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第八話 『空蝉物怪録』

こんばんは。

『暮色 ―ぼしょく―』と申します。



「……どう、して……」

 そう呟いたのは(いと)だった。


 閉鎖領域の中で夕柊(ゆうひ)らは彼が突然消える瞬間を目の当たりにした。なんの前触れもなく、霧のように突然消えた。


 夕柊に言われるがまま閉鎖領域を展開していた(えんじゅ)は、静かに解除した。隣には腕を組んで視線を逸らす玄葉(くろば)、口に両手を当て震えている綸。


(何度見てもこの瞬間は慣れないな……)

 槐は悔しそうに目を瞑り、天を仰いだ。


「……なんで、なんで……なんでっ!」


 眼鏡片手に蹲ったまま芝生に拳を降ろしている(かおる)に近づいた夕柊。


「……ごめん」


 その謝罪に矢庭(やにわ)に(矢庭に:いきなり)顔を上げた馨は涙にぬれた顔をゆがめて叫んだ。長い前髪の隙間から覗いた目は瞳孔が開かれ揺れている。


「なんでお前が謝るんだよ! 謝るってことはお前に原因があるのか!? だったら返してくれよ! 勇成(ゆうせい)を返してくれよっ……。じゃなきゃ、謝るなよ……」


「……返すことは、できない」

 馨の悲痛な叫びを真正面から受け止め、夕柊は答えた。


「……あ、いや。俺こそ取り乱してごめん。ははっ、お前はなにも悪くないのにな」


 そんな痛々しい馨が見ていられなくなり駆け寄った槐は、自分より大きい体を抱きしめた。その暖かさと優しさに馨の目からはとめどなく涙が溢れる。


「……こんなことになるなら、もっと、もっとあいつの話を聞いていればよかった……」


 馨の頬から滑り落ちた涙は、槐の着物の肩山を濡らしていく。彼は何も言わずただ強く抱きしめた。


「……馨。器、壊すのやめなよ」


 空気を読まない発言だったかもしれない。だが、夕柊の目は真剣だった。起きてしまった過去に立ち止まっている馨を、前に進ませようとしている。


「そっちでは『神隠し』なんて言われて自然災害扱いされているけれど、こっちの世界ではそんな未知なもの扱いはしない」


 顔を上げた馨の瞳と、夕柊の色の違う瞳が交わる。


「原因はわかっている。奴の――たった一人の(あやかし)の仕業だ」


 芝生に正座をした夕柊。その気配を感じ取って槐は馨から離れた。


 夕柊は馨に手を伸ばす。

「俺はそのために生きてきた。これからもそうする」


 風に靡く柔らかなブロンドの髪は、夕焼けを帯びて淡い茶色に見えた。


「馨、一緒に奴を倒そう」

 横に広げられた夕柊の小さな口。細められた目。とても奇麗とは言えない下手くそな笑顔。だが、彼の精一杯の笑顔。


「……はは、変な顔。夕くんとは月とすっぽんだな」


 小さく笑い声を零した馨は夕柊のちいさな手に自分の手を重ねた。


「ああ、一緒に倒そう」

 そして笑う。


 風に煽られて露になる前髪に隠れていた目。ぎゅっと閉じられたその目にはまだ痛ましさが滲んでいた。

 だが、彼の瞳はもう前を向いている。形見である彼の眼鏡をブレザーの胸ポケットに入れ、深く深呼吸をして両頬を強く叩いた。



『神隠し』

 それは、人間が忽然と消える現象。

 目の前で人が消えてしまうという、この異様な現象にも原因は存在した。


 《神の気まぐれな遊び『神隠し』》

 否、《人ならざるものの質の悪い『遊戯(いたずら)』》だ。



 振り向いた夕柊は校舎を見上げる。


「この黒い靄を、人ならざるもの『妖』は好む」


 校舎を包む黒い靄。馨と綸には先ほどまで見えていなかった光景。


「なんて禍々しいのでしょう」

「うん」

 綸の呟きに馨も同意を示した。


「これは『(けが)れ』。人の愛憎(あいぞう)渦巻く場所には『穢れ』が溜まる。外に溢れた人間の様々な感情と妖力が混じり、黒く濁る。それが『穢れ』」


「穢れは器に妖力を取り込んでいない人間の目には見えないし、感じ取れない。けど、人の感情に影響を及ぼす。負の感情をゆっくりと増幅させていく。”嫌い” ”気に食わない”という感情を『憎悪』に変えたり、”何もしたくない” ”休みたい”という感情を『死にたい』に変えたり、とね」


 夕柊の説明を補足するように槐が続ける。


「妖は人の負の感情が大好きだ。悲しみ、苦しみ、憎しみ、恨み、妬み、怒り、不安、攻撃性etc. それを喰うのが娯楽の一種になってんのよ。だから、負の感情を持つ人間を唆して心に()みつき、長い時間をかけて人間の心を蝕んでいく。棲みつかれた期間が長くなればなるほどじわじわと負の感情は増幅し続け、やがて爆発する。つまり自我の崩壊だ。自我が崩壊すれば人間自身で制御が効かなくなり、もう取り返しがつかないところまでいっちまう。そうなった人間を俺らは()ちた(かご)朽篭(くろう) 』と呼んでいる。嫌でもこの先見ることになるだろう」


