第七話 不憫体質系青年
こんばんは。
『暮色 ―ぼしょく―』と申します。
「……な、なんだこれ!?」
背後から聞こえてきた素っ頓狂な声に夕柊は振り向く。その視界に映ったのは、後ろに手をついて腰を抜かしている馨だった。
首をこてんと傾げる夕柊。
「馨には器はなかったから瞑想しても妖力が取り込まれることは……」
ふと脳裏に過ったのはコロッケパンの件。そして、自らの言葉。
「……あ」
夕柊の口から思わず漏れた声。
馨は夕柊が齧った後のコロッケパンを食べていた。それ即ち、元から器がある人間のDNAを取り込む行為。
あの時すでに馨には器ができていたのだ。そして成り行きで瞑想を行ったことにより、彼までも妖力を取り込んでしまった。
「ゆ、夕柊これって……。いや、違うよね? なにかの間違いで……」
震える声で夕柊に助けを求めた馨。
「あちゃー」
だが、当の本人は他人事のように傍観しているだけ。
その反応に馨は落胆する。
またまた首をこてんと傾けた夕柊はお気楽に呟いた。
「ま、いっか」
「よくなーい!」
まだ活気あふれる校舎に彼の声は響き、先ほど出された大声の記録は今この瞬間をもって塗り替えられたのだった。
「……またか」
ため息交じりの呆れ声。
三人は声のした方向へ顔を向けた。すると、何もない空間から木綿着物を着た男性が二人現れた。玄葉に槐である。
「ど、どこから……!」
突然姿を現した二人に驚きを隠せない馨。綸も口に手を当てて目を開いていた。
「いまさら? さっき空浮かんでいたじゃん」
「いやそうだけど、そうじゃないっていうか……」
無表情でけろりと言う夕柊に馨は口ごもる。
「説明不十分で悪いな」
そう謝ったのは槐。
「俺は『大尾 槐』で、こっちが『日 玄葉』だ。よろしく」
「「よ、よろしくおねがいします」」
自分と隣の玄葉を指さして紹介した玄葉に、馨と綸はすかさず頭を下げた。
「いきなりの登場になっちまったが、実は俺ら二人も始めからいたのよ。全部見ていた。この見えなくなっちまう不思議な空間からな。『閉鎖領域』」
地面に右手をついてそう唱えた槐の姿はたちまち消える。
開いた口が塞がらない馨と綸をよそに夕柊は動き出した。槐が消えた場所に飛び込んだのだ。同じように一瞬にして消える夕柊。
槐が張った閉鎖領域に飛び込んだはいいが勢い余って彼にぶつかってしまう。
「いで」
「あ、ごめん」
だが、この領域内のやりとりは外にいる三人には見えず聞こえず。
「なにする気だ?」
眉を下げ片方の口角を上げた槐が尋ねると夕柊は、顔は無表情なままも楽しそうに答えた。
「ちょっと楽しいこと」
「ほどほどにな」
「あーい」
そんな夕柊に槐は呆れ笑いをしつつ肩をすくめる。
何もない空間からにゅっと現れた夕柊の顔。その異様な現象に馨と綸は驚きの声を上げた。その声に驚いたのか夕柊の突飛な行動を見てか、僅かに跳ねた玄葉の肩。
思ったよりもうまくいったことに得意げになった夕柊は領域内に戻ってくる。だが束の間、また顔だけを出す。それは顔のみが突然現れ突然消えているようなもの。いわば怪奇現象だ。
「あははー」と何度も繰り返す夕柊に馨は「やめろ!」と頭を抱える。
その様子を見ていた玄葉が夕柊の頭に近づき、すかさず拳骨を落とした。その鈍い音に「うおっ」と驚いた槐は領域を解除し、苦笑いを零す。
「うちのがすまない」
槐に続き謝る玄葉。
かぶりを振る馨と綸と反してなんとも思っていなさそうな夕柊に、大人二人はため息をつかずにはいられなかった。
校舎の隙間を縫ってやってきた風が木々を揺らす。芝生も微かに音を立てて揺れており、馨は視線を足元に移した。そこで奇妙な生き物と視線が合ってしまう。
「ウギャ?」
「うわあ!」
一歳のこどもほどの大きさの真っ白な二足歩行の生き物は馨を見て首を傾げると、一瞬にして興味を失いよたよたと芝生の上を歩いて遠ざかっていった。
「……び、びっくりした」
「で、ですね」
