスマスクの中で微笑む、解説の紫雨。三学年であり神威学園の副生徒会長だ。
「そうですね、“あれ”に。さあ、この会場で唯一ガスマスクを着けていない陸斗選手、どう戦っていくのか!」
「丈くんにあの攻撃をされる前に型を付けるが理想だったんだけど出遅れたね、陸斗くん」
「そのようですね。丈選手はすでに腰の“それ”に手を添えているぞ!」
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「俺はそんなものなくても丈の言うことは聞くが、あれだな。パフォーマンスが必要なわけだ」
丈の背後に現れた神使・蟒蛇の『平』。彼の言葉に丈はサムズアップを向けると腰から瓢箪を取り平の頭上に勢いよく中身をまいた。
中身は蟒蛇の大好物、酒。太陽の光との屈折で一時小さな虹ができる。
腕を大きく広げ酒を全身に浴びた平は大きな口の口角を上げると丈に憑依する。丈の口からちらりと覗く舌は長く、先が二又。そして、彼の下半身は蛇の尾へと変化した。
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「シュコー……。でました、お酒フィーバー! あのパフォーマンスはいつ見ても面白いというか、派手ですね!」
「鼓一族が契約している神使・蟒蛇は気まぐれなので妖術を使うために酒で手懐けているらしいです」
「丈くんの神使はすごく聞き分けが良いらしいけどパフォーマンスでやったね、あれは」
「おとなしそうな見た目して存外はっちゃけるタイプなのか?」
「うん。丈くん面白い子」
「そんな面白い子、丈選手から距離を取りました陸斗選手!」
「やっぱり“あれ”を警戒しているわね」
「といいますと?」
「鼓一族の能力は【鼓毒】。体内で生成した毒を口から吐き出せます」
「だから鼓一族が出る試合ではガスマスクが必須。でも喋りにくい。シュコー……」
「毒の生成。それは、およそ人体では為し得ないこと。なので、適応するために体が変化していき、今では鼓一族は生まれつき舌が長く二又なんだ、とクラスメイトから聞いたことがありますね」
「ほうほう、面白いですね」
「それで言うと、斑鳩一族も生まれつきの特徴があるよな」
「ええ。あの肌の色ね」
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憑依した丈を見て、腰に手を当てると天を仰いだ陸斗。
「あーあ、だから嫌なんだよこの対決。だって毒に対処するには俺も能力を使わないといけねぇじゃん。嫌なんだよな、人前で使うの」
そんな陸斗の背後に現れた神使・だいだらぼっちの『盤』。今は人間と同じサイズだ。
盤は両手を胸の前で握り「ごめんね」と申し訳なさそうに零しながら陸斗の体に憑依する。
「いーや、盤はなにも悪くないよ。ただ……怖がられるから」
目を伏せ呟いた陸斗の体はゆっくりと大きくなっていく。観客席を超え、広大な学園の敷地を一望できるほどまで彼の体は大きくなった。
「きゃああ!」
「うわああん!」
途端会場を包み込む悲鳴に泣き声。主に若い女性やこどもだ。
「はぁー……」
重く長く息を吐き出した陸斗、それはもはや陸斗と呼んでいいかもわからない。肌は漆黒に、そして顔には歯が奇麗に並んだ大きな口のみ。
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「斑鳩一族は妖術を使うとこうなりますからね。あの褐色肌は漆黒の肌の名残ですか」
「はい。能力は【巨大化】。本人たちも怖がらせるからとあまり能力を使いません。故に彼らの怪力は努力の賜物です」
「まあ、実況席としては照り付けていた太陽が丁度良く遮られて嬉しいのですが。ありがとうー、陸斗くーん!」
巨大化した陸斗に届くよう声を張り上げ大きく手を振る雄榮。陸斗も真っ黒な大きな手を優しく振り返した。
「さあ、勝負の行方はわからなくなりましたよ! 巨大化した陸斗選手か、はたまた毒使いの丈選手か。見逃せない戦いが今始まる!」
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だが、勝負はあっけなく終わりを迎えた。
陸斗の巨大な体を蛇の尾を上手く使って登った丈。だが、陸斗の大きな手に簡単につかまってしまう。
さあ、ここから勝負が始まる! と思いきや、丈は憑依を解き白旗を振ったのだ。
ご高覧いただき感謝の至りでございます。
因縁の対決かもしれません。
何も知らない陸斗、全ても知っている丈。二人の思いはすれ違ったまま。