 一度言葉を区切った槐は、小さく息を吐いた後再び口を開く。


「そんで、そんな妖らは穢れに引き寄せられる。その穢れの中からもっとも負の感情が大きい人間を選んで棲みつく。まあ、いわゆる朽篭の種だな。穢れは負の感情を増幅させるだけじゃなく朽篭を誕生させちまうのさ。だからこそ早急に浄化を行う必要があるわけよ」


 槐の言葉に応じて前に歩み出た玄葉。彼は胸元からまっさらな護符を取り出すと右手の親指を歯で傷つけその血で印を書く。


 裏庭の芝生に片膝立ちになると印を書いた護符を置き、護符を囲むように芝生の上に血の出ている親指で円を描いた。親指を払って血を落とすと、その上に右手を乗せる。


「穢れし此岸(しがん)よ この力をもって清め給う。

穢土純化(えどじゅんか)』」


 彼の詠唱とともに護符と囲んだ丸い血が光り、学校の敷地全体を淡い光が包んだ。


 次の瞬間、校舎を覆っていた黒い靄が護符に吸い込まれていく。すべてが吸い込まれ黒くなった護符は血の印とともに跡形もなく消えた。


「程度や周期は違えど、人がいる所には確実に穢れが溜まる。穢れの中にいるだけで判断力は低下し、いつもより体が重く感じるんだ。負の感情がある人間はより一層な」


 穢れを浄化し終えた玄葉の肩に労うように手を置いた槐は、腕を組んで夕柊の隣に並ぶ。


「もちろん、そんな悪いことを考えている妖ばっかじゃねぇぞ? さっきのまっちろい妖とか、こいつの中にいるやつとかな」


 と、親指で夕柊を指さした。


 夕柊――いや夕は笑みを浮かべながら大きく二度頷く。


「まあ、善良な妖と悪質な妖、数で言えば圧倒的に後者のほうが多いんだがな。それでも、俺ら人間と共存を望む妖は確かに存在するということを忘れないでほしい」


「だから手を取り合う。助け合う。

ともに悪を滅ぼさんとす」


 今度は槐の言葉を補うように夕柊が続けた。


「……人を簡単に消すことができるような妖がいて、怖い、とは思わないのですか?」


 恐る恐る口を開いた綸が槐に尋ねる。


「思うよ。戦う以上常に死と隣り合わせだ。足がすくんで動かなくなるような敵もいる。相手にするのは妖だけじゃない時もある。それでも、また明日(あす)も俺らは戦いに行くだろう」


 自身に向けるような呆れ笑いを零した槐。


「そうそう。あの人たちお人好しだから。現世(うつしよ)の人たちの生活を守るために自分の命をかけちゃうような」


 腕を組んでいる玄葉の着物の袂を掴んで、引きながら言った夕柊。玄葉は蚊を払うように彼の手を払い落とした。


「……今までそのようなことは露知らず生きてきました。それはひとえに皆さんに守られていたからなのですね。ありがとうございます」


 胸の前で手を合わせた綸は夕柊たちに向けて頭を下げた。その手は震えている。それにいち早く気が付いた夕柊が上からその手を包んだ。


「大丈夫。俺が守るから」

 それは綸に向けてでもあり、自分に向けているようでもあった。


「……はい」

 花がほころぶように微笑んだ綸。


「俺もそっちに行く以上できるだけのことはしないとな」


「何もできなかったりして?」

「おい!」


 夕柊と馨二人のやり取りに皆が笑い、淀んでいた空気が少しばかり晴れた気がした。


「俺らってば複雑な立場にいんのよ。悪さをする妖から人間を守りたい。でも、妖とも共に過ごしていきたい。そんな欲張りさんらがこっちの世界にはわんさといる。どうだ、面白いだろう?」


 笑みを浮かべたまま槐は語り、最後は馨と綸に問いかけた。頷く二人。


「あと、俺らが頑張れるもう一つの理由があれだ」


 空にある大きな鏡を見上げながら槐がそう告げる。


 つられるように皆も空を見上げた。


「人知れず助けたとしても、たとえ形に残らないとしても、あれがすべてを見てくれている。空蝉でおこる不思議なことを記録してくれている」


 槐の言葉を聞き、夕柊は真っ直ぐと空に手を伸ばす。そして強く握った。


「名は『空蝉物怪録(うつせみもっけろく)』」


 それは、空で異彩を放つ観音開きの大きな鏡。



ご高覧いただき感謝の至りでございます。


『月とすっぽん』の類語に『雪と墨』があります。

でも語呂が良いなと思ったのは『駿河の富士と一里塚』。

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