早鐘を打つ胸に手を当てて息を吐き出す二人。
「あはは。妹ちゃんはともかく、君は完全なるとばっちりだから望むなら元の世界に返すこともできるけど、どうする?」
可愛らしい二人を見て笑いながら、腰に手を当てた槐が馨に尋ねる。
「で、できるんですか?」
「今できたばかりの器を壊しちゃえばいいことだからな。その代わり、一度器を壊した者は二度と器を持つことはできないから、こっちの世界とは言葉の通り無縁になる。それでもかまわないな?」
「はい。願ってもないことです」
「えー、壊しちゃうの?」
馨の周りをうろついて名残惜しげに呟く夕柊。
「よかった。戻れるんだ」
そんな夕柊には目もくれず馨は胸を撫で下ろした。
ふと、馨の顔に影が落ちる。隣で見ていた綸は空へと視線を上げた。つられて馨も視線を上げる。
二人の視界が捉えたそれは、観音開きの大きな鏡。
「……な、な、なんじゃありゃあー!」
空を覆う見たこともない巨大な飛行物体に馨が叫び声をあげた時――
「おいおい、おサボりくん。なにひとりで騒いでんだよ」
聞き馴染んだ声が背後から聞こえてきた。
「ゆ、勇成……」
「てゆーか、お前のそんな大きな声初めて聞いたな」
豪快な笑い声を抑えることなくこちらへ近づいてくる。
「あ、いや。こいつに巻き込まれたものでつい……」
と、ため息をつきながら馨は顔を向けずに背後にいる夕柊を指さした。
「こいつ?」
勇成は馨の指さした先に誰もいないことを確認し首を傾げた。
馨も視線を移す。確かにそこに夕柊の姿はなかった。だが、誰もいないのだ。綸も玄葉も槐もそこにはいなかった。
馨には心当たりがあった。『閉鎖領域』。先ほどまで見ていた現象だ。姿はなくとも四人はここにいる。そして見ているのだ。
(絶対あいつの仕業だ。俺がひとりで困っているところを楽しもうっていう魂胆が見え見えなんだよ)
再びため息をついた馨は「なんでもない」と勇成に言い、ベンチに座ろうと促す。
「おかしなやつ」と笑った勇成は、今にも壊れそうなボロボロのベンチに疑心を募らせつつ座った。
「こんな穴場あったんだな」
「ひとりでゆっくりできるんだ」
「なのに悪いな、邪魔して」
「大丈夫。むしろ君の顔を見て安心しているくらいだから」
「……どうした、本当? いつも、というよりさっきまで俺を煙たがっていたくせに」
「別にそこまでじゃ……。ごめん」
「ははっ! いいってことよ」
二人の間に流れる沈黙。悪くない居心地。
「……もしさ」
唐突に切り出した馨。
「もしさ俺が、俺には今空に大きな鏡が見えるんだ、って言ったら信じる?」
「え、まじ!? うわぁ、俺には見えないのかぁ」
バッと空に顔を向けた勇成だったが、自分の目には何も見えず落胆した。
「……信じるの?」
「嘘なの?」
「違うけど……」
「なら疑う理由なくね?」
勇成は口を横に大きく広げ歯を見せて笑った。絵に描いたような純粋な笑顔。
(……そうだ。俺は、こいつの底抜けな明るさに救われていたんだっけ)
「うーん、眼鏡が悪いのか? レンズを付けるべきか?」
と、眼鏡を外して顔をしかめている彼に馨は思わず笑みを零してしまう。
三度空へ移した視線。やはりそこにある。
何も映さない大きな鏡は世界を見下ろしていた。
――カラン
軽いものが落ちる音。
馨は視線を音の出どころへ移した。その音は、ベンチの上に眼鏡が落ちた音だった。
馨はその眼鏡を拾い辺りを見渡す。
そして、彼の名を呼んだ。返事はない。
ベンチから降りて裏庭を歩いた。再び彼の名を呼ぶ。
馨の顔は笑っていた。
かくれんぼの鬼のように笑っていた。
足を止める。
彼の顔から消える笑み。
馨は現実を理解した。
友が忽然と消えた、という現実を理解した。
「……っうああああああ!!」
世界を燃やすような赤の中、くずおれた馨の叫喚が重く響いた。
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